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レベル51.女騎士と女奴隷と日常②

2.女奴隷と学食

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 昼休み。
 それは学生にも社会人にも等しく安息が訪れる時間。堅苦しい作業から解放されて、飢えた腹を満たすことができる至福のひとときである。

「あー、腹減った」
「そういえばもうお昼時ですね」
「そーだな」

 午前授業終了と昼休みを告げるチャイムを構内に響くのと同時。俺達のお腹が一斉に音を立てた。
 ここは私立岩倉大学。八王子の辺境に位置するキャンパスだ。
 異世界人、リファとクローラがここに入学してから三日目。今日は初めてランチタイムを大学内で過ごす日なのだ。

「あ、あの主くん。リファさん。それでしたら――」
「よしそれならどこか食事処を探そう。マスター、どこか良いところはないか?」
「ああ、あるよ。じゃあそこ行こうか。ついてきて」

 俺は手招きしながら、クローラとリファを先導してとある場所へと目的地を定めた。
 それはどこかって? ばっかお前、この状況で行くとこっつったらそんなもの一つしかないだろ。
 学生にとっての憩いの場であり、聖地でもあるあの場所。


 ○


「学食だぁ!」

 つくなり俺は両手で入り口の扉を開け放ち、二人に自慢げにその施設を紹介した。
 一号館の地下にある超巨大な食堂。
 奥行き20メートル以上はありそうな広さであるにもかかわらず、そこを床が見えないほど多くの学生で埋め尽くされていた。

「おおー、こんなところがあったのか!」
「……」

 テンションが上って目を輝かせるリファと、あまりのインパクト少し怖気づくクローラ。そんな彼女達に俺は軽く説明した。

「学生食堂、略して学食。昼休みにはたいていの奴がここを利用すんのさ」
「さすが大学、食堂まであったのだな。いやはや驚いた」

 周りをぐるりと見渡しながら女騎士が感慨深そうに言う。
 どうやらワイヤードでも食堂というのは存在しているらしい。二人は利用経験はあるのだろうか。 

「あるも何も、私は兵士になってからは、食事はずっと兵舎付属の食堂で済ませてたぞ」
「あ、そうなんだ」
「だがここまで規模のでかいのは初めてだ。こいつら全員ここの学生なのだよな?」
「おうよ。この大学には食堂が後もう一つあるんだけど、昼時にはその全部がこんな感じだよ」
「あと三つも? なんと……構内を歩いていた時にはそれほど感じなかったが、いっぺんに同じ場所に集まるとここまでいるのだな」

 惚れ惚れして感想を漏らすのもそこそこに、俺は彼女達の手を引いて注文受付口まで移動。
 カウンターはいくつかの敷居に分かれていて、その上部の壁には色々なメニューの札が貼ってあった。

「ほおほお、ラーメンにうどんに、パスタに……結構あるな」
「まずはここで頼みたいものを決めてね。何がいい?」
「そうだな私は……あ、おにぎりがある。あれにしたい」
「おっけ。クローラは?」
「……」

 俺は彼女の方を向いて訊いたが、本人は何やらまごまごしている。注文に迷ってる……というよりはなにかこの状況におたついてる感じだ。

「どしたクローラ。大丈夫?」
「ふぇ? あ、や、はい……その、私――」

 目を泳がせながら何かモゴモゴ口走っているが、周囲のざわめきによってかき消されてよく聞こえない。そんな間にも後から学生達がどんどん押し寄せてくる。
 いけない、これじゃあもたもたしてるとはぐれちまう。

「悪いクローラ。後ろがつかえてるからさ、ひとまずここは注文しとこ?」
「え? ……ええ。わかりました。では、カレーで」
「よし、じゃあ並ぼう。全員ごはん系だから……」

 ちゃっちゃと集約を終えた俺は、二人を連れてカウンターの一角を訪れる。
 ほどなくして自分達の番が来ると、それぞれ注文を厨房のおばちゃんに伝える。
 そしてトレーを持ちながら待機すること数分。

「はい、おにぎりセット! 次のスタミナ丼……最後にカレーね」
「あざーっす」

 連続でお目当ての品が俺達の前に。
 それをトレーの上に乗せて、レジで会計を済ませる。
 これが済んだら次は席探しだ。
 時間帯だけに、空いてる席を探すのは困難かと思ったが。運良く隅っこの方でグループが席を立ったので、そこを入れ替わりで使わせてもらうことにした。

