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レベル4.女騎士と女奴隷と日常①

39.女騎士とカブトムシ(前編)

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 ある日。

「カブト狩りじゃあああああああああああ!!!」

 リビングに入ってくるなりリファは突如そんなことを叫びだした。

 一緒に洗濯物を畳んでいた俺とクローラは、ぽかんとして口を半開きにする。

「えっとあの……先日リファさんが川で取ってきたアレですか?」
「カブトガニじゃあああああああああああ!!!」

「それをお風呂場に投入した挙げ句そこで食用に養殖するとか言った時にご主人様に食らったお仕置き――」
「兜割りじゃあああああああああああ!!!」

「貴重な生物だから川に返してこいと言われてリファさんが放った一言――」
「お断りじゃあああああああああああ!!!」

「んで、追加で食らったお仕置き」
「瓦割りじゃあああああああああああ!!!」

「その様子を見てクローラは」
「嘲笑いじゃあああああああああああ!!!」

 ぜぇ、ぜぇ、と肩で息をするリファ。何かやろうとしてたのにすでに体力完全消耗かよ。
 ちょうどいいや、何かまたやらかす前にそのまま力尽きて、どうぞ。

「って、ちがーうッ! そんな話をしたいんじゃない! いちいち茶化すな! 今の私は――」
「♪侍戦隊」
「真剣じゃあああああああああああ!!! って、違うったらもぉ! もぉ! んもぉぉぉぉっ!!」

 うるせぇよ牛かお前は。

「とにかく、今からカブト狩りに行くぞ! 今すぐにだ!」
「あの、カブト狩りとは……?」
「読んで字のごとく! 狩りに行くのだよ……」

 右手のひらをバッ、と俺らに向けてさっきまでの泣き顔を嵐で吹き飛ばし、台風一過の朝みたいな快晴の顔で宣言した。

「カブトムシをな!」

 カブトムシ。
 コウチュウ目コガネムシ科に分類される、日本人には馴染み深い虫。古事記にもそう書かれている。


「昨日、漫画を読んでて偶然知ったのだがな。なかなか興味深かったぞ。これを見よ!」

 と言って女騎士は得意げにスマホの画面を俺達に提示してきた。
 そこには検索で出たカブトムシの画像がいっぱい。

「この世界にも様々な魔物がいることは知っていたが、これは流石に私も心が躍ったぞっ。この重量感溢れる体躯に、黒光りする甲冑のごとし胴体……」

 目を輝かせてディスプレイをスクロールらせつつ、彼女はうっとりした声を漏らす。

「そして何より、正面についた猛々しい角! いやぁ、何度見ても惚れ惚れする雄々しさだ!」

 まぁそれには同意。確かにかっこいいよなカブトムシって。子供に大人気なのも頷ける。リファもまた、その魅力に取り憑かれてしまったらしい。

「もしかして、そのかぶとむし? とやらをこれから探しに行くというわけですか?」
「そのとおりだ。調べたらこの魔物は今の季節にしか地上に出現しないらしい。このチャンスを逃すわけはないぞ」

 要は昆虫採集に出かけますよ、と言いたいわけね。ま、いいんでないの? 夏の風物詩だし、それくらい。
 と、本来なら軽く二つ返事でOKを出すところだが……。残念ながらその許可を出す前に訊いておかねばならぬことがあった。

「リファ?」
「ん?」
「カブトムシを見つけに行くんだよな?」
「ああ」
「わかった、じゃあもう一つ。昆虫採集ってのは、例えばタモだったり虫かごだったりを用意して出かけるもんだ」
「? はぁ……」
「で、お前がおそらくその採取のための道具として携帯している『それ』な」
「……?」
「訊くのも馬鹿らしいが、それは何だ?」

 問われた女騎士は、訝しげに自らの手に持った『それ』を見つめる。
 そして眉をひそめ、小首をかしげ、しれっと答えるのである。

「殺虫剤だが」

 うんそうだね。そんなもん見りゃ一目瞭然だよね。
 用途だって読んで字のごとく。虫を殺す薬。わかりやすいですねー。
 でもねでもね、その道具とこれからキミがやると宣言している行為は笑えるくらい目的が一致してないんですが? どういうことかな? ねぇどういうことかな?
 ……もう一度訊くけど、昆虫採集に行くんだよね?


「いや、まず何で『採集』に出かけるという話になってるのだ?」
「え?」
「今しがた言っただろう。カブト『狩り』だと。これからこのカブトムシどもを一緒に蹂躙しにいくのだ」

 言ってることは間違ってなかったけど、キミの考えてることは間違いなく間違いだらけだよ。
 命を採集してどないすんねん。何その夏の虫に火をわざわざ飛ばしに行くスタイル。

「あのさぁ、今しがた惚れ惚れするとか雄々しいとか評価してたものを、なんで殺す必要なんかあるわけ?」
「騎士道とは、常に強き者へ戦いを挑むことと見つけたり」

 道を踏み外した奴が偉そうに語るんじゃないよ。
 リファは鼻息荒く殺虫剤のスプレーをシャカシャカ振りながら演説する。

「確かにこの見た目に目を奪われたのは事実だが、それ以前にカブトムシは魔物の中でも上位に位置するレベルであると見受ける。角という最強の矛に、甲殻という最強の鎧。どこをとっても不足なし、完全無欠の極悪生物だ」
「なんで強力なら極悪になるんだよ」
「何を言う。我々にとって友好的な魔物がいるとでも思ってるのか? やつらはただ本能のままに暴れまわり、人々を脅かすだけの危険な存在だ。つまりそいつの力量は危険度に直結する。警戒するのは当然だ。友好とか共存とか、そんなことを考えるほどの知能は奴等にはない」

