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レベル5.女騎士と女奴隷と告白

10.女騎士と女奴隷と初めての……

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 花火を終えて解散してから数分後。もう時刻は九時を回って、辺りはしんと静まり返ってる。
 そんな中俺達は三人並んで、互いに手を繋ぎ合いながら家路についていた

「ふふっ……ふんふふーん♪」
「上機嫌だね、クローラ」
「はい、これからもこんなに仲良く過ごせると思うと嬉しくて……」

 鼻歌を歌い始めた彼女にそう指摘すると、喜びを抑えられないというようにますます顔をほころばせた。このままだとしまいには溶けていってしまいそうなほどに。

「初めてですね、こんなふうにみんなで一緒に手をつないで歩くのなんて」
「そういえばそーだな」
「不思議だな、共に暮らし始めて随分経つというのに」

 当たり前のように三人で過ごしてきて、初めての体験。
 恋人同士だからこそできること、だからなのかもな。そう考えると、なんだか新鮮な気持ちがする。
 そんな気分に浸っていると、リファが肩を寄せて言ってきた。

「マスター?」
「ん?」
「今日はバスではなく、徒歩で帰らないか?」
「歩き? でも、ここからだと結構時間かかるぞ?」
「だからこそだ」

 左隣を歩く女騎士はそう言って俺と繋がれた手を肩の位置まで掲げる。

「もっと、こうしていたいから」
「!」
「クローラもそう思います」

 すかさず右隣の女奴隷がそれに賛成した。そして繋がれた手をうっとりした目で見つめながら、

「今夜は一秒でも長く、ご主人様のぬくもりを感じていたい気分なので。ねぇリファさん?」
「そうだな、どうだろうマスター?」

 同時にそう言って上目遣いで見つめてくる。
 ぎゅう、二の腕を左右から圧迫された俺の心拍数が一気に上がった。
 平常心をなんとか保とうと小さく深呼吸。

「ま、まぁいいんじゃね? たまにはこういうのも悪くないと思うぞ」
「そ、そうか。あ、もちろん傷がまだ痛むのであれば無理しなくても――」
「いや、だいぶそれは落ち着いてきたから。心配ないよ。このまま歩いていこう」
「ふふ、ありがとうマスター」
「ご厚意に感謝いたします」

 こちらが上がり気味なのをからかうように笑いながら、二人はそう礼を言った。
 俺は照れ隠しとばかりに、軽く咳払いをして気を落ち着けた。

「別にいいって、せっかく互いに身も心も距離が縮まったことだしさ」
「身も心も……か」

 そう言った途端、リファが感慨深そうに繰り返して微笑した。その顔はなぜだかほんのり赤く染まっている。
 反対側のクローラも同じで、なんだか照れくさそうな表情を浮かべていた。

「どーしたんだよ、二人も黙りこくっちゃって」

 俺は女騎士と女奴隷の手を握ったまま彼女達の腰にコツンと軽くぶつける。
 瞬間に、二人はまたいつものようなテンションに戻った。

「いや、ならちゃんと覚悟は決めないとなー、と思って」
「覚悟ぉ?」
「そうですね。これからも生涯を共にする以上、生半可な気持ちではいけません」

 生涯を共にって、そこまで大げさに言うことか……? 
 いや、あながち大げさでもないか? 確かにずっと三人一緒に、ってそういうことだしな。

 覚悟……俺達自身の将来の問題。
 今は恋人だけど、ゆくゆくは……なんて。

 でももしそうなった場合、法とかいろいろ絡んでくるだろうしなぁ。
 まだ早い気はするが、これから先またでかい壁にぶち当たりそう。
 眉をひそめて軽く唸っている俺を、二人はクスクスと笑い始めた。 

「な、何? 俺なんか変だったか?」
「別にマスターは変じゃないぞ。変だとしたら元からだ」
「ふふ、リファさんはっきり言いすぎですよ」
「はぁ? んだよお前ら~。生意気な奴にはこうだぞ~」


