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第21話「弱み」

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 薄暗い廊下を進んでいたシルディアは目の前に灯る明かりに、心の底から安堵した。
 それは砂漠に突如現れたオアシスのようだ。

(ちょっと待って。どうして火が点いているの? 地下は滅多に使われることなんてないのに)

 違和感を覚えたシルディアが歩みを止める。
 すると、当然のように階段を降りてきた灰色のローブの男が残念そうに呟いた。

「まったく。何も考えずに上ってくればよかったものを」
「わたしに階段を上らせたかったら明かりを灯したのは愚策だったわね」

 男が階段を一段降りる度、じりじりとシルディアは後退る。
 まだ手首の拘束が解かれていないのだ。

(引き返したところで勝機はない。むしろ襲撃者を合流させてしまう方が厄介よ)
「嫌ですね。その目。反撃の糸口はないかと探る目です」
「……あなた達の目的は何なの?」
「時間稼ぎですか。いいでしょう。乗ってあげますよ」

 男はそう言いながら目深に被っていたフードを脱ぐ。
 漆黒に近い色の髪を持つ男だ。
 髪色で限りなく皇族に近い血筋だと分かる。
 灰色のローブで体躯は分からないが、ちらりと見えた腕回りはがっしりとしていた。
 鍛えられた手は騎士だと言っても通じるだろう。
 一番目を引くのは、紅消鼠べにけしねずみ色の両目を裂くような三本の爪痕だ。

(獣にしては爪と爪の間隔が大きすぎるわ。こんな大きな爪を持つ生き物なんているわけ……)

 ふとヴィーニャの寂しげな顔がシルディアの脳裏を過った。

『長い年月は人を……変えてしまうものですから』

 あの時、彼女が言っていた言葉を思い出す。

「――竜の怒り……?」
「ふっ。なかなかどうして。正解に辿り着くとは」

 男が薄い笑みを浮かべる。
 ぞわっと体の内側から凍り付くような目を向けられ、シルディアは思わず後退る。

(正解? 竜の怒りは比喩的なものではなく、物理的なもの? 竜は本当に存在する……? 今は考察している場合じゃないの。目の前の人物が誰なのか考えるのよ)

 シルディアは目の前の男から目を逸らすことなく、彼が何者なのかを考える。

(ヴィーニャから聞いたのは、竜の怒りを買った人間は社交界を追放された。つまり貴族。伯爵以上……いいえ、この髪色なら公爵かしら)

 限りなく漆黒に近い髪は高貴な身分の証だ。
 だというのに、不祥事を起こした。

「あなた、何をして社交界を追放されたの?」
「おやおや。理由までは話さなかったようですね。困った娘だ」
「……娘?」
「私の娘と一緒にいたでしょう? つい先程まで」

 娘という言葉の指す人物が誰なのか、考えるまでもない。
 シルディアと一緒にいた女性はヴィーニャしかいないのだから。
 けれども彼女は目の前の男と同じ色の目をしているが、それだけでは判断ができずシルディアは聞き返した。

「ヴィーニャがあなたの……賊の娘だと?」
「はい。出来の悪い娘でして、ご迷惑をおかけしているでしょう。申し訳ない」
「迷惑なんてしていないわ。ヴィーニャは優秀な侍女よ」
「……そうですか。お役に立てているようで安心しました」

 この状況で世間話を始める男にシルディアは眉を顰めた。
 何かがおかしいと感じるのは自然の流れだろう。

(どうして今この話をするの?)
「まぁ私にとっては、なんの情報すら掴めぬ愚図な娘ですがね」
「……情報?」
「つがい様であればご存知でしょう?」
「一体なんの話?」
「あの憎き皇王の弱点をですよ」

 オデルに弱点など存在しないだろう。
 意味がわからず黙り込んでいれば、男はわざとらしく大きなため息をついた。

「みなまで言わねば分かりませんか。しかたないですね」
「あの人に弱点なんてないわ」
「いいえ。竜族に生まれたからには必ずどこかにあるはずです。特別な部位が。竜の逆鱗が――!!」

 男はいたく興奮した様子だ。
 しかし、シルディアにとってそれは聞き慣れない言葉だった。

「逆鱗……?」
「こほん。失礼。何をとぼけていらっしゃるのでしょう。逆鱗のある場所さえ分かれば簡単に皇王を亡き者にできるのですよ。ゆえに、皇王最大の弱点。周知の事実でしょう?」
(最大の弱点? 何の話をしているの……?)