 割とマジでお前よりは知能ありそうだと思うよカブトムシくんは。

「それにこの季節だけとはいえ、この魔物が徘徊していることは事実。つまりマスターに危険が及ぶ可能性も無くはないということだ。自宅警備隊として、そのような危険を野放しにしておくわけにはいかぬ。
そういう意味でも、今こそカブトムシを見つけて早急に始末せねばならん!」

 ばばんっ! とドヤ顔でそう言うと、リファは殺虫スプレーを掲げた。

「この殺虫スプレーとやら。相手が虫であれば即座にその命を奪うことが可能な強力なこの世界の武器だ。そしてこのカブトムシも魔物ではあるが虫の部類に入る。まぁ正直どれだけの効力があるのかはわからないが、試す価値はあるだろう」

 カブトムシに殺虫剤ぶちまける絵図とか、想像するとなんかイヤだな。
 だがかくいう俺もハエとか蚊とか殺すのは躊躇ないわけだし、言っても説得力ないか。どっちにしたって同じ虫。同じ命だ。
 第一、戦場で人をバッタバッタ斬りまくってた奴に今更虫が可哀想とかって話が通用するとは思えないし。

「とにかく善は急げだ! こいつらの生息地は森林。ちょうどこの近所の公園には木がわんさかあるから、そこをあたってみるのが手っ取り早い!」

 リファはベッドに立てかけてあった100均ソードを取るとベルトのホルスターに収納。次に、もう見るのは何日ぶりかになる軽量型のアーマー(リファがこの世界に来たときに着てた)に袖を通す。そして篭手と脛当てを付け、最後に雄々しい雰囲気ただよう装飾が施された鉄製兜をかぶって出撃準備を整えた。
 完全に戦場に出る時の格好。得意げな戦乙女は意気揚々に宣言する。

「ではこれより、カブトムシ討伐作戦を開始する! さぁ、このリファレンスの同行を志願するものは誰だ!? クローラ!?」
「これから家のお掃除があるので辞退します」
「よし、では一緒に行くぞマスター」
「Give me 拒否権 too」

 問答無用。
 為す術もなく俺は首根っこを引っ掴まれ、ズルズルと連行されていくのだった。


 ○

 照りつける太陽の下、小うるさい蝉の鳴き声を耳にしながら俺達は歩いていた。
 もう夏も終りに近いが、まだまだ外の熱気はとどまるところを知らない。先の景色はまるで別世界のように陽炎で歪み、アスファルトは靴越しでもその強烈な熱さが伝わってくる。
 外に出て五分も経ってないのに全身から汗がダラダラと噴き出してきた。不快度指数が一気に上る。
 それはリファとて同じなはず。いや、こんな暑苦しい格好をしているのだからそれ以上だろう。だがカブトムシ討伐という目的にテンションが上っているためか、さほど気にはしてないようだ。

「えっとなになに? ヤツらは樹液が大好物……とな。なんだ、人を喰うんじゃないのか。今時珍しいな」

 スマホでカブトムシの情報を再び念入りにチェックしつつ、女騎士は戦いに備える。
 ガチャガチャと金属音を鳴らしながらスマホに目を走らせる鎧兵士。なんてシュールな絵柄だ。

「まぁでも、肉食じゃないからといって油断は禁物。気性が荒かったり縄張り意識が強かったりすればたとえ獲物でなくとも攻撃してくる可能性はある」
「……」
「とはいえ、樹液が好物なら傷ついた幹を重点的にチェックすれば発見は容易だろうし。食事に夢中になっている隙を狙えば、討伐難易度もぐっと低くなるはずだ」

 まぁね、大体合ってるよ。
 力が強いことも、縄張り意識が強いことも、樹液でおびき寄せるのが有効なことも。全部的を射た考察だ。
 ただ一つだけ、とてつもない大きな勘違いを除いてはな。


 三十分後。


「……は?」


 実物を見て、女騎士は目が点になった。
 ここは近所の公園に面した林。木漏れ日がステンドグラスのように差し込む、風流溢れる光景に癒やされる空間。
 そびえ立つクヌギやコナラの木を縫うように歩いて探しまくった結果。ようやく樹液をチュウチュウ吸ってるカブトムシくんと念願の初邂逅を果たしたリファちゃん。
 でもこのリアクションである。口をあんぐりと開けて片眉がヒクついている。

「え? な、何………何、これ、ちょっと」

 猛々しい角と黒光りする甲殻。図鑑で見たものとまったく変わらないその雄々しき姿がそこにある。
 だが、その「大きな勘違い」のインパクトがあまりにも強すぎたのか、かっこよさとかそーゆーのが全部地の果てまで飛んでっちゃったようだ。
 まぁ仕方ないっちゃ仕方ない。これまでの発言からしてお気づきの方が殆どだろうが、答え合わせしてみようか。


