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レベル51.女騎士と女奴隷と日常②
16.女騎士と女奴隷と学祭④
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「さぁー! 行くわよ我が婿!」
腕が千切れるかと思うほどに強い力で引っ張りながら、エリアはどんどん先へ先へと進んでいく。
こっちの引き止める声などまるで耳に届いてやしない。覚悟してはいたが、予想以上のはしゃぎっぷりだ。
「なぁ、このあと別の奴と回る用事があったんだけど!」
「どーせあいつとでしょ!? 知ってるわよ」
知ってるって……その上での行動ってことかよ? 何考えてんだこいつ。
渚はいいとして、未來にこんなことしてるって知られたら、俺はもちろんお前だってただじゃ済まないぞ。
「大丈夫よ。先約はあたしだったんだから、文句言われる筋合いないわ」
「そういう問題じゃないだろ……」
「いいっていってるでしょ! このあたしを誰と思ってるの、ワイヤード帝国の王、エイリアス・プロキシ・スプーフィング様よ! ……おっと。ねぇ我が婿、あたしあれ食べたい」
と説得力皆無な名乗りで軽く流し、彼女は近くの屋台の一つを指さした。
傍に立てられた傍にはでっかく「オリジナルクレープ」と書かれている。結構行列ができていて、人気であることが伺えた。
「ほら、もたもたしてると売り切れるわよ。さっさと並びなさいっての」
「え!? あ、ちょっと!」
無理矢理背中を押されるようにして、俺はその列の最後尾に並んだ。エリアは鼻息を荒くしながら、看板のメニュー表を見て何を頼むか迷っている。
帝王でも律儀には並ぶんだな。てっきり自分の立場を利用して割り込みとかするんじゃないかと思って内心ヒヤヒヤしてたんだけど。
「バカね、あたしだってそこまで傍若無人な真似しないわよ。今は言わばお忍びの身なんだから、一般庶民の常識に沿って行動しないと」
普段は傍若無人じゃないみたいな言い草だなオイ。
こんなおおっぴらに存在感放っておいて何がお忍びっての。忍ぶんなら、その傲慢さも鳴りを潜めておいて欲しいもんですがね。
「それに、こうしてじっくり待つのも楽しみの一つだわ。そうすれば食べるときの美味しさも格別になるというものよ」
「そういうもんか?」
「そういうものなの。あ、あたしはいちごバナナクリームのアイス乗せね」
で、おとなしく待つこと十分後。
エリアは校舎の支柱に寄りかかってさっきのクレープにかぶりついていた。
「ん、なかなかの出来ね。いい仕事してるじゃない」
「何だその上から目線の感想……」
「そりゃ実際に上にいる立場だもの」
口元についたクリームを舐め取りながら彼女はそう言う。
上の立場ねぇ……正直こんな世俗的な行事、帝王様にはそもそも興味ないものかと思っていましたけど。
と、ちょっと煽り気味に言ってやると、予想に反して彼女は苦笑しながら答えた。
「ま、本当は興味ないはずだったんだけどね……」
「はずだった? どういう意味だよ」
「気が変わったってことよ。城下町の視察みたいなものと思えばそれほど苦痛でもないわ。それに、あんたとの約束でもあるし」
約束。
つまりは漫画研究に熱心に励んで、成功まで持っていったことへの褒美。だがサークル部員でもないのに、人一倍頑張ってたのはエリアだ。だから褒美なら、第二文研が彼女に贈呈する方が筋って気がしなくもないけど。
「何言ってんのよ、あたしはあんた達に協力するためにやったわけじゃない。純粋にあれをやりたいっていう自分の意志に従ったまで。見返りなんて求めてないし、いらない」
「あっそ……」
いかにもプライドが高い御方らしい反応だ。
だが、こっちにも通す義理ってもんはある。そう思った俺は小さく咳払いをして言った。
「ありがとな」
「ふぇ?」
変な声を上げて、エリアは口内にあったクレープを全部一気に呑み込んでしまった。気管に入ったのか、軽くむせてしまう。
「ぐぅえほ! えほ! な、なんなのよいきなり……」
「いや、だから……学祭の準備。まだちゃんとお礼言ってなかったから。お前はやりたいことやっただけって言うけど、こっちが助かったことは事実だし」
「……」
そんな俺をしばらく呆然と見ていたエリアだったが、やがてもそもそとうつむき気味に残りのクレープを貪り始めた。照れ隠し……のつもりだろうか、若干顔が赤くなってる気がする。王という立場上、あまり褒められ慣れてないんだろうか。
「か、感謝の気持ちがあるなら」
「え?」
俺が聞き返すと、彼女はいきなり俺の前に人差し指を突きつけてきた。
そして赤くしたままの顔で、どこかまだ照れくさそうな口調で言う。
「感謝の気持ちがあるなら、真剣にデートくらい付き合いなさいよ」
「……」
そうくるか。
手伝ってもらった礼として、彼女からの褒美を真摯に受け止めろよ、と。
どっちが与える側でどっちが享受する側なんだかわかんないや。まぁでも、こうなったらなおさら拒むわけにもいかなくなった。
「わかりました。それではしばしの間付き人としてお供させていただきます」
「ん。よろしい」
恭しくお辞儀をしてみせると、彼女は満足そうに腕を組んで頷いた。
「あぁそれと、あいつなら本当に心配いらないから。もうこっちから話つけておいたし」
「未來と? 何も言われなかったの?」
「もちろんゴネてきたわよ。ま、すぐ返すからって言って無理矢理納得させたけどね」
うんそれ絶対納得してないよね。一方的に会話打ち切っただけだよね? 言っとくけど後になって身の安全が保証されなきゃ全く意味ないからね?
「とにかくこれで気にすることはなにもないわ。さ、早くエスコートしてちょうだいな」
クレープをすべて食べ終えると、彼女はまた俺の腕に絡みついてぐいぐい引っ張ってきた。
気にすることしかないんだけどなぁとぼやきつつも、逆らう術を持たない俺はそのまま連行されていくのだった。
○
一軒目:ハンドメイド部
「すごーいきれーい!」
そこには宝石みたいなアクセサリーが、鮮やかな煌めきを放ちながら展示されていた。エリアはその輝きに負けないくらい目をキラキラさせてその装飾品達に魅入っている。
ネックレス、ブレスレット、リング……非常に細部まで凝ったものが目白押し。学生の手作りとは言え、これは非常に質が高い。
「いらっしゃいませー。こちら当店自慢の品々になっておりますのでどーぞお手にとってお確かめください。もちろん試着もOKですので、ぜひぜひ~。あ、そちらの商品大変おすすめとなっておりましてですね、材質が~」
魅力的な品々に大興奮のエリアに、部員さんと思しき女性がここぞとばかりにすり寄っていく。そのフットワークの軽さとトークスキルはプロ顔負けと言ってもいいくらい。学生のイベントとは言え、これは非常に質が高い。
「ちょっと我が婿~。どうよこれ、似合う!?」
ごきげんな令嬢様は、部員に勧められるアクセを手当たり次第付けては俺に見せてきた。
確かにどれも印象的で綺麗だが、エリアについては正直衣装や髪の色などのインパクトには負けてしまっていると思う。もちろん口に出しては言えないけど。
「ああ、すごく似合ってるよ」
「でっしょ~!? あ、こっちもいいかも。あとこれも合わせてみれば……」
おざなりな褒め言葉でも真に受けるくらい、すっかり夢中になってるようだな。
俺は肩を竦めて、他の品を流し見しているとふと思い立った。
そうだ……リファとクローラにプレゼント用に買っていこう。二人ってこういうの付けた経験ないからちょうどいい。本当は一緒に見定めたほうが良いんだろうけど……ま、今回はサプライズってことで。
彼女達のそれらを付けた姿を頭の中でシュミレートしながら、俺は真剣にそれらを見繕う。
指輪は指のサイズとか合わないと駄目だし、ピアスは穴開けないとだから無理だよな……とするとネックレスあたりが無難かな~。
「誰かへのプレゼントですかぁ~?」
「随分真剣になってますねぇ~」
と、迷っていたら背後から茶化すような声が。しかも二人分も。
どうやら俺にも別の部員が出動してきたらしい。服屋とかでもそうだけど、本当こういうの面倒くさいなぁ。
「えぇまぁ、ちょっとお土産にと思って――」
俺は苦笑しながら後ろを振り返って言う。
いや、言いかけた。つまり最後まで言葉は紡げなかった。
それもそのはず、なんたって今声をかけてきた二人組は……。
「やっほーい、お兄さん★」
「お久しぶりですね~」
でーたーよ毎度おなじみ逆ナンコンビ!
片方はツインテの陽キャ、もう片方は黒髪ストレートの清楚系。
最初は海で、次は夏祭りで、その次は入学式で! いきなり現れては言葉巧みに誘惑してくるやべーやつら。同じ大学だからエンカウント率は高いってことは重々承知してたつもりだったけど、こんなところで出くわすとは……。
苦笑した顔のまま、俺はなんとかパクパクと口を動かして喋る。
「な、なんでここに君らが……」
「なんでも何も、ウチらハンドメイド部だもん」
「それを知ってて来てくれたんじゃないんですか?」
逆だよ、知ってたら来ないよ。半径100メートル以内に入ろうとも思わないよ。ちっくしょう、魔物の巣窟とは知らずにホイホイ俺は入ってきちゃったってわけか。迂闊すぎた。
そんな俺の心の後悔など知る由もなく、逆ナン組は俺が持っていた商品二つを覗き込むといきなりテンションを上げた。
「あ。そのブレスレッド、ウチが作ったやつだ! やだもうー、一発で当てちゃうなんて運命感じちゃうなー」
「そっちのネックレスは私の特製品なんですよ。お気に召しました? あ、お気に召すから選んでくれたんですよねーー?」
うーわやべぇぞこいつらの宣伝トーク。自分自身を商品に絡めてくるとか、エリアの相手してる部員とは別なベクトルで狡猾すぎる。
駄目だ、こいつらに会話の主導権渡したらもう逃げられない。もうちょいじっくり選びたかったけど、背に腹は代えられない。
「そ、そうなんだ。じゃあせっかくだし、この二ついただけますかね?」
「はいまいどありぃ。二つで2500円でーす」
ツインテは満面の笑みで俺の差し出した五千円を預かると、会計場に持っていく。
「お兄さん、ラッピングとかはします? 誰かへのプレゼントなら」
「え? ああじゃそれもお願いします」
「承知しました。で、誰に向けてなんですか?」
包装紙を取り出しながら清楚系の目が怪しく光った。
しまった、付け入る隙を与えてしまった。だが後悔したときにはもう遅い、それを聞いたツインテも悪乗りして問い詰めてくる。
「そーだよ、ウチらまだ聞いてない! 誰なのお相手?」
「い、いやそういうのは……あの、秘密っていうか」
「もう、ちゃんと白状しないとこれ、渡してあげませんよ?」
そりゃないだろこっちもう金払ってんのに! 犯罪やぞそれ!
