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レベル51.女騎士と女奴隷と日常②

1.女騎士と初授業

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「ついにきたぞ、我ら初陣の時!」
「です!」

 ポカポカとした陽気が気持ちの良い秋晴れの日。
 八王子の山奥を切り開いた土地に存在する、私立岩倉大学。
 その自然に囲まれた広大なキャンパスの入り口にある大広場にて、二人の女性がやけにはりきっていた。

 一人は長めの金髪が目立つ、碧眼をした女性。服装は可愛らしい猫耳パーカーにフレアスカート。腰に巻かれたウエスタンベルトには、玩具の剣を下げている。
 もう一人は、少しくせのついた黒髪セミロングの女性。黒を基調とした半袖ワンピがよく似合う。そして首には鎖付きの鉄輪、肩のホルスターには大口径のモデルガンを収納していた。

 一見普通の外見にミスマッチなアクセサリの取り合わせという奇妙なコンビ。
 だがそれも致し方なし。
 リファレンス・ルマナ・ビューアとクローラ・クエリ。
 何を隠そう彼女らは、こことは別の異世界から転生してきた騎士と奴隷だからである。

 色々慣れない暮らしに悪戦苦闘していた二人だがこの度、晴れて大学生としてデビュー。一昨日入学式を終え、今日が初授業日というわけだ。
 戦うことと隷属することしか知らなかった二人が、学問の世界に足を踏み入れる記念すべき日。本人達もこの時を今か今かと待ちわびていたので、こうしてテンションアゲアゲなのであった。

「そうと決まれば早速突入だ。ほらマスター、何をもたもたしてる!」
「主くん主くん、早くしないと遅刻してしまいますよ!」

 そんな高ぶった気分を抑えきれないというように、彼女達は後ろから背中をぐいぐい押してきた。
 まったく、遠足に来た子どもじゃないんだから……。
 なだめても興奮しきってる二人は聞く耳を持たず、俺は構内へと連行されていくのであった。


 ○


 そしてやってきたのは、校門からまっすぐ行った先にある、割と新しめの巨大な建築物「一号館」。
 十階建てで、中には教室の他に学生課、キャリアセンター、学部窓口、各サークルの部室などの様々な学生向けの部署が入っている。
 場所が場所ゆえに、行き交う人の量も多い。

「すごい場所だな。今まで見てきた建物とは全然違う……まるで王城みたいだ。うぉ、ここ最上階まで吹き抜けてるぞ! 高いな……」
「です。透明感がある、というのでしょうか。照明もないのにすごく明るいし。あっ、あの天井がガラス張りになっててそこから日光が入り込んでるんですね。吹き抜けになっているのは配光しやすくするためでしたか」

 そんな芋を洗うような中、クローラとリファはその近代的な内装に目を奪われていた。
 まぁ確かに、こういうスポットは異世界人じゃなくてもテンション上がるよな。

「で、私達が受ける授業というのはどこで行われるのだ?」
「そもそもどういう授業をやるんでしょう。 民間防衛? それとも帝王学? 私、気になります」

 ハキハキと二人が訊いてくる反面、俺は溜息を吐かずにはいられなかった。

「お前ら……オリエンテーションの時になんも聞いてなかったのか?」
「おりえんてぇしょん?」
「なんですかそれ? おいしいんですか?」

 内容どころか存在自体記憶から抹消しておいでとは。参ったなこりゃ。

「一昨日、入学式終わった後にやっただろ! ほら、教室でお前らが誰彼かまわず――あっ」

 と、そこまで言ってあわてて口をふさいだが時すでに遅し。
 二人のさっきまでやる気に満ちていた瞳からは煌めきが失せ、光彩のない死んだ魚のような眼に変貌していた。

 それもそのはず。
 オリエンテーションの後に行われた新入生・編入生同士の顔合わせ及び交流会。そこで彼女達は友達を作ろうと必死に頑張った。
 が、やり方があまりにもアレだったせいで、結果はかえってその場にいた全員からドン引きされた挙句にハブられるという悲惨すぎる、まさにトラウマを植え付ける経験になった。

 そっか、忘れてたのはボケてたからじゃなく、思い出したくなかったからか。
 心機一転して学校生活に臨もうとしていたのに、図らずも嫌な記憶を穿り返してしまうとは……迂闊だった。