 俺は握っていた手を離し、彼女達の肩に回して引き寄せるとそのまま軽くほっぺたをつねった。

「うにゃっ! もう、やったなマスター!」
「ふふ、こっちもお返しですっ」

 彼女達は人差し指で顔をぷにぷにと突っついて反撃してくる。
 そんなふうにして、ひとしきりじゃれ合う俺達であった。

「はぁーあ。今日はみんな頑張ったし、帰ったら早いとこみんなで寝よう」
「……」
「……」

 返事はなく、左右を一瞥すると、二人とも目をパチクリさせてこちらを見ていた。
 あれ、なんだろう、また変なこと言っちゃったかな。

「ええ……わかりました」

 するとクローラが目を閉じてため息を吐くように言った。

「ではリファさん、ご主人様もそう言ってることですし」
「あぁ、そうだな」

 女騎士も濁りのない澄んだ表情で頷く。
 いまいち釈然としない俺をよそに、二人は顔を見合わせてアイコンタクト。その顔はさっきほどではないが、ピンク色に染まっていた。
 そして同時に俺の腕に自分のを絡ませ、さっきよりも強くしがみついてくるのだった。
 まるで、嬉しいことがあった時に枕を抱きしめるみたいに。恥ずかしいことがあった時に枕に顔をうずめるみたいに。

 そんなふうにして、俺達は仲良く我が家を目指すのだった。
 これから先もずっと、三人で過ごす俺達の家に。


 ○


「「「ただいまー」」」

 ドアを開け、玄関の電気をつけ、靴を脱いで大きく背伸び。
 数時間しか留守にしてないのに、帰省したような気分になるくらいだ。
 いやー、でもやっぱり家はいいな。
 帰って来られる場所があるっていうのは、何にも代えがたい安心感と落ち着きをもたらしてくれる。

「やっと帰ってきたなー!」
「ですぅー」

 それはクローラとリファにとっても同じであり、リビングに入るとちゃぶ台とベッドに身を投げ出して疲れを癒やした。俺もその場に座り込んで壁にもたれかかる。
 なんだか今になってどっと疲れが出てきたな。心なしか睡魔も襲ってきたみたいだし、寝落ちする前に布団敷いておこう。
 と、クローゼットを開こうとしたその時、突っ伏していたクローラが顔を起こして話しかけてきた。

「ご主人様」
「ん? どした?」
「差し出がましい申し出なのですが、まずは湯浴みをしたほうがよろしいかと」
「湯浴み?」
「それもそうだな」

 と、女騎士もベッドから跳ね起きて賛同してくる。

「そんなに汚れているのに、このまま寝るわけにはいかないと思うぞ。傷口は清潔に保つべきだ」
「そーだな……」

 確かにさっきの戦いで全員土と泥だらけだし、俺に至ってはリファの言う通り傷の問題もある。ちゃんと綺麗にはしておかないとな。

「私達は後で構いません。どうぞご主人様がお先に」
「俺が? いいの」
「ああ、私達はその間に布団を敷いておくとしよう」

 あら、粋な心遣い。ならお言葉に甘えるとしようか。
 俺はタンスから自分の着替えを取り出し、彼女達に礼を言った。

「悪いな。じゃあお先に」
「はい、ごゆっくりどうぞ」


 ○


 二十分後。


 傷口に湯が染みてかなり痛かったけど、なんとか身体の汚れは落とせた。
 清潔な下着とパジャマに着替え、ついでに歯を磨いて風呂場を出る。
 バスタオルで髪を拭きながらリビングに入ると、クローラとリファが布団を敷き終えていた。

「それでは私達も行きましょうか、リファさん」
「ああ、わかってる。失礼するぞ、マスター」
「はいよ」

 二人は俺に麦茶を用意してくれたり、包帯を巻き直すのを手伝ってくれた後、自分の分の着替えを持って仲良く風呂場に向かっていった。
 なんだかすっかり仲良くなったみたいだな。最初の頃はリファが嫌がってずっと別々だったのに。ま、これも一種の関係の進展ってやつか。