「ふー、なんとか座れたな」
「それにしてもすごい混雑ぶりだ。押しつぶされるかと思ったぞ」

 リファはレジで配っていたおしぼりで手を拭きながら、疲れ切った顔でそう言った。

「だがここまで人気を博しているのも頷けるな。なんたってメニューが豊富で、その中から自由に選べるのだから」
「あれ、兵舎の食堂って好きなもん食べられないの?」
「当たり前だ。朝昼晩、毎日全員同じものが配給される。騎士たるもの、食に貪欲である訳にはいかないからな」
「ふーん、まるで給食みたいだね」
「きゅうしょく?」

 小首をかしげながら繰り返すリファに、俺は割り箸を割りながら解説した。

「概ねリファの言ってるような配給制の食事みたいなもんだよ。小学校とか中学校はだいたいそれを採用してる」
「しょーがっこう、ちゅーがっこう……。たしかこの世界で小さい子供が通う学校だったか。ということはマスターも経験が?」
「うん。あれもあれで悪くはないんだけど、メニューが選べないってのはやっぱ考えものだな。好きなものが出たときはまだいいけど、嫌いなものが出たら午後のテンションだだ下がりだし」
「ははっ、わかるわかる。さりとて腹が減っては戦は出来ぬから、喰わないわけにもいかないし」

 口に手を当ててクスクスと笑うリファ。住んでた世界が違っても、意外なところで同じ経験ってのはあるもんなんだな。

「……」

 と、そんな笑い合ってる中、会話に入ってこれずに複雑な表情をしている者が約一名。

「あれ、クローラはそういう経験って……」
「い、いえ……。私はこのようなところを使うのは初めてですから、お気になさらず」
「そっか、そうだよね」

 クローラは元王族であり、そしてとある事件をきっかけに奴隷へと堕とされた。
 きっと彼女の見てきた食事風景とは、どっちにしろ極端なものであったに違いない。ご馳走か、残飯か。つまりおよそ大衆的と呼べるようなものを利用したことがないわけだ。

「ごめん、なんか仲間はずれにしちゃったみたいで」
「そんな、謝らないでくださいませ。逆に新鮮で、こういうのも悪くないなって思ってますから」

 彼女は慌てて言うが、まだどこか腑に落ちてない感じ。

「そういえば、さっきなにか言いたそうにしてたけど」
「あ、ああ。えっと、その――」

 またまた取り乱したように目をキョロキョロさせると、無理な作り笑いをしながらこう言い訳した。

「す、すごくお腹空いたなーって。だけどこれだけ混んでたらちゃんとごはんにありつけるのかなー、と不安になってまして」
「そ、そうか。まぁ確かに、今回はラッキーな方だね。実際俺も席探すのめんどくなって、別んとこ行くことは何度もあるし」
「マスター。別の場所というが、学食以外にどこか食料のアテがあるのか?」
「あるもなにも、購買でパン買ったりとかする奴も大勢いるし。あとは家からお弁当持ってきてるのもいるかな」

 ぴくんっ。
 と、クローラのその華奢な体が震えた。一体どうしたんだろう。まだなにか言い足りてないこととがあるのかな。
 不思議に思って尋ねてみようとしたのだが……。

「そ、それより早く食べませんか? クローラ、お腹ぺこぺこです」

 そう切羽つまったようにせかしてくるもんだから、それ以上の追求は中断せざるを得なくなった。
 ま、後で落ち着いてから訊けばいいか。とりあえず今は眼の前の食事に集中しよう。

「「「いただきます」」」

 俺達は三人、それぞれ手を合わせて同時にいつもの欠かさない挨拶をした。
 いよいよ実食。さて、はじめての学食メニューのお味は?

「ん、うまいなこれ! 中身は鮭と、昆布……あ、おかかだ。これ一番好き……」
「すごい、外で食べるカレーって具がないものばかりだったのに。ゴロゴロ入ってます……ん、おいしーれす」

 割と好評な模様。よかったよかった。
 それぞれのごはんに舌鼓を打ちながら、至福のひとときを三人で過ごしたのであった。 


 ○


 次の日。

 今日も午前の授業が終わり、昼休みの時間がやってくる。
 二人もある程度、大学での勉強というのがどういうものか掴めてきた。しかし、やはり肝心の内容に関してはまだ不安があるらしい。あたふたと板書をするので精一杯なようであった。