「ごめんごめん悪かった悪かったよ、ほら泣くな、泣くなってもうー!」

 拳を震わせ、目尻に涙まで浮かべ始めた異世界コンビを周囲から遠ざけるべく、俺は彼女達の手を取って奥へ牽引していった。

「じゃあ今日はとりあえず、俺が出る授業を一緒に受けよう」
「ますたーと、いっしょ……?」

 グスりながら問い返すリファに、俺はぶっきらぼうに言う。

「本当なら時間割とか必修とか、色々確認してから履修科目を組むわけだけど、その辺は今は置いておいて、ひとまずは大学の授業ってのがどんなものか体験してもらう」
「? 私達が出るべき授業ではないのに、ですか」
「大学ってのは全部自分で決めるところだって教えただろ。当然講義もそれに含まれてる。学校側からこれを受けろって指定されるものじゃないんだよ」

 大学が中学高校と大きく異なる点の一つがこのカリキュラム形態。新入生の誰もがおたつくポイントなのは間違いない。
 よく考えたら、自分だって理解するのに時間を要したくらいだったのだから、異世界人の二人が即日でわかるはずがない。昨日のうちに念を入れてもう一度俺からも説明しておけばよかったな。反省。

「個人で選ぶ、ということは……これから出る授業は?」
「俺が自分で受けようって決めてたとこ。今後も継続して履修していくかどうかはまだ未定だけどな」
「……? よくわかりませんが、要はおためしということなのです?」
「そーゆうこった。詳しいことはまた教えるから。ほら、行くぞ」

 二人の手を引きながらエスカレーターを上がり、小走りで数階上にある大教室へ急行する。
 中に入ると、既に大勢の学生が着席して待機していた。この教室は確か200人収容のはずだが、その四分の三以上が彼らで埋まっている。

「だ、大所帯だな」
「ですぅ」

 ここまでとは思っていなかったのか、クローラもリファも少し萎縮してしまっている模様。
 俺は彼女らの緊張をほぐすように握る手に優しく力を込めた。

「大丈夫だって、俺が付いてるから。ほら、こっちこっち」

 そう言って、三人分空いてる席まで誘導していく。
 リファの金髪や剣、クローラの首輪やモデルガンは結構注目を浴びて騒ぎになるかと思ったが、案外そうでもなかった。
 スマホを見たり、友達と駄弁ったり、突っ伏して寝てたり。みんな思い思いの行動をするのに夢中で、他人には全く興味がなさそう。俺が言うのも何だけど、大学生ってこんなもんなのな。

「じゃあここに座ろう」
「うむ」
「はいっ」

 運良く三人分空いていた最前列の端っこの席に、リファ・俺・クローラの順に仲良く座る。
 ようやく落ち着いてきたところで、俺は両隣の二人に小さな紙切れを渡していく。あらかじめ教室の入口で配布されているのを取ってきておいたのだ。

「ん? なんだこれは?」
「出席票。これに名前を書いて最後に提出すんの。そうすれば授業に出たとカウントされる」
「? カウントしてどうするのです?」

 肩を寄せて訊いてくるクローラに、俺はつらつらとペンを走らせつ答えた。

「出席数が一定の数に満たないと、単位っていって……この授業を制覇した証みたいなのがもらえなくなるんだ」
「ほほお、証か。さしづめ勲章のようなものなのだろうな」
「まぁそう考えておいていいよ。で、大学生活のゴールってのはもちろん卒業だが、そのためにこの単位が必要になる。足りない場合はいつまでも卒業できない。だからきちんと欠かさず授業に出ることが必要だってわけ」
「あの、主くん」

 ぴょこん、と挙手してクローラが質問してきた。
 ハイなんでしょう、と俺が尋ねて返ってきた返答が以下。

「……在籍しているなら、欠かさず授業を受けるのは当たり前のことでは? まるで出ない日があっても普通みたいな物言いですが」

 せやな。ほんまその通りですわクローラちゃん。
 ここは学校。学びに来る場所。
 だがどいつもこいつも単位を取ることだけが目的化して、必要出席日数さえ出てりゃ残りはサボってもいいと思ってる奴は残念ながら多い。
 または出席はするけど講義中は内職してたり、他人に代理出席依頼したり、授業の最後に来て出席票だけ出したり。肝心の講義内容なんてまるで聞いちゃいない。一体なんのために通ってんだっていうね。

