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第2部 第9章
第3話 今晩は一緒にいたいと誘ったら
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その日の晩は、いやに体調が悪かった。
特にお腹の辺りが痛く、離れの小屋にあるソファーに寝転がったまま動けずにいるほどだ。
「別に失敗してもいいだろう。リオネル殿下が依頼したのだから、なにかあれば殿下が悪い。責任は上が取るものだよ」
「繊細なんだよー」
「私が繊細じゃないみたいに言うね?」
俺の寝るソファーの肘置きにユーリが腰掛けてくる。
傍に形のよいお尻があっても、いまは別の動揺が上書きしている。腕で目元を隠して、暗闇に世界を沈めた。
「ありがと」
「おや? なんのことだい?」
ちゃんとお礼を言っているときに限って、ユーリは惚けてみせる。
本当に捻くれている。
性格が目に見えるのなら、真っ直ぐではなく、それは螺旋階段のように曲がっていることだろう。
「今夜だよ、一緒にいてくれて」
夜もすっかり更けてきた。
本来なら、寮の門限があって、離れの小屋でこうして寝てなんていられない。けど、俺が『今晩は一緒にいたい』と伝えると、ユーリは目を見開いたあと、苦い笑みを浮かべて言った。
『……旦那様は罪な人だ』
緊張で寝られない、1人でいたくない、と縋るのは罪というよりは情けないと思うのだが、ユーリは『そういうことじゃないよ』と先を行ってしまった。
その意味はいまだに判然としないが、こうして一緒にいてくれるのはありがたかった。
「門限破りを気にしている旦那様が、夜もこうして一緒にいてくれるのは私にとっても嬉しいことだからね」
「……言うなよぉ」
寮母さんに許可なんて取ってない。下りるとも考えてなかった。
無断で、だからあとで叱られるのは決定事項だ。より体が重くなるが、それでも明日を恐れて、1人で部屋にこもっているよりはずっといい。
はー、と重たい息を吐き出す。
「慣れてないんだよ、こういうの」
「展覧会で少し店を出すだけだろう?」
「それだけならこうはならないけど」
リオネル殿下が直々に依頼してきた以上、それだけで済むはずがないのは想像できる。
国内だけじゃなく、他国の人もくる。中には重鎮もいるだろう。
そんな人たちに、うちで新しい金脈が見つかったと宣伝しなくてはいけないのだから、胃も痛くなるし、頭だって風邪を引いたように重くなる。
「社交界なんてほとんど顔を出してなかったから……ほんと嫌だわ」
「私と一緒だ」
「なんで嬉しそうなの?」
声音が明るくなって困惑する。
「それなら、私がやろうか?」
「え」
驚いて、目元を隠していた腕を外すと、蒼い宝石が月のように煌々と輝いていた。
「旦那様は裏方に徹すればいい。顔役は私がやろう。なに、こういうことには慣れている。安心して任せていいんだよ?」
それは甘い誘いだった。
無意識に頷いてしてしまいそうな、甘美な誘惑。
俺なんかが店に立つより、ユーリの方が花もあり、品もある。公爵令嬢として社交の場にも慣れているユーリなら、つつがなくこなしてくれるはずだ。
俺なんかよりもずっといい。上手くやる。
……でも、
「自分でやるよ」
任せるわけにはいかなかった。
「どうしてだい?」
「俺が任されたことで、俺がやるべきことだから」
王族からの依頼だ。
断れなかったというのは事実。けれど、やると決めたのは俺だ。それをやってくれるからと、他人に任せるのはあまりに不誠実だ。こうして、情けなくも一緒にいてくれ、ということよりも俺には罪深く思える。
「それは、君が子爵家の子息だからかい?」
「俺が決めたことだから」
子爵家の子どもだろうが関係ない。
「俺が決断したことなのに、他人に任せたんじゃ……格好つかないだろ」
甚だ子どもっぽい理由だが、それが理由だった。
直前になって怖気づいて逃げるなんて、あまりにも情けない。それに……と、ユーリを見上げて、口にはしない理由を心の水面に浮かべる。
これくらいできなくちゃ、ユーリの隣に立つなんて夢にもできやしない。
「――旦那様、好きだよ」
突然、ユーリが折り重なるように抱きついてきた。