「お昼だー!」

 そんな苦難を乗り越え、大きく背伸びをしながらリファが嬉しそうに言った。
 そしてノートとレジュメをカバンの中にぶち込むと、ぐいぐいと俺の袖を引っ張ってくる。

「ささ、早くがくしょくに行こうではないか! マスターもさぞ空腹だろう」

 君が一番腹ペコそうだけどね、女騎士様よ。
 俺も自分の荷物をまとめると、学食遠征の旅の準備を整えた。

「よし、クローラ。支度できたか?」
「……」
「? クローラ?」

 他の学生達ががいそいそと席を立つ中、クローラだけがうずくまるように座ったままでいた。
 どうしたんだろう。昨日もそうだったけど、なんか変だぞ。
 俺は彼女の目の前で軽く手を振りながら呼びかける。

「おーい、クローラ? 大丈夫か、どっか具合悪いとこでも――」
「あ、あの主くん」

 こっちのセリフを遮るようにして、クローラはまっすぐ俺の瞳を覗き込んできた。
 その瞳は真剣そのものといったようで、よほど重要な案件のようだ。
 ごくりとつばを飲み込んで、辿々しく彼女は言葉を紡ぐ。

「僭越ながら申し上げますが……今日はがくしょくじゃないところでお昼にしません?」
「? どしたの急に。」
「や、えっと、その……」

 人差し指をつつき合わせながら、クローラはモゴモゴと聞こえにくい声で話す。
 俺とリファは同時に顔を見合わせると、これまた同時に首を傾げる。

「そ、そう。学食って、要するに外食じゃないですか。主くん、外のお店で食べるのはお金がかかるからあんまりしないようにって何度も言ってたし。それだったら、無理にあそこに行かなくてもクローラは――」
「なんだ、そんなこと心配してたの?」
「ほぇ?」

 呆けた声を上げるクローラの頭を俺はポンポンと撫でながら笑いかける。
 確かに彼女の言う通り外食は控えめにするように教えてきた。
 普通に考えれば、毎日の昼食を一般的な料理屋で済ませば、かなり出費はかさむ。日々のバイト代や仕送り金で暮らしてる大学生にはよく考えなければいけないところだ。

 俺は死者処理事務局の出資金がそれに加わるが、二人の金銭感覚が狂わないようにむやみな浪費は絶対にしないし、させないようにしている。
 ということを踏まえて、クローラはこれから始まる昼飯のやりくりに昨日悩んでいたというわけか。まったく、水臭いんだからもう。

 だが、そんな心配は一切無用。俺には秘密兵器があるのさ。

「ひみつへいきだと!? なんなのだそれは!?」
「ふふーん、これよ!」

 ハキハキと訊いてくるリファに、俺はポケットから出したその秘蔵アイテムを印籠のごとく見せつけた。
 それは黄色い長方形の紙で、でかでかと「100円」と書いてあった。

「これぞ、『生協学食チケット』! この大学の食堂で利用できるお食事券だ」
「せーきょう?」

 リファが眉をひそめながら聞き返してきた。

「生協ってのは学生生協っつう、まぁ全国の学生が共同で運営する組合みたいなもんだな。そこに入会していると、こういう券を始め学生生活で様々な恩恵を受けることができるんだ」
「なるほど、ギルドみたいなものか」
「ぎるど?」
「『せいきょう』が学生なら、ギルドは傭兵を対象に集められた組合ですね」

 初めて出てきた単語に戸惑っていると、クローラが補足してきた。

「基本的なシステムは同じで、そこに登録して多くの出資をしていれば、依頼クエストを優先的に回してもらえたり、武器の援助とかもしてもらえたりするんです」
「はぇーそんなんがあるんだ。帝国みたいな統治が厳しいとこだと、結構そういう団体って制限されるもんかとばかり思ってたけど」
「そんなことありません。帝国政府は彼らと提携しているので、大戦の際に帝国軍直属の兵だけでは戦力が心もとなかったり、任務に専門の知識が必要だったりするときは、そこに登録されているメンバーを派遣してもらったりもするんです」

 なるほど、むしろ柔軟に利用していくスタイルか。栄えてる国ってのは違うな。

「それでマスター、このチケットは無料でその『せいきょう』からもらえるのか?」
「ああ。んでもってそれ一枚で100円分として学食で精算に使える。昨日もそれで支払ってた。もちろん組合員は出資金を出さないといけないから、完全にただってわけじゃないけどね。それでも普通に外で食べるよりは遥かに少ない金額でメシにありつけるってわけ」
「食費の援助というわけか。ギルドにはそんなものなかったな……」
「それだけじゃない。食堂の他に、この大学内の購買も生協が運営してるから、組合員はある程度安値で買える。あとは旅行、共済、住まいなんかも通常より安価で提供してくれるんだ」
「家まで!? なんと太っ腹な……マスター、それって私達でも入れるのか?」

