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第Ⅶ巻 沈風戦線 ― 声喰いの嵐(ボイス・イーター)
第5話 風死の胎動(後編)
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沈黙が、さらに重く沈んだ。
風も音も、もうほとんど残っていない。
あるのは――命令と炎だけだ。
ネイラが一歩、前に出る。
その動きは静かだが、地面の色が一段階、薄く落ちた。
「第三段階、出力上限まで開放。
風の死相――加速。」
彼女の背で重なった三つの影が、
ゆっくりと“羽”のような形を取り始める。
黒い風の羽。
だがそこに風はない。
ただ、風があった“痕跡”だけを模した偽りの翼。
ティナが灯を抱きしめ、小さく声を漏らした。
「……エイン、あれ……ノマ=ルグの伝承画に……」
ノマ=ルグの古い壁画に描かれた、
風の神格の姿――それを歪めたようなシルエットが、
ネイラの背中に貼り付いていた。
エインは視線を逸らさない。
(……こいつ、本気で“風の神”を造り直す気か)
橙の光脈が殻の中を走る。
炎核が、沈黙に反発するように脈を強めた。
ネイラが片手をあげる。
「排除工程、最大位相。
――《風死殻(デッド・ブリーズ)》」
沈黙の霧が一気に収束した。
エインの周囲を、見えない膜が幾重にも囲む。
内側からも外側からも、風が通らない“死の殻”。
ティナの灯が悲鳴のように揺れる。
「……囲まれた……! エインが……閉じ込められてる……!」
灯の橙が、殻の表面をなぞるように震えたが、
すぐに押し返されて弾かれた。
ネイラは、その光景を冷静に見つめていた。
「ここは、風が生まれない空間。
あなたの炎も、広がる先を失う。
あとは熱が……静かに、冷めていくだけ。」
エインは殻の中心で、静かに息を吸った。
空気は重い。
音は死んでいる。
だが――炎核だけは、沈黙の奥で確かに燃えていた。
(……広がらないなら、
“殴ったところだけ”で十分だ)
右拳を握る。
装甲の中で、加重機構がわずかに軋んだ。
沈黙の殻に、そっと拳を当てる。
ティナの目が見開かれた。
「エイン……?」
エインは小さく呟く。
「風を殺す殻なら――
ここは“風の檻”じゃない。
ただの“命令の壁”だ。」
拳を一段、引いた。
炎核が脈打つ。
深く、ひとつ。
殻の内側に、橙の亀裂がひと筋走った。
ネイラの瞳がかすかに揺れる。
「……内部から……?」
エインはさらに踏み込む。
足元の沈黙が割れ、殻の内側で衝撃が跳ねた。
「お前が風を殺すなら――
俺は“命令の殻”を殴り壊すだけだ。」
次の瞬間、拳が沈む。
殻の内側から、橙の光が弾けた。
風は生まれない。
だが、“命令の線”だけが千切れていく。
ネイラがはっきりと顔を歪めた。
「……命令構造に……穴……?
そんな干渉……理論上、ありえない……!」
沈黙の殻に、
蜘蛛の巣のような亀裂が広がっていく。
ティナの灯がそれに共鳴し、
橙の光をひときわ強く放った。
「……見える……!
エインの炎が、風の代わりに――
命令の“間”をこじ開けてる……!」
ネイラの背後で、影の翼が不規則に震えた。
第三段階の完成が、
ほんの少しだけ“遅れ始める”。
風死の胎動が、微かに狂い始めていた。
亀裂が走るたび、沈黙の殻がわずかに“呼吸”するように歪んだ。
ネイラの影翼が揺らぐ。
沈黙が、かすかに揺れた。
「……第三段階の安定値……低下……?
