異世界の女騎士と女奴隷が俺の家に住むことになったがポンコツだった件

コペルニクス

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レベル50.女騎士と女奴隷と新しい日々

7.5.八越未來の歪愛録-2

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 ノズルから湯が吹き出す音。
 湯が髪と肌を弾く音。
 湯が排水口へ吸い込まれていく音。

 それが聞こえてくる全てだった。
 一人暮らしのアパートにしては十二分に広い風呂場の中。私はその隅っこでうずくまっていた。

「いっつ……」

 頭痛はまだ止まない。
 あれからもう三時間以上経つのに、未だにズキンズキンとこめかみの血管が脈打つのに呼応するように激痛が駆け巡る。

 最悪な一日だった。
 せっかく苦心して大学に入って、親に無理言って一人暮らしまで始めて。やっと悲願が叶うかと思ってたのに。
 それでたどり着いた末路がこれなの?

 こんなはずじゃなかったのに。
 いったい何がいけなかったって言うの?
 いや、私は間違ってない。
 ただ一心に頑張ってきただけ。一心に想って、愛して、慕い続けてきただけ。

 先輩。

 私が初めて出会い、それ以来ずっと心に決めてた人。
 いつかは結ばれたいと思い、一生かけて尽くしたいと思った人。
 そんな彼の傍にいることを、今日までずっと夢見て追いかけてきた。
 だけど、その夢を叶えた先にいた彼は……昔の彼ではなかった。
 あの顔。
 他の女に下品な笑みを投げかけ、何の躊躇もなく衆人環視の前でいちゃいちゃしてた。

 最初は嘘だと思った。
 こんなのが先輩なはずないと。私の知っている彼とはきっと別人なんだと思った。そうであればどんなによかったか。
 でも私にはどうしてもわかってしまう。
 彼は間違いなく本物であると。
 いつだって、どんなときだってずっと見続けていたのだから、当然と言えば当然。私にごまかしなどきかない。私の眼は欺けない。今日になってそんな能力を恨めしいと思う日が来るとは思わなかったけど。

 穢れ。
 今の彼はどうしようもなく穢れている。
 清廉潔白だったあのころの見る影もないくらいに。

 信じたくない、彼がそんな風に染まってしまっているだなんて。どうしても受け入れられない。
 だって……ずっと好きだった人だもん。
 だからこそこの状況が余計に苦しい。
 引っ越した当日、挨拶した際に見せた嬉しそうなあの顔は何? 指先が触れたときのときめきは何だったの?
 それに今日だって。あなたは私の名前を初めて呼んでくれたよね。その声は透き通ってて、まるで水晶のようにきらめいてた。
 私の求めていたものにようやく手が届いたって思えたのに……。

 あれは幻想? それとも夢? 私の錯覚?
 わからない。
 どっちが本物のあなたなの?
 私が憧れていたあなたはどこにいるの? 追いついたと思ったらそこにはいなくて、でも確かにそこにいて、偽物としか言いようのないくらいだけど、どうしようもなくあなたは本当のあなたで。

 ダメだ、頭がぐちゃぐちゃになってきた。
 元々ひどかった頭痛がさらに悪化しそう。さっさと考えるのをやめて忘れれば済む話だけど、そう簡単にいけば苦労はしない。

 そんな葛藤に苛まれながら、私はぼーっと樹脂製の床を流れる湯を見つめた。
 この温水と一緒に全部洗い流せたらな。
 なんて思っても、むしろ私の中に巣食う痛みは蓄積するばかり。

 ノズルをひねってシャワーを止めて立ち上がる。
 よろけて転ばないように壁に手をつきながらおぼつかない足取りで私は風呂場を出た。

 バスタオルで割と雑に髪と体を拭き、全裸のまま部屋に戻る。
 誰もいない自室の明かりのスイッチを入れると、いつもの光景が照らし出される。
 壁という壁に余すところなく貼られた、彼の写真。
 それは天に散りばめられた星、いつも私を見守ってくれる。
 ベッドに寝転がれば、まるでプラネタリウム。あの人の優しい笑顔が、私を癒やしてくれる至福のひととき。