「まさか……彼女?」
「そういえばお兄さん、入学式の時付き合ってる人がいるって……」
「いややっぱそれはないよー。どう考えても彼女いるようには見えないし」
「ですよねー、お兄さんみたいなのと付き合えそうな人って私達ぐらいしかいないと思いますし」
「つまりこれを買おうとしているのは、『買ってあげるから惨めな僕とデートしてください』って意味?」
「なるほど、それなら納得です」
「しょうがないなぁ~。彼女いなくて可哀相なお兄さんがそこまで言うなら、一肌脱いであげますかー」
侮辱と傲慢と情けの三連コンボ。
過去最高クラスの攻撃。こちらの言い分を無視するどころか、言う前に勝手に決めつけてくるとか……凶悪さに磨きがかかってやがる。
「ではお兄さん。早速行きましょうか」
「いや、ちょっと待て。何を勝手に――」
「こらこら、嬉しいからって焦っちゃ駄目だぞ。モテる男は落ち着きが肝心なんだから」
ああああああまたこのパターンかよォォォォォ!!
何を言おうとポジティブ思考全開の彼女達には都合のいいように変換されてしまう。もうこうなったら自力で脱出は不可能。
今まではここでリファ達の救いの手が必ず入ったけど、今はそれも期待できない。今度こそ万事休すか!?
と半ば絶望しかけたその時。
「確かにこいつに彼女なんかいないわ」
ぐいっ、と誰かに首根っこをひっ掴まれ、俺は逆ナン組の拘束から逃れた。
四度目の救済。今度は誰だよ、と思ったが該当者なんて最初から一人しかいやしない。まぁ助けてくれそうには思えないような奴ではあったけど。
「エリア……」
その銀髪で紅い瞳を持った令嬢様は、不敵な笑みを浮かべながら俺を自分の元へ手繰り寄せた。
今まで邪魔してきたのとは一癖も二癖もような人物の介入に、逆ナン組はポカンとして呆けてしまう。
「え……まさか」
「その人が……彼女さん?」
ちゃうちゃうちゃうちゃう。ちゃうねんて。そりゃ一緒に来てたから、そう疑っちゃうかもだけどちゃうねん。
俺は高速で首を横に振るが、弁解は彼女に先を越された。
「いいえ、彼女じゃないわ」
「え? じゃあなんなんですか」
その質問を待っていたというふうにエリアは白い歯をむき出しにして笑う。
「妃よ」
逆ナンコンビ、今度こそ言葉を失うの巻。
当然俺も失うの巻。
○
逃げるようにしてハンドメイド部から脱出した俺達。
まったく、生きた心地がしなかったぜ。あー、これもうSNSとかで拡散されてんだろうなー。そりゃこんな奇抜な格好した奴と付き合ってるどころか結婚してるなんて、モノ笑いのネタとしては申し分ないもんな。鬱だ。
だがそんな状態の俺とは対照的に、エリアは心から満足そうな顔で軽くスキップを踏んでいた。いい気なもんだまったく。
……まぁでも、リファとクローラにプレゼントを用意できただけでもよしとするか。
「さぁ、我が婿。次はどこに連れて行ってくれるのかしら」
「どこって……お前が勝手に行きたいとこフラフラと入っていってたんだろーが」
「そうだったかしら? まぁいいわ。じゃあ今度はあんたが行きたい場所に付き合ったげる。退屈な場所だったら承知しないんだからね」
俺が行きたい場所でいいけど、ちゃんとあたしが楽しめる場所にしろよ。
前半部分を後半部分で見事に打ち消しやがった。結局お前に忖度しろってことやろがい。
こいつの行きたそうな場所……何があるかなぁ……。
としばらく考えに考え、思い当たったアテが一つ。
「わかった、じゃあついてきて」
そう言って今度はこっちが彼女を先導し、雑踏の中を掻き分けていった。
向かう先は……あそこだ。
数分後。
「はいここ」
たどり着いた先。
そこの入り口に書かれている施設名を、エリアが小さく読み上げる。
「漫画・小説創作研究会……」
「そ、お前漫画好きだから。こういうとこ興味あるんじゃないかと思ってさ」
あれだけ第二文研の研究には熱心に励んでたんだ。きっとさぞお喜びになるに違いない……。
と、思いきや。
「……」
エリアは「面白そう!」とはしゃぐこともなければ、「なんでこんなとこ連れてきたのよ!」と罵倒してくることもしなかった。
ただ、一歩俺の後ろで、じっと立っているだけ。
その表情は、喜怒哀楽どれにも属さない……完全な無表情。
何を感じているか、何を考えているか、まったくわからない。いつも心の内が、そのまま言葉と顔に出ている彼女とはまるで違う。
「ど、どうした?」
「……ううん、なんでもない」
目を閉じて彼女は言うが、なんでもないわけがないだろうそのリアクション。疑ってくださいって言ってるようなもんだ。
「あ、もし嫌だったら別の場所に――」
「そんなことないわ。ちょうど寄ってみたかったのよ、ここ。さ、入りましょ」
彼女はそう言って平静を装うと、スタスタと中へと入っていった。その後ろ姿は、俺にはどことなく哀愁を含んでいるように見えて仕方がなかった。
内部に入ると、壁やパーテーションにかけられた凄まじいアートの数々が俺達を出迎えた。
商業でも余裕で通用するレベルのものや、イラストの才能のない俺でも描けそうなレベルのものまで沢山。設置された机には、おそらく部員が製作したものと思われる同人誌がいくつも置いてあった。
「いらっしゃいませ。どうぞゆっくり見てってください」
「ああ、はいどうも」
端っこの方で受付をやっていた男性部員が挨拶してきたので俺は軽く会釈を返す。
エリアの方はというと、こっちには目もくれずに絵や同人誌を食い入るように見つめていた。目を絶えず動かし、ページを一秒もかからずにひたすらめくっていく。
それこそ、「夢中」と呼ぶに相応しいほどに。
「どうですかそれ、僕が去年の夏コミに出したやつで一生懸命頑張って描いたんです」
その姿が部員の目を引いたのか、彼は彼女が本を読み終えたタイミングでさり気なく尋ねた。
彼女は来たときのような無表情のままだったが、やがて目を閉じると感慨深そうに答える。
「とても良い作品だったわ。画力も脚本も、非の打ち所がないくらい」
「あ、ありがとうございます!」
その言葉に、部員は感激したように腰を九十度折って礼を言った。
エリアは同人誌を閉じると、表紙をそっと白い手で撫でた。
「なにより、この作品に対する強い熱意が感じられたわ。こんな薄い頁数しかないものでも、全力で取り組んでいるんだなって……私でもわかるくらいに」
「そりゃあもちろん、好きだからですよ」
照れくさそうにしていた部員が、やけにはっきりとした口調になってそう言った。
「このサークル、色んな人が所属してますけど……技術に関してはピンキリです。見ての通り、初心者どころか素人丸出しの奴もいれば……もうプロとして活躍してる人もいます。だけど……共通して言えるのは『自分の好きな作品を創りたい』という意思なんです」
「意思……」
「はい。人って、常日頃から『こうであったらいいな』って妄想する生き物だと思うんです。例えば宝くじで大金が欲しいとか、最強の力を手に入れて無双したいとか。でも大半の人はそんな妄想を妄想だって割り切るんですよね。だってそんなの実現不可能だから、って」
「……」
「でも、極稀に……諦めの悪いのがいるんですよ。どんな形でもいいから、その妄想を現実にしてみせようっていう、強い意志を持った連中が。それがウチらみたいな創作者なんです」
苦笑しながらそう語る彼を、エリアは瞬き一つせずに聞き入っていた。
「確かにこういう漫画やラノベなんて、一般的な人からすれば絵や文字の羅列に過ぎないでしょう。だけど、僕らにとっては間違いなく現実なんです。僕らなりの実現の道なんです。こういうことがしたかったんだっていう……意思そのものといってもいい」
「……そう」
「たとえ未熟でも、技術や知識が伴わなくても……それをやり遂げたい意思があれば無限の可能性が広がる。逆に言えば、意思がなければどんなに上手い人でも魅力的な作品には仕上がりませんから」
ズキリ。
と、俺の胸になにか鋭い痛みのようなものが走った。
痛い、と感じるより先に俺が抱いたものは、既視感だった。
この痛み……なんか、前にもどこかで……。
息が荒くなる。なんでだろう、別に身体におかしいことなんか無いはずなのに……。
まるで……誰かと痛みを共有しているような、そんな感覚……。
うめき声をあげようとするのを必死で抑え、俺は悟られていないかどうかエリアの様子をうかがった。
そして、目を疑った。
彼女も、俺と同じように胸を抑えて、苦しそうにしていたのだから。
額には冷や汗を浮かべ、歯を強く食いしばっている。
それを目の前の漫画部員には気づかれまいと必死に平常であるように見せかけている。だが表情だけは、ごまかしきれていなかった。
明らかに、痛みを抱えている顔だ。
「すみません、なんか熱く語っちゃって……」
「いえ、いいの……とてもためになったわ」
部員の話が終わると、エリアは儚げな笑みを浮かべてそう言った。
だがそれは無理に作り出したものであることくらい、俺にはお見通しだった。
俺は胸の苦しみを気合で乗り切ると、部員に軽く横から礼を言い、エリアをその場から連れ出した。
○
それからしばらく二人とも無言だった。
エリアも、あれだけ黙ると死ぬと思うくらいのはしゃぎっぷりが嘘みたいだ。
やはり漫研に寄ったことが、相当なにか大きな影響を与えたらしい。
「ごめん、やっぱり嫌だったか? あそこ」
そう訊いても彼女は黙って首を横に振る。頑なに理由は言おうとしない。全身から覇気が抜けたようだ。
参ったな、これはこれで対応に困る。どうしよう。
ズキリ。ズキリ。
と、さっきの痛みはまだ収まる気配はなく、俺は顔をしかめた。くそ、一体何なんだよこれは。
ひとまず、どこか休める場所を探そうか。さっきからずっと立ちっぱなしだもんな。
えーと、食堂は閉まってるし、構内のベンチはどこもいっぱいだし……。
しばらくキョロキョロと周りを見渡していると、ちょうどいいところにちょうどいいスポットが見つかった。
「なあ、次はあそこ行ってみるか?」
「……え?」
エリアはうつろな目を、俺が指さした先に向けた。
そして入り口に立ててあった看板を、先ほどと同じように彼女が読み上げる。
「ぷらねた……りうむ?」
「うん。大教室まるごと使ってやるんだって。あ、プラネタリウムってのは擬似的に星を見ることができる空間のことで――」
「別にそれくらい知ってるわよ」
「そ、そっか。とにかくあそこなら座れるし、気も休まるだろ? どう?」
「……そう、ね」
今にも消えてしまいそうな声で、彼女は同意した。
というわけで俺は受付を済ませると、薄暗い教室内に通された。
室内の中央には巨大な投影機が設置されており、その会場の広さもあって本格的な作りになっていた。
俺達は空いてる席に並んで座り、疲れた身体をゆっくり落ち着ける。
これで一安心だ、と言いたいところだったが。いっけね、せっかくだから飲み物とか買ってくればよかった。
「ちょっと、飲み物買ってくる」
と思ってたらその心中を読み取ったかのようなタイミングで、エリアが席を立った。
驚いた俺は慌てて彼女を引き止める。
「いや、いいよそんなの! 俺が買ってくるから、お前は座って休んでろよ」
「いいの。別に疲れてるわけじゃないし、それに……」
エリアは無理矢理俺を席に押し戻すと、静かにこう付け加えた。
「あんた、結構苦しそうな顔してるから」
「……え?」
俺が? 苦しそう?