原因――“内部からの反命令干渉”……?」
彼女の声がわずかに震える。
感情ではない。
演算の乱れ――命令律の乱相。
(……やっぱり抑え込めてないんだな、お前の“神格模造”)
エインは拳を握り直す。
殻の内側で、橙の残光が脈動した。
ティナの灯がその脈打ちを“道”として照らす。
ネイラが指を動かす。
数学的に整った命令構文が空中に積層し、殻の補強が始まった。
「再構――位相修復。
命令の穴は、命令で塞ぐ……。」
殻の亀裂が一瞬だけ凍りつく。
だが――それはすぐにエインの拳で砕かれた。
橙の火線が走り、命令構文が弾け飛ぶ。
パキン、と。
静かな破砕音が響き、ネイラの表情が初めて歪む。
「……っ……無効化……?」
エインは淡々と答える。
「お前の殻は“風の死”じゃない。
ただの命令の壁だって言ったろ。」
踏み込む。
殻内部で衝撃が跳ね上がり、沈黙が震えた。
ネイラの影翼がバランスを失う。
第三段階の“神格模造”が、完成寸前で足場を崩される。
ティナの灯がその乱れを照らす。
灯の橙が、ネイラの背の黒い影をかすかに透かした。
「……ティナ……“見えるのか”?」
「うん……影が……バラバラに……!
ネイラの“風の姿”が……固定できてない……!」
ネイラの声が沈む。
「――原因特定。
あなたの炎核……命令位相と干渉……。
本来、ありえない……。」
影翼が乱れ、風の死相が揺らいだ。
「命令は、風を殺す。
しかし……“殴られる”ことは……想定外……。」
エインは低く息を吐く。
「そりゃどうも。
俺は命令みたいに綺麗に畳めないんでな。」
拳を振り抜く。
殻の内側に大きな亀裂が走り、外の世界の薄い風の痕跡が一瞬入り込んだ。
ティナの灯が明るく跳ねる。
「……エイン! いま……風が……!」
ネイラが目を細め、演算音のような声を漏らした。
「第三段階の風格子が……乱流化……?
――これは、まだ“完成”していない……。」
彼女の体表に走る黒い紋様が、わずかに脈を狂わせる。
命令律が“風の位相”を完全に模倣し切れていない。
(……神になりきれてない“影”。
その完成を、あと一歩で止めたわけか……)
エインは最後の一歩を踏み込む。
殻全体に、爆ぜるような光が広がる。
橙の亀裂が一気に殻の外へと走り――
――破裂音が沈黙を割った。
風はまだ生まれない。
だが“閉じ込める殻”がなくなり、世界の息が戻り始める。
ネイラの影翼が大きく揺れ、彼女は数歩後退した。
「……命令殻、消失。
第三段階――維持不能……。」
その声は“焦り”に近かった。
機械ではなく、感情の端のような震え。
エインはゆっくりと拳を下ろす。
「終わりだ、ネイラ。
その“神の形”――まだ未完成なんだよ。」
だがネイラは、すぐには倒れなかった。
彼女の瞳に、“別の色”が灯る。
命令律の深層――幹部体としての、最後の命令。
そして――“撤退”の予兆。
ネイラの足元に、黒い“線”が走った。
影ではない。命令律が空間に刻みつける、退避のための転位座標。
彼女は、静かに息を吸うようにして言った。
「……未完成。
――だからこそ、ここで壊されるわけにはいかない。」
影翼が大きく震え、羽ばたく――
いや、“羽ばたこうとする動作だけ”を模倣する。
風は生まれず、ただ影が揺れる。
その揺れはどこか、苦しげだった。
ティナが眉を寄せ、灯を抱き締める。
「……ネイラ……苦しんでる……?」
ネイラの視線が、ほんのわずかにティナへ向く。
だがその感情は読めない。影に隠れていた。
エインは踏み込みかけて、その瞬間、わずかに動きを止めた。