「何だこのちっこい虫けらはァァァァァァァァ!!!」


 体長。
 スケール。
 サイズ。
 まぁどれでもいいが、要は大きさのことな。
 女のリファですら手に乗るくらい。かなりコンパクトな体躯である。
 一般的なカブトムシは60~70ミリくらいで、今俺らが目にしているこいつはその中間くらいだろうか。

「こ、これは……そう! 幼体とかそういうオチだろう! これからもっと成長して巨大になっていくんだな! きっと成体は我々と同じくらい……いや、その倍くらいにはあるに違いない。うんうん」
「幼体と成体で外見の変化なしにそこまで体格差がある生物なんてそうそういないし、そもそもこれでもう立派な最終形態だから」
「これでか!? こんなに小さいのに!?」

 そりゃ虫ですから。カブト「虫」ですから。それ最初からわかってたことなんじゃないの?
 それとも、ワイヤードの虫はそれだけ巨大なのもいるということか?

「いるに決まっている。それこそ我々よりも一回りも二回りもでかいのがな。強いて言うなら魔物ならぬ『魔蟲』だな。帝都では自然が少ないからあまり見かけないが、山とか森林の奥地などには結構いるという話だ」
「実物は見たことないんだね」
「連中は人里には殆ど出てこないし、騎士団は帝都周辺の警備が主だからそういう任務にあたったことがないのだ。だから文書や絵でしか詳細は知らない」

 なるほど。ってことはカブトムシの情報を知った時に、こっちの世界にもその魔蟲がいると錯覚して血が騒いでしまったってことだろう。
 女騎士は今までの期待に満ち溢れた表情から一転、動揺と失望とが入り混じったような顔で、自らの討伐対象を木から引っ剥がした。
 ウニウニと細い節足を蠢かせて、弱々しく抵抗するカブトムシ。それに冷めた視線をぶつけながらリファはため息を吐いた。

「ガキに大人気とか言ってるから派手で重量感あるものを期待してたのに。とんだ肩透かしを食らった気分だ」
「自分で自分をガキと同列と認めたね今」

 すっかり熱が冷めてご機嫌斜めな女騎士様は、ぶつくさ言いながら兜を脱いだ。収納されていた長い金髪がふぁさっ、と風に揺られて華麗な舞を魅せる。
 そして肩を落として幹にもたれかかりながら、リファはカブトムシを手持ち無沙汰というように弄って遊ぶ。

「だが、マスターを含めこの世界の者はカブトムシがこんなんだということは知っているわけだろう? それでもなお人気を博しているのはなぜだ? この世界の人間の考えることはよくわからん」
「そんなん決まってるだろ」

 俺は彼女の隣に立って、その場にしゃがみながら言った。  

「かっこいいからだよ」
「はぁ?」
「お前もさっき言ってたろ。角とか甲殻とかに惚れ惚れするって」
「でも、現物はこんなにちっこいただの虫……」
「大きさは関係ねぇよ。虫がちっこいのはどこだって同じだ。大事なのは見た目だ見た目」
「見た目ぇ?」

 半音トーンを上げてリファは訊き返してくる。

「確かに調べてみた時にはそう思ったが、いくら見た目が良くったって、これじゃあ強さなどたかが知れてる。赤ん坊だって余裕で勝てるレベルだろう、こんなの」

 なるほど、強さがこいつの価値判断基準ってわけね。
 まぁ戦いを幾度も経験してきた人間にとってはそれが全ての指標となるのは自然なことかもしれない。
 さてどう説明したものか。

「別に皆は強さを求めちゃいないんだよ。だって人間に抵抗できるような凶暴生物だったら、返って恐怖の対象だろ」
「でもその方が戦いの挑み甲斐もあるし、血が滾らないか?」
「戦いなんか誰も望んじゃいない。子どもだったらなおさらそんな真似するかよ」
「なら単純に見た目だけで人気を集めていると? なんだか、まるで玩具のようだな」
「おお、まさにそれだよそれ」
「え!? あっ……とと、落ちちゃった」

 驚きのあまり、リファは思わずカブトムシを下に落としてしまう。踏んづけてしまわないように注意深く拾い上げ、今度は優しく手のひらに乗せてあげた。

「かっこいいし、夏には実物がこうやって簡単に手に入る。子どもにとっちゃ体のいい玩具だ」
「……」
「自分はこんなにかっこいいものを捕まえて手に入れたという満足感に浸る。飼育して自分の所有物にすることで一種のアクセサリないしインテリア感覚で楽しむ。そうやってみんな遊んでんだよ」
「ふーん、それがこの世界なりの虫の扱い方、というわけか。そんなこと、考えたこともなかった」

 虫は所詮虫。取るに足らない、ちっぽけな存在。ワイヤードでは何の価値も持たなかったのだろうが、こっちでは大なり小なりニーズがある。その違いにリファは素直に関心を示していた。

「だがまぁ、見た目を楽しむという意味ではアリかもしれないな。手に入れて自分のものにする満足感……今なら分かる気がする」
「だろ?」

 ま、虫とはいえど尊い命ではある。それをこんなふうにモノ扱いしてもてあそぶ俺達。
 これも万物の霊長たる人間だからこそできることなんだよな。こうやって下等生物を飼いならし、使役したり利用したりできるだけの知能を持つ人間こそ、地上で最も脅威な生物であり、絶対の強者なのだ。

