機(はた)に咲く ~天保の京の町に、雪華よ舞え!

冬樹 まさ

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 与平から預かった『雪華図説』を持って、半次郎は寺町へと急いでいた。
 朝早くから店の棚に帯の品出しを終えると、客足が少ないうちに茂吉に断って店を出た。うららかな春の日差しに照らされながら、新町通を下り東に入って行きつけの書肆、竹苞書楼に着く頃には額にじんわり汗が滲んでいた。

「惣兵衛さん、いい本持ってきましたんや、これ、見てくんなはれ」

 店先で声をかけると、腰の曲がった店主がのっそりと帳場の奥から出てきた。こちらを眇めた目で見上げてくる。
 半次郎が差し出した『雪華図説』を、惣兵衛は懐から取り出した眼鏡を取り出し鼻に掛けて眺めた。

「半次郎はん、しばらく姿を見んと思うとったら……ほう、『雪華図説』やありまへんか、よう手に入りましたな。この冊子は珍しいもので、今やご老中にならはった大炊頭おおいのかみ様がほんのわずかだけ刷らせたものなんですわ。そりゃあ稀少本です」

「さすが惣兵衛さんや、値打ちがわかってはる。この本を持っていたお人から、高く売って欲しいと頼まれてますんや。うんと思い切った値で買ってくれまへんか?」

 店主の惣兵衛は途端に眉間を曇らせた。後ろを振り返ると、売れ筋の本が平積みになっている台から迷いなく冊子を取り出して見せてくる。

「そりゃ値打ちはあるんやけどもや。……これ、この『北越雪譜』が天保八年に三巻揃って出回りだしたやろ、その巻頭で雪華の図が紹介されて、もうかなり売れとるからなあ」

 惣兵衛に渡された三冊の本は、鈴木牧之が著した『北越雪譜』上中下の三巻であった。

「ああ、この本ですか、わても見かけたことあります、それでこの雪華の図に見覚えがあったんか」

 半次郎は持ってきた冊子を放り出し『北越雪譜』の紙面を捲る。
『雪華図説』中の五十五種あるむつの花と呼ばれる雪花の図から三十五種を透き写したものが、この『北越雪譜』の《雪の形状かたち》という項に載っている。戯作ばかり読んでいた半次郎でも以前に手に取ったことがあった。
 雪華図はいずれも優雅で可憐で、なんとも不可思議な味わいがある。六枚の花弁が尖ってささくれたような図、丸っこい愛らしいものなどがあり、符号のようなものまである。近年では着物の意匠としても人気となっていた。
 雪華の図も目を惹くが、北越塩沢の雪深い地での暮らしにまつわる驚くべき逸話が語られており、つい夢中で読み耽ってしまう。
 雪崩や氷柱の話、越後縮の由来から織婦の生き様まで、特に雪山に柴刈に行って遭難し、熊に救われた話が格別に面白い。

 雪中に遭難した男が帰り道がわからず、岩穴を見つけて雪を避けようした。穴の奥まで入ったところ、熊とばったり出会ってしまう。冬眠する熊の巣穴だったのだ。死を覚悟した男だが、熊は凍えかけた男を身体の毛皮で温め、甘い味のする掌を舐めさせて飢えを凌がせてくれたという。信じられない話だが、はるか遠く雪深い越後の山中ならではの風趣が味わい深い。

「気に入ったなら持っていきなはれ。この『雪華図説』は預かっておきますわ」

 帳場に戻って座っていた惣兵衛は呆れ顔で笑って言う。

「そうやった、昼前には店に戻らなあかん。『雪華図説』はいくらになります? まとまった金になりますやろか」

「いやいや、所詮は読本、珍しくてもそない高くは売れまへん。三冊で百文(四千円)か、いや、その半分くらいやろな。またおこしやす」

 『北越雪譜』を懐に入れた半次郎は、子連れの女客がお伽草紙を選ぶ脇を擦り抜けて通りを北へと早足に踏み出した。

《よく考えてみれば、稀少本やから三冊で銀五匁(八千円)ほどにはなろうかと思っていたのが甘かった。与平の切なる願い、大塩党への供養の寄進を果たすには、『雪華図説』を売るだけではとうてい足らん》 
 
 半次郎は腕を組んで思案しながら寺町三条を西に入った。人通りが賑やかになって、裾に桜や菖蒲が染められた着物を纏う女たちが艶やかに行き交う。帯はやはり黒繻子の昼夜帯が目についた。

「いくら奢侈禁止のお達しとはいえ、そろそろもっと面白い帯を締めて欲しいもんやな」

 声にだしてみて新たな考えが頭を過った半次郎は、にわかに人波を縫って猛烈な勢いで駆けだした。
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