 もちろん、と俺は頷く。実は入学式前に届いてた書類に生協への加入申し込み書があったので、そのまま二人をサイレント入会させておいたのだ。

「はいこれ、会員証カード。失くさないようにしてね」
「おおー、騎士だった私がギルドメンバーになるとは……。これはこれで心が踊るな」

 そのプラスチック製のカードをしげしげと眺めながらリファは感慨深そうに言った。

「まぁそんなわけで、お金の心配とかはいらない。むしろ出資金の分積極的に利用しないと損になっちゃうんだよ」
「そう……ですか」

 目を伏せて静かにクローラは答えた。
 安堵したにしてはやけに暗そうだが、まだなにか引っかかるところがあるのかな。

「よかったじゃないかクローラ。これで心置きなくがくしょくが楽しめるぞっ!」

 ウキウキしながら、両手で女奴隷さんのほっぺたをこねくり回して無理やり笑顔にする女騎士さん。
 だが、当の本人は笑顔とは真逆の感情にベクトルが走っているのが丸わかりだった。

「よぉし、それでは出発だ。目指せがくしょくめにゅー全制覇!」

 引きずられるようにしてクローラはリファに連れられていく。そんな二人を、俺は慌てて追うのだった。

 ○

 次の日。

「おっひるだぁー!」

 授業終了のチャイムが鳴るタイミングで、リファが万歳して歓喜の声を上げた。

「昨日食べたまーぼーどーふとやらは美味かったな。今日は何にするか……。とにかく行くぞ皆の者。急がんと席が取れんぞ」
「わーかった、わかったから腕を引っ張るんじゃないって」
「あ、あのっ!」

 ぐいっ。
 と、もう片方の腕がリファとは反対方向に引っ張られた。
 なにかと思って見てみると、クローラが心なしか顔を赤くして俺のシャツの袖を掴んでいた。

「きょ、今日はその、がくしょく……やめにしません?」

 今度は何? もうお金の心配は必要ないって言ったじゃん。まだなにか心配する点があるのかいな?
 もしかして、学食嫌だった? メニューが気に食わないとか?

「そ、そうじゃありません。がくしょくの品揃えは豊富で、どれもすごく美味しかったです。だけど……その……」

 また口ごもって何やらボソボソ言い始めるクローラさん。
 よほどのっぴきならない事情があるのだろうか。

「そ、そうだ! あの、美味しいんですけど、栄養……偏っちゃいません?」
「えーよー?」
「ですです」

 こくこくと首を連続で縦に振りながらクローラは早口で語り始めた。

「主くん。昨日今日で食べたお料理……覚えてます?」
「え? えっと、一昨日がキムチ丼で、昨日がカルボナーラだったかな」
「はい。そしてリファさんはおにぎりとまーぼーなんとか、私は二日ともカレーでした。これ……一食ならまだしも、何度も連続して食べるものではないですよね」
「ん?」
「主くんよく言ってたではないですか。食事は十中八九を旨としてバランス良く摂れ、と」
「一汁三菜?」
「そうそれ」

 ……。

「こほん。と、とにかくですねっ。確かにがくしょくの食事は魅力的ですが、そればっかりに頼ってるのはいけないと思うのです。一食ごとだけでなく、三食ごとのバランスも調整しないと」

 こくこくこくっ。と首肯を繰り返して、彼女は俺の目を真っ直ぐ見据えてきた。

「奴隷だったから粗末なものばかり口にできなくて、その都度体調を崩したり病気になった私が言うのもなんですけど。でもこの世界では、ちゃんとしたものが食べられる。でしたらなおさらしっかりしないといけないと思うんです私っ!」
「そっか……そうだよな。確かにバランスは大事って言っておきながらこれじゃダメだよね」
「はい、ですから――」
「よし、じゃあ今日はあっちの・・・・食堂に行くぞ!」
「クローラ朝早くに――え? あっち?」


 ○


「ここだぁ!」

 扉を開け放って入ってきたのは、一号館から少し離れた校舎、通称「二号館」の一階にある場所。
 そこにも昨日までと同じ、昼食を求めて群がる学生達でごった返す光景があった。

