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 晴雨の仕事は、基本的には不動産の管理、らしい。

 といっても管理会社に任せており、大きな費用負担が発生する場合のみ連絡が入って、判断を仰がれる。金に困っていない晴雨は殆ど管理会社の言うとおりに運用しており、彼が細かな計算をすることはない。

 そんなんで大丈夫か、と尋ねたが、そもそも購入時に買い叩けるような物件しか買わない、と言っていた。管理会社も長い付き合いで、大量に物件を預けていることを理由に、費用が少なくなるよう融通を利かせてくれるそうだ。

「晴雨、ってあれか。ディレッタント、ってやつ」

 病院帰りに台所で食事を作りつつ、ソファに座っている晴雨と会話をする。

 通院を始めた先では、身体的な異常を探るための検査が終わり、医者と話をしての治療に移り変わってきている。

 今は晴雨が金を管理しているから浪費する余地はないが、いずれ俺自身が金銭を適切に管理できるようになる事が望ましい。身を持ち崩さないようにするための治療を行っていく、と医者は言っていた。

 洗ったピーマンをざるに上げ、ヘタをむしる。システムキッチン、と呼ばれる広くて新しいキッチンは使いやすい。

「他人から言えば、そうなのかもしれないな。不動産は生前分与で貰った物だし、境遇は僕の力じゃないけどね」

「そういうものか? 俺みたいに自分で稼いでも自分で溶かして路頭に迷うより、いいと思うけどな」

 種を取ったピーマンを半分に割り、細切りに分けていく。

 包丁は使い慣れず、まだゆっくりだ。指を切らないよう、反対側の指で猫を真似、刃先の位置をきちんと確認する。

 ぱさり、とページを捲る音が聞こえた。彼は会社の情報が載った分厚い冊子を捲っては、決算だかの数字を確認している。

「和泉さんって不思議なんだよね。基本的な金銭感覚があまりにも正常で。本当に怪しい投資とかギャンブルを見た時、好奇心に任せて手を出しちゃうんだろうな」

 驚くべきことに、俺を担当した医者もまた、狐に転じることができる一族のことを知っていた。

 というか、そういった人たちと深く付き合いがあり、動物の特性を加味して治療が出来る珍しい医師の一人だった。

 俺が儲からない投資やギャンブルに、と話した時にも、狐の好奇心の強さを挙げ、魂に由来する衝動をコントロールができること、を目標に加えていた。人間しか知らない医師には出来ないことだろう。