ネイラの周囲に、複数の命令式が浮かび上がった。
カイムの時とも、アーセラの時とも違う。
“撤退用の命令”。
幹部体のみに許された、後方中枢からの強制命令。
ネイラは淡々と言う。
「上位命令――帰還。
〈虚帝圏コア・ノード〉より直接制御。」
風がないのに、空気が震えた。
命令だけが世界を押し返す。
エインが拳を構えるが、ネイラは首を振る。
「あなたを“ここで殺す”命令は出ていない。
私の第三段階完成は、次の位相で行う。」
影翼が広がる。
殻が消え、沈黙が薄れ――ほんの少しだけ、風の痕跡が戻る。
ティナの灯が、それに反応して揺れた。
「……エイン……風が……」
ネイラは、ふと呟くように言った。
「――覚えておいて。
あなたの炎核は、命令の“隙”を作る。
だから私は、次で“隙のない風”になる。」
それはまるで、自分に言い聞かせるような声だった。
エインが前に出る。
「逃げるのか。」
ネイラは振り向かない。
「撤退――ではなく、『再構』。
私はまだ、風の神格模造に届いていない。」
命令式が輝く。
ティナが思わず前に出ようとした。
「待って――!」
ネイラはわずかに顔だけ振り返った。
初めて、影が揺れて“素顔の気配”が覗く。
「……あなたの灯、厄介。
風の死相に……干渉する。」
そして。
「――次は、沈黙ごと。落とす。」
その言葉と同時に、命令式が収束し、
ネイラの影翼が“沈黙の羽ばたき”を模して空間を裂く。
黒い線が閉じ――
ネイラの姿は消えた。
沈黙も、殻も残していない。
ただ、“影の温度”だけを置いて。
エインは拳を下ろし、小さく息を吐いた。
ティナが駆け寄る。
「エインっ……!」
「大丈夫だ。殻の中よりはな。」
ティナの灯が、ふわりと橙を広げる。
風のない空間で、それは“唯一の揺れ”だった。
「……ネイラ、また……来るね。」
エインは頷く。
(ああ――次はもっと厄介だ)
風を模した神格。
影から生まれた“偽りの風”。
その完成は、今日、止まった。
だが――止めきれたわけではない。
エインの拳にも、まだ熱が残っていた。
ネイラが消えたあと――
世界は、急に“軽さ”を取り戻した。
風は吹かない。
けれど、沈黙の重さが薄れたぶん、空気がわずかに動いて見える。
ティナは灯を胸に抱いたまま、周囲を見回した。
「……ノマ=ルグの声……まだ、聞こえないけど……
でも、さっきまでより……苦しくない。」
エインは空を見上げる。
風のない空。
ただそこにあるだけの空。
(――ネイラの第三段階。
あれが完成していたら、この土地は本当に“風の死骸”になっていた)
拳を開く。
殻を割ったときの反動が、まだ指に残っていた。
「ティナ、傷はないか。」
ティナは首を振る。
「ううん……灯が守ってくれた。
エインの炎が、殻の中で……ずっと響いてた。」
灯が小さく揺れ、ふっと柔らかな光を返す。
エインは少しだけ顔をそむけた。
(……そう感じるほど、必死だったのか、俺は)
ティナは沈黙した大地へ視線を投げる。
「エイン……ネイラ、言ってたね。
“次は、沈黙ごと落とす”って……」
「……ああ。」
炎核の奥で、ひとつ脈が跳ねる。
「奴は次、完全体になる。
“欠けた風”ではなく、“閉じた風”として戻る。」
ティナの表情が強張る。
「それって……ノマ=ルグの……風の精霊たちが……」
「消える可能性がある。」
短い言葉なのに、地面まで震えた気がした。
ティナは灯を抱き締める。
その光は不安と、祈りの色で揺れる。
そんな中――
カラン……と。
微かな音が足元で鳴った。
音が、戻っていた。
ティナがはっと顔を上げる。
「エイン……!