「こ、ここは?」  
「岩倉大学第二学生食堂、略して二食」

 俺は困惑しているクローラに簡単に説明した。

「あの、バランスの話は……」
「まぁ聞けって。ここはあっちの食堂とは少々システムが違う。あれ見てみ」

 と言って、料理の受付口の方を指差す。
 クローラとリファは怪訝そうにその指の延長線上に視線を走らせると、その目が大きく見開かれた。

「あれは……色んな料理が並んでる」
「それを皆さんが選んで取っていって……最後に会計……」
「そーゆうこと。いわゆるビュッフェスタイルってやつだ」

 焼き魚、豚の生姜焼き、肉じゃがなどの主催。
 胡麻和えやおひたしなどの副菜。
 そして御飯と味噌汁などの主食や汁物など。
 全てが一品ずつ分けられており、自由な取り合わせでオリジナル献立にすることが可能なのだ。

「えっと、つまり?」
「一汁三菜が簡単にここでもできるってハナシ。ほら並んだ並んだ」
「わっ、ちょっ!?」

 異世界コンビの背中を押して、俺達は行列の最後尾に並んだ。

 そして十分後。
 テーブルについた俺達のトレーには完璧な一汁三菜の食事が揃っていた。
 俺はごはんと豚汁。ハンバーグにレタスサラダときゅうりの浅漬け。
 リファとクローラは、ごはんと味噌汁、サバの味噌煮とメカブにひじき。

「な? ちゃんと揃っただろ?」
「……」
「すごいな。こんな感じの食堂もあるのか」

 敬服するように言うリファの隣で、クローラはまじまじとそれらを無言で見つめていた。
 どうやら外食=栄養が偏るみたいなイメージが定着しつつあったのか、未だ目の前の完璧なバランス料理があることが信じられない模様。

「学食ってさ、よその食事処と違って、儲けを出すことを追求してるわけじゃないんだ」
「……と、言いますと?」
「学生一人ひとりがきちんとした生活を送れるようにサポートしてくれるってこと」  

 俺はおしぼりで手を拭きながら、壁に貼ってあるポスターを顎で示した。
 そこには「健康な食生活ガイド」とか「今の旬の野菜はこれだ」とか「生活習慣病予防のために」とかいうアドバイスがずらりと書かれている。

「普通の飲食店じゃ集客のために『安くて美味い』料理を作ろうとする。けど、それじゃお前の言う通り栄養は偏る。けど学食は学校の施設であって店じゃない。だから収入よりも、学生の健康のために何ができるかを本気で考えられるんだよ」

 学生の一人暮らしは本当に大変だ。自炊するだけでも難易度が高いのに、その上栄養管理なんて相当余裕がないと無理な話である。
 だからこそ学食を始め、生協などの大学のサービスを積極的に利用していくことは一人暮らしを円滑に進める上では欠かせないのである。

「実際、昼だけでなく朝とか夕飯もここで済ます奴もいるくらいだしな」
「そうなのか!?」
「うん、ってかぶっちゃけ俺も一時期そうだった」
「はぁー……なんというか大学冥利に尽きるというか……ただの学び舎ではないとつくづく思い知らされるな」
「そういうこった。さ、はやいとこ喰っちまおうぜ」
「……」

 クローラはそれでもまだ納得がいってないような面持ちだったが、ひとまず考えるのは食べてからにしよう。
 俺達は三人で手を合わせ、一礼しながらいつもの挨拶を唱える。


「「「いっただきまー――」」」


 す。
 まで言おうとしたところで、とんでもないことが起きた。

 俺の特性オリジナルランチセットが、目の前から消えたのだ。
 一瞬目を疑ったが、トリックはすぐに解けた。
 素早いスピードで、横にずれたのだ。誰も座ってない、俺の隣の席に。まるでテーブルが傾いたかのような自然な移動であった。

 そして。

 でぇん!!

 と、虚無だけが広がっていた俺の目前に、とてつもなく大きな箱が置かれた。
 再び一瞬目を疑ったが、それも何かがすぐに理解した。
 重箱だ。おせち料理とかによく使うアレ。三段重ねで、高級そうな模様が蓋と側面に描かれている。
 一体誰がこんなものを……。


「こんな取り合わせで栄養バランスとか、へそが茶を沸かすってこのことですね」


 冷たく、棘のある声が頭上から降ってきた。
 それを聞いた途端、俺の体は凍りついたように固まってしまった。
 この声、まさか……。
 恐る恐る顔を上げて、その俺のランチセットを取り上げて重箱を置いてきた犯人の顔を拝む。
 やはりというかなんというか、そいつだった。
 ミディアムボブに、黒縁の眼鏡をかけ。地味なねずみ色のパーカーにこれまた地味なタイトスカートを着用している女の子。