「は、え、なに?」
前触れもない行為に、火花を散らすように世界が明滅する。
驚く俺に構わず、俺の首に両腕を回して、あらん限りの力で引き寄せてくる。
「……心の声でも漏れてた?」
「おや? 私がこうするようなことを思ってくれたのかな?」
「失言だった」
教えてくれよ、と耳元で囁いてくる。
その吐息に体が震えて、胸板に感じる彼女の柔らかさにのぼせ上がりそうだ。
「それはあとで君の体に聞き出すとして」
「やめて」
艶めかしい声を出さないで。
「こうしたいと思ったのは、君が君自身の意思で決めたからだ。子爵家の息子としてではなく、君自身でね」
「どういう意味?」
「それに、旦那様も悪いんだよ?」
俺の疑問には答えず、ユーリは顔をわずかに持ち上げると、重なるような距離で見つめてくる。その頬は幼気に膨らんでいて、不満を溜め込んでいた。
「『今晩は一緒にいたい』だなんて……期待しても仕方ないだろう?」
「……? ――っ!?」
一瞬、意味がわからなかったが、すぐに理解して顔が熱くなる。暖炉の火に負けないほどで、そのまま灰になってしまうんじゃないかってくらいに熱かった。
ユーリには見えないのに、彼女の背中側でぱたぱた忙しなく手を振る。
「や! 違くて! そういう意図はまったくなかったというか、ただ不安だったから一緒にいてほしくて……!」
「そうだよね、旦那様は純粋だから」
でも、と室内を照らす暖炉の火に揺れるユーリの顔は、赤くどことなく艶めかしく見えた。
「抱きしめるくらい……いいだろう?」
そう言って、離れていた距離を詰めて、体を重ねてくる。
体温も、心臓の音も、すべて溶け合うような感覚。
俺はといえば、もはや体の境界線がどこにあるのかも曖昧になって、蒸し風呂に長時間入っていたように朦朧としている。
「……今晩は一緒にいよう?」
「はぃ」
自分で言い出しておいて、否と言えるはずもなく。
閨の囁きのようなしっとりとした声に、喉がぎゅうっと萎む。
鉱輝祭の不安なんてそれこそ蒸気のように消えてしまったが、かといってこの状況で穏やかに眠れるわけもなく。
ただただ幸せな責め苦に耐える、そんな夜になった。
◆第9章_fin◆
__To be continued.
特にお腹の辺りが痛く、離れの小屋にあるソファーに寝転がったまま動けずにいるほどだ。
「別に失敗してもいいだろう。リオネル殿下が依頼したのだから、なにかあれば殿下が悪い。責任は上が取るものだよ」
「繊細なんだよー」
「私が繊細じゃないみたいに言うね?」
俺の寝るソファーの肘置きにユーリが腰掛けてくる。
傍に形のよいお尻があっても、いまは別の動揺が上書きしている。腕で目元を隠して、暗闇に世界を沈めた。
「ありがと」
「おや? なんのことだい?」
ちゃんとお礼を言っているときに限って、ユーリは惚けてみせる。
本当に捻くれている。
性格が目に見えるのなら、真っ直ぐではなく、それは螺旋階段のように曲がっていることだろう。
「今夜だよ、一緒にいてくれて」
夜もすっかり更けてきた。
本来なら、寮の門限があって、離れの小屋でこうして寝てなんていられない。けど、俺が『今晩は一緒にいたい』と伝えると、ユーリは目を見開いたあと、苦い笑みを浮かべて言った。
『……旦那様は罪な人だ』
緊張で寝られない、1人でいたくない、と縋るのは罪というよりは情けないと思うのだが、ユーリは『そういうことじゃないよ』と先を行ってしまった。
その意味はいまだに判然としないが、こうして一緒にいてくれるのはありがたかった。
「門限破りを気にしている旦那様が、夜もこうして一緒にいてくれるのは私にとっても嬉しいことだからね」
「……言うなよぉ」
寮母さんに許可なんて取ってない。下りるとも考えてなかった。
無断で、だからあとで叱られるのは決定事項だ。より体が重くなるが、それでも明日を恐れて、1人で部屋にこもっているよりはずっといい。
はー、と重たい息を吐き出す。
「慣れてないんだよ、こういうの」
「展覧会で少し店を出すだけだろう?」
「それだけならこうはならないけど」
リオネル殿下が直々に依頼してきた以上、それだけで済むはずがないのは想像できる。
