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前京都所司代、土井家中の中間と名乗った男が店先で騒ぎを起こした晩、半次郎は店主である父の部屋へ呼びつけられた。
帳場奥にある客間、その先にある父の座敷へ足を踏み入れるのは、戯作本をごっそり買い込んだ寺町の書肆から店主が代金を受け取りに乗り込んできた時以来である。
夕飯の後、板敷で丁稚に腰を揉んでもらった半次郎はやっと一人で歩けるようになった。薄ぼんやりと暗い廊下をよろめいて進む。
座敷の襖前から声をかけた。
早う入り、と苛立った声が聞こえ、おずおずと襖を開けて畳に膝を進めた。
父の吉蔵は、結城縞の羽織の胸前で腕組みして、厳めしい顔である。
「なんや、このところお前が神妙に店に出とるて聞いて感心しとったら、えらい騒ぎがあったらしいな。どういうことか、ようと聞かせてもらおうか」
文机越しにいきなり問い詰められて、半次郎はひたすら身を縮めて首を傾げる。
「それが、ただ悪口祭りの晩、祇園さんの境内を歩いていただけやのに、あの男に因縁をつけられたんですわ。どうしようもありまへんでした」
煙草盆から煙管を取り出し、吉蔵は煙草の葉を火皿に詰める。
「お前が若旦那まる出しで、ふらふら暢気そうに歩いているからやろ、ほんま困った奴やな……。ええか、そんな調子やったら佐世ちゃんとの縁談もなかったことにするから、よう覚悟しときなはれ」
「ええっ、それは勘弁してください、これからは店に出ますよって」
眉根を寄せ金壺眼で睨みつけてくる父の前に、半次郎はにじり寄った。
「いやいや、そのくらいではあかん、これ以上なんか起こしたら家から放り出す、もういい加減に戯作三昧やめて、商いを覚えんと勘当や、ええか、わかったか!」
目障りだと言わんばかりに顎をしゃくられて、半次郎はしおしおと父の座敷を退いた。
《なんもかんも、あの男のせいや。中間頭かなんか知らんけど、鎖鎌なんぞ持ち出しよって。あんなもん、『彦山権現誓助剣』の芝居の中だけやと思うとった。ほんまついてないわ……佐世ちゃんとは小さい頃から好き合うた仲やから、心配あらへんけど》
ぼやきながら二階の自室へ戻る半次郎の背中を、台所から顔を出した女衆らが額を寄せ合って眺めている。
「まさか勘当はしはらへんやろ?」
「どうやろ、縁談は壊れるかもしれんな。どこのお店も商いが厳しい時やから、紅やさんもお相手をしっかり選ばんといかんし」
「そらそうや……あの娘は別嬪の上、えらい賢いからな」
半次郎には、その囁きは聞こえていなかった。
明くる日から半次郎は、朝飯を済ませると手代の茂吉について店の蔵に入った。四方の壁一面に据えらえた棚を埋め尽くす帯の種類、手入れの仕方、季節ごとの保管場所について教えられた。
茂吉の話を聞きながらも、半次郎はまたあの男が店に来るのではないかと気も漫ろである。
「いいですか、若旦那さん、梅が咲きだしたらすぐに店の棚から梅や鶯の柄は片付けて桃や桜、橘の柄を並べていきますのや……、これ、聞いてはりますか!」
何度もそう言われて気を入れ直して、戯作本を開く暇もなく商いを覚える日々が半月ほどは続いていた。
二月朔日、蔵の中で茂吉と半次郎は店の棚に並べる帯を選んでいた。春夏の帯の柄は鮮やかで心浮き立つ柄が多い。燕や雀、燕子花、撫子、藤など色とりどりである。
「そうか、とうとう如月に入ったんやな。梅の便りもそろそろや」
半次郎は夏帯の列に目をやったまま落ち着きのない腰つきとなった。
「それは夏帯ですよって、まだ並べられまへん」
「そんくらいわかっとる、ちょっと店先の様子をみてくるわ」
「若旦那はん、これ、待ちなはれ! ああ、せっかく商いに性根を入れはったと思うとったのに」
半次郎は蔵を飛び出すと、坪庭から路地を抜けて表通りに出た。
顔を上げれば、春めいた薄青い空を雲雀が賑やかに横切って飛び過ぎる。店先に目をやると、買い物客がちらほら出入りする普段と変わらぬ光景である。あの不吉な男の姿はない。
胸を撫で下ろして店に戻ろうとすれば、上背のある若い男が一人、手持ち無沙汰に軒下に佇んでいるのが目に入った。