そりゃ、確かにさっきの痛みはまだ続いてるけど……そんなに顔に出てたのか。でも、こっちだって別に動けないほど重症なわけじゃない。
「いいから座ってなさいって。すぐ戻ってくるから」
と言って、彼女はさっさと出ていってしまった。
その姿を見送った俺は、ぐったりと椅子の背もたれにもたれかかる。
彼女を心配してるつもりが、逆に無効に心配されてしまうとは。不甲斐ないな俺。
そうやってしばらく待つこと数分。
「お待ちどおさま」
本当にすぐ彼女は戻ってきた。手には缶のようなものを二つ持って。
「適当に選んだけど、別に良いわよね」
「ああ。ありがとう。悪いな、女帝様をパシらせるようなことして」
「ホントよ。あんたはこのワイヤード帝王の婿なんだから。体調管理くらいしっかりしてもらわないと」
「善処します」
軽く頭を下げて、俺はその缶を受け取った。何のジュースだろうと確認しようとした時、ブザーが鳴ってプラネタリウムが始まった。同時に、少ない照明が消えて周囲が一気に真っ暗に。
缶の表面どころか、隣のエリアの顔も見えなくなる。
まぁ飲めれば何でもいいや。と俺はプルタブを起こした。
中身は甘い乳酸菌飲料みたいだった。ちびちびと喉に流し込むと、少しだけ気分が落ち着く。
しばらくして、天井に満天の夜空が浮かび上がり、観客達の小さなどよめきが各所で起こった。
煌めく星々を眺めていると、痛みも幾分か引いていく気がした。プラネタリウムなんて子どもの時以来だけど……やっぱりいいな。心が安らぐ気がする。
「素敵……」
エリアもうっとりとしたような声でそれらに魅了されているご様子。
「星なんて……空に浮かんでる変な光程度にしか思ってなかったけど……こうして見ると、なんだか芸術品みたいね」
「ちょっとは落ち着いた?」
「ええ、ありがとう」
いつもの彼女に似合わず、素直な礼を言われた。休憩所代わりに訪れたけど、来て正解だったな。
上映内容は、主に夏の正座についてだった。
大三角形。デネブとアルタイルとベガ。
そしてそれらを横切っているのは、綺麗な天の川。
「織姫と彦星……ねぇ」
アルタイルとベガになぞらえて七夕の伝説が解説されていると、不意にエリアが呟いた。
「可哀想よね。二人は愛し合ってたのに、引き離されて一年に一回しか会えないなんて」
「まぁ仕事放ったらかして、遊んでばかりいたっていうのもあるからね」
「でも、彼らの気持ちはわかる気がする」
漫研のときのようなしんみりした口調で彼女は続けた。
俺は、闇に隠れて見えない彼女の表情を見ながら聞いていた。
「互いを愛したい。他の全てを投げうってでも、ずっと一緒にいたい。それが、二人の意思だったんだと思う」
「……」
「でもその意志を貫こうとするのが許されないって……なんか変だわよね。やりたいこともできない、ただ神様とやらの言いなりになるしかない……すごく、すごく可哀想」
「エリア……」
「私は……そんなのいや。だって……つまらないもの」
ぎゅ、と彼女がスカートを握りしめる音がかすかに聞こえた。
ただの御伽話なのに、やけに真剣になっている。
だが、エリアが織姫と彦星の気持ちをわかるというように、俺も彼女の気持ちが理解できたような気がした。
彼女は何よりも強い自分の意志を持っていて、それを成し遂げようとしている。ワイヤードの掟でも示されている通り、自らの意思は絶対に曲げてはならず、他人に流されることがあってはならないという生き方を絶対視しているのだ。
だからこそ、こういう物語は疑問に感じるところがあるのかもしれない。
「あのさ……」
そんな彼女に、俺は何か言いかけようとした。
だがその瞬間に、体がふわっと浮くような心地に誘われた。
頭の中がとろんとしてきて、頭上に浮かんでいる星星が靄がかかったように見えてくる。
あれ……どうしちゃったんだろ俺……なんか……眠い……?
意識が朦朧としてくる。顔を両手ではたこうとするけど、その手もまともに動かない。
どうしようか考えてるうちに、とうとう視界が暗転。微睡みの世界へと俺は落ちていった。
○
「はっ!?」
気がつくと、天にはまだ綺麗な星の散りばめられた空が広がっていた。
よかった、最後まで寝落ちしちゃってたかと思ったよ。
ほっと安堵の息を吐いたの同時。
「起きた?」
にゅっ!
といきなり人の顔が空に現れた。
「わわわっ!」
思わず変な声を上げて俺はその場から跳ね起きた。
よくよく見たら俺が今寝ていた場所はプラネタリウム会場ではなく、簡素なベンチの上だった。
ていうか、屋外だった。
「あれ? え? 何ここ、どこ?」
「まだ寝ぼけてるの、我が婿」
さっきいきなり現れた顔……もとい銀髪紅眼のエリアさんは呆れたように言ってきた。
落ち着け、一体どうなってる? プラネタリウムにいたと思ったら、いきなり眠くなって……気がついたときには屋外のベンチで寝ていた。
うん、整理してみても全然わからん! どうなってんだこれ。
「落ち着きなさいよ。そんなにすぐに動いたら、また体調壊すわよ」
「はぁ? どういう意味だよ」
エリアは小さく肩を竦めると、そっと俺に何かを見せてきた。
それは、さっき彼女から渡された缶ジュースであった。
いや、ジュースという点は撤回しなくてはならない。なぜなら……下部の方にはでっかく「お酒」と明記されてあったのだから。
「マジかよ……」
要するに今まで泥酔してたってわけだ。別に酒に弱いわけじゃないが、あそこまで疲労してた状態で飲んだらそうなるよ……。
「ごめん……よく確認してなかった」
「いや別に良いけど……」
俺は頭を掻いてそう軽く流す。悪気がないなら責められないからな。
ていうか珍しく謝ったな。いや、出会って初めて謝られた? もしかしてこいつの人生史上初の謝罪だったりする?
「失敬ね。いくらあたしでも自分が悪いと思ったときにはきちんと落とし前つけるわよ。だからあんたをここまで運んで、休ませてあげてたの」
「お前が?」
それはありがたいし、助かった。
でもここはどこなんだ? 屋外であるのは確かだけど……。
「一号館の屋上。酔い冷ましにはちょうどいいだろうと思って」
「屋上……!?」
よくよく見てみると、たしかにそこは屋上だった。
鉄柵の方まで行ってそこから少し乗り出してみると、下の方でまだワイワイと客で賑わっている様子が見える。
こんなところまでエリアは俺を……?