いま、風じゃないけど……“響き”が返ってきた……!」
大地を走る風の道――“風層”はまだ復活していない。
だが、沈黙が破れたことで、
音は伝わり始めている。
エインはゆっくりと両拳を握った。
「……ネイラを追うぞ。」
ティナが驚いたように目を丸くする。
「い、今すぐ……!?」
「奴が完全体になる前に、ノマ=ルグの中心へ入る。
まだ間に合う。」
ティナは灯を見つめた。
灯は、揺れるでもなく、拒むでもなく――
ただ、橙の色を静かに増していった。
ティナはうなずく。
「行こう。
“風を閉じられる前”に。」
エインも頷き、沈黙が薄れた草原を踏みしめる。
遠く、地平線で砂が小さく跳ねた。
風が吹いたのではない。
“風の記憶”が疼いただけだ。
だが、それは確かな兆しだった。
ネイラがいなくなって――
風は、ほんの少しだけ、戻ろうとしている。
その儚い気配を追って、
エインとティナはノマ=ルグの中心へ歩きだした。
風の死を止めるため。
そして、“影の風神”として完成しつつあるネイラを追うために。
風も音も、もうほとんど残っていない。
あるのは――命令と炎だけだ。
ネイラが一歩、前に出る。
その動きは静かだが、地面の色が一段階、薄く落ちた。
「第三段階、出力上限まで開放。
風の死相――加速。」
彼女の背で重なった三つの影が、
ゆっくりと“羽”のような形を取り始める。
黒い風の羽。
だがそこに風はない。
ただ、風があった“痕跡”だけを模した偽りの翼。
ティナが灯を抱きしめ、小さく声を漏らした。
「……エイン、あれ……ノマ=ルグの伝承画に……」
ノマ=ルグの古い壁画に描かれた、
風の神格の姿――それを歪めたようなシルエットが、
ネイラの背中に貼り付いていた。
エインは視線を逸らさない。
(……こいつ、本気で“風の神”を造り直す気か)
橙の光脈が殻の中を走る。
炎核が、沈黙に反発するように脈を強めた。
ネイラが片手をあげる。
「排除工程、最大位相。
――《風死殻(デッド・ブリーズ)》」
沈黙の霧が一気に収束した。
エインの周囲を、見えない膜が幾重にも囲む。
内側からも外側からも、風が通らない“死の殻”。
ティナの灯が悲鳴のように揺れる。
「……囲まれた……! エインが……閉じ込められてる……!」
灯の橙が、殻の表面をなぞるように震えたが、
すぐに押し返されて弾かれた。
ネイラは、その光景を冷静に見つめていた。
「ここは、風が生まれない空間。
あなたの炎も、広がる先を失う。
あとは熱が……静かに、冷めていくだけ。」
エインは殻の中心で、静かに息を吸った。
空気は重い。
音は死んでいる。
だが――炎核だけは、沈黙の奥で確かに燃えていた。
(……広がらないなら、
“殴ったところだけ”で十分だ)
右拳を握る。
装甲の中で、加重機構がわずかに軋んだ。
沈黙の殻に、そっと拳を当てる。
ティナの目が見開かれた。
「エイン……?」
エインは小さく呟く。
「風を殺す殻なら――
ここは“風の檻”じゃない。
ただの“命令の壁”だ。」
拳を一段、引いた。
炎核が脈打つ。
深く、ひとつ。
殻の内側に、橙の亀裂がひと筋走った。
ネイラの瞳がかすかに揺れる。
「……内部から……?」
エインはさらに踏み込む。
足元の沈黙が割れ、殻の内側で衝撃が跳ねた。
「お前が風を殺すなら――
俺は“命令の殻”を殴り壊すだけだ。」
次の瞬間、拳が沈む。
殻の内側から、橙の光が弾けた。
風は生まれない。
だが、“命令の線”だけが千切れていく。
ネイラがはっきりと顔を歪めた。
「……命令構造に……穴……?