 だがこの二人はそうはなってほしくない。単位取得などあくまで履修に付随する結果に過ぎず、本命は講義の内容をしっかり頭に叩き込むことであると認識して、学生生活を送ってもらいたい。そうさせるのは俺に課せられた使命でもある。


 というわけで、二人も見よう見まねで自分の名前を書き、あとは教授がくるまで待機。
 初回ということもあって、リファはかなりそわそわしている。反対に、クローラはもう順応したのか、涼しい顔でペンをくるくる回していた。
 なぜだろう、と思ったけどその理由はすぐにわかった。

「そういえば、クローラは学校行ってたことあるんだったね」
「アカデミーですか? まぁ、ほんの少しの間ですけど……」

 奴隷ではあるが、その正体は謀反によって没落した王族のご令嬢様。
 ワイヤードにも高い身分の者のみが通える教育施設があって、多少なりともそこで「授業」というものには慣れていると彼女の口からちょこっと聞いたことはある。
 でも、ワイヤードの学校って読み書き以外にどんなことやるんだろ。

「私は王族でしたので、帝王学が主でしたね。あとは修辞学とか、弁論学……でしょうか」
「へぇ、まさに王様向けの学問って感じだね。物理学とか経済学とかはやんなかったの?」
「学ぶ学問はその人の家の職で決まるんですよ。土工屋さんの人は建築学を専攻しますし、商業を生業としている家の出の人は経済学を重点的に学びます」
「なるほど、家系を継ぐための学び舎ってわけか」

 ぶっちゃけ専門学校に近いイメージだな。だがかなり理に適ってるスタイルではある。
 この大学……いろいろ学部に分かれてはいるものの、将来就く職業を見据えて入る奴なんてほとんどいないはずだ。そして実際に学んだことも、大多数が就活でアピールするエピソード程度にしか利用しないだろう。

 俺も人文科学部というこの学部に入ったのも、明確な理由があったわけではない。ただ受かった大学の中で一番偏差値が高かったから、将来有利になるだろうと考えただけだ。実際ここを卒業して、四年間学んだことを今後どう活かしていくのか、自分でも想像できない。

 じゃあ、二人はどうなんだろう。
 と思って、俺はクローラとリファを交互に一瞥した。
 彼女達はこの学校でこの世界の文化や技術を学んで……最終的にどこに辿り着くんだろう。

「なぁクローラ」
「はい?」
「お前はそのアカデミーに通って、本当に学べたいことが学べた?」
「? どういうことでしょう?」
「あ、いや。家柄で学ぶものが決められるって言ってたけど、それと自分が勉強したいことが必ずしも一致するわけじゃないじゃん? そーゆーのってクローラはなかった?」
「そうですね、あるといえばありますけど……むしろ、それしかしてなかったというか」
「はい?」

 俺が素っ頓狂な声を上げると、彼女は苦笑とはにかみが混ざったような表情で答えた。

「お忘れですか? 私がワイヤードで何を作り上げたか」
「……あ」

 そうか。そういうことか。

 キカイ。

 異世界に存在する元素のエネルギー「エレメント」。それを動力源とした異世界独自の道具。
 俺達の使っている機械とはかなり構造も原理も異なるが、向こうの世界でも生活必需品なのは同じだ。
 その発明者こそ、このクローラ・クエリ・ワイヤードなのである。
 まだ若いのに、国のインフラを一つ独学で作り上げるのに多大な努力が必要なのは言うまでもない。

「物心ついたときから普通の学問はそっちのけで、エレメントに関することばかり勉強してました。そっちの方がやってて楽しかったものですから」

 だろうな。それで実際それが実を結んだわけだし。
 だけど学ぶ者としては正しい在り方なんだよな。本当に自分がしたいこと、そして将来の役に立つこと。それを全力でやり遂げられる奴って、すごく立派だと俺は思う。

「今はまだどんなことを学ぶかもわからない状態ですけど、また夢中になって打ち込めるものを見つけてみせますよ」
「そっか。なら、しっかり頑張らないとだね。応援するよ」
「はい。ありがとうございます、主くん」

 そっと頭を撫でると、クローラは可愛らしく微笑んでみせた。
 と、その時。
 キーン、コーン。と教室内にチャイムが鳴り響くのと同時、入口のドアが勢いよく開かれて誰かが入ってきた。