「大変だったわよ。あんた見かけの割に重いし、全然起きないし……膝が痛いったらもう……」
そう愚痴りながら彼女は、自らの太ももをパンパンと拳で叩いてほぐした。
膝が痛いって……。
そういえば、ベンチで横になっていたにしては妙に寝心地はよかったな。
まさか……。
「ずっと、膝枕しててくれたの?」
「……そりゃ、我が婿をこんな固いベッドで寝かせるわけにもいかないでしょ」
なんでもなさそうなふうを装いながら、彼女は平然とそう言う。
運ばせた上に、膝枕まで……。いや、こっちに非がないとはいえ、さすがに申し訳無い気がする。
「ごめん……色々迷惑かけて」
「いいわよ別に。悪いのはこっちだし」
意外にもそれ以上糾弾してくることもなく、しかも自分が原因だとはっきり認めるとは。
やっぱりどこかおかしいよ、今日のこいつ。
「こっちも色々迷惑かけたわね、でもありがとう。おかげで結構楽しかったわ」
「え、あ、ああ」
楽しかった……のだろうか。
俺にはどうも期待に添えた気がしなかった。デートしなさいってあちこち連れ回されて、かと思ったらなんか意気消沈させちゃって。……からの酔って寝落ち。
どう考えたってデートじゃないし、満足いく時間を提供できたとも思えないんだけど。
「何言ってるのよ。十分満足よ、あんたと一緒にいられたから」
「え?」
「我が婿と共に過ごせることが、あたしにとって一番楽しい時間だもの」
「……なんだよそれ」
反応に困るようなことを言われて俺は口ごもってしまう。
それを見てエリアは微笑しながら、前かがみになると頬杖をついた。
「おかしい? 帝王がこんな事言うの」
「……おかしくないよ」
確かにいつものエリアらしくない。だけど、美味しそうにクレープを食べたり、アクセサリーではしゃいだり、プラネタリウムに見惚れたりする彼女の姿を見ていると……なんだか……。
「普通の女の子、って感じがした」
「!」
言った途端、エリアの目が大きく見開かれた。
真顔になって黙っていた彼女だったが、その顔筋はすぐに緩んだ。
「ふ、ふふふふ……。そうか……あたしが、普通か……あんたにはそう見えてたってわけね」
「え? ああいや、帝王に相応しくないとかそういう話をしてるんじゃなくて」
「言い訳しなくていいわよ、怒ってないから」
ひらひらと手を振ってエリアは言う。
普通。それは本当に俺が思ったこと。服装や言動が変でも……立ち振舞いはただの平凡な女子大生そのものだった。
だからこそ、漫研を訪れた時のあのリアクションが気になって仕方がない。あれは帝王からも、普通の女の子からも、まるっきり離れた異様な態度だったのだから。
「なぁエリア……やっぱりあの漫研の……」
「はいはい、ちゃんと話すわよ」
みなまで言うなと言わんばかりに、エリアは観念して白状した。
自分が変貌してしまった理由と原因を、恐ろしく端的に。
「あいつのことが気になってたの」
「あいつって……未來?」
こくりと彼女は無言で頷く。
「あいつ漫画すごく嫌いだっていうのは知ってる?」
「ああ、本人から聞いた」
そういえばサークルを見学してまわってた時、彼女は漫研のポスターを見てた。それをクローラに指摘されて、地震が漫画などのサブカル系が嫌いであることを告白したんだった。
まさか、それに関係が……?
「あいつね、昔はすごい漫画が好きだったのよ。それで自分でもよく描いてたんだって」
「マジで!?」
「ええ。だけど、周囲からはオタクだなんだって、すごくいじめられてたの」
未來……そんなことがあったのか。
典型的なオタクいじり。
今でもやっぱりそういうのってあるんだな。
「だけど、それでもあいつは漫画に対する情熱は捨てなかった。描いて描いて描き続けたの。それが彼女の意思だったから」
「……」
「そしていつからか知らないけど、あいつに友達ができたの」
「友達?」
「ええ。そいつは未來と同じように漫画が好きで、一緒に描いたりとかして意気投合してたらしいわ」
未來に友達……そんなの聞いたこともなかった。ていうか、そんなのがいるようには見えなかったし。今でも連絡取り合ってたりとかするのかな?
「それはないわね」
「なんで?」
「だって……あいつが漫画を嫌う理由って、その友達なんだもの」
「ええ!? ど、どういうことだよ?」
衝撃の事実に度肝を抜かれた俺が問うと、彼女はベンチに背中を預けながら夜空を見上げた。
「裏切られたのよ。そいつに」
「裏切られた……?」
「詳しくは知らないけど、そのせいであいつは心を閉ざした。そしてあれだけ好きだった漫画にも絶望した。こんなもののせいで、自分が辛い思いをしたんだって」
「そんな……」
いじめられて、唯一信頼できた友人からも裏切られ……。
そのせいで、好きだったものを嫌いになってしまった。
辛い。辛すぎるだろ、そんなの……。
やるせない気持ちになっている横で、エリアは小さくため息を吐いた。
「だけどあたしはね、あいつが芯から漫画を嫌いになってるようには思えないの」
「……そう簡単に捨てきれなかったってこと」
「ええ。彼女は嫌いになったんじゃなく、嫌いと言わざるを得なくなったのよ」
「……というと?」
「好きなものを好きというだけで、ひどい仕打ちを受ける。自分の意志を通そうとすると必ずそれを捻じ曲げようとしてくるのがいる。そんなこの世界に絶望したのよ、あいつは。だから必死で自分を偽ってる。『漫画なんてくだらない』と思い込もうとしてるの」
「……」
「あたしはそれが我慢ならなかった」
ぐっ、とエリアの両手の拳が握りしめられる。彼女の憤りが言葉にせずともひしひしと伝わってきた。
「だって、なんであいつが我慢しなくちゃいけないの? なんにも悪くないのに、ただ漫画が好きっていうだけで迫害されなきゃいけない。それってそんなに悪いこと? あたしはそんなこと思わない」
「……」
「あたしが漫画に初めて触れた時、あいつが没頭する理由が瞬時にわかった。すごく面白いし、それを描ける人ってすごいって感心した。なのになぜ……?」
それはわかる。
俺だって我慢ならない、人の趣味なんて勝手なのに、どうしてそれを理由に虐げる権利などがあろうか。
「技術や文化の違いなんてどうでもよかった。あたしがこの世界に来て驚いたのは……そういう『誰もが意思を封じ込めなくちゃ生きていけない』ってとこよ」
「エリア……」
「つまらない……誰も他人に流されることを、全体に合わせることを強要される。本当につまらない世界だって思った」
「だから、この世界を変えようと思ったのか?」
「そうよ。あたしがもう一度興すワイヤードではそんなことさせない。絶対に誰の意思も曲げさせやしない。誰もが自分の心のままに進める世界を目指す。そのためにあたしはどんな事があっても自分の意志を貫くし、言いたいことも言っていく。あいつが言えなかった分までね」
本当は漫画が好きなんだ。漫画が描きたいんだ。
そんな意志を、彼女は奪われた。この世界に、握りつぶされた。
どれだけ技術や才能があっても、意思がなければ作品は出来上がらない。さっき漫研の部員が言っていたこと。それは的確に今の未來に突き刺さってしまっていたわけだ。
エリアの様子がおかしかった理由が、これでようやくわかった。
「大切に想ってるんだな、未來のこと」
「……別に。あたしはああいう建前だけの生き方してる奴が嫌いなだけよ」
自らを偽って、意思を捨てた未來。
自らの意思を絶対のものとし、どこまでも自分に正直なエリア。
何もかもが正反対なこのコンビ。だけど、それは必ずしも反発しあっているわけじゃないんだな。
そう考えると、俺の中の二人に対する印象がだいぶ変わってきた。
「どう、これで納得いったかしら?」
「ああ、なんか肩の荷が下りた気分」
まったく、ようやくスッキリしたぜ。所狭しと埋め尽くしていたもやもやが晴れ、心に余裕が生まれてきた。
そりゃもう、上空の星空を眺めて綺麗だなーと思うくらいには。
やれやれ、プラネタリウムを見てたつもりが、いつの間にか本物の夜空を見ることになるとはね。気苦労が多いと大変だよ。
……って。あれ?
夜空?
夜?
待てよ、待て待て。
俺もしかして大切なこと忘れてる?
今は夜、今日は学祭……学祭の夜……。
「……後夜祭、キャンプファイヤー」
――ゆーびきりげーんまんっ!
三人で交わした約束が脳内にフラッシュバックする。
まずい、完全に忘れてた!
急いでスマホで時間を確認すると、もう開始まで十分を切っていた。だが過ぎていないだけ僥倖なんてサラサラ思わない。
だってそのスマホには、無数の着信履歴が残っていたのだから。
全部リファから。一時間ほど前から十分おきに。
やばいやばいやばい! 一番気に留めとかなきゃいけないことを、エリアと未來の件で隅に追いやってしまっていたなんて、なんて俺は馬鹿なんだ!
