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第2章 隠された真実
第6話 消えた未来
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夜の国道21号、篠原台北交差点。
昼間は渋滞で鳴き声のようにクラクションが響く場所も、今は街灯が路面を冷たく照らすだけだった。
その静寂を、無線の切迫した声が破った。
「桐ノ宮から交機隊。篠原台北交差点で多重衝突の通報。負傷者複数。至急急行されたし」
「交機隊、了解」
副隊長の短い声。
「西條、加瀬! 現場へ急行!」
「了解!」
二台の白バイがサイレンを響かせ、オレンジの街灯の下を疾走した。
美由紀の胸に広がるのは、聞き慣れた嫌な予感だった。間に合うのか、それとも――。
交差点に滑り込むと、そこは地獄のようだった。
横転したタクシーの左側面は押し潰され、後部座席の窓ガラスが粉々に砕け散っている。
数メートル先には黒の高級SUVがボンネットを潰し、煙を吐きながら止まっていた。
路面にはガラスとオイルが散乱し、焦げた匂いに血の鉄臭さが混じる。
「救急は!?」
「あと二分!」応援の若手警官が叫ぶ。「後部座席、意識不明!」
美由紀は駆け寄り、窓の隙間から中を覗いた。
若い女性がシートとドアの間に押し潰されるように横たわり、顔に血を滲ませている。
首に触れる。……かすかに鼓動はあるが、頼りない。
「後部座席、若い女性。呼吸浅い! 頸部固定を!」
救急隊が到着し、金属のハサミでドアを切り開いていく。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
歩道の端で制服姿の女子高生が泣き叫んでいる。
――妹だ。
美由紀はその声に胸を掴まれた。
(守らなければ……でももう遅いのか)
SUVの方では、加瀬がドアを開けて男を引きずり出していた。
「立てるか」
「……チッ、なんで俺が……」
二十代後半の男。高価なスーツに派手な腕時計。顔は紅潮し、目は濁って焦点が合わない。
近づいた瞬間、美由紀の鼻を刺す強い酒の匂い。
「呼気を確認します」
美由紀が携帯型検知器を取り出す。
「ふざけんな! そんなのやるか!」
男は手を振り払ったが、加瀬が腕を押さえつける。
「吹け」
荒々しい息が機械に流れ込む。数秒後、ディスプレイに数値が点滅した。
――基準値の二倍を超えている。
「アルコール、0.5ミリグラム。明らかな酒気帯びです」
美由紀の声が冷えた夜に響く。
だが男は目を剥き、叫んだ。
「壊れてんだろ! 俺は青信号で走ったんだ!」
「ブレーキ痕がない。信号も赤だった」
「覚えてない! 飲んでなんかねえ!」
酒の匂いが、嘘を裏切っていた。
署に戻ると、既に黒塗りのワンボックスが玄関に横付けされていた。
中から降り立ったのは、秘書と顧問弁護士。慣れた調子で名刺を差し出し、まるで“手続き”のように口を開いた。
「検知器の数値は不安定です。機械の誤作動は珍しくない」
「任意の検査を拒否された以上、強制力はありません」
「記録には“体調不良による操作不適”としてください」
美由紀は堪えきれず声を上げた。
「現場で強い酒気が確認されました! 数値も残っています!」
弁護士は涼しい顔で返す。
「数値は一時的な呼気誤差。公式記録には耐えられません」
副隊長の机に電話が鳴った。短い応答のあと、彼は受話器を置いて言った。
「……上からだ。この件は“慎重に”扱え。酒の件は報告書に残すな」
室内に、重苦しい沈黙が落ちた。
夜更け。
取調室で男――高山健介は、なおも繰り返した。
「青だった。酒なんか飲んでない」
「呼気数値が出ています」