「こんにちは、クソ先輩」

 八越未來であった。

 この大学に秋入学してきた一年生、つまり俺の後輩。
 そしてアパートの新住居人でもあり、そして同じバイト先の新メンバーでもある人物。

「ど、どうしてここに……?」
「言ったでしょう。私が先輩を『教育』するって」

 教育。
 彼女は俺のことをどういうわけか「穢れてる」と思っている。
 まぁ女子が俺みたいなカッペ野郎を毛嫌いすんのは不思議ではない。しかし未來の場合はそれだけにとどまらず、そんな俺を教育と称して清廉潔白な人間に矯正しようとしてる……らしい。
 耳を疑うような話だが本当である。余計なお世話というか、おせっかいがすぎるというか。

「豚汁に、ハンバーグのソース。浅漬、おまけにサラダにはそんなにマヨネーズかけて。これだけで塩分過多。一日の摂取量の四分の三は軽くオーバーしてますよ」

 俺の食事をまるでゴミでも見るような目つきで睨みながら彼女はぼやく。

「大体きゅうりなんてなんの栄養もないし、レタスだってビタミンCくらいですよ摂れるの。よくそれで健康について語れますね」
「う」
「まったく、昨日今日と監視して呆れました。食生活まで穢れてるなんて、ホントクソですね先輩は」

 ぐさぁー。と言葉のナイフが容赦なく俺の胸を刺す。
 それを見咎めたリファが立ち上がると未來に抗議した。

「め、眼鏡殿! いきなり現れて何だその言い草は。よりにもよって食事の席で――」
「あ゛?」
「すいませんなんでもないですうちのマスターはクソですハイ」

 この野郎。
 元騎士ともあろうものが何ガン付けられて引き下がっとんねん。

「とにかく、このクソみたいなランチは私が没収します」
「え、ちょっと待ってよ、じゃあ俺のメシは?」
「だからそれを作ってきたんですよ」

 空いていた俺の隣の席にナチュラルに腰を下ろすと、俺が持っていた箸を奪い取って汁をすすり、肉を貪り始めた。
 あーあ、まだ一口も喰ってないのに。
 俺は肩を落とし、代りにと押し付けられたその重箱を蓋を開けて中を見てみると……。
 その落胆は驚愕へと瞬時に変化した。

「うわぁ」

 一段目はごま塩の振られた日の丸弁当。
 二段目は揚げたてみたいに香ばしい匂いを放つエビフライ三匹に、ホカホカの肉じゃが、そしてアスパラのベーコン巻き。
 三段目にはかぼちゃの煮つけ、レバーとブロッコリーのソテー、きんぴらごぼう。卵焼き。デザートにりんご。

 まるで冠婚葬祭で出るような豪華すぎる弁当であった。

「未來……これ……」
「私が作りました。どうぞ遠慮せずに食べてください」

 サラダのマヨネーズを除けながら、なんでもないことのように彼女は言う。
 作ったってお前……見る限り冷凍食品一個も使ってないし、こんな手間のかかるようなものをわざわざ? 

「先輩には早く清潔な人間に戻っていただきたいので。これくらいは普通です」
「普通って……」
「普通です。むしろそれを普通と思えない時点で穢れてます。脳まで悪玉コレステロールに侵食されちゃってるんでしょうね、気持ち悪い」

 開いた口が塞がらない。
 どう返答すればいいのか分からず、ただまじまじとその未來お手製プレミアム弁当と対面するしかなかった。
 そんな時、俺よりも先に率直な感想を口にした者がいた。


「すごい! すごいよ未來ちゃん!」


 クローラだった。
 これまでのどんよりとした雰囲気から一転。台風一過のような晴れた笑顔でテーブルから身を乗り出して、その弁当を覗き込んでいた。
 未來を含む、その場にいた誰もが手を止めて目を点にした。

「こんなすごいの、生まれて初めて見た……。こんなご馳走が作れる人がいたなんて。色彩豊かで、いい匂いもするし、なんていうか、食べる前から絶品ってわかるくらいすごいよ!」
「……そう」

 思いもよらない人物から絶賛された未來は、片眉をひくつかせながら軽く返す。
 クローラはそれだけでは褒めたりないというふうに目を輝かせて続けた。

「見た目もすごいけど、野菜とかお肉とかもしっかり入ってるし、これってやっぱり栄養とかも考えて作ってあるんだよね?」
「……Hot Dogで先輩は料理を濃い味にするくせがあり、私生活では高血圧が懸念されるので、おかずは極限まで減塩。エビフライは先輩の好物ですが、揚げずに焼いて作ることで低脂肪を徹底。肉じゃがは低カロリー高タンパクの鶏むね肉を使用。ビタミンは口内炎に頻繁になるとのことで、レバーなどB2が豊富なものを取り入れてます」