 当たり前のように発せられた言葉に反応できず、シルディアは固まってしまう。

「ですから、つがい様。皇王の逆鱗はどこか……教えていただいても?」

 男は爽やかな笑顔で言った。その表情は皇王を弑逆しようと目論んでいる人間のものとは思えない。
 まるで昼下がりのティータイムを楽しんでいるかのような、そんな笑顔だった。
 場違いな表情に冷や汗が背中を伝う。

(もしわたしが逆鱗について知らなければ、この男は躊躇いなくわたしを殺すでしょうね)

 シルディアを生きて返すつもりであれば、今この場でシルディアの邪魔をしていないはずだ。
 しかし不可解なこともある。

(オデルを殺したいのであれば、一番手っ取り早いのがつがいを殺すことのはず。つまりわたしを殺せば間接的にオデルを殺すことができる。でもそれをしなかった)

 シルディアが意識を無くしている間に殺してしまえばよかった話だ。
 だというのに、シルディアは殺されていない。

(そのうえ、オデルの弱点を知りたいとわたしに尋ねている。もしかして自分の手でオデルを殺そうとしているの?)

 気づいた一つの可能性に、シルディアはますます自分が口を割るわけにはいかないと自覚した。
 シルディアは意識して口角を上げ、不敵に笑って見せる。

「仮に知っていたとして、易々と教えるとでも?」
「えぇ。きっと教えてくれるでしょう」
「ありえないわね」
「そうでしょうか? 拷問をすれば吐いてくれるでしょうか」
「どんなことをされても、わたしは屈しないわよ」
「困りましたね」

 言葉とは裏腹に男には依然として困った様子はない。

「いいことを教えてあげますよ」
「結構よ」
「そう言わずに。聞くだけでいいんです」
「どうせくだらないことでしょう」
「それは聞いてみなければ分からないことです」
「聞かなくても分かるわ。聞くに堪えないことだって」
「さて、どうでしょう?」

 どれだけ気を逸らそうとしても、のらりくらりと反論されてしまう。

(一か八か、駆け抜けてみる? いえ、駄目ね)

 後退する足を前へ踏み出そうとしたのを、目敏く牽制されてしまった。
 わずかな予備動作だけで行動を読まれてしまったシルディアは舌打ちをしそうになったが、何とかすんでのところで堪えた。

「何を言ってもわたしの意思は変わらない。逆鱗について、一切答えるつもりはないわ」
「凛々しいそのお姿。ぜひ皇王に見せてあげたいですね」
「……話が噛み合っていない気がするわ」
「皇王が皇王たる所以を、つがい様はご存知でしょうか?」
「皇族であり竜の王でもある竜族を、皇王に立てているだけでしょう。深い意味なんてないわ」
「甘いですね。砂糖菓子のように甘ったるい! なんと愚かなことでしょうか」
(やっぱりあまり話が噛み合ってない気がするわ。皇族の血が濃いと皆、人の話を聞かなくなるのかしら)

 歯車が噛み合わずに動かないおもちゃのように、シルディアと男の間には空気の落差があった。
 目の前の男の相手をするよりもシルディアはどうにかして階段を登らねばならない。
 時間稼ぎをしても、この場所に気付いてもらわねば意味がないとシルディアは理解している。
 じわじわと蛇に締め付けられているような感覚だ。焦りが出るのは仕方のないことだろう。

(さっきから何度も隙を見て走り出そうとしているのに、目敏く視線だけで牽制されてしまう)
「上の空ですね。しかし、私から目を離さないのは流石です」

 にこにこと笑ってはいるが、紅消鼠べにけしねずみ色の目は笑っていない。

「それで、皇王たる所以って何かしら? きっとつまらないことでしょうね」
「初代竜の王の妄執に囚われた竜族が皇王になるのですよ。政治も、名誉も、貴族制度も、すべて初代の思うがまま。皇王はそれに従うだけのただの無能です」

 確信を持ってシルディアのは、はっ! と嘲笑う。

「なんだ。そんなこと? やっぱりつまらなかったわね」
「そんなこと……? つがいを見つけ生き延びた歴代皇王は皆、初代に乗っ取られてしまったのですよ?」
「歴代が弱かっただけの話よ。オデルはそうならないわ」
「本気で言っているのですか?」

 男が初めて動揺を見せた。
 困惑する男にシルディアは当たり前だと頷く。

「わたしはオデルを信じているわ」
「つがいを殺してしまうような男でも?」
「……それは初代の話でしょう? オデルは違うわ」

 言い切ったものの、初めて聞いた情報に内心動揺していた。
 表情に出なかったのはひとえに努力の賜物だろう。

(つがいを殺す……? 聞いたことな――いえ。何か見落としている気がするわ)
「貴女も見たはずです。歴史書を」
(そうよ、歴史書。二十歳で死ぬ竜の王にばかり目が言っていたけれど、確かに生き延びた竜の王のつがいは早々に亡くなっていたわ)

 シルディアは直近のつがいが逝去しているのを歴史書で知っただけだ。
 たった一人、オデルの祖母が若くして亡くなったのを見ただけでは、決して思い付かなかったはずだ。
 しかし、歴代竜の王が二十歳までに亡くなると気が付いたシルディアであれば、複数人つがいが亡くなっていた記述があれば予測立てて正解に辿り着いてしまうだろう。
 つがいは例外なく若くして亡くなっている、と。

(もしかしてオデルはつがいが死ぬことを知られたくなくて……?)