「おっとそうだ」

 ドライヤーで髪を乾かしながらしばらく布団の上でダラダラしていたときである。ふと思い出した俺は、パジャマのポケットをまさぐってあるものを取り出す。

 アネモネの花飾りの付いた、小さな髪留め。今日クローラにプレゼントされた大切な品だ。
 ドライヤーで髪を乾かした後、それを手鏡を見ながらしっかり頭に装着する。

「これでよし、と」

 男に髪留めなんて、って思ってたけど結構イケてんじゃん。
 誰かに何かをプレゼントしてもらえたことって、こんなにも嬉しいことだったんだな。と鏡に映る俺が小さく笑った。

 離れていてもお互いを近くに感じられる……か。
 今日の戦いもクローラがあの場に来てくれなきゃ絶対負けてたもんな。ある意味この髪留めのおかげだ。

 こんなふうに、もっとたくさん思い出を形にしていこう。
 いつまでも忘れないように。いつでも思い出せるように。


 だって俺達は……恋人同士なんだから。
 そう思ったその時。



 ぱちん。



 と、部屋の照明が急に消えた。

「はっ?」

 驚いた俺はキョロキョロと周囲を見渡す。
 何だ? 停電か?
 立ち上がり、手探りで場所を確かめながら窓際に移動。カーテンを開けて外の様子を確認――。

 ――したところでフリーズした。

 外は綺麗な星空と下弦の月が広がっていた。
 遠くに見える建物の明かりが、停電など起きていないことを証明していた。
 特に何の変哲もない風景だが、そんなものを意識する余裕すら俺にはなかった。

 窓に映った部屋の内部。
 そこには俺の他に……もう二人いた。

 俺の同居人――リファとクローラが、並んで俺の背後に立っていたのだ。

 どうやら電気が消えたのは二人の仕業らしいが、もはやそんなことはどうでもよかった。
 ゴクリと唾を飲み下した俺が次にしたことは、彼女らが幻かと疑うことだった。
 あまりにも、本物であると信じがたい。本当にそこにいるのか? と問いかけたくなるほどに。
 寝ぼけた俺の錯覚であると言われたほうがまだ信じられる。それくらい衝撃的だった。
 なぜなら――。

「ご主人様……」
「マスター……」

 窓に映る彼女達が俺を呼んだ。
 この期に及んで幻聴という言い訳はもはや無用だった。
 やっぱり二人は……そこにいる。
 俺は二、三度ゆっくりと深呼吸をすると……意を決して振り返った。
 そして目の当たりにする。



 一糸纏わず、生まれたままの姿でいる二人を。



「お、……お前ら……」

 やはり、そこにいたのは幻覚などではない、本物のクローラとリファだった。
 堅実でいつも男勝りな女騎士と、甘えん坊で従順だった女奴隷。さっきまで、綺麗な浴衣を着込んでいた彼女達。
 それが今は衣服どころかタオルも巻かず、下着すら付けず。艶やかな素肌を晒したまま、真剣な眼差しで俺と向き合っていた。

 シーツのように白くすべすべした肢体が、窓から差し込む月明かりに照らされる。未だはっきり見たことのない彼女達の裸を見て、俺は頭が真っ白になった。
 風呂上がりで湿り気と熱を帯びたその身体は非常に扇情的で、美しかった。
 飲み込もうとする唾が枯渇し、口内が乾燥していく俺は掠れ声しか出ない。

「い、一体何の、つもり……?」
「見てわからないか?」
「多分、ご主人様がご想像なさっていることと同じです」

 静かにそう言って、クローラとリファは一歩俺に近づいた。
 布団が敷いてある領域に二人が足を踏み入れた瞬間、俺はバランスを崩して尻餅をつく。
 俺が想像してることと同じって……まさか。

「これが……私達なりの、覚悟だ」
「はい。ご主人様と、ずっと一緒にいるために……」

 抑えていた羞恥心が表に出てきたのか、二人は顔を紅潮させて己の身体をよじる。
 だが真っ直ぐこちらを見据える視線は離さず、そのまま傍まで寄ると俺を見下ろした。
 息遣いに対応するように上下する乳房と、小さく毛が生え揃った秘部。
 思わず目がいきそうになるのを必死でこらえ、顔を背けようとする。だがそれはクローラの言葉が止めた。

