赤狐七化け□□は九化け

さか【傘路さか】

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 病院への通院の日、俺は医師に、働きたいと考えている、と告げた。

 医師は反対はしなかったが、俺の前職についても伝えてある。次の仕事は、周囲へ相談の上で決める事を勧められた。

 もし、下手に同じような仕事を始めてしまったら、治療の意味もなくなるだろう。俺は素直に頷いて、通院を終えた。

 家に帰ると、晴雨が洗濯物を取り込んでいた。俺の服も買い足されて増えつつある。

「おかえり」

「ただいま」

 ちょうど取り込みが終わったところで、物干し竿を片付ける。空は曇って、雨が降ってもおかしくない。

 二人で玄関を潜ったとき、ぽつぽつと地面の色が水玉模様になりはじめる。

「セーフ」

 洗濯籠を抱えてリビングに入り、善は急げと畳み始めた。晴雨も仕事に戻らず、一緒に洗濯物畳みを始める。

「今日さ……医者にまた働き始めたい、って話をしたんだけど」

「そっか。それで?」

 続きを促す言葉は自然だ。

 合間に、窓の外からしとしとと雨垂れの音が届く。

「全く駄目、って感じじゃなかったけど、晴雨に相談しつつ進めたら、って言われた」

「ああ……。そうだね、あんまり重い仕事を始めると、和泉さん、またぶり返しそうだから。最初は時間とか、身体的な拘束が少ない仕事がいい気がする」

 彼の言葉は尤もだ。慣れない仕事で一杯になってしまったら、また俺は精神的苦痛を消化しようと、ギャンブルへ手を伸ばすかもしれない。

 彼は白いタオルの皺を伸ばし、四つ折りにする。

「和泉さんは、僕が紹介した仕事先、って抵抗ある?」

「…………抵抗、っていうか、申し訳なさはある。衣食住から、仕事まで、って」

 晴雨は顎に指を当て、数度叩いた。

「僕、和泉さんの狐姿、かわいい、って言ったじゃない?」

「ああ、まあ……」

 冗談半分として受け取っていたが、目の前にいる男の目は真剣だ。

「動物をタレントとして登録して、仕事の依頼があった時だけ働く、ってプロダクションがあるんだけど。そこ、人と動物の姿を持つ人たちも所属してるんだよね」

「え……? 猫神の一族とかか?」

「そう。登録後に仕事が来るかは分からないけど、だからこそ登録だけならハードルは低いと思う。そういった一族の出身者はそもそも少ないし、和泉さんに抵抗がないなら、応募書類を用意してみるのはどうかな、と思ったんだけど……」

 今までは、女性としての姿を利用して働いていた。狐の姿の方、は考えてもいなかった。おそらく撮影モデル、という形が多いのだろうし、べたべたと触ってくる人がいても足掻いて逃げればいい。