「……早く行けば?」
俺がワチャワチャとしていると、エリアが俺の方を見ないで呟いた。
「エリア……?」
「わかってるわよ。あの二人のところに行くんでしょ?」
「……知ってたのか」
「知らなくてもわかるわよ。それにこれ、渡してあげるんじゃないの?」
と言って、彼女は何かを俺に押し付けるように手渡してきた。
それはビニル袋に入った、ラッピングされた小物が二つ。
さっきハンドメイド部で買った、リファとクローラへのプレゼントだった。
「寝ている間、大事そうに抱えてたわよ」
「ありがとう……」
俺が礼を言うと、エリアは俺にくるりと背を向けた。
「じゃあ、今日はこのへんでお別れね。楽しかった」
「ああ。じゃあな」
なにか気の利いたことの一つでも言っておくべきかと思ったが、不器用な俺にはどうにも考えつかなかった。
そしてそのまま踵を返し、待ち人達の元へと行こうとした。
その時。
「我が婿!」
彼女が呼び止めてきた。
俺が振り返ると、彼女も同じようにこちらを振り向いた。
淡い光に照らし出されたエリアの顔は、もうさっきのような落ち込んだ表情ではなく……いつもの高慢でタカビーでわがままな、エイリアス・プロキシ・スプーフィングのものだった。
「さっきも言ったけど、あたしは自分を曲げないわよ」
「……?」
どういう意味だ、と一瞬思ったがその答えはすぐに彼女の口から出た。
「あんたは……絶対にあたしのものにするんだから! いつかきっと、この予知書通りの未来を現実にしてみせる!」
そう言って、その銀髪紅眼の少女は腰のホルダーに収まっていた、分厚い書物を掲げてみせた。
そして得意げに胸を張って、声たかだかに叫ぶ。自分を見下ろす星全てに響き渡せるように。
「それが……あたしの意思だから!」
「……」
俺は否定も肯定もしなかった。
彼女が自分の意志を貫くと宣言したように、俺の意思も妥協するつもりはない。
だけど、それぞれの意志は、個人が個人である唯一の証。それを奪ったり否定したりする権利は誰にもない。
大切なのは、他人の意思を尊重しあうこと。たとえ自分の意思と真っ向からぶつかりあうものだとしても。
だからこそ、俺は笑ってこう返すのであった。
「頑張れよ」
「そっちもね」
俺がしたように、彼女も尊重してくれた。
そう、今は……これでいい。
俺はエリアに軽く手を振ると、今度こそその場を後にした。
学祭一日目、最後のイベント……後夜祭が、もうすぐ始まる。
腕が千切れるかと思うほどに強い力で引っ張りながら、エリアはどんどん先へ先へと進んでいく。
こっちの引き止める声などまるで耳に届いてやしない。覚悟してはいたが、予想以上のはしゃぎっぷりだ。
「なぁ、このあと別の奴と回る用事があったんだけど!」
「どーせあいつとでしょ!? 知ってるわよ」
知ってるって……その上での行動ってことかよ? 何考えてんだこいつ。
渚はいいとして、未來にこんなことしてるって知られたら、俺はもちろんお前だってただじゃ済まないぞ。
「大丈夫よ。先約はあたしだったんだから、文句言われる筋合いないわ」
「そういう問題じゃないだろ……」
「いいっていってるでしょ! このあたしを誰と思ってるの、ワイヤード帝国の王、エイリアス・プロキシ・スプーフィング様よ! ……おっと。ねぇ我が婿、あたしあれ食べたい」
と説得力皆無な名乗りで軽く流し、彼女は近くの屋台の一つを指さした。
傍に立てられた傍にはでっかく「オリジナルクレープ」と書かれている。結構行列ができていて、人気であることが伺えた。
「ほら、もたもたしてると売り切れるわよ。さっさと並びなさいっての」
「え!? あ、ちょっと!」
無理矢理背中を押されるようにして、俺はその列の最後尾に並んだ。エリアは鼻息を荒くしながら、看板のメニュー表を見て何を頼むか迷っている。
帝王でも律儀には並ぶんだな。てっきり自分の立場を利用して割り込みとかするんじゃないかと思って内心ヒヤヒヤしてたんだけど。
「バカね、あたしだってそこまで傍若無人な真似しないわよ。今は言わばお忍びの身なんだから、一般庶民の常識に沿って行動しないと」
普段は傍若無人じゃないみたいな言い草だなオイ。
こんなおおっぴらに存在感放っておいて何がお忍びっての。忍ぶんなら、その傲慢さも鳴りを潜めておいて欲しいもんですがね。
「それに、こうしてじっくり待つのも楽しみの一つだわ。そうすれば食べるときの美味しさも格別になるというものよ」
「そういうもんか?」
「そういうものなの。あ、あたしはいちごバナナクリームのアイス乗せね」
で、おとなしく待つこと十分後。
エリアは校舎の支柱に寄りかかってさっきのクレープにかぶりついていた。
「ん、なかなかの出来ね。いい仕事してるじゃない」
「何だその上から目線の感想……」
「そりゃ実際に上にいる立場だもの」
口元についたクリームを舐め取りながら彼女はそう言う。
上の立場ねぇ……正直こんな世俗的な行事、帝王様にはそもそも興味ないものかと思っていましたけど。
と、ちょっと煽り気味に言ってやると、予想に反して彼女は苦笑しながら答えた。
「ま、本当は興味ないはずだったんだけどね……」
「はずだった? どういう意味だよ」
「気が変わったってことよ。城下町の視察みたいなものと思えばそれほど苦痛でもないわ。それに、あんたとの約束でもあるし」
約束。
つまりは漫画研究に熱心に励んで、成功まで持っていったことへの褒美。だがサークル部員でもないのに、人一倍頑張ってたのはエリアだ。だから褒美なら、第二文研が彼女に贈呈する方が筋って気がしなくもないけど。
「何言ってんのよ、あたしはあんた達に協力するためにやったわけじゃない。純粋にあれをやりたいっていう自分の意志に従ったまで。見返りなんて求めてないし、いらない」
「あっそ……」
いかにもプライドが高い御方らしい反応だ。
だが、こっちにも通す義理ってもんはある。そう思った俺は小さく咳払いをして言った。
「ありがとな」
「ふぇ?」
変な声を上げて、エリアは口内にあったクレープを全部一気に呑み込んでしまった。気管に入ったのか、軽くむせてしまう。
「ぐぅえほ! えほ! な、なんなのよいきなり……」
「いや、だから……学祭の準備。まだちゃんとお礼言ってなかったから。お前はやりたいことやっただけって言うけど、こっちが助かったことは事実だし」
「……」
そんな俺をしばらく呆然と見ていたエリアだったが、やがてもそもそとうつむき気味に残りのクレープを貪り始めた。照れ隠し……のつもりだろうか、若干顔が赤くなってる気がする。王という立場上、あまり褒められ慣れてないんだろうか。
「か、感謝の気持ちがあるなら」
「え?」
俺が聞き返すと、彼女はいきなり俺の前に人差し指を突きつけてきた。
そして赤くしたままの顔で、どこかまだ照れくさそうな口調で言う。
「感謝の気持ちがあるなら、真剣にデートくらい付き合いなさいよ」
「……」
そうくるか。
手伝ってもらった礼として、彼女からの褒美を真摯に受け止めろよ、と。
どっちが与える側でどっちが享受する側なんだかわかんないや。まぁでも、こうなったらなおさら拒むわけにもいかなくなった。
「わかりました。それではしばしの間付き人としてお供させていただきます」
「ん。よろしい」
恭しくお辞儀をしてみせると、彼女は満足そうに腕を組んで頷いた。
「あぁそれと、あいつなら本当に心配いらないから。もうこっちから話つけておいたし」
「未來と? 何も言われなかったの?」
「もちろんゴネてきたわよ。ま、すぐ返すからって言って無理矢理納得させたけどね」
うんそれ絶対納得してないよね。一方的に会話打ち切っただけだよね? 言っとくけど後になって身の安全が保証されなきゃ全く意味ないからね?
「とにかくこれで気にすることはなにもないわ。さ、早くエスコートしてちょうだいな」
クレープをすべて食べ終えると、彼女はまた俺の腕に絡みついてぐいぐい引っ張ってきた。
気にすることしかないんだけどなぁとぼやきつつも、逆らう術を持たない俺はそのまま連行されていくのだった。
○
一軒目:ハンドメイド部
「すごーいきれーい!」
そこには宝石みたいなアクセサリーが、鮮やかな煌めきを放ちながら展示されていた。エリアはその輝きに負けないくらい目をキラキラさせてその装飾品達に魅入っている。
ネックレス、ブレスレット、リング……非常に細部まで凝ったものが目白押し。学生の手作りとは言え、これは非常に質が高い。
「いらっしゃいませー。こちら当店自慢の品々になっておりますのでどーぞお手にとってお確かめください。もちろん試着もOKですので、ぜひぜひ~。あ、そちらの商品大変おすすめとなっておりましてですね、材質が~」
魅力的な品々に大興奮のエリアに、部員さんと思しき女性がここぞとばかりにすり寄っていく。そのフットワークの軽さとトークスキルはプロ顔負けと言ってもいいくらい。学生のイベントとは言え、これは非常に質が高い。
「ちょっと我が婿~。どうよこれ、似合う!?」
ごきげんな令嬢様は、部員に勧められるアクセを手当たり次第付けては俺に見せてきた。
確かにどれも印象的で綺麗だが、エリアについては正直衣装や髪の色などのインパクトには負けてしまっていると思う。もちろん口に出しては言えないけど。
「ああ、すごく似合ってるよ」
「でっしょ~!? あ、こっちもいいかも。あとこれも合わせてみれば……」
おざなりな褒め言葉でも真に受けるくらい、すっかり夢中になってるようだな。
俺は肩を竦めて、他の品を流し見しているとふと思い立った。
そうだ……リファとクローラにプレゼント用に買っていこう。二人ってこういうの付けた経験ないからちょうどいい。本当は一緒に見定めたほうが良いんだろうけど……ま、今回はサプライズってことで。
彼女達のそれらを付けた姿を頭の中でシュミレートしながら、俺は真剣にそれらを見繕う。
指輪は指のサイズとか合わないと駄目だし、ピアスは穴開けないとだから無理だよな……とするとネックレスあたりが無難かな~。
「誰かへのプレゼントですかぁ~?」
「随分真剣になってますねぇ~」
と、迷っていたら背後から茶化すような声が。しかも二人分も。
どうやら俺にも別の部員が出動してきたらしい。服屋とかでもそうだけど、本当こういうの面倒くさいなぁ。
「えぇまぁ、ちょっとお土産にと思って――」
俺は苦笑しながら後ろを振り返って言う。
いや、言いかけた。つまり最後まで言葉は紡げなかった。
それもそのはず、なんたって今声をかけてきた二人組は……。
「やっほーい、お兄さん★」
「お久しぶりですね~」
でーたーよ毎度おなじみ逆ナンコンビ!
片方はツインテの陽キャ、もう片方は黒髪ストレートの清楚系。
最初は海で、次は夏祭りで、その次は入学式で! いきなり現れては言葉巧みに誘惑してくるやべーやつら。同じ大学だからエンカウント率は高いってことは重々承知してたつもりだったけど、こんなところで出くわすとは……。
苦笑した顔のまま、俺はなんとかパクパクと口を動かして喋る。
「な、なんでここに君らが……」
「なんでも何も、ウチらハンドメイド部だもん」
「それを知ってて来てくれたんじゃないんですか?」
逆だよ、知ってたら来ないよ。半径100メートル以内に入ろうとも思わないよ。ちっくしょう、魔物の巣窟とは知らずにホイホイ俺は入ってきちゃったってわけか。迂闊すぎた。
そんな俺の心の後悔など知る由もなく、逆ナン組は俺が持っていた商品二つを覗き込むといきなりテンションを上げた。
「あ。そのブレスレッド、ウチが作ったやつだ! やだもうー、一発で当てちゃうなんて運命感じちゃうなー」
「そっちのネックレスは私の特製品なんですよ。お気に召しました? あ、お気に召すから選んでくれたんですよねーー?」
うーわやべぇぞこいつらの宣伝トーク。自分自身を商品に絡めてくるとか、エリアの相手してる部員とは別なベクトルで狡猾すぎる。
駄目だ、こいつらに会話の主導権渡したらもう逃げられない。もうちょいじっくり選びたかったけど、背に腹は代えられない。
「そ、そうなんだ。じゃあせっかくだし、この二ついただけますかね?」
「はいまいどありぃ。二つで2500円でーす」
ツインテは満面の笑みで俺の差し出した五千円を預かると、会計場に持っていく。
「お兄さん、ラッピングとかはします? 誰かへのプレゼントなら」
「え? ああじゃそれもお願いします」
「承知しました。で、誰に向けてなんですか?」
包装紙を取り出しながら清楚系の目が怪しく光った。
しまった、付け入る隙を与えてしまった。だが後悔したときにはもう遅い、それを聞いたツインテも悪乗りして問い詰めてくる。
「そーだよ、ウチらまだ聞いてない! 誰なのお相手?」
「い、いやそういうのは……あの、秘密っていうか」
「もう、ちゃんと白状しないとこれ、渡してあげませんよ?」
そりゃないだろこっちもう金払ってんのに! 犯罪やぞそれ!