 でも今は、それさえためらうくらい私の心は疲弊していた。
 唯一写真のない床だけを見て歩き、キッチンの冷蔵庫を開いて中から缶ジュースを取り出す。
 酒でもいいかなと思ったけど、この頭痛じゃそれは自分の首を絞める行為に等しい。
 タブを開け、一気に中身を飲み干して一息つく。気休め程度にしかならないけど、幾分か気は楽になた。

「……」

 口元を拭って缶を握り潰し、ゴミ箱に放り込むと私はまた部屋に戻って床にへたりこんだ。
 これからどうしよう。
 どんな顔して先輩に会えばいいんだろう。
 必死に努力して同じ大学に通えるようになったのが、逆に逃げ場をなくすという結果を生むとはなんという皮肉。

 辛い。

 この写真の数々を見ているだけで胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
 それは先輩に恋い焦がれていた頃にも感じていたけど、それとは全く違う。ただ不快で、気持ち悪くて、苦しいだけ。
 私は……今まで何のために。何でこんなことまでして……。
 写真の中の先輩。本当にかっこいいし、素敵だし、私の理想そのものと言ってもいい人。
 絵は嘘をつかない。ちゃんとあのときの先輩がそのままの状態で確かにそこにいる。今日見たような変わり果てた姿じゃない。うん……大丈夫。
 私は天を仰いで私を見つめ返す先輩達に問いかけた。

 ねぇ。
 あなたは私の手を握ってくれるよね?

 助けを求めるように手を星空へ伸ばしたが、誰一人としてそれに応えてはくれなかった。
 ……何やってんだろ、私。
 かぶりを振り、ベッドの下のタンスから下着とインナーを引っ張り出して急いで着込む。ここにいたら本当に頭がどうにかなりそう。

 ショートパンツにタンクトップ。あとは薄手のパーカー。
 近所をぶらつく時の、お決まりの格好。
 玄関でサンダルを履いて、扉を開け放つ。

 雲ひとつ無い本当の星空が私の目の前に広がった。
 辺りの街灯も少ないせいで、六等星までくっきりと見えそうだ。 
 もう季節は秋。気温もだいぶ下がってきてる。夜風にあたってれば、頭も冷めるでしょ。 
 とぼとぼと歩き出し、田んぼの広がるアパートの前道に出ようとしたのだが。


 先客がいた。


「♪ごー、てるあんとろーでぃー。ごー、てるあんとろーぉでぃー……」


 一人の女がそこに立っていた。
 背格好だけ見れば年齢は二十代。私とほぼ同じくらい。
 夜の景色に溶けてしまいそうなほどの黒いワンピースを着込み、手を後ろで組んで夜空を眺めている。
 それだけならまだいいが、非常に異質な点が一つだけ。

 首につけられた、鉄製の首輪。

 チョーカーか何かかと思ったけど、かつてはそれを繋ぎ留めていたであろう千切れた鎖が、その仮説を全力で否定していた。

「♪ごー、てるあんとろーでぃざっと、えーぶりーばーでぃー……」

 どこからか聞こえてくるそんな不気味な歌は、どうやら彼女が発生源だったようで。
 何もかもが唐突すぎる。どうしてこんなところに……。
 思わぬ形で出鼻をくじかれた私は急遽足を止めざるを得なくなった。

「♪いず、でーっど……って、ん?」

 物音を立ててるつもりはなかったのだが、気配で察せられたらしい。
 そいつはこちらを振り返ると、無垢な瞳を向けてきた。
 脳裏に今日の出来事がフラッシュバックする。

――えっと、気が合うね私達。
――心が通じ合ってる、っていうのかな。

 間違いない。先輩の家に寄生している輩どもの片割れだ。私にとっては、先輩にくっつく害虫に等しい存在。
 首輪の少女は目をパチクリさせて私を見つめていたが、見知った顔であることに気がつくと、ニッコリと微笑んだ。