「はーいそれじゃ授業始めていくざぁますよー」

 モノスゲェ厚化粧をした、四十過ぎくらいの小太りなおばさんだった。
 全身にきらびやかな指輪やネックレスをして、高そうなブランド物のバッグを肩に下げている。光物が服着て歩いてるみたいだ。
 教授はドスドスと物音を立てながら教壇に立ち、マイクを取る。

「おほん。アテクシがこの現代政治学の講師を担当するざます。みなさん、この授業を受けるからには誠心誠意本気で取り組むことは最低限の義務ざます。そのことをゆめゆめ忘れないようにするざますよ」

 刺々しいというか、高圧的な口調で話す人だな。言ってることは至極当然だけど。
 すると隣のリファが俺の袖を軽く引っ張った。

「げんだいせーじがく?」
「現代の政治について勉強する学問ってこと」
「げんだいのせーじ?」
「この世界の政治ってこと」
「せーじ?」

 小学校行かせたほうがええんちゃうんこいつ。

「? お、おう。政治、政治な! そうかそうか、緊張してててっきりソーセージの親戚かと思っちゃった」

 幼稚園からかなぁ。

「そういえばこの世界の政治って今まで聞いたこともありませんでしたね。どうやってこの国が成り立ってるのか、興味あります」

 ふんす、と俄然やる気になったクローラはそう鼻息を荒くする。
 さて、そんなこんなで授業開始だ。

 ○

「えー。まずみなさんも、今は田中内閣が日本を牛耳ってるのはご存知ざますよね? そう、四年前の衆議院選挙で汚い手を使って強引に政権を奪った痔民ぢみん党の総裁、田中太郎首相が率いる内閣ざます」

 教壇の椅子に腰掛け、スクリーンに映し出された内閣結成時の写真を指しながら教授は言う。

「まぁマニフェストであの男は色々大層なことをのたまっていたわけだけでも、今のところどれも達成された試しがないざます。まったくもって情けない限りざます」

 ……。
 ん?

「いいですか? これはれっきとした公約違反ざます! 日本の政治がこんな輩に左右されるなんてあっていいはずがないんざますよ! これを聞いているあなたたちも、決して他人事ではないのです。みなさんの未来のためにも、声を上げてあの悪しき政党を潰していかなくてはならないんざます!」

 ドン! と、教卓を叩いて力強く彼女は主張した。

 あー。こういう教師だったか。
 と、俺は早くも自分の選択をミスったことを自覚した。
 まぁこういう当たり外れがあるのは仕方がないにしても……今は状況が違う。

「な、ないかく? しゅういん?」
「まに、ふぇすと……?」  

 両隣で頭から煙を吹き出しかけてるのが約二名……。
 いきなり政治についての初歩的な説明もなく、専門用語を矢継ぎ早に飛ばされているのだ。こうなるのは必然。確かにそういうのはある程度中学高校で習うとはいえ……この教師は流石にヤバイ。

「ただ、最近は若者の政治的無関心ポリティカルアパシーが叫ばれていることもあるから、今日は田中内閣のどういうところが駄目かを説明していくざます」

 得意げに教授は鼻を鳴らすと、手元のリモコンを操作してスクリーンを切り替えていく。

「まず最初に、田中総理は三年前の選挙演説で『働く女性の差別撤廃が改革の一丁目一番地』だと民衆の前で言ってたざます。なのに、アテクシこの前の学会で、ちょーっと書類に不備があって開始がちょーっと遅れたくらいでこっぴどく叱られたんですのよ!? もうクドクドネチネチと陰湿に十分以上も! そして極めつけに『次やらかしたら学会追放』とまで言われてしまったざます! ありえないざます!」

 あんたの方が何十倍もねちっこく説教しそうだけどな。
 と俺は心の中でぼやく。

「絶対にアテクシが女だからここまで酷い因縁を付けて、あわよくば教授の座を剥奪しようと考えてるに違いないざます! アテクシだけではなく、今なおこんなふうに職業における古典的な性差別は根強く残ってるざますのよ! 男女平等化を謳っておきながらこの有様。田中内閣における政策不備の最もたる例ざますわ! みなさんもそう思うざんしょ?」