「ふふ、改めて見ると……なんだか愛着が湧くなこいつ」

 そんな絶対強者の一人である女騎士は、カブトムシを愛おしげに眺めながら角を指でくすぐる。

「私が初めて手に入れたカブトムシ。よし、お前に名前をつけてやろう」
「名前?」
「ああ。なんてのにしようかな……カブトムシだから……カブト丸なんてどうだ?」
「まぁいいんじゃない?」
「だろだろ? よぉし、お前は今日はカブト丸だぞー。ふふ」

 確かに、満足感は得られたようだな。と隣で笑みを浮かべる女騎士を見て俺はそう思うのだった。

「よし、作戦変更だ」
「へ?」
「カブトムシ討伐ではなく、カブトムシ採集作戦に移行する」

 ふんす、と鼻息を吐いてリファは立ち上がった。

「所有することに価値を見出すのなら、こいつらを捕まえればそれだけ私達の戦績になるということ。いわば勲章だな。せっかく来たのだし、この世界なりのやり方で楽しもうではないか」
「ん、そうだな」

 ああよかった、ようやく想定してた路線に戻ってきたよ。
 まぁいい機会だ。昆虫採集という夏の定番イベント。体験していくのもいいかもしれない。正直俺もちょっとやってみたいと思ってたところだし。

「じゃ、そうと決まれば早速始めようぞ。えっと、集めたカブトムシを保管しておくものは……」
「その兜でよくね?」
「おお、それもそうだな」

 リファは傍らに置いてあった鉄兜の内部に、今捕まえたばかりのカブト丸くんを入れてやった。
 本当なら虫かごとか用意すべきなんだろうが、まぁいいだろう。飼うってなった時に腐葉土や餌と一緒に揃えればいい。


「よぉし、沢山捕まえるぞー。集めれば他のガキどもにも自慢できるだろうし」
「ガキと張り合おうとすんなや大の大人が……」

 本当に夏休みの小学生みたいに目をキラキラさせて女騎士はそう心を躍らせる。
 そしていざカブト狩りあらため、カブト採集を開始しようとしたその時である。


「カブトムシを集めるだけで満足って……ずいぶんと貧相な奴らねぇ」


 突如として木の陰からそんな声がした。
 女騎士は、瞬時に険しい顔つきで腰の剣の柄に手をかける。

「何者だ、姿を見せろッ!」

 という威嚇に、素直に応じて声の主は姿を表した。
 長い髪をツーサードアップにまとめた、小学生くらいの女の子だった。
 でもネイルしてるし、ピアスつけてるし、ちょっとませた感じがする。
 おまけに服装もオフショルダーのカシュクールにニーソ、ハイヒールサンダルと明らかにこんな場所に来るには不適合な格好だ。
 彼女はニヤニヤとこちらを少々舐めたような表情をしてこっちに近づいてきた。

「カブトムシってのはただ集めて楽しむだけじゃないのよぉ」
「は?」
「ていうかカブトムシなんて、世話もめんどくさいしすぐ死ぬし。飼っておいたってなんもいいことなしよ。費やした苦労には全然釣り合わない。そんなのお子ちゃまのやることだしぃ」

 これはアレか? オメーもお子ちゃまじゃねーかというツッコミの振りか?
 と思うことを見越してたのか、その女の子は片目をつぶって俺達を斜に睨んだ。

「ふん、どーせお子ちゃまはお前だろとか考えてんでしょぉ? 浅はかねぇ。このあたしがわざわざそんな目的でこんな汚いとこ来ると思うぅ?」

 浅はかねぇ。この俺が初対面の人間相手にそんなこと分かると思うぅ?

「あたしは違うわぁ。そんなことよりもっとゆーこーに利用してやんのよぉ。例えば……」
「例えば?」

 白い歯を剥き出して笑うと、女の子はこれが言いたかったとばかりに表明した。

「お金とかね」
「かねぇ?」

 リファも俺もぽかんとして首を傾げた。

「知らないのぉ? カブトムシって、売れば結構な金額になんのよ。そしてここらへんはカブトムシの生息には最適な場所ってわけ。これが意味することが分かるぅ?」

 ふっ、とリファは鼻で笑って肩をすくめた。

「乱獲してボロ儲けを狙ってるというわけか。ガキのくせに生意気な真似をするものだな」
「いい年こいた大人がガキの真似をしてるのに比べたら、よっぽど賢いと思うけどぉ?」
「何!? 貴っ様、もっぺん言ってみろ!」
「やめろよリファ」

 二人の間に割って入り、俺は煽り耐性皆無の女騎士をなだめた。
 そして女の子の方に向き直ると、中腰になって目線を合わせて話す。

「水差すようで悪いけどさキミ、カブトムシの買取相場っていくらか知ってるか?」
「そ、そーば? 何よアンタいきなり……」

 あらら、小学生にはちょっと難しい言葉だったか。なるべく噛み砕いた表現にしないとダメだな。

「えー、まぁ要するに。カブトムシってのが大体いくらぐらいで売れるのかわかってやってるのかってこと」
「……」
「デパートとかホームセンターとか行きゃ分かると思うけど、カブトムシって普通に店でも売ってるんだよ。その手の業者――まぁ専門の人が、カブトムシを大量に養殖……うーん、いっぱい育ててるの。で、お店がそこから仕入れてるわけだから、個人のを買い取ってくれるところは殆ど無いし、あってもちょっぴりの値段でしか売れない。まぁよくて十円程度かな。明らかにそっちのほうが費やす苦労に見合ってねぇと思うけどどうよ?」
「……」
「ま、『ガキの小遣い稼ぎ』って意味じゃあ、それもなくはないかもだけどな」