「覚えてない! それが答えだ!」
弁護士が横から補足する。
「被疑者は精神的ショック下にあり、記憶が混乱しています」
混乱。
それで命を奪った責任は消えるのか。
美由紀の喉に熱いものが込み上げた。
廊下に出ると、副隊長が低く言った。
「西條。赤信号も飲酒も、報告書には書けん」
「……なぜですか」
「相手は“国会”だ。議員の息子だぞ。県警レベルじゃ押し返せねえ」
「じゃあ現場は、嘘をつくんですか」
「嘘じゃない。“不明”にするだけだ」
不明。
それは最も都合のいい言葉だった。
赤でも青でもない、酒でも空気でもない。濁して消す。
「潰されたくなければ、呑み込め」
副隊長の声は重かった。
深夜三時。
詰所のロビーに被害者の家族が来た。
父と母、そして妹。
母は泣き崩れ、父は震える声で言った。
「娘は……赤で殺されたんです。そうでしょう」
「……現場で集めた証言は、私が残します」
美由紀は小さく言った。
父親は顔を上げ、かすかに息を吸った。
「お願いします」
お願いします――その一言は、美由紀の胸に焼き付いた。
朝。
報告書の叩き台には、既に文言が並んでいた。
〈事故態様:交差点内での側面衝突〉
〈信号機:当事者供述に相違あり〉
〈飲酒:確認できず。体調不良による操作不適の可能性〉
美由紀はペンを強く握った。
書き直したい。だが書けば消される。消されても――。
隣の加瀬が低く言った。
「お前が覚えてれば、それで十分だ。記録より、人が残す」
「でも、それじゃ……」
「現場は嘘をつかない。けど、紙は嘘をつく。だったら――お前が立ってろ」
彼の言葉はぶっきらぼうだが、真実だった。
夕刻。
交差点に戻ると、花束が信号柱に置かれていた。白い小花が風に揺れる。
路面にはまだSUVのブレーキ痕が黒々と残り、タクシーが倒れ込んだ跡が無惨に刻まれていた。
「……現場は、嘘をつかない」
美由紀は静かに呟いた。
だが組織は、その声を消そうとしている。
赤色灯の残光が瞳に揺れた。
それは彼女が立ち続ける理由であり、これから大きな闘いに繋がる火種だった。
昼間は渋滞で鳴き声のようにクラクションが響く場所も、今は街灯が路面を冷たく照らすだけだった。
その静寂を、無線の切迫した声が破った。
「桐ノ宮から交機隊。篠原台北交差点で多重衝突の通報。負傷者複数。至急急行されたし」
「交機隊、了解」
副隊長の短い声。
「西條、加瀬! 現場へ急行!」
「了解!」
二台の白バイがサイレンを響かせ、オレンジの街灯の下を疾走した。
美由紀の胸に広がるのは、聞き慣れた嫌な予感だった。間に合うのか、それとも――。
交差点に滑り込むと、そこは地獄のようだった。
横転したタクシーの左側面は押し潰され、後部座席の窓ガラスが粉々に砕け散っている。
数メートル先には黒の高級SUVがボンネットを潰し、煙を吐きながら止まっていた。
路面にはガラスとオイルが散乱し、焦げた匂いに血の鉄臭さが混じる。
「救急は!?」
「あと二分!」応援の若手警官が叫ぶ。「後部座席、意識不明!」
美由紀は駆け寄り、窓の隙間から中を覗いた。
若い女性がシートとドアの間に押し潰されるように横たわり、顔に血を滲ませている。
首に触れる。……かすかに鼓動はあるが、頼りない。
「後部座席、若い女性。呼吸浅い! 頸部固定を!」
救急隊が到着し、金属のハサミでドアを切り開いていく。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
歩道の端で制服姿の女子高生が泣き叫んでいる。
――妹だ。
美由紀はその声に胸を掴まれた。
(守らなければ……でももう遅いのか)
SUVの方では、加瀬がドアを開けて男を引きずり出していた。
「立てるか」
「……チッ、なんで俺が……」
