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1話

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 夜十時、バイトを終えたら最短ルートで帰宅する。
 一人暮らしの生活費と学費を自分で稼ぐため、バイトに明け暮れる日々だ。
 明日は講義前の早朝にシフトを入れている。
 コンビニに寄る時間も惜しいから今晩もカップラーメン。時短のためには仕方がない。

 頭の中では家に帰ってからの行動を決めていく。
 まず一番に洗濯機を回すでしょ。
 次にご飯を食べて、課題のレポートと準備を終わらせて、洗濯物を取り込んで、干して、シャワーを浴びて……寝られるのは零時過ぎくらいか。
 明日も五時前には起きだから十分な睡眠時間を取るのは難しそうだ。
 しかも明日はゴミの日。少し早めに家を出る必要がある。溜めてしまっているから明日こそ出さなければ。

 考えている間にアパートに着いた。
 ポストを確認してから部屋へ向かうと私の部屋の前に誰かが立っている。
 黒色のフードパーカーを着た見知らぬ男の子だ。寒いなか私を待っていたらしい彼は、小刻みに震えながら白い息を吐き、赤い頬にカイロを押し当てていた。

 こんな時間にお客さん……?
 不審に思いながらも近寄っていけば彼が足音に気付いてこちらを見る。


「あっ! 早矢香さやかさん、お帰りなさい。バイトお疲れ様です!」

 俯いていた彼の表情はパッと明るくなる。
 ポケットにカイロを慌てて仕舞い、姿勢を正してからの第一声だった。

「ど、どうも?」

 白い歯を見せて笑う彼は私と同じく二十前後くらいの歳に見える。人当たりが良さそうな男の子だと思った。

「俺、肉じゃがを作ったんです。お口に合うといいんですけど……鍋にあるので温めて食べてくださいね」
「肉じゃが……?」

 彼は太ももの上でなんだか指をもじもじさせているが、唐突な定番家庭料理の登場に疑問符が浮かぶ。
 寒いなか、家の前で待っていた理由がそれ? 鍋はどこにあるのだろう?
 彼は手ぶらに見える。足元にはゴミの詰まった袋が四袋も置いてあるけれど。

「そうそう……夕方から雨の予報だったので洗濯物を取り込んでおきましたよ。あと十五分程でお風呂も沸きます。ゆっくり浸かって体を温めてくださいね。それじゃあ俺はこれで失礼します」

 彼は軽く頭を下げるとゴミ袋を持って立ち去ってしまった。

「い、今の誰……?」

 玄関前に一人残された私はしばらく呆然と佇んだ後、鍵を開けた。
 台所には肉じゃがの入った鍋と味噌汁と炊きたてのご飯。「おかずが一品でごめんなさい。もっと料理の勉強しますね」との書き置き。
 洗濯物は丁寧にアイロンまでかけられて収納ボックスにしまわれている。
 明日出す予定だったゴミも綺麗に消えており、彼の宣言通り十五分後にはお風呂が沸いて、久々に湯舟に浸かることが出来た。

 何かがおかしい――。
 そう思ったけど、私はとにかく時間に余裕がない。
 細かいことは気にせずに明日のバイトと学校に備えて眠りにつくことにした。


 ***


「早矢香さん、お帰りなさい。今日も遅くまでバイトお疲れ様です!」
「ど、どうも」

 翌日――
 玄関前にまた黒いパーカーの彼がいた。
 耳当てと手袋で防寒対策をしてきたようだけれど、鼻の頭がほんのり赤い。
 私を見付けた彼は顔を綻ばせて、昨日とよく似たやりとりが始まった。

「今日はもうバイトの休憩時間にご飯を済ませたんですよね。代わりに朝ご飯を用意したので食べてくださいね。あぁ、それからシャンプーがなくなりそうでしたよ。俺が詰め替えておきました」
「え? まだシャンプーのストックあったっけ?」
「いえ。だから買ってきました」

 目の前の彼が屈託なく笑う。さっぱりしたその笑顔を見ていると、ついつい友達と話しているような感覚で返事をしてしまう。
 本当なら彼に聞くべきことはもっと他にあるのだろうけれど、疲れた頭では深く考えられない。それがさも自然なことであるかのように会話が成立していた。

「あ、シャンプーは……」
「わかっています。前まで使っていたシャンプーのボトルに今は違うシャンプーを入れてるんですよね? 今のシャンプーと同じ物を買ったので安心してください。それじゃあ俺はこれで失礼しますね!」
「あ、うん。色々ありがとね」

 彼は昨日と同じように小さく頭を下げると背を向けた。そのままゆっくりと歩いていく後ろ姿を見届けず、私は部屋に入る。

 何かがおかしい――。
 それは確信へと変わり始めていた。だけど、私には時間がないのだ。
 面倒なことは考えないで今日も眠った。
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