そんな干渉……理論上、ありえない……!」
沈黙の殻に、
蜘蛛の巣のような亀裂が広がっていく。
ティナの灯がそれに共鳴し、
橙の光をひときわ強く放った。
「……見える……!
エインの炎が、風の代わりに――
命令の“間”をこじ開けてる……!」
ネイラの背後で、影の翼が不規則に震えた。
第三段階の完成が、
ほんの少しだけ“遅れ始める”。
風死の胎動が、微かに狂い始めていた。
亀裂が走るたび、沈黙の殻がわずかに“呼吸”するように歪んだ。
ネイラの影翼が揺らぐ。
沈黙が、かすかに揺れた。
「……第三段階の安定値……低下……?
原因――“内部からの反命令干渉”……?」
彼女の声がわずかに震える。
感情ではない。
演算の乱れ――命令律の乱相。
(……やっぱり抑え込めてないんだな、お前の“神格模造”)
エインは拳を握り直す。
殻の内側で、橙の残光が脈動した。
ティナの灯がその脈打ちを“道”として照らす。
ネイラが指を動かす。
数学的に整った命令構文が空中に積層し、殻の補強が始まった。
「再構――位相修復。
命令の穴は、命令で塞ぐ……。」
殻の亀裂が一瞬だけ凍りつく。
だが――それはすぐにエインの拳で砕かれた。
橙の火線が走り、命令構文が弾け飛ぶ。
パキン、と。
静かな破砕音が響き、ネイラの表情が初めて歪む。
「……っ……無効化……?」
エインは淡々と答える。
「お前の殻は“風の死”じゃない。
ただの命令の壁だって言ったろ。」
踏み込む。
殻内部で衝撃が跳ね上がり、沈黙が震えた。
ネイラの影翼がバランスを失う。
第三段階の“神格模造”が、完成寸前で足場を崩される。
ティナの灯がその乱れを照らす。
灯の橙が、ネイラの背の黒い影をかすかに透かした。
「……ティナ……“見えるのか”?」
「うん……影が……バラバラに……!
ネイラの“風の姿”が……固定できてない……!」
ネイラの声が沈む。
「――原因特定。
あなたの炎核……命令位相と干渉……。
本来、ありえない……。」
影翼が乱れ、風の死相が揺らいだ。
「命令は、風を殺す。
しかし……“殴られる”ことは……想定外……。」
エインは低く息を吐く。
「そりゃどうも。
俺は命令みたいに綺麗に畳めないんでな。」
拳を振り抜く。
殻の内側に大きな亀裂が走り、外の世界の薄い風の痕跡が一瞬入り込んだ。
ティナの灯が明るく跳ねる。
「……エイン! いま……風が……!」
ネイラが目を細め、演算音のような声を漏らした。
「第三段階の風格子が……乱流化……?