「まさか……彼女?」
「そういえばお兄さん、入学式の時付き合ってる人がいるって……」
「いややっぱそれはないよー。どう考えても彼女いるようには見えないし」
「ですよねー、お兄さんみたいなのと付き合えそうな人って私達ぐらいしかいないと思いますし」
「つまりこれを買おうとしているのは、『買ってあげるから惨めな僕とデートしてください』って意味?」
「なるほど、それなら納得です」
「しょうがないなぁ~。彼女いなくて可哀相なお兄さんがそこまで言うなら、一肌脱いであげますかー」
侮辱と傲慢と情けの三連コンボ。
過去最高クラスの攻撃。こちらの言い分を無視するどころか、言う前に勝手に決めつけてくるとか……凶悪さに磨きがかかってやがる。
「ではお兄さん。早速行きましょうか」
「いや、ちょっと待て。何を勝手に――」
「こらこら、嬉しいからって焦っちゃ駄目だぞ。モテる男は落ち着きが肝心なんだから」
ああああああまたこのパターンかよォォォォォ!!
何を言おうとポジティブ思考全開の彼女達には都合のいいように変換されてしまう。もうこうなったら自力で脱出は不可能。
今まではここでリファ達の救いの手が必ず入ったけど、今はそれも期待できない。今度こそ万事休すか!?
と半ば絶望しかけたその時。
「確かにこいつに彼女なんかいないわ」
ぐいっ、と誰かに首根っこをひっ掴まれ、俺は逆ナン組の拘束から逃れた。
四度目の救済。今度は誰だよ、と思ったが該当者なんて最初から一人しかいやしない。まぁ助けてくれそうには思えないような奴ではあったけど。
「エリア……」
その銀髪で紅い瞳を持った令嬢様は、不敵な笑みを浮かべながら俺を自分の元へ手繰り寄せた。
今まで邪魔してきたのとは一癖も二癖もような人物の介入に、逆ナン組はポカンとして呆けてしまう。
「え……まさか」
「その人が……彼女さん?」
ちゃうちゃうちゃうちゃう。ちゃうねんて。そりゃ一緒に来てたから、そう疑っちゃうかもだけどちゃうねん。
俺は高速で首を横に振るが、弁解は彼女に先を越された。
「いいえ、彼女じゃないわ」
「え? じゃあなんなんですか」
その質問を待っていたというふうにエリアは白い歯をむき出しにして笑う。
「妃よ」
逆ナンコンビ、今度こそ言葉を失うの巻。
当然俺も失うの巻。
○
逃げるようにしてハンドメイド部から脱出した俺達。
まったく、生きた心地がしなかったぜ。あー、これもうSNSとかで拡散されてんだろうなー。そりゃこんな奇抜な格好した奴と付き合ってるどころか結婚してるなんて、モノ笑いのネタとしては申し分ないもんな。鬱だ。
だがそんな状態の俺とは対照的に、エリアは心から満足そうな顔で軽くスキップを踏んでいた。いい気なもんだまったく。
……まぁでも、リファとクローラにプレゼントを用意できただけでもよしとするか。
「さぁ、我が婿。次はどこに連れて行ってくれるのかしら」
「どこって……お前が勝手に行きたいとこフラフラと入っていってたんだろーが」
「そうだったかしら? まぁいいわ。じゃあ今度はあんたが行きたい場所に付き合ったげる。退屈な場所だったら承知しないんだからね」
俺が行きたい場所でいいけど、ちゃんとあたしが楽しめる場所にしろよ。
前半部分を後半部分で見事に打ち消しやがった。結局お前に忖度しろってことやろがい。
こいつの行きたそうな場所……何があるかなぁ……。
としばらく考えに考え、思い当たったアテが一つ。
「わかった、じゃあついてきて」
そう言って今度はこっちが彼女を先導し、雑踏の中を掻き分けていった。
向かう先は……あそこだ。
数分後。
「はいここ」
たどり着いた先。
そこの入り口に書かれている施設名を、エリアが小さく読み上げる。
「漫画・小説創作研究会……」
「そ、お前漫画好きだから。こういうとこ興味あるんじゃないかと思ってさ」
あれだけ第二文研の研究には熱心に励んでたんだ。きっとさぞお喜びになるに違いない……。
と、思いきや。
「……」
エリアは「面白そう!」とはしゃぐこともなければ、「なんでこんなとこ連れてきたのよ!」と罵倒してくることもしなかった。
ただ、一歩俺の後ろで、じっと立っているだけ。
その表情は、喜怒哀楽どれにも属さない……完全な無表情。
何を感じているか、何を考えているか、まったくわからない。いつも心の内が、そのまま言葉と顔に出ている彼女とはまるで違う。
「ど、どうした?」
「……ううん、なんでもない」
目を閉じて彼女は言うが、なんでもないわけがないだろうそのリアクション。疑ってくださいって言ってるようなもんだ。
「あ、もし嫌だったら別の場所に――」
「そんなことないわ。ちょうど寄ってみたかったのよ、ここ。さ、入りましょ」
彼女はそう言って平静を装うと、スタスタと中へと入っていった。その後ろ姿は、俺にはどことなく哀愁を含んでいるように見えて仕方がなかった。
内部に入ると、壁やパーテーションにかけられた凄まじいアートの数々が俺達を出迎えた。
商業でも余裕で通用するレベルのものや、イラストの才能のない俺でも描けそうなレベルのものまで沢山。設置された机には、おそらく部員が製作したものと思われる同人誌がいくつも置いてあった。
「いらっしゃいませ。どうぞゆっくり見てってください」
「ああ、はいどうも」
端っこの方で受付をやっていた男性部員が挨拶してきたので俺は軽く会釈を返す。
エリアの方はというと、こっちには目もくれずに絵や同人誌を食い入るように見つめていた。目を絶えず動かし、ページを一秒もかからずにひたすらめくっていく。
それこそ、「夢中」と呼ぶに相応しいほどに。
「どうですかそれ、僕が去年の夏コミに出したやつで一生懸命頑張って描いたんです」
その姿が部員の目を引いたのか、彼は彼女が本を読み終えたタイミングでさり気なく尋ねた。
彼女は来たときのような無表情のままだったが、やがて目を閉じると感慨深そうに答える。
「とても良い作品だったわ。画力も脚本も、非の打ち所がないくらい」
「あ、ありがとうございます!」
その言葉に、部員は感激したように腰を九十度折って礼を言った。
エリアは同人誌を閉じると、表紙をそっと白い手で撫でた。
「なにより、この作品に対する強い熱意が感じられたわ。こんな薄い頁数しかないものでも、全力で取り組んでいるんだなって……私でもわかるくらいに」
「そりゃあもちろん、好きだからですよ」
照れくさそうにしていた部員が、やけにはっきりとした口調になってそう言った。
「このサークル、色んな人が所属してますけど……技術に関してはピンキリです。見ての通り、初心者どころか素人丸出しの奴もいれば……もうプロとして活躍してる人もいます。だけど……共通して言えるのは『自分の好きな作品を創りたい』という意思なんです」
「意思……」
「はい。人って、常日頃から『こうであったらいいな』って妄想する生き物だと思うんです。例えば宝くじで大金が欲しいとか、最強の力を手に入れて無双したいとか。でも大半の人はそんな妄想を妄想だって割り切るんですよね。だってそんなの実現不可能だから、って」
「……」
「でも、極稀に……諦めの悪いのがいるんですよ。どんな形でもいいから、その妄想を現実にしてみせようっていう、強い意志を持った連中が。それがウチらみたいな創作者なんです」
苦笑しながらそう語る彼を、エリアは瞬き一つせずに聞き入っていた。
「確かにこういう漫画やラノベなんて、一般的な人からすれば絵や文字の羅列に過ぎないでしょう。だけど、僕らにとっては間違いなく現実なんです。僕らなりの実現の道なんです。こういうことがしたかったんだっていう……意思そのものといってもいい」
「……そう」
「たとえ未熟でも、技術や知識が伴わなくても……それをやり遂げたい意思があれば無限の可能性が広がる。逆に言えば、意思がなければどんなに上手い人でも魅力的な作品には仕上がりませんから」
ズキリ。
と、俺の胸になにか鋭い痛みのようなものが走った。
痛い、と感じるより先に俺が抱いたものは、既視感だった。
この痛み……なんか、前にもどこかで……。
息が荒くなる。なんでだろう、別に身体におかしいことなんか無いはずなのに……。
まるで……誰かと痛みを共有しているような、そんな感覚……。
うめき声をあげようとするのを必死で抑え、俺は悟られていないかどうかエリアの様子をうかがった。
そして、目を疑った。
彼女も、俺と同じように胸を抑えて、苦しそうにしていたのだから。
額には冷や汗を浮かべ、歯を強く食いしばっている。
それを目の前の漫画部員には気づかれまいと必死に平常であるように見せかけている。だが表情だけは、ごまかしきれていなかった。
明らかに、痛みを抱えている顔だ。
「すみません、なんか熱く語っちゃって……」
「いえ、いいの……とてもためになったわ」
部員の話が終わると、エリアは儚げな笑みを浮かべてそう言った。
だがそれは無理に作り出したものであることくらい、俺にはお見通しだった。
俺は胸の苦しみを気合で乗り切ると、部員に軽く横から礼を言い、エリアをその場から連れ出した。
○
それからしばらく二人とも無言だった。
エリアも、あれだけ黙ると死ぬと思うくらいのはしゃぎっぷりが嘘みたいだ。
やはり漫研に寄ったことが、相当なにか大きな影響を与えたらしい。
「ごめん、やっぱり嫌だったか? あそこ」
そう訊いても彼女は黙って首を横に振る。頑なに理由は言おうとしない。全身から覇気が抜けたようだ。
参ったな、これはこれで対応に困る。どうしよう。
ズキリ。ズキリ。
と、さっきの痛みはまだ収まる気配はなく、俺は顔をしかめた。くそ、一体何なんだよこれは。
ひとまず、どこか休める場所を探そうか。さっきからずっと立ちっぱなしだもんな。
えーと、食堂は閉まってるし、構内のベンチはどこもいっぱいだし……。
しばらくキョロキョロと周りを見渡していると、ちょうどいいところにちょうどいいスポットが見つかった。
「なあ、次はあそこ行ってみるか?」
「……え?」
エリアはうつろな目を、俺が指さした先に向けた。
そして入り口に立ててあった看板を、先ほどと同じように彼女が読み上げる。
「ぷらねた……りうむ?」
「うん。大教室まるごと使ってやるんだって。あ、プラネタリウムってのは擬似的に星を見ることができる空間のことで――」
「別にそれくらい知ってるわよ」
「そ、そっか。とにかくあそこなら座れるし、気も休まるだろ? どう?」
「……そう、ね」
今にも消えてしまいそうな声で、彼女は同意した。
というわけで俺は受付を済ませると、薄暗い教室内に通された。
室内の中央には巨大な投影機が設置されており、その会場の広さもあって本格的な作りになっていた。
俺達は空いてる席に並んで座り、疲れた身体をゆっくり落ち着ける。
これで一安心だ、と言いたいところだったが。いっけね、せっかくだから飲み物とか買ってくればよかった。
「ちょっと、飲み物買ってくる」
と思ってたらその心中を読み取ったかのようなタイミングで、エリアが席を立った。
驚いた俺は慌てて彼女を引き止める。
「いや、いいよそんなの! 俺が買ってくるから、お前は座って休んでろよ」
「いいの。別に疲れてるわけじゃないし、それに……」
エリアは無理矢理俺を席に押し戻すと、静かにこう付け加えた。
「あんた、結構苦しそうな顔してるから」
「……え?」
俺が? 苦しそう?