「こんばんは」
「……」

 私は無言で軽く頭を下げた。


 ○


「えっと……」
「……八越未來」
「そうそうそれ。ごめん、こうして面と向かって話したこと無かったから」

 照れくさそうに首輪は遠回しに言い訳してくる。
 あたしは顔をしかめながら目を背けた。そいつを見てるだけで虫酸が走るものだから。

「私、あれからちょっと飲みすぎて暴れちゃったみたい。あはは、ダメだね。昔はお酒飲んでる人が怖くて仕方がなかったのに、今じゃ自分がそうなってるなんて」

 自虐じみたように語ってるが、こういう奴に限って自分のことが一番可愛いと思ってるんでしょ? 知ってる。どーせ悪いなんてこれっぽっちも考えてないくせに。

「あ、そういえばあなたの方は体の調子どう? 主くん、すごく心配してたよ」

 主くん? ……ああ先輩のことか。妙な呼び方だこと。
 私のことを心配、ねぇ……。本当なら嬉しさで失禁待ったなしだが、今はどうにも素直に喜べない。

「……」
「な、何ですか?」

 気がつくと、首輪じーっと私の顔を覗き込んできていた。珍しいものでも見るみたいに。何か顔に付いてるのかしら。
 まさか……そんなわけないよね? ちゃんと風呂入ってたんだし。

「ううん、ただなんか、やっぱり私達似てるなって思って」
「……似てる?」
「うん、今日そっくり同じことしようとしてたでしょ?」
「……」

 それが嫌だってのよ。
 もちろんこんなのと同列扱いされるのもだけど、なにより気に食わないのは……。

 私自身も同じことを考えてたってことだ。

 同じ臭いがする。
 この娘に初めて出会ったとき、そう感じた。
 だからそんなわけあるかとこれまでずっと自分に言い聞かせていたのに、今日の飲み会のアレから始まって、とどめに相手からも指摘されるとは。

「ぐ、偶然ですよあんなの。それで何で似てるって話に……」
「あー、そういう話じゃなくてさ」 

 そいつは首を横に振ると、一歩私に近づいてこれ以上なく単刀直入にたずねてきた。

「あなたさ、主くんのこと好きでしょ?」
「っ!?」

 度肝を抜かれた。
 な、なんで気づかれて……いや、そうじゃない。いくらなんでも直球すぎる。ただの天然だと思ってたのに、なんて洞察力なの。
 私は何も言い返せないでいたが、もはやそれは今の質問に対して肯定の返事を返すに等しい。

「やっぱりそうなんだ。うん、私達そういうところでも似た者同士だね」
「ちょ、待って……違――……ん?」

 え?
 あれ?
 今、こいつなんて言った?
 そういうところでも、って……。
 まさか。
 眉をひくつかせながら無言で問いかける私に、彼女は笑顔で頷いた。

「うん、私も好きだよ」

 絶句。
 もともと口数の少ない私から完全に声が奪われた。
 一緒に暮らしている、というところから薄々変な感情でも湧いてやしないかと危惧してはいたが……なんでこう悪い予感というのは的中するんだろうか。

「わかるよ。主くんは素敵な人だし、惚れちゃうのも無理はないよね」
「……」
「私ね、この国にわけもわからないまま飛ばされて、いきなり暮らせって言われてさ。そんなときに世話役っていうか、お家に住まわせてくれたのが主くんなの」

 首輪は訊いてもいない身の上話をべらべらと喋り始めた。

「面倒を見てもらえるだけじゃない。この世界の文化とか技術とか……色んなことを熱心に教えてくれた。単なる義務感とは違う、私達のことを本当に大切にしてくれてるって感じるの」

 私は答えず、代わりに刺すような視線を向けてやった。が、それに気づくこともなく首輪は話を続けた。

「初めはただいい人だなってぼんやり思ってたけど、なんだかだんだん心がポカポカしてきて……。もっと近づきたいなって思い始めて……いつの間にか、ただの奴隷と主人の関係じゃ嫌だってはっきり自覚するようになった」
「……」
「あなたもそうなんじゃない?」
「え?」

