機(はた)に咲く ~天保の京の町に、雪華よ舞え!

冬樹 まさ

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 店の土間に下り立った半次郎は、丁稚の抱える木箱に恐る恐る顔を寄せてみた。
 吐き気を催す腐臭をたてる芥は、切り落とされた魚の頭や尾、はらわたである。魚を捌いたあと、かなりの時が経っているようであった。昨晩にでも、魚屋の裏で拾ってきたのであろう。
 顔を上げて辺りを見廻せば、件の悪口あくたれ祭の男が腕組みして店の軒下に立っていた。足を怪我しているようには見えないし、薄笑いを浮かべて見据えてくる顔には血の気が差し、鰹縞の半纏を羽織って男振りが増している。

「なんや物騒なものを持ってきはって、なんのいけずですやろか」

 引き攣った笑い声をたてながら、半次郎は丁稚に芥を裏に捨てに行くように目で指図した。

「魚を食べて滋養をつけたんですがね、どうもまだ調子が悪いんでさあ。どうしたらいいか、ご相談ですよ」

「見たところ、しっかりした立ち姿で足は治りはったようで、顔色も冴えてますけどな」

 路地へと誘いながら、懐にある紙入れをさり気なく手で擦ってみる。金は用意してあるが、できれば渡したくない。何度も読み込んだ『東海道中膝栗毛』全巻に、気に入りの印伝の煙草入れを手放してまで用意した貴重な金である。

「舐めてもらっちゃ困りますぜ。春とはいえ冷えがきつくて、足は疼くし肺腑の方も調子が悪くて薬代が掛っていけねえ。若旦那だけが頼りなんです……げほっ」

 咳払いをして俯いた男は、顔を上げると笑みを消していた。

「もう手加減しねえ、ええっ、俺はなあ、前の京都所司代、名君であられる土井大炊頭おおいのかみ家中の中間頭だったんでさあ! 身体を壊して暇を貰い、今ではこの通りの有り様ですがね、ほんの小遣い程度の金では容赦できねえから、覚えてとくがいいぜ」

 路地に入りかけたところで凄まれて、半次郎は慄えが止まらない。
 男は組んでいた腕を解いて、素早く懐へ手を入れた。
 懐から取り出した右手には刃がぎらりと光る鎌が握られて、半次郎の首筋へと向けられる。鎌の柄には鎖が付いていて、胴に巻いているようであった。

「ひいっ、すんまへん、どうさせてもらいましょ」

 逆手に柄を握り、鎌の切っ先を半次郎の頸筋へと触れんばかりに寄せてくる。

「言わなけりゃわかんねえですかい、この若旦那は」

 鎌を振り上げて身構え、紅い唇の両端を上げて笑う男の姿は妖鬼じみている。こんな物の怪が出てくる戯作があったような気がするが……、今はそれどころではない。

「も、もちろんご用意してます、なけなしの金ですのや」

 息も絶え絶えになりながら懐から紙入れを出す。
 引きちぎらんばかりに紐を解いて紙入れを開ければ、小判と小粒がばらばらと零れ落ちた。

「あるじゃねえか、さっさと出せばいいものを。勿体ぶりやがって」

 素早く金を拾って袂に入れた男は、急に荒い息遣いになった。
 放心していた半次郎は我に返ると、紙入れを懐に仕舞う。 
 男の方を見ると、いつかのように顔が蝋のように蒼白くなっている。

《さっきの気魄はなんやったんや》

 半次郎が顔を覗き込みかけると。男はぷいっと面を背けた。

「また来るからな、よろしく頼みますぜ」

 唸るような声で言って男は背を向け、肩を傾げて歩きだした。先刻の凄みが微塵も感じられぬ弱々しい後ろ姿を、半次郎はぼんやり見送る。
 男が去った新町通りは、いつの間にやら羽子板遊びをする女児らの微笑ましい掛け声で賑わっていた。
 店に向いて帰りかけた半次郎は足元に小粒が一つ二つ、落ちているのを見つけた。
 慌てて屈んで拾い立ち上がろうとして、はじめて腰が抜けていることに気づいた。腰から下に力が入らず、その場にへたり込んでしまう。

「なあ、誰ぞ来てくれんか、なあ、茂吉、立てんくなってしもうた」

 こめかみから背筋にべっとり冷や汗をかいて、半次郎は北風に凍えながら情けない声をあげた。 
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