 生徒からは無言だけが返事で帰ってくる。
 だが、批判が出てこないことを賛同と勘違いするタイプらしい。教授はますますお高く止まって口弁を続けた。

「第二に、田中内閣は二年前の衆院予算委で『子育て支援に尽力する』と宣言したざます! しかし現実ではどうざましょ? 全国の母親と子どもをとりまく環境のどれだけが改善されたと思うざます? アテクシは相変わらず年間500万という低給金でこき使われているのに、行政はほとんど支援をしてくれないざます。アテクシの可愛い太郎坊やは、そのために一日のおやつを四回から三回に減らさざるを得なくなったざますのよ!」
「おいマスター」

 隣の女騎士さんが低い声で、俺の肘を小突いてきた。
 その顔はかなりひきつっており、こめかみには若干青筋がうかびでていた。
 わかる。なんでこの大学がこんな教師を雇ってんのかと叫びたくなるくらいわかる。
 だが耐えろ。ここはヤジが飛び交う予算委員会の場じゃない。

「児童手当などの支援金があるといったってたかが数万円。もっとどーんと十万二十万は支給されて然るべきざますわ。あとは児童にかかる医療費の全額負担。日本の将来を担う子どもの命を救うためには当然ざます。あとは仕事をする母親のために、もっと交通の便を良くするとか、職場の近くに母親専用のホテルを新設するとかもやるべきざますねぇ。でも今の日本はそれが全く無い。これで何が子育て支援だというざますか! ねぇ!?」

 生徒一同、無言。
 そして女教師さらにレベルアップ。

「さらに! 昨日のお昼の『毎度スクランブル』は見たざますか!? もうアテクシはあれを見た途端気が狂いそうになったざます! 田中が総理としてあんなとんでもない愚行に走ったなんて!」

 今現在進行形で気が狂っとると思うのは俺だけか?

「よく聞くざますよ、その愚行とは……」

 ドラムロールでも鳴ってそうな勢いで一呼吸置くと、教師は教卓に拳を振り下ろし大声で言った。

「なんと、昼食で出たかけ蕎麦に塩をトッピングしていたんざます!」

 ……は?
 思わず俺もクローラもリファも目が点になる。それは他の生徒達とて同じであっただろう。

「ありえないざましょ!? 蕎麦に塩なんて、普通は七味と相場が決まっているのに、信じられないざます! よりにもよって塩? まったくもって理解不能! こんな下賤な行動を平然と取る男がこの国の首相だなんて、おぞましいざます!」 
「……ふざけるな」

 押し殺した声がリファの口から漏れた。
 だが相も変わらず悦に入ったような口調で教師の舌はペラペラと回る。

「まぁ、この他にも色々と枚挙に暇がないざんすけど、これで現政権がどれほど愚かなものであるかが理解できたざますね? みなさんもこれをいい機会に、今の内閣を許さない精神を忘れないようにしておくざます。家族やお友達に、もし与党支持なんて方がいたら即刻縁を切ることをおすすめする――」
「異議ありッ!!!!」

 バァン!!
 と、とうとうリファがブチ切れて机をたたきながら立席した。
 講師かスクリーンに目が行っていた者も、別なことをして過ごしていた者も、全員が彼女の方に注目する。

「さっきから聞いていれば……勝手なことをごちゃごちゃと。こんなのが授業? 片腹痛いわ!」

 リファは激怒した。必ずかの邪智暴虐の教授を除かねばならぬと決意した。
 リファには政治がわからぬ。リファは自宅の警備隊である。
 毎日ベッドに転がって漫画を読み、遊んで暮らしていた。だが邪悪に関しては人一倍敏感であった。ちなみに乳首も結構敏感であった。

「『ぢみん』だの『ないかく』だのはよく知らんが、それでも貴様がまっとうな授業をしていないことだけはわかる! ただ教え子に向かって不平不満をぶちまけてるだけだ! よくそれで教師を名乗れるものだな!」
「なんざんすのあなたは。このアテクシに向かって意見する気ざます!?」

 教授も牙を剥いてくる彼女に対し、顔をしかめて凄みを利かせた。
 あーあー、やっちゃったよもう。どうすりゃいいんだ。
 頭を抱える俺の隣でリファはビシィ、と人差し指を相手に突きつける。

「最初に言ってた、こっぴどく叱られたから女性差別? 笑わせるな、そうなったのは他ならぬ貴様自身が原因だろうが! 書類に不備があって発表開始を遅らせ、他の者に迷惑をかけた。それ以外に何がある。叱られるのは当然だ! それだけのことなのに貴様は自らの落ち度を矮小化して、政治を執り行う者に責任転嫁している! これこそが愚行だろう!」
「なっ!?」
「第二に!」