「ああ、長助やないか、久しぶりやな。なにしてるんや」
帳場奥にある客間、その先にある父の座敷へ足を踏み入れるのは、戯作本をごっそり買い込んだ寺町の書肆から店主が代金を受け取りに乗り込んできた時以来である。
夕飯の後、板敷で丁稚に腰を揉んでもらった半次郎はやっと一人で歩けるようになった。薄ぼんやりと暗い廊下をよろめいて進む。
座敷の襖前から声をかけた。
早う入り、と苛立った声が聞こえ、おずおずと襖を開けて畳に膝を進めた。
父の吉蔵は、結城縞の羽織の胸前で腕組みして、厳めしい顔である。
「なんや、このところお前が神妙に店に出とるて聞いて感心しとったら、えらい騒ぎがあったらしいな。どういうことか、ようと聞かせてもらおうか」
文机越しにいきなり問い詰められて、半次郎はひたすら身を縮めて首を傾げる。
「それが、ただ悪口祭りの晩、祇園さんの境内を歩いていただけやのに、あの男に因縁をつけられたんですわ。どうしようもありまへんでした」
煙草盆から煙管を取り出し、吉蔵は煙草の葉を火皿に詰める。
「お前が若旦那まる出しで、ふらふら暢気そうに歩いているからやろ、ほんま困った奴やな……。ええか、そんな調子やったら佐世ちゃんとの縁談もなかったことにするから、よう覚悟しときなはれ」
「ええっ、それは勘弁してください、これからは店に出ますよって」
眉根を寄せ金壺眼で睨みつけてくる父の前に、半次郎はにじり寄った。
「いやいや、そのくらいではあかん、これ以上なんか起こしたら家から放り出す、もういい加減に戯作三昧やめて、商いを覚えんと勘当や、ええか、わかったか!」
目障りだと言わんばかりに顎をしゃくられて、半次郎はしおしおと父の座敷を退いた。
《なんもかんも、あの男のせいや。中間頭かなんか知らんけど、鎖鎌なんぞ持ち出しよって。あんなもん、『彦山権現誓助剣』の芝居の中だけやと思うとった。ほんまついてないわ……佐世ちゃんとは小さい頃から好き合うた仲やから、心配あらへんけど》
ぼやきながら二階の自室へ戻る半次郎の背中を、台所から顔を出した女衆らが額を寄せ合って眺めている。
「まさか勘当はしはらへんやろ?」
「どうやろ、縁談は壊れるかもしれんな。どこのお店も商いが厳しい時やから、紅やさんもお相手をしっかり選ばんといかんし」
「そらそうや……あの娘は別嬪の上、えらい賢いからな」
半次郎には、その囁きは聞こえていなかった。
明くる日から半次郎は、朝飯を済ませると手代の茂吉について店の蔵に入った。四方の壁一面に据えらえた棚を埋め尽くす帯の種類、手入れの仕方、季節ごとの保管場所について教えられた。
茂吉の話を聞きながらも、半次郎はまたあの男が店に来るのではないかと気も漫ろである。
「いいですか、若旦那さん、梅が咲きだしたらすぐに店の棚から梅や鶯の柄は片付けて桃や桜、橘の柄を並べていきますのや……、これ、聞いてはりますか!」
何度もそう言われて気を入れ直して、戯作本を開く暇もなく商いを覚える日々が半月ほどは続いていた。
二月朔日、蔵の中で茂吉と半次郎は店の棚に並べる帯を選んでいた。春夏の帯の柄は鮮やかで心浮き立つ柄が多い。燕や雀、燕子花、撫子、藤など色とりどりである。
「そうか、とうとう如月に入ったんやな。梅の便りもそろそろや」
半次郎は夏帯の列に目をやったまま落ち着きのない腰つきとなった。
「それは夏帯ですよって、まだ並べられまへん」
「そんくらいわかっとる、ちょっと店先の様子をみてくるわ」
「若旦那はん、これ、待ちなはれ! ああ、せっかく商いに性根を入れはったと思うとったのに」
半次郎は蔵を飛び出すと、坪庭から路地を抜けて表通りに出た。
顔を上げれば、春めいた薄青い空を雲雀が賑やかに横切って飛び過ぎる。店先に目をやると、買い物客がちらほら出入りする普段と変わらぬ光景である。あの不吉な男の姿はない。
胸を撫で下ろして店に戻ろうとすれば、上背のある若い男が一人、手持ち無沙汰に軒下に佇んでいるのが目に入った。
「ああ、長助やないか、久しぶりやな。なにしてるんや」
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