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前回の流れ…
《帯の図案を頼みに訪れた下絵師の家の戸口前に、半次郎はいた。》
「なんや夜中にうるさくしやがって、いい加減にせいや!」
額に青筋を立てた男が、戸の内で腕組みして立ちはだかっている。色白で面長、三十路ほどに見える男は酒臭い息を吐きかけてきた。茂吉に聞いたところでは、江戸から流れてきて三年ほど前から西陣に住みつき、図案を描いている豊太郎という下絵師である。
「帯問屋の富美屋から来ました半次郎と申しまして、夜分にたいへん申し訳ありまへん。急ぎで帯の図案をお願いしたいのですけど」
男は眦を吊り上げた。
「帯なんてどれも変わり映えしねえ柄だろう、つまらねえ下絵なんぞ描きたくねえな」
流れるように威勢のいい江戸弁である。
「このたびは新しい柄を考えてますのや、これ、見てくれまへんか」
半次郎は懐から取り出した『北越雪譜』を拡げて見せた。
「ふん、雪華なんて、もう珍しくもねえ」
そう言いながらも、男は雪華の図に目を走らせている。
「これを新しい帯の柄にして大々的に売り出そうとしてますのや。粋で華やいだ図案に描いてもらいたいんです」
「描かねえこともないが、前金にしてもらおうか。ちょいと酒代が足らねぇもんでね」
片頬を吊り上げて笑む豊太郎に、半次郎は抱きつかんばかりに顔を寄せた。
「おおきに頼んますわ。前金ですな、今持ってるだけとりあえず渡しておきます」
袂から取り出した紙入れから小粒をあるだけ取り出すと、男に差し出す。
「今すぐに取り掛かってもらえますやろか」
小粒を掌に載せて指で数え、男は首を横に振る。
「無茶なこと言うんじゃねえ、これじゃあ足りないな。まあ、上がりねぇ」
足りないと言いながらも豊太郎は顔をほころばせ、顎をしゃくって家へ招き入れてくる。框へ上がり込むと、半次郎は家の内をきょろきょろと見回した。框と続きの板間には酒徳利に猪口、炙った魚の皿が散らばり、奥の六畳には漆喰壁に帯や着物の図案、浮世絵、読本の挿し絵などがびっしり貼られていた。
「これは俺がぜんぶ写し描いたんでさ。一度描いた絵はみんな頭に入ってるぜ」
半次郎には馴染みの『南総里見八犬伝』の挿し絵もあれば、近頃流行りの歌川国貞の美人画もある。
「で、どんな帯を作るんだ? 黒繻子の昼夜帯はうんざりだぜ。雪華をどう取り入れるかで柄行が変わるからなあ」
豊太郎は文机の傍らに山と積まれた紙の束から白紙を数枚摘まみ出すと、絵皿の散らばった隙間に広げた。
「まずは、地紋をどうするかだな。そこに雪華図の中から選んだ柄を配して、あとは他にどの意匠を合わせるかだ。まあ季節は冬だが、夏に涼を求める趣向ってのもいいな」
竹筒から水を硯に垂らして筆を浸すと、すらすらと紙上に六つ花弁の雪華を三つほど描いていく。見る間に背景には太い立涌文様が、次いで雪華の間には鳥の姿が描かれた。
「春の雪というわけで、鶯を描いてみたがどうだい」
豊太郎は次々と下絵の案を描き散らしていく。
「夏帯にするなら青海波の地紋に、魚と合わせるのはどうですやろ」
半次郎が思いつきを口にすると、すらすらとそれが紙の上に顕れていく。八枚ほどの図案の下絵がすぐに描き上がった。
「これくらいにしておこうか。そのうち色を塗って仕上げておくな」
「色が載ったらどんなに見映えるでしょうな。すぐに見たいところですが……」
豊太郎が筆を置くと、仕方なく半次郎は腰を上げた。
「この本、預かっておくよ」
「二、三日後には下絵を貰いに参ります」
『北越雪譜』を手にした男と戸口で別れ、西陣の織屋の並ぶ通りを新町へと帰っていく。人気がなく物騒な暗い道だが、半次郎はもう帯が出来たようなふわふわと軽い足取りであった。
《帯の図案を頼みに訪れた下絵師の家の戸口前に、半次郎はいた。》
「なんや夜中にうるさくしやがって、いい加減にせいや!」
額に青筋を立てた男が、戸の内で腕組みして立ちはだかっている。色白で面長、三十路ほどに見える男は酒臭い息を吐きかけてきた。茂吉に聞いたところでは、江戸から流れてきて三年ほど前から西陣に住みつき、図案を描いている豊太郎という下絵師である。
「帯問屋の富美屋から来ました半次郎と申しまして、夜分にたいへん申し訳ありまへん。急ぎで帯の図案をお願いしたいのですけど」
男は眦を吊り上げた。
「帯なんてどれも変わり映えしねえ柄だろう、つまらねえ下絵なんぞ描きたくねえな」
流れるように威勢のいい江戸弁である。
「このたびは新しい柄を考えてますのや、これ、見てくれまへんか」
半次郎は懐から取り出した『北越雪譜』を拡げて見せた。
「ふん、雪華なんて、もう珍しくもねえ」
そう言いながらも、男は雪華の図に目を走らせている。
「これを新しい帯の柄にして大々的に売り出そうとしてますのや。粋で華やいだ図案に描いてもらいたいんです」
「描かねえこともないが、前金にしてもらおうか。ちょいと酒代が足らねぇもんでね」
片頬を吊り上げて笑む豊太郎に、半次郎は抱きつかんばかりに顔を寄せた。
「おおきに頼んますわ。前金ですな、今持ってるだけとりあえず渡しておきます」
袂から取り出した紙入れから小粒をあるだけ取り出すと、男に差し出す。
「今すぐに取り掛かってもらえますやろか」
小粒を掌に載せて指で数え、男は首を横に振る。
「無茶なこと言うんじゃねえ、これじゃあ足りないな。まあ、上がりねぇ」
足りないと言いながらも豊太郎は顔をほころばせ、顎をしゃくって家へ招き入れてくる。框へ上がり込むと、半次郎は家の内をきょろきょろと見回した。框と続きの板間には酒徳利に猪口、炙った魚の皿が散らばり、奥の六畳には漆喰壁に帯や着物の図案、浮世絵、読本の挿し絵などがびっしり貼られていた。
「これは俺がぜんぶ写し描いたんでさ。一度描いた絵はみんな頭に入ってるぜ」
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「で、どんな帯を作るんだ? 黒繻子の昼夜帯はうんざりだぜ。雪華をどう取り入れるかで柄行が変わるからなあ」
豊太郎は文机の傍らに山と積まれた紙の束から白紙を数枚摘まみ出すと、絵皿の散らばった隙間に広げた。
「まずは、地紋をどうするかだな。そこに雪華図の中から選んだ柄を配して、あとは他にどの意匠を合わせるかだ。まあ季節は冬だが、夏に涼を求める趣向ってのもいいな」
竹筒から水を硯に垂らして筆を浸すと、すらすらと紙上に六つ花弁の雪華を三つほど描いていく。見る間に背景には太い立涌文様が、次いで雪華の間には鳥の姿が描かれた。
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「夏帯にするなら青海波の地紋に、魚と合わせるのはどうですやろ」
半次郎が思いつきを口にすると、すらすらとそれが紙の上に顕れていく。八枚ほどの図案の下絵がすぐに描き上がった。
「これくらいにしておこうか。そのうち色を塗って仕上げておくな」
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