「ご主人様、目をそらさないでくださいませ……」
「……っ、で、でも!」

 ダメだ。見ちゃダメだ。これだけは絶対に、ダメなんだ。
 そうしたら……俺は、もう……。

「誤解しないでくれマスター。これは、私達二人でもう決めてたことなのだ」
「え?」

 思いがけない言葉に俺はこれまで以上に動揺する。
 二人共もじもじとしてはいたが、決してその大事なところは隠そうとしなかった。
 それどころか、もはや俺に見せつけてるようにしか思えないくらいに接近してくる。

「戦いが終わって、マスターが気を失ってる時に……今夜、しようって」
「むしろ今夜しかないと思ったのです。ようやくお互いの気持ちを確かめ合えたのですから」
「違う……違う」

 俺は頭を振ってそれを否定した。
 確かに俺はリファと、そしてクローラと同居人としての契約を結んだ。
 だけど、それは決してこういうことをしたかったがためじゃない。二人と一緒にいたいと願ったのも、そんなことを気兼ねなくできるからなんて思ったからじゃない。

「ご主人様は……私達とはするのはその、お嫌ですか?」
「そういう問題じゃない! 俺は……俺は……」

 なんとかして言葉を紡ぎ出そうとする自分の声は常時震えていた。
 それでも膝の上に置いた拳を爪が食い込むほど握りしめて話す。

「……お前らをこの家に置いたのは、二人がちゃんとこの世界で暮らしていけるようにしようって俺が決めたからだ。告白したのも、本当にお前らのことが心から好きだって思ったからだ」
「……」
「だからこそ、そんな最低な真似はするまいって心に決めてた! だって、そんな理由でするのはお前らも絶対望まないし……強要なんかしたら、二人を傷つけるのと同じだ!」
「聞いてくれマスター」

 冷静さを失いかけた俺の前に、そう言ってリファが静かに正座した。
 そして俺の手を取ると優しく握って目を閉じる。

「私はマスターの言葉を信じる。今更何を疑うものか」
「ええ。身寄りもない私達を、ここまで世話をしてくださるほど心優しいあなた様なら当然でしょうね」
「……でも」
「気にすることはない。マスターがずっと私達を欲望のはけ口として扱うまいと、自分を諌めていたのはわかっていた」
「ええ!?」

 見透かされていたことに俺は少なからず驚愕する。
 気づいてたって……一体いつから?

「トイレの戸棚の箱」
「ぶっ!?」

 吹き出した。
 頭を思いっきり金棒でぶん殴られたような気分に陥った俺は全てを理解した。
 その言葉で思い浮かぶことなんか一つしかない!
 リファ達がここで暮らすようになってから急いで隠しておいた禁断の書物!
 まさかお前ら……。

「申し訳ありませんご主人様。全部、読ませていただきました」
「……マジかよ」

 あまりのショックに、別な意味で俺は彼女達を直視できなくなる。
 がっくりとうなだれ、二人と同じくらいの恥ずかしさに襲われた。
 くそ、よりによって一番知られたくない相手に見つかるなんて。あそこなら俺しかいじらないだろうと思ってたのに……。こんなことなら変に取っとかないでさっさと処分しときゃよかったよ!

「ご主人様も普通の殿方ですもの。そういうことをしたいという願望を持つのは何ら不思議ではありません」
「だが私達に欲情するのはダメだと、自分に言い聞かせた結果があれなのだよな? あの本を読むことでその欲望を満たしていると」
「……わかってんならなおさらだろ」

 もしこれが、そんな俺を慮っての行動だとしたら……それこそ正さなきゃならない。こんなのは間違ってると。

「マスターには、私達のせいで随分肩身の狭い思いをさせてしまったと思ってるよ。すまない」

 やめてくれ。

「ご主人様はご立派な方です。ワイヤードの下衆な男達とは違う、ちゃんと私達のことを考えてくれて。それが今でもすごく嬉しくて――」

 やめてよ……。

 心の中で俺は静かに訴えた。
 謝るようなことなんかお前らはしてない。褒められるようなことなんか俺はしてない。
 立派な人間なんかじゃ、決してない。
 だって俺は……。

