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エピローグⅢ
しおりを挟むふ、と目が覚めた。
どこかまだ、夢見心地の気配が全身を巡っていて、身体がだるいような、地に足がついていないような感じがする。
そんなふわふわとした気持ちのまま天井を見ていた。
目尻から一筋の雫が頬を滑り降りて、そのあたたかさと、あとに残った冷たさにふるりと身体が震えた。
視線を感じて左を向けば、彼が――アキラが、愛おしさを滲ませた目でこちらを見ていて、びくりと身体を跳ねさせた。
びっくりした。
君、起きてるなら声をかけて?
僕が静かに驚いているのすら愛おしいのだと語る目が、なんともこそばゆい気持ちにさせてくれる。
小さくおはようと呟いて、その頬に顔を寄せた。
うん、ほんの少しだけ生えた髭がチクチクと肌に刺さってくすぐったい。
ちょっぴり甘えたくて、そのままの流れで頬に唇を寄せた。
今日は、お引っ越しの日。
昨晩までに部屋中の荷物を箱に詰めて、最後の夜だから、彼の寝室で肌を重ねあわせた。
その気怠いけれど確かな充足感が、まだ腰のあたりに残ってる。
そうして、胸の中には、君が。
――いまもずっと、いてくれる。
かぷりとアキラの鼻頭に噛みついてから、身体を起こした。
手を伸ばされるけど、するりと躱してベッドから下りる。
春になったからといって、起き抜けのフローリングはやっぱり冷たい。
ぞわりと一度だけ肌がさざ波だった。
これ、ちょっと苦手なんだよね。
ここ二年近く、フローリング生活を続けているけど、全然慣れないや。
用意していた下着と服を身につけて、リビングへ、そこと併設されているキッチンへ向かう。
ここでご飯を食べるのは、今日で、今朝で最後になるから。
しっかりと、目に焼きつけておきたいのだ。
お引越しを進めるに当たって、色々と物件を見て回ることになった。
けれど、はじめての下見は大失敗もいいところだった。
駅からものすごく遠かったり、いまよりもっと狭いところだったり。
なんで広いところに引っ越そうというのに、そんなところばかりが候補なのかと思ったら。
なんてことはない。
アキラは僕を、不法滞在外国人だと認識していたのだ。
あぁ、うん、これについては僕が悪い。
なんたって僕、正真正銘の根無し草だもの。
ランプの魔人として現世に突然現れたのだから、身寄りなんかあるわけがない。
けれど、ご安心召されよ。
僕はかつて、ランプの魔人として運命を変える力を持っていたから、その辺りはまるっと解決済みなのだ。
つまり僕は、本名のユーリという名前で、“外国人の血を引く日本人男性”として、登録済みなのである――!
まぁその辺りの小難しいことを説明すると長くなる。
なので端折りに端折った経緯のみを語ろう。
アキラと契約した当初、これは長くなるなぁと察してしまった。
だって、典型的な願いを使い渋るタイプだったんだもの。
だから、キヨに仕えていたときのように、それらしい振る舞いをするのはもちろんのこと、戸籍とか、公的なあれこれをきちんとしなきゃいけない、と思ったんだ。
そこまで考えた僕は、競馬場で荒稼ぎをした日に、帰りの電車の中であれこれとつじつま合わせを考え、運命を弄くった。
そうしてその通りに役所で届け出をした。
外国人女性、ジン・イレギュー。
彼女と日本人男性との間に生まれた子ども、ユーリ・イレギューとして、久しぶりに日本に帰ってきたのだと、そう届け出た。
そんな記録は存在しないけど、ないってことは、あったかもしれない。
そう勘違いしてもらった。
窓口を担当した職員の方には大変申しわけないことをしたけれど、その甲斐あって、僕は正式に日本国籍を取得した。
どうせあとで……三つの願いを叶え終える頃に失踪届を出さなきゃいけないけど、当面はこれでいいと一息ついた。
ただこういうのって大っぴらに口に出すものでもない。
だからアキラには知らせずにいて、下見にいった日の夜に打ち明けたのだ。
アキラにとっては、そんなの聞いてないぞ!って寝耳に水の話だったから、大きなため息をつかれることになった。
そう言うことは、早く言え。