 オデルは最初からシルディアのためを思ってくれていたのだ。
 いまさら気が付いたシルディアの顔に花が咲く。

「ふふっ」
「何を笑っているんです?」
「いいえ、なにも?ただ――」
「ただ?」
「オデルが歴代竜の王のようにはならないって確信しただけよ」
「……どうやら、話し合う意味はなかったようですね。時間切れです」

 シルディアの背後から何者かが走ってくる音が微かに聞こえる。
 聞こえた足音はとても軽く、男のものではないと用意に判断できた。

「シルディア様! ご無事で――っ!!」

 シルディアの前に躍り出たヴィーニャが息を詰めた。
 ヴィーニャを見留めた男が、優雅でいて残酷に語りかける。

「私の可愛い操り人形ヴィーニャ。やっとアレを倒したのですか? 随分と時間がかかりましたね」
「父上。なぜここにいるのですか」
「それはもちろん、竜の王からこの国を救うためだよ。知っているだろう?」
「知っているも何も私はもう家を捨てた身です。貴方とは一切関係のない人間です」
「馬鹿も休み休み言いなさい。私の血は、確かに流れているますよ。その唯一無二の瞳が動かぬ証拠」
「……貴方に指図されるだけの弱い娘ではありません。シルディア様は、私がお守りします」

 ヴィーニャの言葉にシルディアは悟った。

(ヴィーニャのファミリーネームを思い出せなかったのは、一度も見聞きしたことがなかったからね)

 一人納得していると、男が失笑を零す。

「家のために何も出来なかった能無しが今更何をしても変わりませんよ。それに、なんのために私が時間稼ぎをしていたと思っているのですか?」

 時間稼ぎをしていたのはシルディアだけではなかった。
 そう宣言され、シルディアは身構える。

「無駄ですよ。これは回避不可能ですから」

 そう告げた男の足元から白煙が漂い始めた。
 ローブの中に何か仕込んでいたのだろう。
 休憩室の時と同じ白煙が、またシルディア達に襲い来る。

「っ! げほっげほっ!」
「げほっ。うぁ……」

 一瞬にして満たされた白煙を吸ってしまいヴィーニャとシルディアが咳き込んだ。
 途端、回り始める視界に、ぐわんぐわんと脳を直接揺さぶられるような感覚。
 シルディアは立っていられず膝をついた。

(これ、休憩室の時も……)
「シルディア様!?」

 対してヴィーニャはなんてことないような顔をしている。
 急激なめまいと吐き気に対応できるような人間がこの世にいるのだろうか。

「ヴィーニャ、あなた、げほっ! どうして立っていられ、るの……?」
「? なんのことですか?」

 きょとんとしたヴィーニャの顔に、シルディアは一つの可能性を導き出した。

(ヴィーニャの言葉は嘘じゃない。だとすれば、煙だけで起こる現象ではないはず。わたしにだけ効かせるために、なにか仕込みをしているに違いないわ)
「おや? 本来なら意識を保てないはずなんですが……。しぶといですね。もしや規定量を飲まなかったのですか?」

 男が近付いて来ているのか、段々と声が近くなる。
 ぐるぐる回る視界を閉じ、シルディアはどうにか頭を動かした。

(規定量? ……薬を飲まされたのね。白煙と合わせるとめまいを起こすようなもの。問題はいつ飲まされたかよ)

 今日か昨日か分からないが、夜会というイレギュラーな場に参加した。
 普段から食べ物には気を使い、オデルが手がけた食事しかしていなかったため、毒味をつけていなかった。

(でもヴィーニャが持ってきたタルトは食べなかったし、その他に夜会で口にしたものなんて……ある、わけ)

 シルディアはさっと青ざめる。

(イチゴのカクテルを飲んだわ! あれは半分をオデルが――――っ!?)

 前触れもなく階段から突風が吹き抜ける。
 地下へと抜ける風など存在しない。
 そのため地下にいる全員が、何者かが意図的に風を送り込んでいるのだと理解した。
 コツコツと階段を降りる音が響く。
 その足音に乱れはなく、絶対的な自信を感じさせる。
 漆黒のマントを揺らし階段を降りる彼こそ、シルディアが心から待ち望んだ――

「やっと見つけた。俺の白百合」

 シルディアのオデルつがいだ。
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