――これは、まだ“完成”していない……。」
彼女の体表に走る黒い紋様が、わずかに脈を狂わせる。
命令律が“風の位相”を完全に模倣し切れていない。
(……神になりきれてない“影”。
その完成を、あと一歩で止めたわけか……)
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その声は“焦り”に近かった。
機械ではなく、感情の端のような震え。
エインはゆっくりと拳を下ろす。
「終わりだ、ネイラ。
その“神の形”――まだ未完成なんだよ。」
だがネイラは、すぐには倒れなかった。
彼女の瞳に、“別の色”が灯る。
命令律の深層――幹部体としての、最後の命令。
そして――“撤退”の予兆。
ネイラの足元に、黒い“線”が走った。
影ではない。命令律が空間に刻みつける、退避のための転位座標。
彼女は、静かに息を吸うようにして言った。
「……未完成。
――だからこそ、ここで壊されるわけにはいかない。」
影翼が大きく震え、羽ばたく――
いや、“羽ばたこうとする動作だけ”を模倣する。
風は生まれず、ただ影が揺れる。
その揺れはどこか、苦しげだった。
ティナが眉を寄せ、灯を抱き締める。
「……ネイラ……苦しんでる……?」
ネイラの視線が、ほんのわずかにティナへ向く。
だがその感情は読めない。影に隠れていた。
エインは踏み込みかけて、その瞬間、わずかに動きを止めた。
ネイラの周囲に、複数の命令式が浮かび上がった。
カイムの時とも、アーセラの時とも違う。
“撤退用の命令”。
幹部体のみに許された、後方中枢からの強制命令。
ネイラは淡々と言う。
「上位命令――帰還。
〈虚帝圏コア・ノード〉より直接制御。」
風がないのに、空気が震えた。
命令だけが世界を押し返す。
エインが拳を構えるが、ネイラは首を振る。
「あなたを“ここで殺す”命令は出ていない。
私の第三段階完成は、次の位相で行う。」
影翼が広がる。
殻が消え、沈黙が薄れ――ほんの少しだけ、風の痕跡が戻る。
ティナの灯が、それに反応して揺れた。
「……エイン……風が……」
ネイラは、ふと呟くように言った。
「――覚えておいて。
あなたの炎核は、命令の“隙”を作る。
だから私は、次で“隙のない風”になる。」
それはまるで、自分に言い聞かせるような声だった。
エインが前に出る。
「逃げるのか。」
ネイラは振り向かない。
「撤退――ではなく、『再構』。
私はまだ、風の神格模造に届いていない。」
命令式が輝く。
ティナが思わず前に出ようとした。
「待って――!」
ネイラはわずかに顔だけ振り返った。
初めて、影が揺れて“素顔の気配”が覗く。
「……あなたの灯、厄介。
風の死相に……干渉する。」
そして。
「――次は、沈黙ごと。落とす。」
その言葉と同時に、命令式が収束し、
ネイラの影翼が“沈黙の羽ばたき”を模して空間を裂く。
黒い線が閉じ――
ネイラの姿は消えた。
沈黙も、殻も残していない。
ただ、“影の温度”だけを置いて。
エインは拳を下ろし、小さく息を吐いた。
ティナが駆け寄る。
「エインっ……!」
「大丈夫だ。殻の中よりはな。」
ティナの灯が、ふわりと橙を広げる。
風のない空間で、それは“唯一の揺れ”だった。
「……ネイラ、また……来るね。」
エインは頷く。
(ああ――次はもっと厄介だ)
風を模した神格。
影から生まれた“偽りの風”。
その完成は、今日、止まった。
だが――止めきれたわけではない。
エインの拳にも、まだ熱が残っていた。
ネイラが消えたあと――
世界は、急に“軽さ”を取り戻した。
風は吹かない。
けれど、沈黙の重さが薄れたぶん、空気がわずかに動いて見える。
ティナは灯を胸に抱いたまま、周囲を見回した。
「……ノマ=ルグの声……まだ、聞こえないけど……
でも、さっきまでより……苦しくない。」
エインは空を見上げる。
風のない空。
ただそこにあるだけの空。
(――ネイラの第三段階。
あれが完成していたら、この土地は本当に“風の死骸”になっていた)
拳を開く。
殻を割ったときの反動が、まだ指に残っていた。
「ティナ、傷はないか。」
ティナは首を振る。
「ううん……灯が守ってくれた。
エインの炎が、殻の中で……ずっと響いてた。」
灯が小さく揺れ、ふっと柔らかな光を返す。
エインは少しだけ顔をそむけた。
(……そう感じるほど、必死だったのか、俺は)
ティナは沈黙した大地へ視線を投げる。
「エイン……ネイラ、言ってたね。
“次は、沈黙ごと落とす”って……」
「……ああ。」
炎核の奥で、ひとつ脈が跳ねる。
「奴は次、完全体になる。
“欠けた風”ではなく、“閉じた風”として戻る。」
ティナの表情が強張る。
「それって……ノマ=ルグの……風の精霊たちが……」
「消える可能性がある。」
短い言葉なのに、地面まで震えた気がした。
ティナは灯を抱き締める。
その光は不安と、祈りの色で揺れる。
そんな中――
カラン……と。
微かな音が足元で鳴った。
音が、戻っていた。
ティナがはっと顔を上げる。
「エイン……!