「謝んなきゃいけないのは俺だよ」
「はい?」
「あのエロ本……実は最近はもう殆ど使ってないんだ」
「もう、読んでないということか?」

 問いかけに無言で首肯すると、二人は顔を見合わせて小首を傾げる。

「あの、でしたらどうやってその……欲求の解消を?」
「……」

 俺は答えを口に出さないまま、そっと片腕を上げる。
 そして、立てた人差し指を交互に二人に向けた。

「お前らだよ」
「「え?」」

 言っちまったなと思った。言わざるを得なかったけど、激しく後悔した。
 耳元の温度がぐんぐんと上がっていくのがわかるし、全身の毛穴が開いて汗が吹き出すのを感じた。
 唇を血が出るほど強く噛み締めても収まらない。もういっそ殺してほしいと願うくらいに恥ずかしさが増していく。
 仕方ない。もう口に出したもんは飲み込めない。
 それに屈辱に悶えるよりも、黙ったままでいるほうが癪に障る。

「エロ本読んでも、すぐ二人のことが頭に浮かんでくるようになってさ……。もしあの本みたいなことをお前らとできたらって……気がつけばそんなことばっか考えてた」
「……」
「俺のこと『二人を欲望のはけ口にするのはダメだから、エロ本
あれ
 で満足させている』って思ってるみたいだけど……逆だよ。満足できなくなったから……もうお前らでしか欲求を満たせねぇんだよ」

 歯を食いしばりながらも、俺は押し殺したような声で告白を続ける。

「傷つけたくなかったから、実際に手は出さなかったけど、頭ン中ではもう……お前らを普通にそういう対象として意識しちまってて……ずっと、したいって思ってた」

 辛い。
 こんなことを直接本人に言わねばならないことが何より辛い。
 でもちゃんと伝えないといけない。勘違いさせたまま二人をこんな状態にしておくのは、まさに侮辱に値するからだ。
 彼女達の前で、もう自分は偽れない。

「すみませんでした」

 胡座から正座に切り替え、元々垂れていた頭を更に深々と下げて俺は謝罪した。
 瞼の裏に彼女達の蔑む顔、失望する顔、悲しむ顔が浮かぶ。
 せっかく三人で一緒にいようって、向こうも受け入れてくれてみんなで恋人になれたのにな……。
 早くも終わっちまうのか……全部俺のせいだけどさ。
 覚悟を決め、微動だにせず裁きを待つ。

 だが、その時はいつまで経っても訪れなかった。

「なんだか、大仰に悩んでたのがバカみたいですね」
「まったくだ。なんだか一気に気が抜けたぞ」

 ……え? 
 面を上げると、クローラとリファは帰り道のときのように二人でクスクスと笑っていた。
 何? 今度は何なの? もうわけわかんねぇよ、さっきから自分達だけで納得しちゃってさ。

「あの、お前ら一体何のつもり――んぐっ!?」

 抗議しようとしたが、それは早々に中断せざるを得なくなった。
 喋るための口が、塞がれてしまったのだから。
 それも、リファの口によって。

「んっ……」

 口先を合わせるだけの軽いキスだったが、俺を完全に黙らせるには十分だった。
 しばらくして彼女が俺から離れると、すかさずクローラが俺の頬を両手で挟んで唇を奪う。今度は舌を絡めた、濃厚な口吻けだった。

「――ぷはっ」

 呼吸するのを忘れそうなほど情熱的な時間が数秒続いた後。女奴隷は俺を解放し、閉じていた目を開けて肩を上下させながら耳元で囁く。

「もう忘れてしまったのですか? 私達の気持ちは全員一緒だって」」
「え?」 
「さっきの告白で、互いに本当の自分を曝け出して想いを伝え合ったばかりだぞ。今更食い違いなどあるはずもない」

 気持ちは一緒……それって……。
 俺の問いに二人は何も言わず、ただ可愛らしくはにかむ。
 しばらく何も考えられなかった。
 予想していたのと何もかも間逆な反応に驚きを禁じ得ない。

