機(はた)に咲く ~天保の京の町に、雪華よ舞え!

冬樹 まさ

文字の大きさ
16 / 23

16 .

しおりを挟む
 明くる日は朝から雨が降り続いた。
 卯の花くたしといった降り方で客足は途絶えがちで、夕時早めに大戸を下ろした。風邪をひいたのか鼻水が止まらぬ半次郎は、店仕舞いが済むと茂吉をつかまえて頭を下げた。

「この雨の中申し訳ないのやけど、昨日教えてもらった下絵師の家に、前金の足らん分を届けてもらいたい、よろしゅう頼みます。どうも風邪みたいで調子悪くて」

「えらい張り切り過ぎと違いますか、若旦那だんさん。落ち着かなあきまへん。まあ、届けるだけなら行ってきますわな」

 半次郎は文箱の底に秘蔵していたニ朱銀三粒を、懐紙に包んで茂吉に託した。とうとう最後の全財産で、何かの時、どうしても欲しい読本を買うときにと、貯めていた金である。

「下絵師の豊太郎はん、凄腕やなあ。ちょっと見てる間に図案の下絵を何枚も描き散らして、どれも見事な出来やった」

「仕事が早いと評判らしいですね……」

 茂吉は眉根を寄せて仕着せの上に半合羽を着込み、番傘を手に店の潜り戸から出かけていった。

 
 二日ほどして半次郎の鼻水も止まった。長雨が上がってからは初夏の陽気で、東山山麓は新緑の萌黄色に染まり目映いほどだ。
 半次郎は店の仕事を終えた夕刻、いそいそと西陣へと向かっていた。赤紫から群青へと滲んでいく西空を目指して二条通を行けば、袷の結城木綿が汗で背に張りつく。
 織屋建が並ぶ西陣を北へ抜けて、寺之内通を脇道に入る。小体な豊太郎の家が見えてきた。
 表戸の前まで来てみれば、戸が少し開いている。

「不用心やなあ。豊太郎はん、富美屋です」

 そう声をかけて戸の内を覗くが、暗い家内には人気がない。思い切って戸を大きく開けた。

「これは……一体どういうことや!」

 先日の色とりどりの光景が嘘のように、中はがらんとしている。灯のない室内に目を凝らせば、壁一面に貼られていた図案や浮世絵の写し、畳に散らばっていた絵皿や画紙などが消え失せていた。家具調度、火鉢に文机、手文庫、座布団やらも跡形もない。もぬけの殻である。
 よくよく見渡せば、土間の右手奥、竈の脇に放られた破れ笊に折り畳んだ紙が載っていた。
 飛びついて開いてみる。先夜に描いた図案のうち一枚だけが残されていた。

「なんかあったんやろうか……」

 半次郎は絵師の家を飛び出し、『織定』の家へと駆けた。
 織屋の定七は、戸口から入った途端に騒ぎたてる半次郎の顔を平然と見返した。

「ああ、豊太郎な、あれは図案の下絵師やなくて本来の絵師に戻りたいて、前から言ってたらしい。家におらんのやったら西陣から出て行ったんやろうな」

「そんな、前金を渡して雪華の図案、お願いしていたんですよ」

「それで金が貯まったから出て行ったんや。絵の腕前は大したもんやったからな。江戸で絵の師匠に破門されたとか聞いてたけど、ほとぼり冷めたから戻って出直すつもりなんかもしれん」

 淡々と語る定七を前に、半次郎は呆然と残された図案に見入るばかりである。

「あの絵師の下絵で帯作ると決めて、有り金はたいて前金を渡しましたんや。もう下絵を頼む金はありまへん」

「あんた、一杯食わされたんや。しっかりせなあきまへん」

 定七は厳しい口調で言って、半次郎の肩を強く叩いた。

「その下絵、見せてみ。……ふうん、肝心の色が挿せてないのか。それに立涌文様は大胆やのに、雪華の他に柄がなくては帯としてもの足らん。これでは図案にならんな」

 定七は下絵を突き返してくる。

「まあ別の下絵師を探すことや」

 定七はそう言うと、土間に立ち尽くす半次郎に背を向けて空引きはたを操る職人の方へ戻っていく。
 項垂れたまま半次郎は表戸を出た。
 頭の中にいくつも浮かんで耀いていた雪華柄が、急に真っ白に霞んでいく。

「富美屋さん、待っとくなはれ。これを」

 後ろから声を掛けられて、立ち止まる。振り返る気力もない半次郎の前に、小柄な女が何かを差し出してきた。

「これ、内儀さんからです。ほな」

 小さな紙きれを半次郎の懐にねじ込んで帰っていく。顔を覚えていなかったが、定七の織屋で働いていた娘のようである。
 紙切れをよく見ると、三軒ほどの住まいと名が小さい字で書いてあった。
 半次郎は礼を言うのも忘れて、とぼとぼと西陣の通を南へと引き返していった。晩になって糸のような雨が降り出して、汗で湿った縞木綿の背をさらに濡らしていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

母が田舎の実家に戻りますので、私もついて行くことになりました―鎮魂歌(レクイエム)は誰の為に―

吉野屋
キャラ文芸
 14歳の夏休みに、母が父と別れて田舎の実家に帰ると言ったのでついて帰った。見えなくてもいいものが見える主人公、麻美が体験する様々なお話。    完結しました。長い間読んで頂き、ありがとうございます。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

生きるために逃げだした。幸せになりたい。

白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。 2020/9/19 第一章終了 続きが書け次第また連載再開します。 2021/2/14 第二章開幕 2021/2/28 完結

【完結】私が愛されるのを見ていなさい

芹澤紗凪
恋愛
虐げられた少女の、最も残酷で最も華麗な復讐劇。(全6話の予定) 公爵家で、天使の仮面を被った義理の妹、ララフィーナに全てを奪われたディディアラ。 絶望の淵で、彼女は一族に伝わる「血縁者の姿と入れ替わる」という特殊能力に目覚める。 ディディアラは、憎き義妹と入れ替わることを決意。 完璧な令嬢として振る舞いながら、自分を陥れた者たちを内側から崩壊させていく。  立場と顔が入れ替わった二人の少女が織りなす、壮絶なダークファンタジー。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

皇国の栄光

ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年に起こった世界恐慌。 日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。 激動の昭和時代。 皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか? それとも47の星が照らす夜だろうか? 趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。 こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです

徳川慶勝、黒船を討つ

克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。 もしかしたら、消去するかもしれません。

処理中です...