 突然話を振られた私はさらに動揺した。だが構わず向こうはこっちに一歩近づいて問い詰めてくる。
 本人は純粋にこちらと話をしてるつもりなんだろうが、私にとっては崖っぷちに追い込まれているような気分だ。

「主くんはね、時には優しく、時には厳しく。ちゃんと対等に、そして真剣に接してくれる人なの。こんな卑しい身分のはずの私でも、こうして十分すぎるくらいに育ててくれた。好きになるなっていうほうが無理だよね」
「何を言って――」
「だから自然とわかっちゃうんだ。同じように彼のことを好きになる女の子がいてもおかしくないって」
「……」
「ねぇ、教えてくれないかな」

 そいつは何を考えてるかわからない瞳の奥に私の姿を捉え続けながら、小さく首を傾げた。

「あなたはどうして主くんを好きになったの?」

 ……こいつ。
 よくまぁここまでべらべらとそんな言葉が出てくるわね。喧嘩売ってるの?
 いや待って。それともまさか、挑発されてるのかな? 今のももしかしてカマをかけられてるだけ? 恋敵認定かどうか探って、もしそうだったら早めに潰そうって魂胆? 
 なるほど、恐ろしい。人の内面ってのは、本当に外見じゃわからないものね。
 だが生憎。そんな手にひっかかるほど私は馬鹿じゃない。

「……それ」
「?」

 私は冷静さをなるべく顔に出さないようにして、毅然とした態度ではっきりと返した。

「あ、あなたに言う必要……あるの?」
「!」

 初めてそこで首輪女の余裕ぶった表情が崩れた。
 目が大きく見開かれ、驚いていることが目に見えてわかる。間髪入れずに私は言葉をさらに連ねた。

「そういう話って、い、一番デリケートな話題じゃないですか。友達でもないのに、教える義理ないですよ。だ、第一そっちも、知り合ったばかりの人にそんなこと訊くの、失礼だとか思わないんですか?」
「……そっか、そうだよね」

 黙ったか。ちょっとばつが悪くはあるけど、こういう奴にはしっかり言っておかなくちゃ。
 あー、でもこれでこいつが先輩に告げ口とかしたらやだな。あいつにひどいこと言われましたーって。私の印象悪くなったらどうしよう。判断ミスったかも。

 ……やっぱこの場で始末しておいたほうがいいかな。
 という邪念が私の中で蠢き始めたのだが。
 幸か不幸か、それは次の彼女の言葉で木っ端微塵に吹き飛ぶこととなる。


「じゃあさ、友達になろうよ」


 ……は?

「……は?」

 心中でも現実でもそんな呆けた声が出た。
 今……なんて?

「だから友達。友人。私達は大学に通ってるから、学友……ともいうのかな」
「……なん、ですか。それ」
「あ、友達っていうのは、仲の良い間柄って意味で――」
「そ、そんなことわかってます! 何で私が友達になんて!」

 ムキになって憤慨する私とは対照的に、首輪女はにこやかな表情でまたとんでもないことを飄々と言ってのけた。

「だって、同じ人を好きになった者同士じゃない」
「ッ!?」

 冗談抜きで頭どうしてるんじゃないかと思った。
 恋敵どころか、仲間扱い?
 罠か? いや絶対そう。そうとしか考えられない。油断させて背後から――ってオチでしょ? 

「そう警戒しなくても、あなたを敵だなんて思うつもりはないよ。もうそういうのはやめにしようって決めたんだ」
「ど、どういうことです?」
「あなたの他にもう一人ね、主くんのことを好きになった人がいたの。知ってるよね? リファさんっていうんだけど……」

 ……知ってるよ。
 とはもちろん口に出して言わないけど。

「私よりも素敵だし、綺麗だし、魅力的だからすごく憧れてた。そして同時に嫉妬してた。私じゃどうしても敵いっこないからって。このままじゃ主くんを取られちゃうって思った。だから、彼女にひどいことをした」
「ひどいこと?」