 今度は中指を立てて女騎士は一呼吸置くと、次の批判に移行した。

「子育て、支援? というのはまぁ、子持ちの母親などへ援助をする政策なんだろうが……言うに事欠いておやつの回数を減らしたから支援が行き届いていない? 本気で言ってるのだとしたら正気を疑うぞ!」
「ちょ、あなたねぇ。教師に向かってその口の聞き方は――」
「私の住んでいた国には!」

 悲痛な声を上げて、リファは拳をわなわな震わせた。

「私の住んでいた国では、ひもじくて餓死する子どもが何人もいた。おやつどころか日々の食事すら満足に取れなくてな。母親も子守りと仕事に明け暮れてそれ以上に疲弊し、精神をすり減らしていく。だから捨て子や身売りなどが耐えなかった。それはそういう限界まで追い込まれた者達のための政策であったはずだ」
「っ……」
「だが貴様はどうだ? そんな高級そうな衣服や宝石に囲まれておいて、支援などとどの口が言うというのだ! 結局貴様は子育て支援の強化ではなく『自分にもっと贅沢させろ』と主張したいだけだろうが! もっともらしい建前でごまかすな!」
「うぐぐ……」
「最後に!」

 薬指も立ててリファは、怒りの炎の火力をさらに上げた。

「もう指摘するのも馬鹿らしいが……蕎麦に塩? だ か ら な ん だ? それと政治のなんの関係がある? たかが食い物の塩梅ごときで何がわかると言うんだ。なら七味をかけてれば良き役人になるのか? 違うだろうこの阿呆が!」
「な、な……教師に対して阿呆とはどういう了見ざます!?」

 教授も言われっぱなしで頭にきたのか、憤慨して言い返してくる。

「あなた、もしかして痔民党の回し者ざましょ!? アテクシに刃向かうなんて、きっとそうに決まってるざます! しかもその剣、学校に武器を持ち込むなんてなんて暴力的なんざましょ。最近軍事活動予算を引き上げた痔民党の人間らしいざますわ!」

 うわぁ。
 と、俺もクローラもリアルに呆れのため息が出た。
 カウンターのつもりだろうが、残念ながら悪あがきにしかなっていない。
 リファも鼻を鳴らして嘲笑するだけであった。

「はっ! 今度は印象操作から私の人格批判か!? 武器を持つことの何が悪い? 私はマスターの騎士で、これは彼を守るための剣。そして国の軍は民を守るための力。それをただの暴力としか考えられないとは偏見甚だしい」
「ぅ」

 やり返すどころか完全にねじ伏せられた教授はとうとう口をつぐんでしまった。
 すげぇ。さっきまでのポンコツぶりが嘘みたいだ。よくここまで饒舌になれるもんだね。
 いや、ポンコツでもわかるほどあの教授の授業がクソだってことなんだろう。うん。

「いいか、ここらではっきり言っておくぞ」

 中指と薬指を折りたたみ、人差し指で再度教授を指差すとリファは険しい顔で言い放った。

「教師というのは、生徒に正しい知識を授けるのが仕事。自己中心的なワガママと悪口と言いがかりだけで授業とのたまう貴様にその資格はない! 看板に偽りありという他なしッッ!」

 おおー、と生徒達数名から歓喜の声とまばらな拍手。
 見事な討伐劇である。さすがは騎士様。実戦だけでなくレスバトルにもお強いとはおみそれしました。

 と、一見彼女が勝利したように見えたのもほんの少しの間だけだった。


「異議あり!」


 すぐ後ろで、リファと同じように誰かが席を立つと大声で言った。
 俺達は振り返り、その発言者の姿を目の当たりにする。

「なっ……」

 そして絶句。
 それもそのはず。
 鈍く輝く銀髪。螺旋状にカールがかかったツインテールに、コテコテのゴスロリ服。
 そして、リファの碧眼とは対を成すように赤く燃える紅瞳。

 「自称」ワイヤードの元帝王。
 エイリアス・プロキシ・スプーフィングであった。

「お前……いつの間に」

 おかしい。入ってきた時はこいつは絶対にいなかったはず。だっていたら普通気づくもん! 一体いつ俺達の近くに!?