追加でそんなお小言をもらいながら、一回だけ額を指で弾かれたのだった。
そう言ったすったもんだがありながら、いくつかの候補を見て回って。
僕らの新居は、とってもいいところに決まった。
駅まではほんの少し離れているけど、いまのお部屋より広くて綺麗な作りの二階の角部屋。
側には商店街があって、休日はふたりでお買い物やカフェでお食事もできちゃう。
ゆったりとふたりの時間を過ごせる、そんな部屋を選んだ。
冷蔵庫の前まで来たら、蓋を開ける。
ぱかり、と間の抜けた音とともに白色電灯がパッと中を照らす。
殺風景な庫内には、二杯分の牛乳と、食パンが三枚、それと同じ枚数のハムだけが納められている。
それを見て、胸がぎゅうっと締めつけられる。
もうこの部屋で――腕を振るうことは、ないんだ。
あぁ、こんな風にさみしくて仕方がないのなら、昨日の夕飯は、もっと手の込んだものにしておけば良かった。
そう思ったけれど、時間は待ってくれないから。
猛スピードで朝ご飯の支度をして、起きてきたアキラと一緒に食べてしまう。
顔を洗って、掃除機がけをして、ゴミ出しをして。
細々とした朝の支度を進めていると、ぴんぽぉん、と少し間の抜けたインターホンの音が鳴り響いた。
あぁ、引越業者が来たんだ。
――来て、しまったんだなぁ。
そんな感慨に沈んでいる僕を置いてきぼりにするかのように、引越業者さんの手は淀みなく作業を進めていく。
実に手際よく、荷物が運び出されていく。
そうしてあれよあれよという間に、部屋の中はがらんどうになった。
広々とした部屋に残されたのは、僕たち二人だけになった。
「なんだか、少しさみしいね」
言葉にしてしまうと、余計にさみしさが胸に迫ってきた。
僕が経験してきた中では、あまりにも短い――でもそれ以上にぎっしりと中身が詰まった、二年と少しばかりの時間。
ここでアキラと出会って、お互いに折り合いをつけながら、なんとかやってきて。
人間に戻ってからも、寝食をともにして。
積み重ねた思い出と、捨てられない気持ちが詰まっていて、それが、ただただ手放しがたかった。
それらを形作ってきた品々は、残らず箱に詰めたけど。
でも、何をどうやっても、この空気を作り上げたこの部屋だけは、詰め込めないし、連れていくこともできない。
涙が出そうになって、でも泣きたくなくて。
目にぎゅっと力を込めた。
泣かないって、約束したのだ。
だって悲しいわけじゃない。
ただ――寂しいだけ。
別れがたいだけ。
子どもみたいに、嫌だって駄々をこねているだけにすぎないのだから。
「大丈夫だ。
全部全部、ちゃんと覚えてる」
胸にそっと手を当てて、彼はそう言った。
そのやわらかな光を湛える眼差しのまま、彼は一度だけ瞬きをする。
ついで、静かに、けれど一音一音を惜しむように言葉を紡いだ。
「新しいところでも、お前と一緒だ。
それなら俺は、笑ってこの部屋にお別れを言うことができる」
そうして、こちらに手を差し伸べてくる。
僕はその手を取って、引かれるまま玄関へと向かった。
振り向きたかった。
でも、それをぐっと我慢して、前だけを向いて歩いた。
いままさに、僕の力が染みついたこの部屋から出ていくんだ。
そのときがついに来たのだから、いま歩かなければ、いつ歩くというのだろう。
さようなら、ランプの魔人だった僕。
恐れるものなどなにもないと、自信たっぷりに振る舞って。
けれど実のところ、さみしがり屋だった僕。
いまは、なんの力も持っていない。
けれど、愛しい人と手を繋ぐことができる、徒人の僕は。
――愛しい人に手を引かれ、この部屋を出る。
早くと急かすように、ぐっと強く手を引かれ、たたらを踏んだ。
あぁ、少し足下がおぼつかない。
格好がつかないなと思いながら、眩しい光の中、笑いながら新しい世界に向かって、一歩を踏み出した。
「待ってよ!
そんなに焦らなくっても、ちゃんと歩いて行くんだから!」
だから――笑顔でさようならだ。
愛しい日々よ、いままでありがとう。
また、共に紡いでいこう。
どこまでも、このひとと一緒に。
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