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店脇の路地へと向かいながら、男が懐から取り出した冊子を手にしてめくる。細かい刻みの模様がついた六角形であったり、六枚の花弁の花の形であったり、多様な雪の粒の形が、紙面を六分割した枠の中に描かれている。
半次郎はその画が載っている本を、絵草子屋の店先で手に取ったことがある。確か違う表紙の本だったが。
「それで、お頼みとはなんです?」
「あっしが仕えた前の京都所司代の土井様は、二十年もかけて南蛮から取り寄せた験微鏡というもので雪の粒を細かく見て調べて、この画を描き上げたんですぜ。雪が、これほどさまざまに美しい氷の花が集まってできていることを見つけなさった。なんと尊いご精進だったことか」
男は熱に浮かされたように語るうちに、目が皓皓と耀きだした。向かいの太物屋の屋根越しに差す朝日に、男の白い頬が見る間に紅潮していく、雪華の文様は確かに意匠として人気だが、男の本当の狙いが何なのかわからない。
「書肆の店先で見かける本やないようですけど、よう手に入りましたな。本を売った金を渡せばいいのやったら、容易い御用や。どうやろう、そない高値で売れるかわからんけどな」
こちらの問いが聞こえないのか、男は話し続ける。
「所司代となる前に大坂城代であられた土井様は、大塩平八郎の乱をお鎮めになられたが、あの騒ぎで大坂の町は焼け、決起した多くの人が死んでしまった。
あっしは後から知ったんですが、あの大塩ってお人は貧しくて飢えている民百姓のために身を投げうったって言うじゃないですかい。大塩の残党らは拷問にかけられて、あっしらも骸を運んだりしましたが、土井の殿様のお心は本当のところ、悲しみで一杯でお辛かったと思うんでさあ。
……学問好きでこんな綺麗な雪の形を見つけた殿様が、ご公儀のお沙汰とはいえ飢えに苦しむ民のために立ち上がった大塩一党に非情な仕置きをして、心が痛まねえはずはないですぜ。あっしら下々の家来にまで常々優しいお声をかけてくださいやした。きっと土井様と大塩さんは、きちんと話をすりゃあ、わかり合えたような気がしてならねえ……。あっしは、今ではすっかり落ちぶれてこのざまだが、土井様にお仕えしていたことだけは誇りなんで……」
そこまで言って男は咳き込み、懐から汚れた手拭いを取り出して口元を押えた。やがて顔をあげてこちらを見つめてきた男のびいどろの眸は、手妻のように半次郎の心を捉えた。
「この本を高く売って、大坂の寺に寄進したい、大塩さんたち、あの乱の死者の供養をしたい、あっしの望みはそれだけで……」
げぼげぼと重い咳をして男は蹲った。
根っからのならず者だとばかり思っていたが、この男にも中間として忠義に励んで生きた日々があったのだ。
己が真心から仕えた前京都所司代の土井利位という大名が描いた雪華文様の輝きで、燃え尽きかけた己の命の残りの時を照らしたいということだろうか――。
地面に血の混じった痰を吐いた男の背中を、半次郎はおそるおそる擦った。痩せて浮き出した背骨の手触りにはっと胸を衝かれる。
「あないに威勢がよかったやないか、きちんと薬を飲んで養生しなはれや。そうや、名前、なんといわはるのや?」
「与平というんでさ。確かにこの本、旦那にお預けいたしますよ。本が売れた頃にまた来るぜ、大坂の寺に寄進に行く日が、今から待ち遠しくてならねえ」
冊子を三冊受け取った半次郎は男に小粒銀を握らせて、新町通をしばらく支えて歩かせた。
長い間話すのがよくないのだろう。しばらく黙って息を整えると、男は落ち着いて一人で歩けるようになった。軒を並べる店々で奉公人たちが店の戸を開けて活気が湧きだした道を、与平は頼りない足取りで南へと下る。