 女の子は終始無言で俺の言葉を聞いていた。どうやら論破成功、かな。ちょっと大人気なかったかもしれないけど。

「くっくっく……」

 とそう思ってた矢先に、彼女の喉奥から静かに笑い声が漏れ始めた。
 意趣返しを食らった俺もリファも少し警戒する。

「バッカねぇアンタ達。まさかあたしが『自分で』カブトムシを集めるとでも思ってるわけぇ?」
「ど、どういう意味だよ」

 女の子はその質問には答えなかった。その代りに、人差し指と中指で輪っかを作り、それを自分の唇に当てると……。
 ぴゅいー!
 と、なかなかうまい口笛を吹いた。

 その瞬間。

「姫ちゃん! 呼んだー?」
「もう引き上げるの?」
「聞いてくれよ姫ちゃん! おれすげぇがんばったんだぜ!」

 わらわらと木陰からまた人が湧いてきた。
 年齢は女の子と同じ小学生だが、その全員が男子だった。パッと見十人はいる。
 手足も汚れてるし、汗もびっしょりかいている。ヘラヘラしているが、息もあがってて相当疲労していることは間違いない。彼らが一体何をしていたのかは、手に持ったタモや虫かご……それに入ったカブトムシから見て容易に察せる。
 そうか、そういうことか。
 俺が気づくのと同時に、リファも理解したらしい。小さく舌打ちをして重々しく言った。

「この小童こわっぱ達に全部任せてたというわけか」
「そゆこと」

 鼻で笑うように女の子は答えた。
 まるで女王アリと働きアリの構図だな。いや働きアリは全部メスだけど。
 そして姫ちゃんという呼び名……この男の子たちはさしづめ彼女の美貌で虜になり、意のままに動く傀儡といったところだろう。

「どぉ? これであたしは動かずして全ての儲けを手に入れられるってわけ。苦労なんかこれっぽっちもしてないもぉん」
「うぬぬ……お、おい小童ども!」

 リファは歯ぎしりして悔しがると、男の子達に向けて怒鳴った。

「貴様らはそれでいいのか? こんな奴の手足となって、そんな泥んこになるなんて! 貴様らがどれだけ頑張っても、手柄は全部この女のものになってしまうのだぞ!」

 そうだそうだ。その歳で女に目がくらんで失敗するのは一生モンのトラウマになるから早いとこ目を覚まさせたほうがいい。
 だが、男の子達は一瞬お互いに顔を見合わせた後。

「うひゃははははははは! 何言ってんだこのパツキンコスプレ女!」
「頭どうかしてんじゃねぇの!」
「アホすぎチョーウケる!」
「ウケ山ウケ雄」

 盛大に笑い始めた。
 何だコイツら……姫ちゃんに陶酔しすぎて感覚鈍ってんのか?
 俺らが軽くドン引きしていると、男の子の一人が前に出て言った。

「俺達が何の考えもなしに働いてたわけねーだろ!」
「何?」
「姫ちゃんの言う通りにしてれば、俺らもがっぽりかせげるのさ。目的は一緒だよ」
「でも、先程マスターがカブトムシは大した値で売れないと――」
「まったく、ほんと頭がポンコツねぇアンタ」
「貴様ぁ! 言わせておけば!」

 剣の柄に再度手をかけて威嚇しても、姫ちゃんは動じない。
 それどころか一歩踏み込んで、20センチ以上は身長差のある女騎士を見上げて不敵に言った。


「誰が『カブトムシ』を売るなんて言った?」


 ……はい?
 今、なんと?
 カブトムシを売るなんて言ってない? え、じゃあカブトムシ以外のもの狙い?
 でも今までの流れからして、この子達がカブトムシを探しに来てるのは間違いなさそうだけど。
 カブトムシではあるけど、カブトムシじゃない何か、ってことか? うーん、よくわかんね。

「ふふん、あたし達が売るのは……これよ!」

 ニヤリと笑ってとうとう姫ちゃんはその答えを俺達の前に突きつけた。
 それを見て、俺もリファも唖然とした。

「こ、これは……」

 そこにあったのは、確かにカブトムシであってカブトムシではないものだった。
 カニの大バサミと見紛うほどの上下二つの角。
 明るい黄土色に鈍く煌めく甲殻。
 そして何より、普通のカブトムシの倍以上はあるその体長。
 俺はゴクリとつばを飲み込み、その生き物の名前を口にした。