 なんで知ってんだよ。
 俺は思わず、数日前からズキズキと痛むほっぺたを軽く押さえた。

「そっかぁ、健康のために……しかも主くんの習慣や体調に合ったレシピにしてるんだね。そんなところまで考えてるなんてすごいなぁ」
「普段から先輩がちゃんと自分で管理してれば、私がこんなことする必要もないんですけど。わかってるんですか?」
「……面目ない」

 二人の異世界人を養う身でありながらこの体たらく。悔しいが落ち度は俺にしかない。

「確かに学食は栄養面で色々サポートしてくれる作りにはなってますよ。だけど、それは利用する本人の意識がしっかりしてないと無意味。自分の身体のことは自分にしかわからないんですから」
「う」
「どの栄養が足りないか、何を控えなければならないか。そういうことを判断した上で取捨選択するのは当然です。それを赤の他人に分析されてるという事実を少しは恥じてください、ク ソ 先 輩」
「はい……」

 脱帽。一分一厘返す余地もございません。
 ただただ平身低頭するしかない俺である。

「いいなぁ未來ちゃん。こんなにも料理うまくて」

 するとため息をこぼすようにクローラが言った。

「私もこれだけのものが作れてたら、もっと自信持てたのにな。羨ましいよ」
「……」

 ん?
 今……なんて言った? 
 よくわかんないけど、なんか引っかかるな。
 眉をひそめていると、向かいに座っていたリファが軽く足を蹴ってきた。どうやら彼女もなにか疑問に感じているらしい。
 アイコンタクトを交わし、お互いにその言葉が指す意味を無言探った結果、ある真実にたどり着いた。

 もしかして……俺達、すげぇ勘違いしてた?


 ○


 その後。
 食堂前の廊下にて。

「お弁当ありがとう。美味しかったよ」

 重箱を綺麗な織物に包んで返すと、彼女は相変わらずツンケンした態度でそれをひったくった。

「感謝の気持ちがあるんなら、今後はきちんとしてくださいね」
「はいはい、わかってるよ」
「いいえ、わかってません。わかるまでは私が毎日作りますので。くれぐれも勝手な行動は謹んでくださいよ」
「え? もしかして明日も?」
「なにか?」

 唖然とする俺とは対照的に、平然と答える未來さん。
 毎日って……いや、あんなもんが毎日食べられたらそりゃ願ってもないことだけどさ。ちょっと無理しすぎじゃない?

「言ったでしょう。これは先輩への教育であり、それをするのは私の使命。先輩は私がいなきゃ穢れきったダメ人間のままなんですから。四の五の言わずあなたは私の作った料理を食べてればいいんです。本当であればそれ以外を口にすることは許されないんですから」
「許されないんだ」
「許されないです」

 ぬかしおる。

「では、また明日。クソ先輩」

 恭しく一礼すると、彼女はツカツカと足早に去っていった。
 まったく、いい奴なんだか嫌味な奴なんだかわかんないぜホントに。

 そんなこんなでいろいろゴタゴタはあったものの、今日もランチタイムは無事終了した。


 ○

 またまたその後。
 二号館前。

「マスター、午後の予定は?」
「ああ、三限はこの日本環境史論ってのを受けてみるか。結構先生がひょうきんな人で面白いと評判だってさ」
「あいわかった。だがまだ結構時間が余ってるな……」

 そう言いつつ、リファはわざとらしくぐるぐると肩を回してみせた。
 俺も時間割表をしまい、少し伸びをする。そしてなるべく自然な流れを装って彼女に問う。

「なぁリファ。今日の昼飯どうだった?」
「む。そーだな。美味ではあったが……ちと量が少なすぎたみたいだ」
「奇遇だね。俺もちょいと物足りないなって思ってたんだよ。まだもう少し入るかな」
「左様か。だがもう一度食堂に入るのはさすがにアレだな」
「うーん、コンビニでなんか買ってきてもいいけど。こんなことになるなら、家からなんか持ってくればよかったな」
「ああ、まったくだ」