いま、風じゃないけど……“響き”が返ってきた……!」
大地を走る風の道――“風層”はまだ復活していない。
だが、沈黙が破れたことで、
音は伝わり始めている。
エインはゆっくりと両拳を握った。
「……ネイラを追うぞ。」
ティナが驚いたように目を丸くする。
「い、今すぐ……!?」
「奴が完全体になる前に、ノマ=ルグの中心へ入る。
まだ間に合う。」
ティナは灯を見つめた。
灯は、揺れるでもなく、拒むでもなく――
ただ、橙の色を静かに増していった。
ティナはうなずく。
「行こう。
“風を閉じられる前”に。」
エインも頷き、沈黙が薄れた草原を踏みしめる。
遠く、地平線で砂が小さく跳ねた。
風が吹いたのではない。
“風の記憶”が疼いただけだ。
だが、それは確かな兆しだった。
ネイラがいなくなって――
風は、ほんの少しだけ、戻ろうとしている。
その儚い気配を追って、
エインとティナはノマ=ルグの中心へ歩きだした。
風の死を止めるため。
そして、“影の風神”として完成しつつあるネイラを追うために。
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見知らぬ城の中、床には魔法陣、王族の服装は中世の時代を感じさせる衣装…
俺こと不知火 朔夜(しらぬい さくや)は、クラスメートの4人と一緒に異世界に召喚された。
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だが俺はうんざりした顔で深い溜息を吐いた。
「またか…」
王族達の話では、定番中の定番の魔王が世界を支配しているから倒してくれという話だ。
そして儀式により…イケメンの正義は【勇者】を、ギャルっぽい美紅は【聖戦士】を、クラス委員長の真美は【聖女】を、秀才の悠斗は【賢者】になった。
そして俺はというと…?
『おぉ、伝承にある通り…異世界から召喚された者には、素晴らしい加護が与えられた!』
「それよりも不知火君は何を得たんだ?」
イケメンの正義は爽やかな笑顔で聞いてきた。
俺は儀式の札を見ると、【アンノウン】と書かれていた。
その場にいた者達は、俺の加護を見ると…
「正体不明で気味が悪い」とか、「得体が知れない」とか好き放題言っていた。
『ふむ…朔夜殿だけ分からずじまいか。だが、異世界から来た者達よ、期待しておるぞ!』
王族も前の4人が上位のジョブを引いた物だから、俺の事はどうでも良いらしい。
まぁ、その方が気楽で良い。
そして正義は、リーダーとして皆に言った。
「魔王を倒して元の世界に帰ろう!」
正義の言葉に3人は頷いたが、俺は正義に言った。
「魔王を倒すという志は立派だが、まずは魔物と戦って勝利をしてから言え!」
「僕達には素晴らしい加護の恩恵があるから…」
「肩書きがどんなに立派でも、魔物を前にしたら思う様には動けないんだ。現実を知れ!」
「何よ偉そうに…アンタだったら出来るというの?」
「良いか…殴り合いの喧嘩もしたことがない奴が、いきなり魔物に勝てる訳が無いんだ。お前達は、ゲーム感覚でいるみたいだが現実はそんなに甘く無いぞ!」
「ずいぶん知ったような口を聞くね。不知火は経験があるのか?」
「あるよ、異世界召喚は今回が初めてでは無いからな…」
俺は右手を上げると、頭上から光に照らされて黄金の甲冑と二振の聖剣を手にした。
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ですが、ここで問題が。
スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・
より良いスキルは早い者勝ち。
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