「ヘラクレスオオカブト……」
「そう。これこそがあたし達の真の目的」

 マジかよ……実物初めて見たわ。やっぱ威圧感というか、オーラがパネェ。
 リファもそれは感じ取ったらしく、少々萎縮して後ずさった。

「マスター、アレは何だ? カブトムシ……ではないのか?」
「ヘラクレスオオカブト……カブトムシの上位種みたいなもんだ」
「最上位種と呼んでくれなぁい? 何を隠そう、これは世界最大のカブトムシ。いわば頂点に立つモノなんだからさぁ」
「色々種類があったということか。まさか、初めてのカブトムシ採集でそんなものにお目にかかれるとはな」
「まったくだぜ。だけど――」

 俺は動悸の激しくなる胸を抑えつつ口での抵抗を続けた。

「それを金儲けの道具にしようってのは無理があるぜ」
「ん?」
「確かにヘラクレスオオカブトは小さいやつでも数万円で取引されるもの。だが、あいにくここは日本。そしてヘラクレスは南米の熱帯地域でしか生息していない。日本で手に入れるなら店で買う以外に入手法はないはず」
「なんべい……? よくわからんが、ここには本来いない種であるということか、マスター?」
「そういうことだ。まぁ誰かが一匹逃してしまったものを偶然見つけたとかなら分かるが……そう何匹も捕獲なんてできるはずがない」

 姫ちゃんとその取り巻きどもは答えない。気持ち悪い笑みを浮かべて早く続けろと促しているようだ。

「仮にお前が手に持ってるそいつだけ売っても、この人数全員が『がっぽり儲けられる』額にはならないぞ」
「……そう。あんたの言う通り、このヘラクレスはあたしのパパに買ってもらったもの。これの他にあと数匹いるけど、そいつらをただ単に売り払おうとは思ってないわ」

 その通りだ。だったらこんな林にわざわざ来る必要がない。
 ……こいつら、何を企んでる?
 親に買ってもらった数匹のヘラクレスオオカブト。そして取り巻きを使って日本のカブトムシを乱獲。
 一見繋がりのない二つのキーワード。それが導き出す答えは……まさか……。


「お前ら……ヘラクレスをここで繁殖させる気か!」
「ぴんぽーん、その通りぃ」


 小馬鹿にしたように姫ちゃんはパチパチと小さく拍手を送った。

「そう。あたしたちはこのオオカブト達をこの林にばら撒き、数を増やしてもらうの。そうすれば一年後二年後には、ここで何十匹ものヘラクレスオオカブトが獲れるってわけぇ! それこそ、ここにいる全員ががっぽり儲けられるくらいのね!」
「お前……」
「でも、そのためにはとある邪魔者がいんのよねぇ。そいつらがこの林にすでに住み着いちゃってるから、申し訳ないけど消えてもらおうかなーって、駆除してたところなのよねぇ」
「それが、カブトムシか……」
「はい正解。わかった? いかにあたし達が効率よく、かつ確実に儲けるための作戦を実行してるか」

 最近のガキは恐ろしい。心からそう思った。
 目先の利益にとらわれず、長期的に稼げる策を選ぶ思考も。外来種を放つだけでなく、在来種を自らの手で絶やそうとするその残忍さと周到さも。
 大人の俺でさえ、そんなこと考え付きもしなかった。それを平然と、取り巻きまで使って。なんて頭の切れる女子なんだろう。

「さ、もう立ち話はこれくらいにしましょ」
「あ?」
「あたしたちはヘラクレスを放す前に、ここのカブトムシを予め根絶やしにする。さぁ、おとなしくそのカブトムシをこっちに渡して」

 じり、と姫ちゃん一派はこちらににじり寄ってきた。
 そうか、面識のない俺達にいきなり話しかけてきたのはそれが目的か。
 たかが小学生なのに、俺は少なからずそのただならぬ気迫に足がすくんでしまっていた。

「が、外来種を放すのはよくないことなんだぞ? 日本の生態系がめちゃくちゃになる!」
「あら、そんなこと知ってるわよぉ。こないだ学校の教科書で読んだもの。でも残念だったわねぇ……」

 苦し紛れに言った脅しも通じない。
 口の端を歪めて、姫ちゃんはヘラクレスの角を俺に向けた。

「そーゆーのはやっちゃいけないことだろうけど、別に罪にはならないのよぉ」

 出たよ、法で禁止されてなきゃ何やってもいい論説。
 だが敵ながらあっぱれと言っておこう。ちゃんと調べられてたわ。

「ど、どういうことだマスター?」
「勝手に野生に放って罪に問われるのは、国が指定した『特定外来生物』に当たるものだけなんだ」
「と、とくてーがいらい?」

 ちんぷんかんぷんなリファに、俺はため息を吐くように説明を続ける。

「いわばお尋ね者みたいなもんだ。そしてヘラクレスオオカブトはそれに含まれない……」
「そゆこと。つまりあたしたちはなんもわるくない。誰もあたしの邪魔はできない……さぁ、そのカブトムシをよこしなさい」

 少々強めに言ってきた姫ちゃん。くそ、面倒なのに絡まれたもんだなぁ。
 いや、別にこいつら相手に負ける気はしない。
 だがよしんば勝ったってって、後に待ってるのは子どもを手にかけた悪い大人二人組というレッテル。罪に問われるのは俺達ってことになる。そんなの当然ごめんこうむる。
 しゃぁない、癪だけどここは諦めておとなしく従うか?
 と、思って捕まえたカブトムシ――カブト丸を持つリファに指示しようとしたのだが。