二十代後半の男。高価なスーツに派手な腕時計。顔は紅潮し、目は濁って焦点が合わない。
近づいた瞬間、美由紀の鼻を刺す強い酒の匂い。
「呼気を確認します」
美由紀が携帯型検知器を取り出す。
「ふざけんな! そんなのやるか!」
男は手を振り払ったが、加瀬が腕を押さえつける。
「吹け」
荒々しい息が機械に流れ込む。数秒後、ディスプレイに数値が点滅した。
――基準値の二倍を超えている。
「アルコール、0.5ミリグラム。明らかな酒気帯びです」
美由紀の声が冷えた夜に響く。
だが男は目を剥き、叫んだ。
「壊れてんだろ! 俺は青信号で走ったんだ!」
「ブレーキ痕がない。信号も赤だった」
「覚えてない! 飲んでなんかねえ!」
酒の匂いが、嘘を裏切っていた。
署に戻ると、既に黒塗りのワンボックスが玄関に横付けされていた。
中から降り立ったのは、秘書と顧問弁護士。慣れた調子で名刺を差し出し、まるで“手続き”のように口を開いた。
「検知器の数値は不安定です。機械の誤作動は珍しくない」
「任意の検査を拒否された以上、強制力はありません」
「記録には“体調不良による操作不適”としてください」
美由紀は堪えきれず声を上げた。
「現場で強い酒気が確認されました! 数値も残っています!」
弁護士は涼しい顔で返す。
「数値は一時的な呼気誤差。公式記録には耐えられません」
副隊長の机に電話が鳴った。短い応答のあと、彼は受話器を置いて言った。
「……上からだ。この件は“慎重に”扱え。酒の件は報告書に残すな」
室内に、重苦しい沈黙が落ちた。
夜更け。
取調室で男――高山健介は、なおも繰り返した。
「青だった。酒なんか飲んでない」
「呼気数値が出ています」
「覚えてない! それが答えだ!」
弁護士が横から補足する。
「被疑者は精神的ショック下にあり、記憶が混乱しています」
混乱。
それで命を奪った責任は消えるのか。
美由紀の喉に熱いものが込み上げた。
廊下に出ると、副隊長が低く言った。
「西條。赤信号も飲酒も、報告書には書けん」
「……なぜですか」
「相手は“国会”だ。議員の息子だぞ。県警レベルじゃ押し返せねえ」
「じゃあ現場は、嘘をつくんですか」
「嘘じゃない。“不明”にするだけだ」
不明。
それは最も都合のいい言葉だった。
赤でも青でもない、酒でも空気でもない。濁して消す。
「潰されたくなければ、呑み込め」
副隊長の声は重かった。
深夜三時。
詰所のロビーに被害者の家族が来た。
父と母、そして妹。
母は泣き崩れ、父は震える声で言った。
「娘は……赤で殺されたんです。そうでしょう」
「……現場で集めた証言は、私が残します」
美由紀は小さく言った。
父親は顔を上げ、かすかに息を吸った。
「お願いします」
お願いします――その一言は、美由紀の胸に焼き付いた。
朝。
報告書の叩き台には、既に文言が並んでいた。
〈事故態様:交差点内での側面衝突〉
〈信号機:当事者供述に相違あり〉
〈飲酒:確認できず。体調不良による操作不適の可能性〉
美由紀はペンを強く握った。
書き直したい。だが書けば消される。消されても――。
隣の加瀬が低く言った。
「お前が覚えてれば、それで十分だ。記録より、人が残す」
「でも、それじゃ……」
「現場は嘘をつかない。けど、紙は嘘をつく。だったら――お前が立ってろ」
彼の言葉はぶっきらぼうだが、真実だった。
夕刻。
交差点に戻ると、花束が信号柱に置かれていた。白い小花が風に揺れる。
路面にはまだSUVのブレーキ痕が黒々と残り、タクシーが倒れ込んだ跡が無惨に刻まれていた。
「……現場は、嘘をつかない」
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