「な、なんでそこまで……」
「好きだから……じゃいけませんか?」
「こ、恋人同士なら……こういうのは普通、なのだろう? 違うのか?」

 いけなくはないし、違わなくもないけど……。やっぱりいくらなんでも急すぎる。変な方向に疑ってしまうのは避けられない。
 しっくりこないまま苦い表情でいる俺に、二人はやや呆れ気味に言ってきた。

「ご心配なく。別にあなたの事情を鑑みてこんなことをしてるわけではありません」
「そうだぞ。そのために自分の意志を捻じ曲げたりするようなことは、いくらマスター相手でもすることはない」
「ワイヤードの掟。自分の意志は曲げずに最後まで貫け、ですからね」
「じゃあ、本当に……」

 はい、と彼女達は頷いて俺の手を再び握った。

「本当は、もっと早くこの気持ちをお伝えできればなと思ってたのですが……やっぱり心の準備がちょっと」 
「うむ……この『えろほん』とやらを見つけてからは私もそういうことを意識するようになって……。でも、まだその時自分がどうしたいのかわからなくて、すぐには決められなかった」
「だから、お互いの準備が整ったとき、一緒に伝えようって約束してたのです」

 一緒に、抱かれよう。と。
 今まではそうやってぼんやりとしたパッとしない気持ちだったけれど、三人で恋人の関係になった今日、色々気持ちの整理がついたということだろうか。

「最後の問題は、ご主人様がそれを受け入れてくれるかどうかでした」
「ああ。正直ちょっと怖かったけどな。もし拒絶されたらどうしようって」

 リファはそう言って、俺の手を愛おしそうに自分の頬に当てる。
 ほんのりとした彼女のぬくもりが、掌いっぱいに広がった。

「でもよかった……マスターも同じ気持ちで」
「ふふ、リファさんよかったですね。これで、約束が果たせますね」

 クローラは自分のことのように嬉しがると、彼女も握った俺の手を自分の方に手繰り寄せる。

「ご主人様は……どうですか?」

 そしてそれを、自らの左胸に押し当てた。
 とんでもなく柔らかく気持ちがいい感触に、俺は声を根こそぎ奪われる。

「クローラは……耳の痛い話かもしれませんが、奴隷という立場ゆえに大勢の男に乱暴され、使い古されたボロ雑巾のようなもの。こんな傷一つない身体でも、内面は穢れきった存在です。それでも、まだ人に愛されて抱かれた経験は一度もありません」
「……」
「奉仕でも、隷属でもなく、純粋に愛し合う者同士としてのまぐわい……そういうのをエッチって言うんでしたよね? 私はそんなふうにご主人様とエッチをして、全て忘れたい。あなた様の匂いとぬくもりで……穢れた私の全てを塗り替えてくださいませ……」

 懇願するように潤んだ瞳で見つめてくるその姿に俺の心はどよめいた。
 とくん、とくん、と彼女の心臓の高鳴りが想いと共に伝わってくる。

「わ、私もっ!」

 まだ胸のざわめきが鎮まってもいない中、今度はリファもクローラと同じように俺の手を自分の乳房に触れさせた。

「わ、私は騎士だ……。ワイヤード騎士団はあらゆる欲求に耐えねばならん。貞操などその最もたる例。当然純潔であることが前提だった。私はクローラとは違って、見ての通り身体は見るに耐えないほど傷だらけだが、処女だけは守り通してきた。でも、ここでしてしまったら……私はもう戻れなくなる」

 彼女は震えながら、緊張と不安と焦りが入り混じったような声で心中を吐露した。

「正直今まで私はどっちつかずだった。マスターの自宅警備隊を名乗っておきながら、心はまだワイヤード騎士団のままで……。でも、今日やっと踏ん切りがついた」
「……」
「たとえワイヤードの騎士の資格を永久に失うとしても、私は――リファレンス・ルマナ・ビューアは、マスターと交わって、その……え、エッチがしたい。身も心もあなたの女になりたいのだ……」
「リファ……」
「お願い、マスター……」