「断る」

 はっきりきっぱりと、リファは拒否した。
 思わぬ返答に、姫ちゃん一派は「は?」と呆けた声を上げる。

「へらくれすだの、がいらいしゅだのは正直わからない。それを理解するのに必要な知識が私にはまだないからな。だが、確かなことが一つだけ……」

 押し殺したような声で言うと、リファは殺気のこもった眼光をガキどもに飛ばす。

「貴様らが『侵略行為』をしようとしているということだ」

 ぎゅっ、とカブト丸の入った兜を抱きしめ、それを絶対に譲るまいと言う意思を体で表明するリファ。

「異国からの使者を持ち込み、今平和に暮らしている者を滅ぼしてそれに取って代わろうなど……断じて許される行いではない」
「何言ってんの? これは別にいほーでもなんでもないんだからね。とやかく言われる筋合いは――」
「法など関係あるか」

 清々しいくらいの一蹴。これには向こうも流石に黙るしかなかった。

「一寸の虫にも五分の魂……このカブトムシにも生きる権利はある。そして私はそれを命をかけても守ろう」

 その五分の魂が宿る虫さんを最初ぶち殺そうとした御本人が言っても白々しさしか感じないんですが。あのね、アンタも突き詰めて考えりゃこのガキンチョどもと同類だからね? わかってます?

「何より、そんな命を売り物としか考えてないような輩が……何より気に食わん」

 自分の行いを棚に上げて他人を責め立てる奴の方が気に食わないよ俺は。

「だから、こいつは――カブト之助は絶対にお前達になど渡すものか!」

 おい名前。

「うわぁ、いい年してカブトムシに名前とか付けてるしー。だっさー」
「何とでも言えばいい。とにかく、もはや私達に言葉など不要。奪いたいのであれば――あとはわかるな?」

 そう言ってリファは腰の剣の鞘を軽く叩いた。
 力づくで取ってみろ。というサイン。
 姫ちゃんは軽く鼻で笑った。カブトムシごときに何をムキになってんだか、という心情が透けて見える。
 だがな、彼女にとってあのカブトムシは、この世界に来て初めて手に入れた思い入れがあるものなんだよ。最初殺そうとしたけど。
 だからこそ名前も付けて可愛がってたわけだし。今間違えたけど。
 命を奪うのが仕事の騎士が、それを大事にしようと考えを改めるきっかけになった大切なものなんだ。それをおいそれと渡す訳にはいかない。さっき引き渡すように指示しようとしたけど。

 ……うん、この子達もこの子達だけど、俺らも割と他人のこと言えねぇな。

「ま、この場で防犯ブザー鳴らして、あんたらに乱暴されたって言ってやってもいいけど……それじゃちょっとつまんないわねぇ」

 今さらっとすごいこと言ったね。小学生の伝家の宝刀チラ見せしたね。
 やばいね、やっぱりカブト丸こいつに渡して逃げよう(手のひら返し)

「じゃあこうしましょ。勝負をして勝った方の言うことを聞くってのでどぉ?」
「ほー」

 おっと、勝負事と聞いて黙っちゃいないのがリファレンス・ルマナ・ビューアという女。
 険しい顔がみるみるうちに歓喜に満ちたものになり、うずうずと体が震えだす。まるで全身がすぐにでも暴れたいと急かしているように。

「面白い、乗ってやろう。このリファレンス、その果たし合いに応じる」
「おっけぇ。じゃあこっち来て」

 決闘の申し込みを受け入れたリファに姫ちゃんは背を向け、取り巻きを引き連れて歩いていく。
 一体どうやって勝ち負けつけるつもりだ? タイマンじゃないだろうし、無難にかくれんぼとか鬼ごっことかかな? 何にせよ、子どもが相手なんだからあまり怪我とかしないようなのでないと後が怖い……。

 しばらく歩くと、少し開けた場所に出た。
 さっきの所よりは広々としており、まるでそこだけ伐採が行われたような空間だった。
 それを証明するかのように、大きな切り株が一つ。中央にどっしりと構えていた。
 姫ちゃんはその切り株の近くに寄ると、傍にいた男子の一人を呼んだ。

「太郎、椅子」
「はい!」

 太郎と呼ばれた男子が元気よく返事をする。
 そして。
 あろうことか彼女の後ろで四つん這いになった。
 姫ちゃんは何食わぬ顔で、その太郎君の背中にドッカと腰掛けたのである。

 えぇ……お前ら、何だこの……お前ら。

「さ、あんたもすわんなさぁい」

 姫ちゃんは自分のネイルを気にしながら、つまらなそうにリファにそう言った。
 着席を促された彼女は舌で唇を濡らし、切り株の傍に立つ。

「マスター、椅子」
「マスターは椅子じゃありません」
「今彼らの着席への流れを目にしていているとすれば今の言葉は『椅子の代わりになれ』という意味であることは明白であるがその点に於いて如何お考えかお聞かせ願おうか?」
「そこまで理解しているのであれば俺はその発言をあくまで仮にもお前の家主に対する言動として不適切であると冗談めかして諌めているのであり本気で自分が椅子という無機物であると認識していないことくらい察してほしいものだしそもそも言葉遣い以前に警備隊という仮にも俺を護衛する職業を自称しておきながら護る対象に四つん這いになるなどというふざけた行為を強要すること自体不快極まりないので今すぐ撤回し謝罪せよさもなくばこの場で殺す」
「すみませんでした」 