 切り分けたピーマンをお湯に通す。

 別の鍋には鶏肉がごろごろ入ったシチューがある。温まったことを確認し、火を止めた。トースターにパンを放り込み、水をセットしてつまみを捻る。

 料理は忙しない。

「医者にも将来のことを考えてるか、って聞かれたんだけど。そう言われると、あんまり考えたことがなくて反省した」

 ピーマンの色味がさっと明るくなる。清潔な布巾で水気を切って、調味料で和えた。二人分に取り分けて、小鉢に盛る。

 晴雨は本を閉じて台所に入り、皿を出しはじめた。パンが焼き上がると、皿に盛り付ける。

「一度、計算してみようか。専門的なものじゃなくて、平均寿命で死ぬとして、ざっくり…………。っていうか、和泉さんって人間の平均寿命で死ぬの?」

「個体差がある、とは聞いたことがある気がするかな。猫神の一族の始祖は、老いずに数百年生きている、と言われてるし」

「大体の自分の寿命も分からないの?」

「人間だって分からないだろ」

 そういうことじゃなくて、と食い下がる晴雨に、首を傾げる。彼は料理が冷めると判断したのか、大人しく引いた。

 二人で食卓を囲み、新しく増やした椅子に腰掛ける。食器類を磨くのが好き、食器に拘る家主の所為で、俺の皿はプラスチックのプレートだ。

 おそらく、このプラスチックが陶器に変わることはないだろう。

 時間をおいたシチューは、具材も柔らかくて美味しい。具材を切ってルゥの箱を見ながら作れば良いのも、料理初心者には有り難かった。

 香ばしい匂いのするパンにオイルを垂らす。がじ、と噛み締めると独特の匂いが混ざって立ち上った。シチューを口に運ぶ。乳製品の味わいは柔らかい。

「そういえば、もう少ししたら妹が来るって」

「そりゃまたなんで」

「こんど妹が婚約することになってね。食事会をするから、その相談に」

 両家の顔合わせ、といったところだろうか。良い家の子息なのだろうと予想していたが、案の定だ。

 晴雨はスプーンに中途半端にシチューを掬ったまま、手を止める。

「和泉さんのこと、しばらく滞在してる友人、って言っておいたから、話を合わせてくれる?」

「助かる。金のない無職を調査の対価として養ってる、って人聞きが悪いもんな」

「真実なんだけど、説明するには困るよね」

 彼にとっても、自分がしていることが他人には理解されづらい、という意識はあるようだ。向かい合って頷き合う。共犯者同士が行う相談のようである。

 パンが美味しいね、と晴雨が言った。だよな、と新しく立ち寄ったパン屋を褒め合う。

 すこし前までネットカフェのぱさついたパンを頬張っていたというのに、今齧っているパンは水分が残ってもちもちとしている。

 贅沢だ、心中だけでなく唸った。

「妹、ってどんな人?」

「僕より家族想いで、だからこそ柵から抜けようとしないね」

 言葉の含みから、思い当たることがあった。

「見合い結婚……とか?」

「よく分かったね。両親同士が昔からの付き合い、から発した話なんだよ。相手も昔から知ってる申し分ない人だけど、兄としては考える所はあるよね」

「反対なのか?」

「妹が頷いている間は、何も言わないよ」

 その兄に養われている俺は、更に何を言うこともない。見合い結婚、という言葉に何となく考えるものはあるが、大事なのは本人たちの気持ちだ。

 僅かに冷えたシチューを掻き込み、最後までパンと共に食べきる。ピーマン美味しかったよ、と褒めてもらい、心まで温まりながら二人で皿を洗った。

「妹さんにお茶出そうか?」

「そうだね。準備しておこうか」

 俺が茶筒を用意すると、晴雨は紙コップを取り出していた。妹に対しても、準備している食器はないらしい。

 妹が来ることは珍しいのだろうか。人付き合いについて無遠慮に尋ねることはできないが、気に掛かった。

 この家は、本当に晴雨だけが住むことしか考慮されていなかった。食器や日用品について、誰かが家を訪れる余地がないのだ。電気ケトルに水を入れながら、ぼうっとその事を考える。

「あ、チャイム鳴った」

 ケトルのスイッチを入れ、手招きする晴雨と共に玄関へと歩く。玄関扉を開けると、その先には晴雨に似た、美しい女性が立っていた。

 長くストレートな黒髪は艶やかで、結ぶこともなく背に流している。肌は白く、頬に乗ったチークの色が映える。長い睫毛に縁取られた目元は兄よりもきつめで、視線の強さのほうが印象深く思えた。