 私が復唱すると、首輪は無言でうなずいた。

「そうすれば独り占めできるかなって。……でもダメだった。そうやって彼と二人だけになろうとしても、どうしてもあの人の悲しむ顔が忘れられなくて……胸が痛かった。苦しくて仕方がなかったの」
「……で?」
「ん。それがなんでなのかって考えに考えたらさ、これが本当に私がしたかったことじゃないって気づいたんだよね」

 ……したかったことじゃない? どういう意味?
 手に入れたいもののために他人を排除しようとするその考え方だけは至極まっとうだと思うけど。

「私は、リファさんのことも好きになりたかったんだ」
「……え?」
「嫉妬していても、それでも彼女を失いたくない。憎むべき相手じゃなくて、かけがえのない大切な人なんだって気持ちがいつの間にか芽生えてきてたんだと思う。だけど私はそれを心の中にしまいこんだまま、自分を偽ってた」
「……」
「でもそれを正直に告白したら……リファさんは受け入れてくれた。そして向こうも同じ気持ちだったことを知った。だからこうして今は、三人で仲良くやれてる。今よりももっとお互いのことを好きになれるようにって」
「き、詭弁にしか聞こえませんが?」
「あはは、やっぱり?」

 照れくさそうに首輪は人差し指で自分の頬をポリポリと掻く。

「確かに普通だったらおかしいよね。でも私にとっては、たとえ他に主くんのことを好きになった人がいたとしても、私が彼の傍にいちゃいけないってことにはならないし、逆に私がその人を追い出していい理由にもならない。弾くことで得られる幸せなんて、この世にはないから」
「……」
「もちろん、あなたに対してもだよ?」
「!」
「主くんを好きになる人に、悪い人はいないから。私にはわかるよ」

 そう言って、そっとその女は……私に手を差し伸べた。

「だから、あなたとも仲良くなれそうな気がするの」

 この、よくもまぁいけしゃあしゃあとそんなセリフを!
 応じるべきか。はっきり言ってまっぴらごめんだけど、これ以上印象悪くしたらこっちにまで被害が及ぶ可能性がある。
 仕方がない。ここは素直に従っとこう。
 私はそっと自分の右手を伸ばし、指だけが軽く触れる程度のおざなりな握手を彼女と交わした。


「クローラ・クエリです。よろしくね、未來ちゃん」

 ……未來ちゃん、か。
 他人にそうやって呼ばれたのって、何年ぶりだろう。
 名前で呼び合う友人なんて、これまで全くと言っていいほどいなかったし。
 妙な感覚だな。
 なんだろう、この感じ。イヤじゃないけど、どこかもどかしいというか。
 新鮮じゃなく、前にもどこかで・・・・・・・……。

「ねぇ未來ちゃん」
「何?」

 手を握ったまま、彼女は私に訊いてきた。

「私達、どこかで会ったことあるかな?」
「……」

 まったく、どうして考えることまでこうも一緒なのか。読心術でも会得してるみたい。気味が悪いなぁ。
 私が無言で肩を竦めて否定すると、彼女は「そっか」と若干残念そうに顔を落とした。

「ごめんね変なこと訊いて」
「……別に」
「でもさ……本当に会えてたらいいよね」
「はい?」
「そうしたら、心が通じ合ってるようだったのも、納得がいくし。この世界で初めて会ったときから、他人の気がしない・・・・・・・・って思ってたの」
「はぁ……」 

 よくわからないけど、仮に会ってたとしても全く覚えてないんだから、所詮その程度の関係だったってことだろう。気にするだけ野暮だ。ここは適当に相槌を打っておけばいい。

「そう、ですね」

 と、そう小さく返した瞬間。
 私は悲鳴を上げそうになった。

 今まで私の目の前にいた彼女が、この世のものとは思えないような物体に変化していたのだから。

 死骸。

 そう表現する以外にないくらいの「それ」が私の前にいた。
 まさに今、首輪の女が立っていた位置に。
 だが彼女のものとは似ても似つかぬほど痩せこけており、頬や額には無数の傷痕が刻み込まれている。
 私と触れ合うその手は、焼け焦げたように黒ずみ、骨と皮だけの枝のようだった。ぐちゃり、という生々しい感触が私に瞬時に伝わってきた。
 腕だけじゃない、身体も……まるで半分以下の細さに縮んでいる。それこそ着ていた衣服はそのままストンと下にずり落ちてしまいそうなほどに。
 生きているとは到底思えない、なにもかもが凄惨な有様。