そりゃ、確かにさっきの痛みはまだ続いてるけど……そんなに顔に出てたのか。でも、こっちだって別に動けないほど重症なわけじゃない。
「いいから座ってなさいって。すぐ戻ってくるから」
と言って、彼女はさっさと出ていってしまった。
その姿を見送った俺は、ぐったりと椅子の背もたれにもたれかかる。
彼女を心配してるつもりが、逆に無効に心配されてしまうとは。不甲斐ないな俺。
そうやってしばらく待つこと数分。
「お待ちどおさま」
本当にすぐ彼女は戻ってきた。手には缶のようなものを二つ持って。
「適当に選んだけど、別に良いわよね」
「ああ。ありがとう。悪いな、女帝様をパシらせるようなことして」
「ホントよ。あんたはこのワイヤード帝王の婿なんだから。体調管理くらいしっかりしてもらわないと」
「善処します」
軽く頭を下げて、俺はその缶を受け取った。何のジュースだろうと確認しようとした時、ブザーが鳴ってプラネタリウムが始まった。同時に、少ない照明が消えて周囲が一気に真っ暗に。
缶の表面どころか、隣のエリアの顔も見えなくなる。
まぁ飲めれば何でもいいや。と俺はプルタブを起こした。
中身は甘い乳酸菌飲料みたいだった。ちびちびと喉に流し込むと、少しだけ気分が落ち着く。
しばらくして、天井に満天の夜空が浮かび上がり、観客達の小さなどよめきが各所で起こった。
煌めく星々を眺めていると、痛みも幾分か引いていく気がした。プラネタリウムなんて子どもの時以来だけど……やっぱりいいな。心が安らぐ気がする。
「素敵……」
エリアもうっとりとしたような声でそれらに魅了されているご様子。
「星なんて……空に浮かんでる変な光程度にしか思ってなかったけど……こうして見ると、なんだか芸術品みたいね」
「ちょっとは落ち着いた?」
「ええ、ありがとう」
いつもの彼女に似合わず、素直な礼を言われた。休憩所代わりに訪れたけど、来て正解だったな。
上映内容は、主に夏の正座についてだった。
大三角形。デネブとアルタイルとベガ。
そしてそれらを横切っているのは、綺麗な天の川。
「織姫と彦星……ねぇ」
アルタイルとベガになぞらえて七夕の伝説が解説されていると、不意にエリアが呟いた。
「可哀想よね。二人は愛し合ってたのに、引き離されて一年に一回しか会えないなんて」
「まぁ仕事放ったらかして、遊んでばかりいたっていうのもあるからね」
「でも、彼らの気持ちはわかる気がする」
漫研のときのようなしんみりした口調で彼女は続けた。
俺は、闇に隠れて見えない彼女の表情を見ながら聞いていた。
「互いを愛したい。他の全てを投げうってでも、ずっと一緒にいたい。それが、二人の意思だったんだと思う」
「……」
「でもその意志を貫こうとするのが許されないって……なんか変だわよね。やりたいこともできない、ただ神様とやらの言いなりになるしかない……すごく、すごく可哀想」
「エリア……」
「私は……そんなのいや。だって……つまらないもの」
ぎゅ、と彼女がスカートを握りしめる音がかすかに聞こえた。
ただの御伽話なのに、やけに真剣になっている。
だが、エリアが織姫と彦星の気持ちをわかるというように、俺も彼女の気持ちが理解できたような気がした。
彼女は何よりも強い自分の意志を持っていて、それを成し遂げようとしている。ワイヤードの掟でも示されている通り、自らの意思は絶対に曲げてはならず、他人に流されることがあってはならないという生き方を絶対視しているのだ。
だからこそ、こういう物語は疑問に感じるところがあるのかもしれない。
「あのさ……」
そんな彼女に、俺は何か言いかけようとした。
だがその瞬間に、体がふわっと浮くような心地に誘われた。
頭の中がとろんとしてきて、頭上に浮かんでいる星星が靄がかかったように見えてくる。
あれ……どうしちゃったんだろ俺……なんか……眠い……?
意識が朦朧としてくる。顔を両手ではたこうとするけど、その手もまともに動かない。
どうしようか考えてるうちに、とうとう視界が暗転。微睡みの世界へと俺は落ちていった。
○
「はっ!?」
気がつくと、天にはまだ綺麗な星の散りばめられた空が広がっていた。
よかった、最後まで寝落ちしちゃってたかと思ったよ。
ほっと安堵の息を吐いたの同時。
「起きた?」
にゅっ!
といきなり人の顔が空に現れた。
「わわわっ!」
思わず変な声を上げて俺はその場から跳ね起きた。
よくよく見たら俺が今寝ていた場所はプラネタリウム会場ではなく、簡素なベンチの上だった。
ていうか、屋外だった。
「あれ? え? 何ここ、どこ?」
「まだ寝ぼけてるの、我が婿」
さっきいきなり現れた顔……もとい銀髪紅眼のエリアさんは呆れたように言ってきた。
落ち着け、一体どうなってる? プラネタリウムにいたと思ったら、いきなり眠くなって……気がついたときには屋外のベンチで寝ていた。
うん、整理してみても全然わからん! どうなってんだこれ。
「落ち着きなさいよ。そんなにすぐに動いたら、また体調壊すわよ」
「はぁ? どういう意味だよ」
エリアは小さく肩を竦めると、そっと俺に何かを見せてきた。
それは、さっき彼女から渡された缶ジュースであった。
いや、ジュースという点は撤回しなくてはならない。なぜなら……下部の方にはでっかく「お酒」と明記されてあったのだから。
「マジかよ……」
要するに今まで泥酔してたってわけだ。別に酒に弱いわけじゃないが、あそこまで疲労してた状態で飲んだらそうなるよ……。
「ごめん……よく確認してなかった」
「いや別に良いけど……」
俺は頭を掻いてそう軽く流す。悪気がないなら責められないからな。
ていうか珍しく謝ったな。いや、出会って初めて謝られた? もしかしてこいつの人生史上初の謝罪だったりする?
「失敬ね。いくらあたしでも自分が悪いと思ったときにはきちんと落とし前つけるわよ。だからあんたをここまで運んで、休ませてあげてたの」
「お前が?」
それはありがたいし、助かった。
でもここはどこなんだ? 屋外であるのは確かだけど……。
「一号館の屋上。酔い冷ましにはちょうどいいだろうと思って」
「屋上……!?」
よくよく見てみると、たしかにそこは屋上だった。
鉄柵の方まで行ってそこから少し乗り出してみると、下の方でまだワイワイと客で賑わっている様子が見える。
こんなところまでエリアは俺を……?
