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第3章 組織の影
第12話 揺れる足場
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桐ノ宮署の朝は、普段よりざわついていた。
昨日の篠原台南バイパス事故の映像が、市民のスマートフォンやSNSで拡散されていたのだ。
「白バイ隊員が子どもを抱えて炎の車から走り出る姿」――それは地元ニュースでも取り上げられ、匿名の目撃談と共に拡散していた。
詰所の空気はいつもと違った。
普段は西條美由紀を遠巻きにしていた隊員たちが、ちらちらと視線を送ってくる。
そこには冷たさよりも、どこか誇らしげな色が混じっていた。
「……あれはすげえよ」
「キャリア様、やるときゃやるんだな」
囁き声は小さいが、確かに聞こえた。
だがその空気を切り裂くように、氷室が署に姿を現した。
柔らかな笑みを浮かべ、まるで祝辞を述べに来たかのように見える。
「昨日はご苦労さま。市民からの反響も大きいようだね」
「ありがとうございます」
美由紀は硬い声で答えた。
氷室は視線を隊員たちへと移し、やわらかい口調で続けた。
「ただし、白バイ隊員はヒーローではなく、組織の一員だ。――行き過ぎた振る舞いは、組織にとって負担になることもある」
静まり返る詰所。
隊員たちは口を閉ざし、目を逸らした。
氷室の言葉は柔らかい。だが、その刃は美由紀に向けられている。
「西條君。あなたの行動は素晴らしい。ただし、あなたが持つ“余計な記録”は、組織を揺るがす危険がある」
――ノートのことだ。
美由紀の喉が固くなった。
昼休み。
加瀬が屋上で煙草をくゆらせながら言った。
「氷室に釘刺されたな」
「……ええ」
「だが、昨日のお前を見た奴は、もう簡単には信じねえぞ。組織の建前より、現場の命を救った奴のほうが本物だ」
美由紀は黙って風を受けた。
その言葉は支えになる一方で、危うさも孕んでいた。
“本物”は組織にとって最も厄介な存在だからだ。
午後。
副隊長に呼ばれた。
執務室の机の上には、二つの書類が置かれていた。
一つは「交機隊からの外し案」。
もう一つは「現場活躍による表彰推薦案」。
「真逆ですね」
美由紀は乾いた声を出した。
副隊長は深くため息をついた。
「上は揺れている。お前を守ろうとする動きもある。だが、潰そうとする力も同じだけ強い」
「……氷室ですか」
「名を出すな。だが、分かるだろう」
「私はどうすれば」
「今は……耐えろ。それしかない」
副隊長の声には苦渋が滲んでいた。
夕方。
署の廊下で、谷口警部補が再び声をかけてきた。
「西條さん。例の写真ファイル、もう完全にシステムから消されました。紙の原本も廃棄されたみたいです」
「……やはり」
「でも」谷口は小さな封筒を差し出した。
「コピーを一部、保存しておきました。私の身も危ないから、これ以上はできません。お願いします」
震える手で封筒を受け取る。
中には、酒瓶が写り込んだ現場写真のコピー。
(まだ……残っている)
「谷口さん……必ず守ります」
谷口は何も答えず、ただ小さく頷いて去っていった。
夜。
詰所でノートを開き、コピーを挟み込んだ。
これで証言、呼気数値、写真――三つの証拠が揃った。
ただの個人のノートにすぎない。だが、その重みは組織の“調和”よりも確かだった。
加瀬がそっと机に腰掛け、声を低くした。
「西條。正面からぶつかれば負ける。けど、持ってろ。それはお前の命綱だ」
「……はい」
窓の外で赤色灯が一度、夜空を照らした。
その光は、揺れる足場の上に立つ自分を支える唯一のものだった。
昨日の篠原台南バイパス事故の映像が、市民のスマートフォンやSNSで拡散されていたのだ。
「白バイ隊員が子どもを抱えて炎の車から走り出る姿」――それは地元ニュースでも取り上げられ、匿名の目撃談と共に拡散していた。
詰所の空気はいつもと違った。
普段は西條美由紀を遠巻きにしていた隊員たちが、ちらちらと視線を送ってくる。
そこには冷たさよりも、どこか誇らしげな色が混じっていた。
「……あれはすげえよ」
「キャリア様、やるときゃやるんだな」
囁き声は小さいが、確かに聞こえた。
だがその空気を切り裂くように、氷室が署に姿を現した。
柔らかな笑みを浮かべ、まるで祝辞を述べに来たかのように見える。
「昨日はご苦労さま。市民からの反響も大きいようだね」
「ありがとうございます」
美由紀は硬い声で答えた。
氷室は視線を隊員たちへと移し、やわらかい口調で続けた。
「ただし、白バイ隊員はヒーローではなく、組織の一員だ。――行き過ぎた振る舞いは、組織にとって負担になることもある」
静まり返る詰所。
隊員たちは口を閉ざし、目を逸らした。
氷室の言葉は柔らかい。だが、その刃は美由紀に向けられている。
「西條君。あなたの行動は素晴らしい。ただし、あなたが持つ“余計な記録”は、組織を揺るがす危険がある」
――ノートのことだ。
美由紀の喉が固くなった。
昼休み。
加瀬が屋上で煙草をくゆらせながら言った。
「氷室に釘刺されたな」
「……ええ」
「だが、昨日のお前を見た奴は、もう簡単には信じねえぞ。組織の建前より、現場の命を救った奴のほうが本物だ」
美由紀は黙って風を受けた。
その言葉は支えになる一方で、危うさも孕んでいた。
“本物”は組織にとって最も厄介な存在だからだ。
午後。
副隊長に呼ばれた。
執務室の机の上には、二つの書類が置かれていた。
一つは「交機隊からの外し案」。
もう一つは「現場活躍による表彰推薦案」。
「真逆ですね」
美由紀は乾いた声を出した。
副隊長は深くため息をついた。
「上は揺れている。お前を守ろうとする動きもある。だが、潰そうとする力も同じだけ強い」
「……氷室ですか」
「名を出すな。だが、分かるだろう」
「私はどうすれば」
「今は……耐えろ。それしかない」
副隊長の声には苦渋が滲んでいた。
夕方。
署の廊下で、谷口警部補が再び声をかけてきた。
「西條さん。例の写真ファイル、もう完全にシステムから消されました。紙の原本も廃棄されたみたいです」
「……やはり」
「でも」谷口は小さな封筒を差し出した。
「コピーを一部、保存しておきました。私の身も危ないから、これ以上はできません。お願いします」
震える手で封筒を受け取る。
中には、酒瓶が写り込んだ現場写真のコピー。
(まだ……残っている)
「谷口さん……必ず守ります」
谷口は何も答えず、ただ小さく頷いて去っていった。
夜。
詰所でノートを開き、コピーを挟み込んだ。
これで証言、呼気数値、写真――三つの証拠が揃った。
ただの個人のノートにすぎない。だが、その重みは組織の“調和”よりも確かだった。
加瀬がそっと机に腰掛け、声を低くした。
「西條。正面からぶつかれば負ける。けど、持ってろ。それはお前の命綱だ」
「……はい」
窓の外で赤色灯が一度、夜空を照らした。
その光は、揺れる足場の上に立つ自分を支える唯一のものだった。
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