赤色灯の証言

都丸譲二

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第3章 組織の影

第10話 消される証拠

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 夜の桐ノ宮警察署。
 窓の外には雨が降り始め、街灯の光が路面に滲んでいた。
 詰所の蛍光灯はまぶしすぎるほど白く、机の上の書類を冷たく照らしていた。
 美由紀のノートには、新たなページが加わっていた。
 〈目撃証言:赤信号〉
 〈呼気数値:0.5mg〉
 〈現場写真:運転席ドア付近に酒瓶〉
 谷口警部補から渡された写真ファイルを貼り込み、丁寧にメモを加える。
 事実の断片は点ではなく、もはや一本の線を成していた。
 ――赤信号。飲酒。隠蔽。
(これを消されるわけにはいかない)
 彼女の指先は震えていたが、ペン先は迷わなかった。
 翌日。
 県警本部の会議室で、幹部会が開かれていた。
 交通部長、副本部長、監察官室の責任者。
 その末席に、氷室が静かに座っていた。
「篠原台の件だが、報告書はすでに“信号不明・飲酒確認できず”で上に上げてある」
 交通部長の言葉に、誰も逆らわなかった。
 氷室は微笑を浮かべたまま、書類を閉じた。
「調和が取れていて結構です。――ただ、現場の一部に、余計な証拠を抱え込んでいる者がいるようですね」
 その一言に、室内の空気が凍った。
 誰も名前を口にしなかったが、全員が同じ顔を思い浮かべていた。
 午後。
 美由紀の机に、監察官室の職員が再び現れた。
「西條。昨日提出された業務日誌を確認したい」
 机の引き出しが開けられ、ファイルが次々と抜き取られていく。
「待ってください! それは……」
「必要な手続きです」
 ノートに手が伸びた瞬間、加瀬が割って入った。
「そのノートは私物だろ。業務資料じゃない」
「……確認のためだ」
「確認なら、令状でも持ってこい」
 押し問答の末、職員は不快げに去っていった。
 残された空気には、確かな恐怖が残った。
「危なかったな」
 加瀬が低く言う。
「もう嗅ぎつけられてる。……氷室だ」
 夕刻。
 廊下で谷口が声を潜めて呼び止めた。
「西條さん、気をつけて。写真ファイル、もう上では存在しないことになってます」
「どういうことですか」
「公式データベースから削除されていました。私が見たのが最後かもしれません」
 美由紀は背筋に冷たいものを感じた。
 証拠そのものが、組織の手で“消されて”いく。
「……だから、あなたに渡したんです」
 谷口は小さく頭を下げ、足早に去っていった。
 夜。
 署の駐車場に出ると、氷室が雨の中に立っていた。
 傘を差し、穏やかな笑みを浮かべている。
「お疲れさま」
「……何のご用ですか」
「いや、少し話を」
 氷室は歩み寄り、声を落とした。
「君が持っている“余計なもの”を、こちらに渡してほしい」
「……証拠のことですか」
「そう。君のノートに、事故現場の記録が残っているだろう?」
 心臓が跳ねた。
(なぜ知っている……谷口? いや、加瀬? それとも……)
「安心していい。君を敵に回すつもりはない」
 氷室の声は柔らかい。
「ただ、このままでは君自身が潰される。私なら、守ってあげられる」
「……守る?」
「そう。私に預ければ、君は安全だ。組織の調和も乱れない」
 美由紀は唇を噛んだ。
(調和……それは真実を消す言葉だ)
「すみません。その申し出は受けられません」
 氷室の目が一瞬だけ細くなった。
 だが次の瞬間には、また柔らかい笑顔が戻っていた。
「残念だ。けれど、まだ時間はある。考えておきなさい」
 雨の中を去っていく背中を見送りながら、美由紀は寒さ以上の震えを感じていた。
 翌朝。
 詰所に出勤すると、机の上に封筒が置かれていた。
 〈内部規律違反の疑いにより、西條美由紀を交機から外す方向で検討〉
 差出人は県警本部、そして署長の印。
「……外す?」
 声が漏れた。
 加瀬が封筒を覗き込み、顔をしかめる。
「いよいよだな。完全に潰しにきてる」
「……でも、まだ」
「まだ何だ」
「現場の声を、全部消されたわけじゃない」
 ノートを胸に抱き、美由紀は息を吸い込んだ。
 孤立は深まる。
 だが、赤色灯の残光はまだ胸の奥で揺れている。
(私は――負けない)
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