「先生、このような一般政治についての知識もない下郎の言うことなど真に受ける必要はありません。あなたのおっしゃることは全てごもっともでございます」

 いつもの意地の悪い顔とは似ても似つかない、清楚でおしとやかな笑顔。そして口調もタカビーのそれではなく、まさに礼儀正しいお嬢様そのものであった。

「まず田中内閣による女性の雇用機会の増加についてですが。内閣発足前のマニフェストでは、女性の正規雇用者の割合を当時の50%から70%にまで引き上げることを約束しています」

 おいこいつ誰だよ。完全に別人じゃねーか。中身だけ誰かと入れ替わってるんとちゃうんか。
 そのエリアに似た誰かさんはリファ以上に饒舌に喋りまくる。

「しかし最新の厚生労働省による調査では、68.9%と未だに達成できておりません。非正規雇用に苦しむ女性もまだたくさんいる以上、先生の公約違反という指摘に間違いはございません」
「そ、そうざますね! まったくそうざます!」

 ブンブンと高速で首を縦に振って同意する教授。
 そこで当然黙っちゃいないのがリファレンス女史。

「おい貴様、どういうつもりだ――ぶっ!」

 バコン! と言いかけた女騎士の脳天に、広辞苑のような分厚い書物の鉄槌が下った。
 難なく敵を排除したエリアはさらに胸を張って高らかに主張を続ける。

「そして子育て支援に関しても、シングルマザーや共働きの親に東京都が取ったアンケートでは、現在政府が行っている子育て支援に『満足していない』が25%と、なんと四人に一人の割合で政策が十分でないと認識しているようです。なので先生の主張は正当なものです」
「え、ええ! ええ! その通りざますわ!」

 おい残りの75%どこいった。

「最後に、昼食の蕎麦に塩をかけてたことについて。一見政治とは関係ないように思えますが、これは去年問題になった『国立かけそば学園』の政治資金規正法違反問題に関連があるということですよね」
「え?」
「この未だ論争と野党からの追求が耐えない通称『かけそば問題』。それと同じ名前の料理に塩を振るということは、真実を明らかにしようとする人達に塩をまいて追っ払うという意図を暗示していると捉えることもできます」

 何だそのすごく真面目そうだけどこじつけ以外の何物でもないトンデモ理論!
 なんでそんなことがポンポン口から出てくんの? ねぇ?

「もしそうだとしたらあからさまな挑発であり、国民への侮辱でもあります。政治を担う者としての資質を疑うのは当然と言えましょう」

 そこまで一息で言い切ると、エリアは屈託のない笑みを教授に飛ばす。

「と、いうことをおっしゃりたかったという解釈で問題ないですか、先生」
「あ、あー、そうざますね。ええ、いまアテクシもそう言おうと思ってたところざんす!」

 嘘つけ。
 と誰もが思ったことだろう。

 しかし驚いた。異世界人なのに、政治用語を使いこなすどころか時事問題にまで精通しているとは。リファやクローラとは完全にレベルが違う……何者なんだ、彼女は。

「素晴らしい学生さんざますね。授業が終わったらアテクシのところに来るざます。あなたの成績に特別優遇措置をしてあげるざますから」
「ありがたき幸せ」

 マジかよ。えこひいきもいいとこじゃねぇか。ずるいぞ。
 誰もが抗議したい気持ちでいっぱいだったが、当然口に出せるものなどいないわけで。
 ……いや、一人いた。

「異議……あり」

 リファレンスだった。
 よたよたと立ち上がって、再び目の前の悪役令嬢と相まみえる。

「あらあら、往生際の悪いこと」
「……」

 女騎士は冷ややかな目で、自らを見下すエリアを睨み返す。

「何よその目。もしかしてあたしと張り合う気? 面白いわね、論破できるというのならやってみなさいな」

 やばい、この二人はやばい。レスバトルどころかリアルファイトにまで発展しかねない。止めなきゃ。
 あわあわとこの状況を打開する方法を暗中模索していた俺だったが。
 どうやらそれは杞憂に終わったようだ。

「……ふっ」

 と、急にリファが顔を綻ばせて小さく笑ったのだ。
 それは流石に予想外だったのか、エリアも眉をひそめた。

「な、何がおかしいのよ」
「貴様。この世界でも王を目指しているんだったな」
「それが?」
「いや、それにしては随分な醜態を晒しているなと思ってな。あんな奴に媚びへつらうなど。権力を手に入れようとする者が権力に屈するとは、なかなかな皮肉だ」 

 むっ、とそこでエリアは顔をこわばらせる。化けの皮が少し剥がれたみたいだ。
 チャンスとばかりにリファは煽りを続行。

「そうやってゴマをすって他人の神輿に乗っけてもらっておいて、私達には偉そうにイキリ倒してくると。みっともないな、将来の王が聞いて呆れる。果たして下郎はどっちだ? ん? んー?」

 トドメの一撃が決まり、完全にエリアは沈黙した。
 うつむき、唇を噛み、両手の拳を握りしめている。
 論破……したか?