 そこで、俺とリファは同時に背後のクローラを振り返った。
 彼女はびくんと身体を震わせて、挙動不審に俺達を交互に見た。

「? な、なんですか」
「ごめんなクローラ。今まで気づけてやれなくて」
「な、なんのことでしょう」
「弁当……作ってきてたんでしょ?」
「っ!?」

 息を呑み、クローラは一歩後ずさった。
 図星か。なるほどそういうことだったか。さっきの言葉の意味がようやくわかった。

 ――これだけのものが作れてたら。

 要するに、自分でも弁当を作った経験があるってことだろう。そして昨日から学食での食事を避けようとしてきた理由。ここまでくればわかったも同然だ。

 しばらく黙っていたが、クローラは観念したようにバッグからある物を取り出した。
 やや大きめの巾着。中に入っているのは弁当箱だろう。

「ずっと、私達に食べてほしかったんだな」
「……」

 こくん、と彼女は無言で頷いた。
 しくじったなぁ。なんでもっと早く気づいてやれなかったんだ。
 一昨日も昨日も、せっかく作ってくれたものをみすみす食べずに無駄にさせてしまったなんて。
 意図せずしてつらい思いをさせてしまったことに、俺もリファもは深い後悔の念を抱いた。

「いいんです。ちゃんと正直に言わなかった私が悪いですから」
「クローラ……」
「本当はどこかで不安があったと思うんです。もしまずいとか言われたらどうしよう、食べたくないとか言われたら本当に申し訳ないなって。そうなるのが怖かった自分がいたんですよ。今日の未來ちゃんの料理を見て実感しました」

 悲しげな笑顔を浮かべて女奴隷は心の内を語った。

「でも。やっぱり嘘はだめですよね。ワイヤードの掟。自分の意思を貫け。偽ったっていいことなんか一つもありませんもの」
「……」
「確かにがくしょくはすごいです。おいしいものがいっぱいあるし、お手軽だし、栄養価も高いし。いいことづくめです。でも……でもね」

 ぎゅ。
 と、巾着を握りしめながらクローラは今まで言えなかった本当の気持ちを言葉にした。

「やっぱり、私にとってはリファさんや主くんの作る料理が一番だし私も二人に自分の手料理を振る舞えたらと思ってて……それが一番幸せで……だから、だから――」

 そこまで言いかけたところで、リファがクローラを強く、それでいて優しく抱きしめた。

「ありがとう、クローラ。その気持ちだけでも十分嬉しいぞ」
「リファさん……」

 女奴隷の瞳がうるんだ。それを見て、俺も胸の奥がなんとなく温かいもので濡らされていくのを感じた。
 味の質、健康、金額。食事を選ぶ際には色々考えなければならないことがある。
 でも、俺達はそれよりももっと大事なことがあるのを忘れていたらしい。

 大切な人が、真心込めて作ってくれたものが、何よりのごちそうであるということを。

 たとえ今は下手くそでも、それでも俺達のためを思って作ってくれたことに対して、きちんと感謝しなくちゃいけない。
 俺はクローラの頭をそっと撫でて微笑みかける。


「ありがとな、クローラ」
「……はい」

 目の端に溜まった涙を拭い、彼女は可愛らしくはにかんだ。

「よし、そうと決まれば早速食べようか」
「え? 今からですか? でもさっき食べたばかりじゃ……」
「だから言ったろ。俺もリファもあれだけじゃ足んないんだよ。だから、頼むよ」
「ああ。どんな料理を作ったのか楽しみだ。早く見せてくれ」
「主くん、リファさん……」

 そこでようやく満面の笑みを見せてくれたクローラは、元気よく頷いた。

「はい。わかりましたっ」

 クローラは巾着からやや小さめの弁当箱を二つ取り出すと、俺達に手渡してくれた。
 適当なベンチに腰掛け、三人仲良く座る。

「ではでは、改めまして――」
「いただきます、ですね」
「ああ」

 学食を利用して彼女達がその便利さに気づく傍ら、俺も大切なことを思い出すことができた。
 暖かくて、嬉しくて、幸せな気持ちになれる手作り料理のありがたさを。
 これからもずっと、それを忘れないようにしていこう。
 だって俺達は……恋人同士なんだから。


 そう深く心に言い聞かせながら、俺とリファはその弁当箱の蓋を……開けた。
 そこには――――ッ!!








 ・ゴキブリ炊き込みごはん。
 ・ゴキ入りだし巻き卵。
 ・ほうれん草のゴキ和え。
 ・ゴキブリのベーコン巻き
 ・サーモンムニエル~ゴキ羽添え~
 ・ゴキブリ


「いーっぱい食べてさいねっ♡」
「「……」」


 昼休み。それは学生にも社会人にも等しく安息が訪れる時間。堅苦しい作業から解放されて、飢えた腹を満たすことができる至福のひとときである。

 繰り返す。
 至福のひとときである。
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