 くすみのある黄色のワンピースに、紺色のコートを合わせている。以前の仕事の癖でカバンの値段を推測してしまい、意図的に散らした。

「こんばんは。ええと……そちらが……」

「うん。話してた友達の和泉……瓜生和泉さん」

「初めまして、妹の小崎早依です」

 ぺこ、と頭を下げる早依さんに合わせて頭を下げる。食事中も捲ったままでいた服の袖をこっそりと直した。

「『さよ』さん……。こちらこそ、初めまして。晴雨さんにはお世話になっています」

 彼女が短いブーツを玄関に揃えて置くと、晴雨はストッキングを履いた足元にスリッパを添える。ありがと、と短い礼と共に、早依さんは脚を通した。

 ぱたぱたと耳慣れない、小刻みな足音が廊下に響く。

 リビングへ入ると、彼女はソファに腰掛ける。晴雨が先にお茶を淹れに行ってしまったため、席を外すタイミングを失って立ち尽くした。

「……あれ、和泉さんどうしたの? 座りなよ」

「いや、家族の話だからそろそろ席を外そうかと……」

 戻ってきた晴雨はお盆に三つコップを載せており、あたかも俺がいる事を想定していたかのようだ。

 早依さんはいちど目を伏せ、にこり、と俺に笑いかける。

「お兄ちゃんが三つお茶を用意してしまったし、飲んでいってください。瓜生さんが聞いてもつまらない話でしょうから、話している間は、別のことをして頂いて構いませんよ」

 じゃあ、と用意された紙コップを受け取ろうと手を伸ばす。

 だが、晴雨は元々の彼の所有物である陶器のカップを俺に押し出した。戸惑いながらも、カップを受け取り、スツールに腰を下ろした。

 客人にいちばん良い器を、ということだろうか。熱いお茶を口に入れてしまい、唇を舐めながら飲み直す。

「それで、食事会のお店なんだけど……」

「ああ」

 晴雨はソファに座り、飲み物を片手に話を始める。

 互いの家族の顔合わせ、という食事会らしいが、両親同士は昔からの知り合いらしいし、晴雨も婚約者とは面識がある。

 彼女は食事のパンフレットを取り出し、店の印象を兄に尋ねている。兄からしても反対ではない店のようだ。続いて、晴雨の嫌いな物を確認していく。

 無意識に手元に引き寄せた本は、先ほど家主が読んでいた会社の数字が大量に載っている書籍だ。特に目を通していても頭には入らない。

 服装の確認を終えると、日程の調整に入った。早依さんが開いた手帳に候補日として書かれた日付の中で、晴雨は第一希望から順に挙げていく。

 この日は駄目、とは言わなかったが、彼の中でも希望順位があるらしい。

「日程が纏まりそうで良かった。あちらのご家族にも相談してみるから、決まったら連絡するね」

「よろしく。『婚約者くん』は元気?」

 間が空いた事が気になり、視線を上げる。ぴく、と早依さんの眉が動いたのが見えた。

「……元気よ。体調を崩したら助けるわ」

「仲が良さそうで安心したよ」

 話としては一区切りついたようで、あ、と思い出したように彼女は声を上げる。

「実家から持ち出した本で、貸してって言ってた本。用意してある?」

「ああ、紛れてたやつか。持ってくるよ」

「お願い。受け取りも兼ねて来たんだから」

 晴雨が出て行くと、早依さんはくるりと顔をこちらに向けた。ばっちりと目が合う。ぱちり、ぱちりと瞬きをすると、彼女は膝をこちらに向ける。

 明らかに話がある、という態度に、俺も手元の本を閉じた。

「兄と、お付き合いされてるんですか?」

「は?」

 友人、と説明したのではなかったか。

 俺の態度に、彼女はむっとしたように唇を尖らせる。声の調子が荒れた。

「誤魔化さなくていいです。何日か前に通りかかった時、貴方の姿を見ました。今日明日、ということじゃなく、ずっと兄は貴方を泊めてるんでしょう。私たちだって、家に来ることを渋られるのに」

「いや……、ええと。恋人じゃないのは本当で……」

 どう伝えようか迷いながら、妹でさえも家に入れていなかった、という事実には納得した。カップも一個、食事も一セット。スリッパは数日前に買っていた。

 ここは、ひとり暮らしに最適化された家、かつ、来客を想定していない家だ。

「兄が、家が決めた婚約者を蹴ったこと、聞きました? 嫌いなものを、絶対に懐には入れない人なんです。こっちの家に引っ越すことも自分で決めて、最近まで私たちとの連絡も最低限だった」

 家にいる間、晴雨は極端なほど携帯電話を触らない。頻繁に連絡を取る必要がある人がいない、とは見ていて分かった。

「でも、たぶん、貴方と付き合いはじめたからなんですよね。私を、今日、家に入れてくれたの」

 はあ、と彼女は大きく息を吐いた。綺麗に整えられた髪を握り潰して、放す。ふわり、と長い黒髪が散らばった。

「でも、私は兄のつが────恋人が。貴方なのは嫌です。だって、貴方の魂、どす黒いんだもの。煤の中に、何十年も置かれてこびり付いたみたい。貴方……いままでどう生きてきたの……?」

「………………」

 ごく、と息を呑むと、耳元で妙な音が鳴った。

 妹である彼女も、俺の魂が狐であることを視ているような言葉だった。その上で、俺の魂をどす黒い、と表現している。

 割に合わない商品を売る手伝いをして、それを厭だと思いながら抜け出なかった日々を思い出す。結局、俺は金がなくなって尚、晴雨に金を出させて生き存えている。

「外見をどれだけ化けられても、その魂の色、私たち一族には視えるんだから。……兄が、なんで貴方を恋人にしたのか、理解できない」

 ふい、と彼女は顔を逸らす。

 喉が渇いて、緑茶の入ったカップに手を伸ばした。もう中身は冷たかった。

 俺がどう立ち直っても、過去は消えない。どす黒くこびり付いた物も消えない。金が無かったから、人を騙して許される訳もない。

 俺という人間を、言い当てられたような気がした。

「────お待たせ。これだったっけ?」

 晴雨は戻ってくると、早依さんに本を差し出す。彼女は本を受け取って、礼を言った。カバンの中に本を仕舞うと、用事は済んだとばかりにさっと席を立つ。

 もしかして、俺と話すことも含めて、用事、だったのだろうか。

「じゃあ、お邪魔しました。帰るね」

「ああ、送っていく」

「ありがと。近くのコンビニに『優しい婚約者くん』が迎えに来てくれてるの。そこまでで大丈夫」

 そう言うと、二人は連れ立って玄関を出て行く。俺はスツールに腰掛け、呆然と顔を覆った。

 仕事を指示されたからといって、実行したのは間違いなく俺だ。言い当てられた罪が、胸にずしんとのし掛かる。

 温かい家で、食事を食べて、風呂に入って眠る。騙してきた人達が、そんなことすら出来ていないかもしれないのに。

 考え込んでいると、玄関が開く音が聞こえた。無意識にふらりと立ち上がって、玄関まで向かう。

「ただいま。あれ? 何かあった?」

「…………いや、普通に。出迎えを……」

「そう? 嬉しいな」

 わぁい、と手を広げてハグされる。広い腕の中で、ぱちくりと目を開く。

 俺が大人しくしているのが意外だったのか、あれ、と晴雨はこちらを覗き込んできた。はっと我に返る。

「やめろって……、妹さん。俺と付き合ってるんじゃないか、とか誤解してたぞ」

 そう言った時、彼の眼が眇められた。

 冗談、と切り捨てられるかと思いきや、晴雨は一瞬だまり込む。

「僕が君の魂に一目惚れをして、拾ったって言ったらどうする?」

「は……。いや、…………冗談だろ」

 乾いた笑い声を上げると、俯いた瞳に影が差した。呆然と移り変わっていく表情を見ていると、腕が動いた。

 ぎゅう、と痛いくらい身体を締め付けられる。ぱっと手が放れた。

「冗談だよ」

 浮かべた笑顔は完璧だった。完璧すぎて、作り物のように思えて、仮面の奥を探ってしまう。

 彼の魂の色が見えるとしたら、どんな色をしているんだろう。抱かれた時の感触が残った肌が、ひりひりと傷んだ。




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