 と思いきや。

「くくく……なーっはっはっはっは!」

 甲高い笑い声が教室内に反響した。
 周りの学生達も教授もポカンと口を開けるばかりである。

「くっくっくっ、バカね。ほんとーに。あんたは何もわかってない」

 ひとしきり笑い転げてもまだ足りないというように、エリアは腹を抱えながら言った。

「まさかあんた、あたしが本当にあのデブ女に賛同してるとでも思ったわけ?」
「何?」
「違うわね! あいつがまともじゃないなんてここにいる全員わかってるわ! 全てはあたしが王に成り上がるための手順に過ぎないのよ!」
「ど、どういうことだ?」
「不思議に思わないの? この授業、教師があんななのにここまで生徒が集まるなんて」

 言われてみりゃ確かに。
 俺はただこの後控えてる必修授業までの時間つなぎにちょうどいい思っただけなんだけど。他の連中は何か別の理由があるんだろうか。

「それはね、こうして教師の言うことにハイハイ頷いて、テストの論文でも今の政治の批判だけしておけば楽に単位が取れるからなのよ! 知識の理解度なんて関係ない、どれだけ自分がおっ立てられるかでしか他人を評価できない単細胞。だからあたしはそれを利用してるだけ!」

 バッと両手を広げてその元女帝様は天を仰いで自分に酔ったように語り始めた。

「あいつだけじゃない、この国の『人を指導する側の人間』はみんなそうよ! 結局自分のことしか頭にない、民のことを考えてる奴など皆無。結局我欲に満ちたクズどもばっか! そんな奴等を出し抜くことなど容易。ただちょっと腰を低くして下手に出れば簡単に取り入れることができるのだから。哀れなものね」
「……」
「だからこそあたしが変えなきゃならないの。腐ったクズどもの頂点に立ち、そして粛清してこの国を変えてみせるわ。信頼関係のない、上辺だけ取り繕っただけのつまらない世の中をね! そのためにはどんな手だって使ってみせる。たとえ他人に媚びようが、隷属しようが、それで天下統一に近づけるなら安いもんだわ!」
「……」
「いい? こっちの世界はね、あんたみたいにくだらないプライドを保つことばっかにこだわる奴が損をするとこなのよ! あんたはあたしが下卑た真似をしてるだけに見えるかもしれないけど、今に見てなさいよ。あたしが新生ワイヤードを建国して帝王になった暁には、あんたをソッコー斬首刑にしてやるんだから覚悟しておくことね! せいぜい余生を楽しみなさぁい! なーっはっはっはっは!!」

 ……。
 うん。
 間違ってない。君の言ってることは何もかも正論だよエリア。
 この世界の政治家は馬鹿ばっかだし、上辺だけの関係が全てだし、実力より上の人間に媚びることが出世の近道だし。
 そして曲がりなりにもそれを変えようとしている志は賞賛に値する。

 ただ一つ。
 たった一つだけ。君はミスを犯した。
 その覇道のために、やってはいけない大事なミスを。

「……」

 その心中を、媚を売っとくべき権力者せんせいの前で全部洗いざらい口走ってしまったことだ。

「あ」

 しまった、と思ったが全てが後の祭りで固まるエリアさん。
 墓穴を掘った宿敵を鼻で笑うリファさん。
 そして、そんな二人をなんとも言えない表情で見つめる教授さん。

 空気が死んだ。
 誰も何も言えない。
 聞こえてくるのは、それぞれの息遣いだけ。


 そんな中で、教授は明らかに作り笑いでマイクを手に取り、そっと宣告した。
 簡潔に、冷酷に、そして残酷に。


「全員、単位なし」


このあと教授の不信任決議案が全会一致で可決されたのは言うまでもない。
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