 何より、その顔の中央上にある二つの目。
 こちらを覗いている虚ろな瞳から、とめどなくあふれる液体。
 涙じゃない。絶対に。
 なぜならそれは……墨汁のように毒々しい黒色をしていたからだ。

 穢れ。
 そう呼ぶしかないほど、穢れだった。 

 黒い液体は頬をつたい、首元を濡らし、地面へと吸い込まれる。
 おびただしく流れ落ちるそれはやがて水たまりとなり、私の足元へ――。


「――ッ!?」


 反射的に手を振りほどいた。その反動でバランスを崩し、私は尻餅をついた。
 今頃になって動機が激しくなり、呼吸も荒くなる。
 何? 何なの、何なのよこいつ!?


「……どうしたの? 私、なにかした?」


 ハッと気がつくと、首輪女が私を見下ろしてきていた。
 だがそこにいたのは、今のような化物のようなものとは違う。白い肌に、黒い目。至って普通の、どこか儚げな面影をしたごく普通の女の子であった。
 だが私の焦燥と恐怖感がそれによって消えるわけではない。
 脳にはさっきのおぞましい姿が鮮明に記憶されているし、手にはまださっきの嫌な感触がはっきり残っている。
 これって……。

「大丈夫? 立てる?」

 再び彼女は私に手を差し伸べてくるが、とてもそれを掴もうとする気にはなれない。
 私は首を振って、自力で起き上がった。尻についた砂を払い、逃げるようにして彼女と距離を取る。

「えっと、なんともないようだね」
「……」
「……そろそろ私、戻るね」

 気まずくなったところで、彼女は別れを切り出した。
 私は沈黙を貫いていたが、これ以上なくホッとしていた。これ以上こいつと顔を突き合わせていたら、部屋にいる以上にどうにかなりそうだったから。

「それじゃおやすみなさい、未來ちゃん」

 私の返事を少し待って、それが返ってこないことを悟ると、ようやく首輪女はその場所から失せた。
 背後で階段を上がる音の後、バタンと部屋のドアが閉まる音が響く。

「ふぅー」

 肩の荷が下りた私は長い息を吐く。
 緊張感がほぐれ、余裕が生まれてきた私の心。その空いた空間を、代わりに埋めていく感情がふつふつと湧き上がってきた。

 怒りだった。
 非常に激しく、むしろ今までどうして鳴りを潜めていられたのか不思議なくらいに沸き立っていた。

「そうか……あいつだったんだ」 

 穢れ。
 今見た彼女の姿をした化物は、決して私の幻覚なんかじゃない。
 あれこそあいつの真の姿。あいつの本性。
 何が弾くことで得られる幸せなどない、だ。同じ人を好きになった人とも仲良くなりたい? 笑わせてくれる。
 そうやってあの人に取り入って、誑かして、あんなふうにしたんでしょ。誰にでもデレデレするような、どっちつかずな人間に!

 ようやくわかった。
 先輩が私の知らない間に不潔に染まり上がってたのは……紛れもないこいつのせい!
 こいつの穢れが、先輩にも感染った。だからああなったのね。
 ならば、私のやるべきことは一つ。

 先輩を救わなきゃ。
 元の綺麗な先輩に戻さなきゃ。
 私のことだけを見て、私のことだけを考えて、他の人間のことなんて一切眼中にないくらいの清廉潔白な人に。

 きっと先輩もそれを望んでいるはず。
 だって私が引っ越してきて嬉しいって言ってくれた時。私の名前を初めて読んでくれた時。その時だけは以前のあなたのままだった。

 それは……私に助けを求めていたからなのよね。

 汚染された精神の中に残っていた本当のあなたが、私に呼びかけていたのよ。あいつらから解放してくれって。そうよ、きっとそうに決まってる。
 僅かな期間、私は彼から目を離していた。その隙にあいつらがまとわりついて先輩を変えてしまった。
 これはれっきとした私の監督不行き届き。完全に私の落ち度。なら責任は果たさなくちゃダメよね。