 ……。
 …………。
 ………………。


 ふふっ。

 ははっ。

 あははっ……。

 そっか……そうだったんだ。

「ごめん、まだお前らに謝んなきゃいけないことあったわ」
「え?」
「ど、どういうことです?」

 怪訝そうに訊いてくる彼女達に俺は目を伏せながら言う。

「今日のお祭りでさ、『普通の女の子みたいに振る舞えばいい』って言ったの覚えてるか? ほら、お前らが色々なこと気にしすぎてて素直に楽しめてないところがあったからさ」
「……」
「とはいってもさ、異世界人でこの世界の殆どが初めてな二人にとっての普通と、俺達の普通とは違う。だから無粋なこと言っちゃったかなって思ってた。でも……それも俺の勝手な思い込みだった。お前らはこの世界の普通の女の子みたいにはなれないって決めつけてるのと同じだから。……だからそれは謝んなきゃいけない」
「どうして急にそんなことを……」
「決まってるだろ」

 俺はそっと彼女達の胸から手を離すと、自分の目を拭った。そこには、感極まったがゆえに溢れ出した涙がしっとりと付着していた。
 どれだけ擦っても、止まらない。油断すると堰が切れそうなほど、俺は泣いていた。
 悲しいんじゃない。嬉しいというのも少し違う。
 こんなにまで俺を理解してくれて、こんなにも俺を求めてくれて、これほどまでに俺を愛してくれている。

 そんな二人がただ、どうしようもなく愛おしかったのだ。

 その愛おしい恋人達に、俺は今できる精一杯の笑顔を浮かべて、言った。
 それは、二人の俺を求める声に対する答えでもあった。


「二人とも……もうとっくに普通の女の子になってるんだから」


 騎士と奴隷。そんなこの世界の日常からかけ離れた立ち位置にいた人間が、今こうして人並みに恋をしている。
 それはとても簡単なように見えて、とても難しいこと。
 彼女達は……一生懸命学んで、成長しようと奮闘してきた。その努力が、ようやく実ったんだ。
 クローラとリファは目を大きく見開き、その潤んだ瞳からぽろぽろと宝石のような粒をこぼした。 

「……やっぱり、今日は特別な日でしたね、リファさん」
「そうだな、クローラ」

 特別な日。
 今日の盛大な祭りを祝うための理由探しとして、彼女達は何か今日だけしかない出来事を記念にすることにしていた。
 そういえば、まだそれが何なのか訊いてなかったな。  

「特別な日。それはご主人様が――」
「それはマスターが――」


「「私達を綺麗だって、初めて褒めてくれた日」」


 ……。
 そっか、浴衣を披露してくれたときのことか。


「ねぇご主人様。こんなはしたない姿をしている今でも……クローラは綺麗ですか?」
「裸になったら、火傷や傷ばっかりの私でも……マスターはまた綺麗だと思ってくれるか?」
「当たり前だろ」

 俺は二人の頭にそっと手を乗せて優しく、何度も撫でた。
 服装がどうとか関係ない。傷のあるなしなんて、もっとどうでもいい。

「どんな時だって、お前らは綺麗だよ。眩しいくらいに。ずっと、ずーっと輝いてる」

 だからこそ、こんなにも愛おしいんだ。

 もう手を繋ぐだけじゃ満たされない。キスをするだけじゃ我慢できない。
 何もかも脱ぎ去って、互いの体温が直に感じられるほど強く抱きしめあって。
 身体中の色んな所を触ったり、愛撫したり、味わったりして。
 そして一番大切な部分で繋がり合って、身も心も結ばれたい。
 そう心から願うくらいに。

「マスター……も、もう……」
「ご主人様、私……切なくて……」
「わかってる」

 全員の気持ちが同じである以上、もう言葉はいらない。余計な気遣いも必要ない。
 あとはただ、自分の気持ちに身を委ねよう。
 愛という、偽りのない素直な気持ちに。


 覚悟を決めた俺は、そっと手を差し伸べる。
 俺の大切な恋人――リファレンス・ルマナ・ビューアと、クローラ・クエリに。



「おいで」
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