国内だけじゃなく、他国の人もくる。中には重鎮もいるだろう。
そんな人たちに、うちで新しい金脈が見つかったと宣伝しなくてはいけないのだから、胃も痛くなるし、頭だって風邪を引いたように重くなる。
「社交界なんてほとんど顔を出してなかったから……ほんと嫌だわ」
「私と一緒だ」
「なんで嬉しそうなの?」
声音が明るくなって困惑する。
「それなら、私がやろうか?」
「え」
驚いて、目元を隠していた腕を外すと、蒼い宝石が月のように煌々と輝いていた。
「旦那様は裏方に徹すればいい。顔役は私がやろう。なに、こういうことには慣れている。安心して任せていいんだよ?」
それは甘い誘いだった。
無意識に頷いてしてしまいそうな、甘美な誘惑。
俺なんかが店に立つより、ユーリの方が花もあり、品もある。公爵令嬢として社交の場にも慣れているユーリなら、つつがなくこなしてくれるはずだ。
俺なんかよりもずっといい。上手くやる。
……でも、
「自分でやるよ」
任せるわけにはいかなかった。
「どうしてだい?」
「俺が任されたことで、俺がやるべきことだから」
王族からの依頼だ。
断れなかったというのは事実。けれど、やると決めたのは俺だ。それをやってくれるからと、他人に任せるのはあまりに不誠実だ。こうして、情けなくも一緒にいてくれ、ということよりも俺には罪深く思える。
「それは、君が子爵家の子息だからかい?」
「俺が決めたことだから」
子爵家の子どもだろうが関係ない。
「俺が決断したことなのに、他人に任せたんじゃ……格好つかないだろ」
甚だ子どもっぽい理由だが、それが理由だった。
直前になって怖気づいて逃げるなんて、あまりにも情けない。それに……と、ユーリを見上げて、口にはしない理由を心の水面に浮かべる。
これくらいできなくちゃ、ユーリの隣に立つなんて夢にもできやしない。
「――旦那様、好きだよ」
突然、ユーリが折り重なるように抱きついてきた。
「は、え、なに?」
前触れもない行為に、火花を散らすように世界が明滅する。
驚く俺に構わず、俺の首に両腕を回して、あらん限りの力で引き寄せてくる。
「……心の声でも漏れてた?」
「おや? 私がこうするようなことを思ってくれたのかな?」
「失言だった」
教えてくれよ、と耳元で囁いてくる。
その吐息に体が震えて、胸板に感じる彼女の柔らかさにのぼせ上がりそうだ。
「それはあとで君の体に聞き出すとして」
「やめて」
艶めかしい声を出さないで。
「こうしたいと思ったのは、君が君自身の意思で決めたからだ。子爵家の息子としてではなく、君自身でね」
「どういう意味?」
「それに、旦那様も悪いんだよ?」
俺の疑問には答えず、ユーリは顔をわずかに持ち上げると、重なるような距離で見つめてくる。その頬は幼気に膨らんでいて、不満を溜め込んでいた。
「『今晩は一緒にいたい』だなんて……期待しても仕方ないだろう?」
「……? ――っ!?」
一瞬、意味がわからなかったが、すぐに理解して顔が熱くなる。暖炉の火に負けないほどで、そのまま灰になってしまうんじゃないかってくらいに熱かった。
ユーリには見えないのに、彼女の背中側でぱたぱた忙しなく手を振る。
「や! 違くて! そういう意図はまったくなかったというか、ただ不安だったから一緒にいてほしくて……!」
「そうだよね、旦那様は純粋だから」
でも、と室内を照らす暖炉の火に揺れるユーリの顔は、赤くどことなく艶めかしく見えた。
「抱きしめるくらい……いいだろう?」
そう言って、離れていた距離を詰めて、体を重ねてくる。
体温も、心臓の音も、すべて溶け合うような感覚。
俺はといえば、もはや体の境界線がどこにあるのかも曖昧になって、蒸し風呂に長時間入っていたように朦朧としている。
「……今晩は一緒にいよう?」
「はぃ」
自分で言い出しておいて、否と言えるはずもなく。
閨の囁きのようなしっとりとした声に、喉がぎゅうっと萎む。
鉱輝祭の不安なんてそれこそ蒸気のように消えてしまったが、かといってこの状況で穏やかに眠れるわけもなく。
ただただ幸せな責め苦に耐える、そんな夜になった。
◆第9章_fin◆
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