その後ろ姿を、半次郎は見えなくなるまで見送った。春の盛りとはいえ、朝の風はまだ冷たい。
半次郎はその画が載っている本を、絵草子屋の店先で手に取ったことがある。確か違う表紙の本だったが。
「それで、お頼みとはなんです?」
「あっしが仕えた前の京都所司代の土井様は、二十年もかけて南蛮から取り寄せた験微鏡というもので雪の粒を細かく見て調べて、この画を描き上げたんですぜ。雪が、これほどさまざまに美しい氷の花が集まってできていることを見つけなさった。なんと尊いご精進だったことか」
男は熱に浮かされたように語るうちに、目が皓皓と耀きだした。向かいの太物屋の屋根越しに差す朝日に、男の白い頬が見る間に紅潮していく、雪華の文様は確かに意匠として人気だが、男の本当の狙いが何なのかわからない。
「書肆の店先で見かける本やないようですけど、よう手に入りましたな。本を売った金を渡せばいいのやったら、容易い御用や。どうやろう、そない高値で売れるかわからんけどな」
こちらの問いが聞こえないのか、男は話し続ける。
「所司代となる前に大坂城代であられた土井様は、大塩平八郎の乱をお鎮めになられたが、あの騒ぎで大坂の町は焼け、決起した多くの人が死んでしまった。
あっしは後から知ったんですが、あの大塩ってお人は貧しくて飢えている民百姓のために身を投げうったって言うじゃないですかい。大塩の残党らは拷問にかけられて、あっしらも骸を運んだりしましたが、土井の殿様のお心は本当のところ、悲しみで一杯でお辛かったと思うんでさあ。
……学問好きでこんな綺麗な雪の形を見つけた殿様が、ご公儀のお沙汰とはいえ飢えに苦しむ民のために立ち上がった大塩一党に非情な仕置きをして、心が痛まねえはずはないですぜ。あっしら下々の家来にまで常々優しいお声をかけてくださいやした。きっと土井様と大塩さんは、きちんと話をすりゃあ、わかり合えたような気がしてならねえ……。あっしは、今ではすっかり落ちぶれてこのざまだが、土井様にお仕えしていたことだけは誇りなんで……」
そこまで言って男は咳き込み、懐から汚れた手拭いを取り出して口元を押えた。やがて顔をあげてこちらを見つめてきた男のびいどろの眸は、手妻のように半次郎の心を捉えた。
「この本を高く売って、大坂の寺に寄進したい、大塩さんたち、あの乱の死者の供養をしたい、あっしの望みはそれだけで……」
げぼげぼと重い咳をして男は蹲った。
根っからのならず者だとばかり思っていたが、この男にも中間として忠義に励んで生きた日々があったのだ。
己が真心から仕えた前京都所司代の土井利位という大名が描いた雪華文様の輝きで、燃え尽きかけた己の命の残りの時を照らしたいということだろうか――。
地面に血の混じった痰を吐いた男の背中を、半次郎はおそるおそる擦った。痩せて浮き出した背骨の手触りにはっと胸を衝かれる。
「あないに威勢がよかったやないか、きちんと薬を飲んで養生しなはれや。そうや、名前、なんといわはるのや?」
「与平というんでさ。確かにこの本、旦那にお預けいたしますよ。本が売れた頃にまた来るぜ、大坂の寺に寄進に行く日が、今から待ち遠しくてならねえ」
冊子を三冊受け取った半次郎は男に小粒銀を握らせて、新町通をしばらく支えて歩かせた。
長い間話すのがよくないのだろう。しばらく黙って息を整えると、男は落ち着いて一人で歩けるようになった。軒を並べる店々で奉公人たちが店の戸を開けて活気が湧きだした道を、与平は頼りない足取りで南へと下る。
その後ろ姿を、半次郎は見えなくなるまで見送った。春の盛りとはいえ、朝の風はまだ冷たい。
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