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1章【始まりと記憶】
3.心から笑えた瞬間
しおりを挟むこの環境を変える必要がある。安心して野放しに出来るくらいの信頼を得る必要がある。
信頼を得るには、相手に取り入るべきだと一切の抵抗をせず、口答えもせず、積極的に公務に協力する姿勢を見せ続けるしかない。
相変わらず大した事の無い疲労を癒しに来ている国王が、胡乱な目でこちらを見ていた。
「随分と従順になったものだ」
「…痛いのは、嫌ですから。」
国王が殴ったという経緯は都合のいい理由付けになった。
暴力を恐れて従う。そう思わせれば不自然じゃない。
「ふ、最初から殴っておけば良かったな。…いや、神の使いともあろう神子に手を上げてしまったのは畏れ多い事をした。」
───神なんて信じていないくせに。
俺の顎に手をかけて、上を向かせる国王の目は加虐的に輝いている。恐れる俺を見るのはさぞ愉しいことだろう。
「…私はあまりにも反抗的でした。もし殴られるでなく斬られていたらと思うと、とても怖かったのです。」
こちらから目を伏せて視線を外し、国王自ら斬りつけた司祭の事を匂わすとニヤリと口元を歪めて満足気に部屋を去って行った。
「神子様、公務のお時間です。」
「…わかってる」
何にも逆らわない。公務も嫌がらず、無心で力を使い続ける。
一切の油断をせず、目的に向かって動く事こそが希望に繋がるんだと自分に言い聞かせて日々を消化した。
「神子様、今日も公務お疲れ様です」
「ありがとう王子。今日も話を聞かせて欲しい」
国王と通じている王子の相手も蔑ろにしない。全てが信用に繋がるから。
態度を軟化させた俺に、驚きながらも嬉しそうに笑みを浮かべて俺の座る長椅子の対面に座り、今日あったことを話す王子に相槌を打つ。
「…神子様、その……やはりお名前は、教えて貰えないのですか?」
「……前の世界の名前は、捨てたんだ。神子であり、それ以上もそれ以下もない。」
「そう、ですか……私の名前は」
「知ってる。知ってるけれど、これは神子である存在としての線引き。俺は誰の名前も呼ばない。」
「………わかりました。」
従順に、信用を得るために。
それでも決して、これだけは。お前らの世界の人間に名前を呼ばせたりしない。呼びたくもない。
ひたすら従順に過ごせば、公務中の拘束が徐々に減っていった。そうしているうちに公務中の猿轡も外された。外れたところで公務中に言葉を発することは無かったが。
他所の世界の貴族なんて欠片も興味がわかない。
──日々を消化する中で、王子は変わらず日参し、国王も日々の疲れを癒しに来る。
部屋から出ることもなく、何を求めることもない。
信頼されるには相応の時間がかかるものだと、元の世界で習ったから。
「…窓の外を…開けなくてもいいので、窓の外を見てもいいですか?」
始めは騎士に囲まれながら見る外の景色。
やはり中世のようだ。庭園と、高い高い城壁が見える。危ないからと言われれば素直に従い、娯楽のない部屋での楽しみと称して頻繁に外を眺めた。
ゆっくりと信用を得る。そうして次第に騎士の数は減り、俺との距離も開いていく。
「神子様、今日は庭園で今年一番に咲いた花を摘んできました。」
「ありがとう王子。…うん、いい香りだ。
「気に入ってくれました?」
外をよく眺めると知った王子が、最近は毎日一輪ずつ花を持ってきていた。
ぱっと花開くような笑顔で俺の反応を喜ぶ。
「真っ赤な花は、神子様の白い肌に映えますね。」
「そうかな。」
元々、弓道部なのもあって日焼けはあまりしてなかったが。ここに来て公務以外で出歩くことも無い日々に、肌は白く、筋肉は落ちて細くなった。
王子の話から推測するに、花が散り、また咲くくらいには月が巡っている…ここに来て、半年くらいか。
意識をすると鼻ガツンとしてしまう。
(駄目だ。悲しむな。コイツらに感情を見せてやるのも勿体ない)
少しの感情だって分けてやらないんだと背筋に力を入れ直した
俺のそんな心情なんて知らない王子はにこにことしながらしばらく話し、不意に思い出した!と手を叩いて見せた。
「神子様にプレゼントを用意したのでした。取ってきてもいいですか?」
「いいよ。どうせ公務も終わって暇だから」
「すぐに戻りますね!」
早足で部屋を辞した王子の背中を見送り、花の香りを嗅いでいると、この時間には珍しく国王が部屋に入ってきた。
「神子、癒しを。………なんだこの臭いは」
「この、花の香りです」
「私は好まない香りだ。」
珍しく、国王の顔が不快に歪む。
「申し訳ございません、すぐ換気しますね。」
足早に窓に向かい、自ら換気をする。
何気なく外に目を向けて、また国王に目線を移した。
「……この世界に、季節はあるのですか?」
「ほう、珍しく興味を示したな。」
「先程、王子が今年最初の花を摘んできたとおっしゃったので。……本当に、良い景色ですね。」
換気を待つ為に窓辺に座り、再び景色を愛でると王もこの世界の気候を説明し始めた。どうでもいい情報に興味深そうな反応を返す作業にも慣れたものだ。
───部屋の外からパタパタと足音が聞こえる。
「お待たせしましたっ………父上、いらっしゃったのですか」
「アレクシスか。王族たるものそのように廊下を走っては…」
───王子が部屋に駆けつけたことにより、騎士達や国王からの意識が逸れた。
…………あぁ、今だ。やっと来た。この一瞬を待ち侘びていた。
次の瞬間にこちらに注意を向けたが、もう遅い。
俺は最初から最後までこの瞬間だけを狙ってたんだ。ざまあみろ。
「お前らの思い通りになんかしてやらねぇよ、ばーか」
この世界に来てから、初めて心からの笑顔を出して窓の外へと倒れた。
僅かに残った恐怖心が身体の落ちる感覚に怖気付くが、それ以上に喜びが勝った。
もう死んでもいい。死んで、次の人生でもいい。俺を帰してくれ。世界に、帰してくれ。元の世界へ────
思考は途中で途切れて、終わった。
───そうして。俺の一生は幕を閉じた。
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