赤色灯の証言

都丸譲二

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第2章 隠された真実

第7話 参事官

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 朝の桐ノ宮警察署。
 出勤ラッシュの車列が窓の外に見える中、交通機動隊の詰所には重たい空気が漂っていた。
 前夜の篠原台北交差点事故は、署内の誰もが知る大事件になっていた。
 だがその扱いは――奇妙なほど「静か」だった。
 新聞記者たちが門前に押しかける気配もない。
 テレビの速報にも流れない。
 代わりに署内の廊下では、隊員たちが囁き声を交わしていた。
「被害者、重体だってな」
「運転手は国会議員の息子だろ。……もう揉み消されたって話だ」
「酒、飲んでたらしいぞ」
「しっ、聞かれるぞ」
 囁きは風のように駆け抜けるが、報告書には「信号不明・体調不良」とだけ記されている。
 現場で確かに嗅いだ酒の匂いも、検知器の数値も、紙の上からは消されていた。
「西條」
 副隊長に呼ばれ、執務室に入る。
 机の上には一通の封筒が置かれていた。
「本部からの通達だ。『当該事案は一切外部に口外するな』」
「……つまり隠蔽ですね」
 言い切った瞬間、副隊長の目が鋭く光った。
「軽々しく口にするな。お前はまだ若い。潰されたら終わりだ」
「現場は、嘘をついていません」
「だが、組織は嘘をつく」
 副隊長の声には、怒りでも諦めでもなく、ただ長年積み重ねた疲労が滲んでいた。
 昼休み。
 食堂の隅で、加瀬が缶コーヒーを片手に煙草をくゆらせていた。
「キャリア様。今度の件、飲酒も赤信号も“なかったこと”にされるぞ」
「分かってます」
「ならいい」
「でも、私は覚えています」
「それで十分だ」
 加瀬はコーヒーを一口あおり、わざと軽く笑った。
「正義は声の大きいほうが勝つ。現場は声が小さい。だから、せめて心で覚えてろ」
 美由紀は黙って頷いた。
 だが、その沈黙の奥に、燃えるような決意があった。
 その日の夕方。
 県警本部から一人の男がやってきた。
 柔らかい笑顔に、穏やかな声。
 警察庁からの出向で、県警の「参事官」を務める氷室だった。
「ご苦労さま。篠原台の事故、大変だったね」
 握手を求める手は温かく、眼差しは柔らかい。
 だが、その奥に潜む光は冷たい鋭さを帯びていた。
「現場の報告を聞かせてもらえますか」
 氷室は何気ない調子で言った。
 美由紀は一瞬ためらった。
 報告書には「信号不明」「体調不良」としか書かれていない。
 だが彼女の記憶には、赤信号と強い酒の匂いが刻まれている。
「……信号は赤でした。呼気検査でも基準を超える数値が出ています」
 その言葉を、はっきりと告げた。
 氷室はにこやかに頷いた。
「そう。ありがとう。貴重な証言だね」
「しかし……報告書には書かれていません」
「組織は時に、事実よりも“調和”を優先するからね」
 調和――その言葉の柔らかさに、背筋が冷えた。
 氷室の笑顔は崩れない。だがその目だけが、すべてを測り、すべてを呑み込んでいるようだった。
 夜。
 詰所の窓の外で、パトカーの赤色灯が遠くを過ぎていく。
 美由紀は机に広げた報告書を見つめ、ペンを握った。
 “信号不明”
 “飲酒の確認なし”
 目の前の文字列は、まるで自分を嘲笑うかのようだった。
 だが、ペン先は止まらなかった。
 個人のノートに、証言と数値を丁寧に記録していく。
(現場は嘘をつかない。なら、私が証言になるしかない)
 その決意が、静かに胸に刻まれた。
 そのとき、不意に背後から声がした。
「君は危ういね」
 振り返ると、そこに氷室が立っていた。
 いつの間に入ってきたのか、気配すらなかった。
「正義感は美しい。だが、時に命取りにもなる」
 氷室の声は柔らかく、静かに響く。
「君が真実を語り続ければ、誰かが必ず潰しに来る。……私も含めてね」
 にこやかな笑みのまま、去っていく背中を見送りながら、美由紀は息を詰めた。
 その言葉は、優しさではなく宣告のように響いた。
 夜明け前。
 窓の外、国道を一台のトラックが走り去り、街に朝の気配が差し始める。
 美由紀は報告書を閉じ、机に手を置いた。
 氷室の影は確実に迫っている。
 だが、現場の赤色灯は嘘をつかない。
 それを信じ、立ち続けるしかない――。
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