 よかった。これで少しばかりモヤモヤが晴れた。
 どうすればいいのかわからなかったけど、もう迷わない。目指すべき道は見えた。

 まずは今の先輩を綺麗にしないと。
 こびりついたその穢れを落として、そのあいつらに向いた歪んだ心を直してあげる。
 そうすればきっと、またあのときのような笑顔をずっと私に見せてくれるはず。
 これは私にしかできない使命。
 私だけが先輩を救えるの。
 先輩は……私だけのもので、私は先輩だけのものなんだから。

 先輩を愛していいのは私だけ。
 私を愛していいのは、先輩だけ。

 運命の赤い糸。

 そう。
 We are wired.
 私達は繋がっているから。


「ずいぶん楽しそうだったわねぇ」


 紅潮する頬を両手で抑えて酔いしれていると、誰かの声が私の鼓膜を震わせた。
 やや高飛車で調子に乗ったような口調。もっとも、誰のものかは「なら」の時点で気づいている。
 そいつは私の前に広がる闇の中から姿を現すと、赤い瞳の中心に私を据えて不敵な笑みを浮かべた。 

「あの娘のこと、案外気に入ってたり?」
「はっ、誰が。たった今不倶戴天の敵だって認知したところ」
「そう? にしてはまんざらでもなさそうな顔してるわよ」
「バカ言わないで」

 ぴしゃりと私は奴の煽りを一蹴した。本当にこいつは一言一言が癪に障る。
 ああもう、収まりかけてた頭痛がまたズキズキと……。

「それよりあんた、ちゃんとごまかしたんでしょうね・・・・・・・・・・・・・・
「もちろんよ。あたしを誰だと思ってるの。そんなわかりやすいヘマはしないわ」

 両手を広げ、自慢げに彼女は答える。
 私は舌打ちをして、背を向けた。
 ヘマはしないって、あんな失態を晒してよくそんな口が叩けるものだ。

 あの本……よりにもよって落とした上に先輩に拾われてただなんて。

 だが責めてばかりもいられない。こいつの失敗は、制御できなかった私の落ち度でもある。そこはしっかりしないと。
 「あのこと」がバレたら、それこそ私はここにいられなくなってしまうのだから。

 気づいて、ないよね? あの首輪女――クローラ・クエリ。
 どうもあの何もかもを見通したような目。どうにも気になって仕方がない。用心しておかないと。

「しかし驚きよねぇ。向こうも私達と同じ臭いがするって思ってただなんて」

 ペラペラと手に持った書物のページをめくりながら悠長にそんな事を言う。

「シンパシーってやつかしらね。やっぱりこれって運命なんじゃない?」
「……」

 私は応えずに踵を返して部屋に戻ろうとした。
 運命なんて……私と先輩と結ばれる未来だけで十分だ。他のものなど必要ない。存在する価値などない。知る必要も、もちろんない。
 ……でも。

「――ねぇ」
「? 何?」

 私は足を止め、闇の奥に佇む彼女を振り返ると、素朴な疑問を投げかけた。

「あのクローラ・クエリって人……なんか以前私に会ったことあるかもって言ってたんだけど」
「ええ、聞こえてたわよ」
「私は全然覚えないんだけどさ、あんたはどうなの?」
「はぁ?」

 しばらくきょとんとしていた彼女だったが。
 何がツボだったのかいきなり吹き出して笑い始めた。

「ぷっ、クスクスクス……ちょっともう何よ突然。あんたらしくもないじゃない」

 本で口元を隠しながらしきりに笑い転げた後、彼女は大仰にため息を吐いた。
 そして目尻に浮かんだ涙を指先で拭き取り。
 簡潔に、こう答えた。






「あんたが知らないことを、あたしが知ってるわけないでしょ」
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