 仕方なく彼女は地べたに正座することになり、勝負の準備は整った。

「じゃ、そろそろ始めるわよぉ」
「勝負の方法は何にするのだ? こんなところに座らせて……卓上遊戯ボードゲームでもやろうというのか?」
「んなわけないでしょぉ。使うのは……これ」

 と言って姫ちゃんが見せたのが、さっきも目にしたヘラクレスオオカブト。
 細い人差し指と親指でつまんだそれを、彼女は切り株の上にそっと置いた。

「あたし達が戦うきっかけも、勝負する目的も、同じカブトムシ。だったらそれで決着つけるのが普通でしょぉ」
「カブトムシで、決着を?」
「そ。ルールは簡単。あんたのカブトムシと、あたしのヘラクレス……『エンペラー』を戦わせる」

 うわぁ、いい年してカブトムシに名前とか付けてるしー。だっさー。

「ばーか。あたしはあんたらみたいな年寄りと違ってまだ小六だからいいんだもーんだ」

 さっきの防犯ブザーといい、こういう自分の立場をことごとく利用していく奴。嫌いじゃないけど好きじゃないよ。
 リファは少し引きつった顔をして、兜の中でもぞもぞしているカブトムシを見つめた。

「私のカブ太郎と、一騎打ち……」

 だから名前。

「そういうこと。この切り株の上から落ちたら負け。バカなアンタにもわかりやすいでしょ」
「ぐぐぐ……」

 カブトムシ勝負。これまた夏の名物だ。
 お互いが角を突き合わせる熱いバトルを観て楽しむ、大人気の遊び。
 そう、遊び。勝負するのはあくまでカブトムシであり、俺達はただの観戦者だ。
 ポケモンじゃあるまいし、技の指示などの一切は無意味。
 すなわち、勝敗は完全にカブトムシのスペックに左右される。
 相手は甲虫界最大の王者。それに比べて、こっちはただの国産カブトムシ。完全に分が悪い。
 リファもそれは十分に承知しており、苦い顔を浮かべざるを得なかった。

「うぅ……」
「あたしらが侵略者だって言ったわね? だったらここで防いでみなさいよ。そのカブトムシで」

 既に自らの勝利を確信している姫ちゃんは煽るように言う。
 リファはますます顔をしかめ、唇をぎゅっと噛み締めた。

「どうすんの? 別に勝てる自信ないなら無理する必要ないわよぉ。置くもの置いてとっとと失せればぁ?」
「……誰がっ! たとえへらくれすだろうがえんぺらーだろうが、絶対に負けん! なぜなら私とカブ吉には絆があるのだから!」

 ちょっとしたことですぐに切れそうな絆だね。例えば名前間違えるとか、名前間違えるとか、名前間違えるとか。

「あっそぉ。ま、せいぜいそうやって吠え面かいてなさい。だけど、あたしらが勝ったらおとなしくそのカブトムシを渡すこと。いいわね?」
「ああ。だが貴様が負けたら、二度とこんなふざけた真似はするなよ」
「いいわ。後、あいにくこんなことに時間かけるほどあたしら暇じゃないから、勝負は一本先取でいいわね?」
「望むところだ」

 リファは兜からカブトムシを取り出すと、その切り株の上に乗っけた。
 さっきまで樹液タイムを楽しんでいたそいつの前に「皇帝エンペラー」が立ちはだかる。その名が示すように、圧倒的な威圧感を全身から放っている。
 先程までは割とかっこよく見えたカブト丸も、その姿の前ではちっぽけな存在になってしまった。一歩も動けず、完全に萎縮してしまっている。

「しっかりしろカブ助。お前が勝ったら、褒美として元の木に返してやるから。絶対に勝つんだぞ」

 解放が褒美とされる世の中で「自由」という言葉の意味が指すものとは一体。

「ひひっ、このカブトムシビビってるぜ!」
「エンペラーに勝てるわけねーよなぁ!」
「さっさと終わらせちまえよ! 瞬殺瞬殺!」
「あぁ……姫ちゃんの椅子になるの、超気持ちいい……」

 切り株を姫ちゃんの手下が取り囲み、意地の悪いヤジを飛ばしてきた。カブト丸にのしかかるプレッシャーが更に重くなっていく。

「カブ左衛門……うぅ」

 それに呼応するかのように、リファの顔の険しさも増している。もはや何も言い返すことすらできないほど追い詰められてるようだ。
 そんな緊張した空気とは反対に、姫ちゃんは足を組んで完全なる余裕をリファに見せつけていた。

「さ、もたもたすることもないわ。一瞬でカタつけるわよぉ」
「……」

 ズン、とエンペラーがカブト丸に向かって一歩踏み出す。
 それを合図に姫ちゃんが白い歯を剥き出して笑い、高らかに宣言した。


「ムシバトル……開始ッ!!!」


 のどかな夏の日。平和な公園の奥の林で。
 小さな命達の運命を懸けた、壮絶な戦争の火蓋が切って落とされたのである。 
 図らずもその勝負の行方を見届けることになった俺は天を仰いで、切な思いを空にはせるのだった。


 ――帰りてぇ。
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