「大変だったわよ。あんた見かけの割に重いし、全然起きないし……膝が痛いったらもう……」
そう愚痴りながら彼女は、自らの太ももをパンパンと拳で叩いてほぐした。
膝が痛いって……。
そういえば、ベンチで横になっていたにしては妙に寝心地はよかったな。
まさか……。
「ずっと、膝枕しててくれたの?」
「……そりゃ、我が婿をこんな固いベッドで寝かせるわけにもいかないでしょ」
なんでもなさそうなふうを装いながら、彼女は平然とそう言う。
運ばせた上に、膝枕まで……。いや、こっちに非がないとはいえ、さすがに申し訳無い気がする。
「ごめん……色々迷惑かけて」
「いいわよ別に。悪いのはこっちだし」
意外にもそれ以上糾弾してくることもなく、しかも自分が原因だとはっきり認めるとは。
やっぱりどこかおかしいよ、今日のこいつ。
「こっちも色々迷惑かけたわね、でもありがとう。おかげで結構楽しかったわ」
「え、あ、ああ」
楽しかった……のだろうか。
俺にはどうも期待に添えた気がしなかった。デートしなさいってあちこち連れ回されて、かと思ったらなんか意気消沈させちゃって。……からの酔って寝落ち。
どう考えたってデートじゃないし、満足いく時間を提供できたとも思えないんだけど。
「何言ってるのよ。十分満足よ、あんたと一緒にいられたから」
「え?」
「我が婿と共に過ごせることが、あたしにとって一番楽しい時間だもの」
「……なんだよそれ」
反応に困るようなことを言われて俺は口ごもってしまう。
それを見てエリアは微笑しながら、前かがみになると頬杖をついた。
「おかしい? 帝王がこんな事言うの」
「……おかしくないよ」
確かにいつものエリアらしくない。だけど、美味しそうにクレープを食べたり、アクセサリーではしゃいだり、プラネタリウムに見惚れたりする彼女の姿を見ていると……なんだか……。
「普通の女の子、って感じがした」
「!」
言った途端、エリアの目が大きく見開かれた。
真顔になって黙っていた彼女だったが、その顔筋はすぐに緩んだ。
「ふ、ふふふふ……。そうか……あたしが、普通か……あんたにはそう見えてたってわけね」
「え? ああいや、帝王に相応しくないとかそういう話をしてるんじゃなくて」
「言い訳しなくていいわよ、怒ってないから」
ひらひらと手を振ってエリアは言う。
普通。それは本当に俺が思ったこと。服装や言動が変でも……立ち振舞いはただの平凡な女子大生そのものだった。
だからこそ、漫研を訪れた時のあのリアクションが気になって仕方がない。あれは帝王からも、普通の女の子からも、まるっきり離れた異様な態度だったのだから。
「なぁエリア……やっぱりあの漫研の……」
「はいはい、ちゃんと話すわよ」
みなまで言うなと言わんばかりに、エリアは観念して白状した。
自分が変貌してしまった理由と原因を、恐ろしく端的に。
「あいつのことが気になってたの」
「あいつって……未來?」
こくりと彼女は無言で頷く。
「あいつ漫画すごく嫌いだっていうのは知ってる?」
「ああ、本人から聞いた」
そういえばサークルを見学してまわってた時、彼女は漫研のポスターを見てた。それをクローラに指摘されて、地震が漫画などのサブカル系が嫌いであることを告白したんだった。
まさか、それに関係が……?
「あいつね、昔はすごい漫画が好きだったのよ。それで自分でもよく描いてたんだって」
「マジで!?」
「ええ。だけど、周囲からはオタクだなんだって、すごくいじめられてたの」
未來……そんなことがあったのか。
典型的なオタクいじり。
今でもやっぱりそういうのってあるんだな。
「だけど、それでもあいつは漫画に対する情熱は捨てなかった。描いて描いて描き続けたの。それが彼女の意思だったから」
「……」
「そしていつからか知らないけど、あいつに友達ができたの」
「友達?」
「ええ。そいつは未來と同じように漫画が好きで、一緒に描いたりとかして意気投合してたらしいわ」
未來に友達……そんなの聞いたこともなかった。ていうか、そんなのがいるようには見えなかったし。今でも連絡取り合ってたりとかするのかな?
「それはないわね」
「なんで?」
「だって……あいつが漫画を嫌う理由って、その友達なんだもの」
「ええ!? ど、どういうことだよ?」
衝撃の事実に度肝を抜かれた俺が問うと、彼女はベンチに背中を預けながら夜空を見上げた。
「裏切られたのよ。そいつに」
「裏切られた……?」
「詳しくは知らないけど、そのせいであいつは心を閉ざした。そしてあれだけ好きだった漫画にも絶望した。こんなもののせいで、自分が辛い思いをしたんだって」
「そんな……」
いじめられて、唯一信頼できた友人からも裏切られ……。
そのせいで、好きだったものを嫌いになってしまった。
辛い。辛すぎるだろ、そんなの……。
やるせない気持ちになっている横で、エリアは小さくため息を吐いた。
「だけどあたしはね、あいつが芯から漫画を嫌いになってるようには思えないの」
「……そう簡単に捨てきれなかったってこと」
「ええ。彼女は嫌いになったんじゃなく、嫌いと言わざるを得なくなったのよ」
「……というと?」
「好きなものを好きというだけで、ひどい仕打ちを受ける。自分の意志を通そうとすると必ずそれを捻じ曲げようとしてくるのがいる。そんなこの世界に絶望したのよ、あいつは。だから必死で自分を偽ってる。『漫画なんてくだらない』と思い込もうとしてるの」
「……」
「あたしはそれが我慢ならなかった」
ぐっ、とエリアの両手の拳が握りしめられる。彼女の憤りが言葉にせずともひしひしと伝わってきた。
「だって、なんであいつが我慢しなくちゃいけないの? なんにも悪くないのに、ただ漫画が好きっていうだけで迫害されなきゃいけない。それってそんなに悪いこと? あたしはそんなこと思わない」
「……」
「あたしが漫画に初めて触れた時、あいつが没頭する理由が瞬時にわかった。すごく面白いし、それを描ける人ってすごいって感心した。なのになぜ……?」
それはわかる。
俺だって我慢ならない、人の趣味なんて勝手なのに、どうしてそれを理由に虐げる権利などがあろうか。
「技術や文化の違いなんてどうでもよかった。あたしがこの世界に来て驚いたのは……そういう『誰もが意思を封じ込めなくちゃ生きていけない』ってとこよ」
「エリア……」
「つまらない……誰も他人に流されることを、全体に合わせることを強要される。本当につまらない世界だって思った」
「だから、この世界を変えようと思ったのか?」
「そうよ。あたしがもう一度興すワイヤードではそんなことさせない。絶対に誰の意思も曲げさせやしない。誰もが自分の心のままに進める世界を目指す。そのためにあたしはどんな事があっても自分の意志を貫くし、言いたいことも言っていく。あいつが言えなかった分までね」
本当は漫画が好きなんだ。漫画が描きたいんだ。
そんな意志を、彼女は奪われた。この世界に、握りつぶされた。
どれだけ技術や才能があっても、意思がなければ作品は出来上がらない。さっき漫研の部員が言っていたこと。それは的確に今の未來に突き刺さってしまっていたわけだ。
エリアの様子がおかしかった理由が、これでようやくわかった。
「大切に想ってるんだな、未來のこと」
「……別に。あたしはああいう建前だけの生き方してる奴が嫌いなだけよ」
自らを偽って、意思を捨てた未來。
自らの意思を絶対のものとし、どこまでも自分に正直なエリア。
何もかもが正反対なこのコンビ。だけど、それは必ずしも反発しあっているわけじゃないんだな。
そう考えると、俺の中の二人に対する印象がだいぶ変わってきた。
「どう、これで納得いったかしら?」
「ああ、なんか肩の荷が下りた気分」
まったく、ようやくスッキリしたぜ。所狭しと埋め尽くしていたもやもやが晴れ、心に余裕が生まれてきた。
そりゃもう、上空の星空を眺めて綺麗だなーと思うくらいには。
やれやれ、プラネタリウムを見てたつもりが、いつの間にか本物の夜空を見ることになるとはね。気苦労が多いと大変だよ。
……って。あれ?
夜空?
夜?
待てよ、待て待て。
俺もしかして大切なこと忘れてる?
今は夜、今日は学祭……学祭の夜……。
「……後夜祭、キャンプファイヤー」
――ゆーびきりげーんまんっ!
三人で交わした約束が脳内にフラッシュバックする。
まずい、完全に忘れてた!
急いでスマホで時間を確認すると、もう開始まで十分を切っていた。だが過ぎていないだけ僥倖なんてサラサラ思わない。
だってそのスマホには、無数の着信履歴が残っていたのだから。
全部リファから。一時間ほど前から十分おきに。
やばいやばいやばい! 一番気に留めとかなきゃいけないことを、エリアと未來の件で隅に追いやってしまっていたなんて、なんて俺は馬鹿なんだ!
「……早く行けば?」
俺がワチャワチャとしていると、エリアが俺の方を見ないで呟いた。
「エリア……?」
「わかってるわよ。あの二人のところに行くんでしょ?」
「……知ってたのか」
「知らなくてもわかるわよ。それにこれ、渡してあげるんじゃないの?」
と言って、彼女は何かを俺に押し付けるように手渡してきた。
それはビニル袋に入った、ラッピングされた小物が二つ。
さっきハンドメイド部で買った、リファとクローラへのプレゼントだった。
「寝ている間、大事そうに抱えてたわよ」
「ありがとう……」
俺が礼を言うと、エリアは俺にくるりと背を向けた。
「じゃあ、今日はこのへんでお別れね。楽しかった」
「ああ。じゃあな」
なにか気の利いたことの一つでも言っておくべきかと思ったが、不器用な俺にはどうにも考えつかなかった。
そしてそのまま踵を返し、待ち人達の元へと行こうとした。
その時。
「我が婿!」
彼女が呼び止めてきた。
俺が振り返ると、彼女も同じようにこちらを振り向いた。
淡い光に照らし出されたエリアの顔は、もうさっきのような落ち込んだ表情ではなく……いつもの高慢でタカビーでわがままな、エイリアス・プロキシ・スプーフィングのものだった。
「さっきも言ったけど、あたしは自分を曲げないわよ」
「……?」
どういう意味だ、と一瞬思ったがその答えはすぐに彼女の口から出た。
「あんたは……絶対にあたしのものにするんだから! いつかきっと、この予知書通りの未来を現実にしてみせる!」
そう言って、その銀髪紅眼の少女は腰のホルダーに収まっていた、分厚い書物を掲げてみせた。
そして得意げに胸を張って、声たかだかに叫ぶ。自分を見下ろす星全てに響き渡せるように。
「それが……あたしの意思だから!」
「……」
俺は否定も肯定もしなかった。
彼女が自分の意志を貫くと宣言したように、俺の意思も妥協するつもりはない。
だけど、それぞれの意志は、個人が個人である唯一の証。それを奪ったり否定したりする権利は誰にもない。
大切なのは、他人の意思を尊重しあうこと。たとえ自分の意思と真っ向からぶつかりあうものだとしても。
だからこそ、俺は笑ってこう返すのであった。
「頑張れよ」
「そっちもね」
俺がしたように、彼女も尊重してくれた。
そう、今は……これでいい。
俺はエリアに軽く手を振ると、今度こそその場を後にした。
学祭一日目、最後のイベント……後夜祭が、もうすぐ始まる。
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