 一気に自立することを求めないのなら、過程としては適切な勤め先に思える。

「でも、そうしたら、ここを出て行くのは遅くなるぞ……?」

 言葉を発して、声音に潜む、強請るような響きを自覚する。俺は、ここを出て行きたいと思っていないのだ。

「まだ調査は進んでないし、終わったとしても明日から出てけ、なんてこと言わないよ。和泉さんにはきちんと地盤を固めて欲しい。僕のことは、気にせず利用したら?」

 こくん、と頷いて、輪郭を解く。

 狐に化けると、晴雨の膝に乗り上がった。視線を上げると、驚いたような顔がある。すり、と相手の腹に頭を擦り付けた。

 腕が伸び、頭を撫でられる。

「ありがとう、ってこと?」

『うるさい』

 文句を言いつつ、太腿の上でころりと転がる。腹を見せ、好きな所を触れ、とばかりに四つ脚を投げ出した。

 真っ白い腹部は急所で、その部分を見せるのは服従であり恭順のあかしだ。

「え? そんなとこまで触って良いの?」

 尋ねつつ指先は白い毛に埋まっている。もぞもぞとした感触が腹のあたりを這っていく。狐の姿でなければ、おおごとだ。

 彼は延々と無言で触り続け、はっ、と憑き物が落ちたかのように我に返る。

「そうだ。折角だから応募用の写真を撮ろうか」

『確かに、必要だよな』

 洗濯物を押しやり、彼は自身の携帯電話を持ってきた。普段はあまり使われていないが、新しい機種のように見える。

 光の位置を確認すると、窓辺に寄らされた。

「かわいい感じのポーズして」

『かわいい……?』

 その場で、たた、と脚踏みをする。首を傾げる俺に、晴雨も考え込んだ。

「和泉さんがかわいい時は、甘えてる、って明確に伝わる時かな」

『明確に、甘える……』

 寝転がり、ふかふかの前脚に頭を乗せる。その状態で、相手を見上げるように口元を上げた。

 パシャパシャとシャッター音がする。ころん、と身体を回しても、相手の目を捉えたままでいた。自分の毛が豊かな部位を見せつけ、顔を擦る。

 あと毛が豊かなのは、尻尾だろうか。身体の前方へと動かし、相手に見えるようにした。シャッター音が止まる。

 晴雨の顔が、腹のあたりに突っ込んでくる。毛が頬にめり込んだ。

「和泉さん! 和泉さん……!」

『……発作を起こすな』

 相手の肌を動かした尻尾で擦り、両前脚で挟み込む。明確にサービスをしてやった事はあまり無く、目の前の男から、あぁ……、と蕩けるような低音が漏れ出た。

 撮影はどこへやら、男はもぞもぞと腹のあたりで感触を楽しみ、動けなくなった俺は天井を見つめながら転がる。

 尻尾は行く宛てもなく、たしたしと床を叩き続けていた。









 晴雨の知人を経由して、特殊な一族であることを動物プロダクションとやらに伝えると、書類を受け付けてくれることになった。良い写真を選び、簡単に狐としての俺の情報をまとめた書類を同封する。

 正式に登録が受理されるのには、そう時間は掛からなかった。講習にも呼ばれ、プロダクションの施設内を案内される。

 まだ仕事は来ていないが、『狐は珍しい』のでいずれ回ってくるだろう、とスタッフは言っていた。

 そして、準備金、という名目でいくらかお金を受け取った。俺はそのまま晴雨に渡そうとしたのだが、彼は受け取ってはくれなかった。

「いろいろ滞納してる分があるでしょ。まず返済から」

「ごめん。そう……だよな……」

 晴雨の言い分はもっともで、それから滞納していた各所に連絡して、返済の算段を立てさせてもらった。真面目に返そうと思っている、と謝罪し、数字を持っていくと、どこからも無茶な返済を提示されることはなかった。

 実家にも連絡を入れ、溜めていた分の返済を再開する旨をメッセージで伝える。予想外に、無理はしなくていい、と返事があった。優しさがかえって辛かった。

 余りにも手続きが細かく、全てが落ち着いた頃にはぐったりしてしていた。

 だが、漏れのないように、と調査を手伝ってくれる晴雨がいる以上、途中で止めることなどできなかった。

 金庫に仕舞ってあった財布は、その時、正式に俺の元に返ってきた。一緒に『現金出納帳』と書かれたノートを貰う。余っていたらしい。

 中はお金を何に使ったかが書き込めるようになっていた。早速、準備金の入金があった、と記録して、返済計画を記載していく。

「こんなものがあるんだ。日記帳みたいだな」

「補助的なものだけど、仕事にも使う帳簿だよ。会社でも物は買うでしょ」

「確かに。これ、晴雨へ報告するとき欄が整理されてて見やすい」

 無駄にお金を使っていないか、という監視してもらう為にも良い資料に思えた。俺がこっそりと目を輝かせていると、晴雨は拳を口元に当てる。

「衝動が強すぎる。……けど、目標を作って、好奇心をそちらに向けたら。衝動は別方向に強く働くのかもしれないね」

「…………?」

 俺は首を傾げると、貰ったノートをテーブルの上に置いた。ノートの表面に名前を書く。贈り主は隣で笑っていた。

 今はお互いに食事と風呂を終え、寝間着で寛いでいる所だ。眠気が増せば、寝ようか、と示し合わせることになるだろう。

 晴雨が瞬きを増やし始めたのは、それから直ぐのことだった。

「和泉さん。僕は眠い」

「分かった。寝るか」

 連れ立って晴雨の寝室へと向かう。

 最初の頃はソファと晴雨のベッドを交代制にしていたが、やがて、俺が化ければベッドの端で眠っても家主の不自由にはならない、と気付いた。

 それからは、示し合わせて寝台に行き、俺は化けて寝台の端を陣取るようになった。

 その日も部屋の中で変化し、とことこと室内を突っ切る。跳ね上がってベッドへと乗り、端っこを踏み固める。

 くるり、と丸くなった。

「和泉さん、ブランケット」

 よく貸し与えられているブランケットを身体の周囲に巻き付けられると、堪らなかった。ころんころんと柔らかい布の上を転がり、匂いを堪能する。

「そのブランケット好きだよね。感触がいいの?」

 伸びた腕が、ブランケットごと俺を撫でる。晴雨の匂いが強くなった。普段、近くにいる匂いに包まれている。

 ぱちん、ぱちん、と大きく瞬きを繰り返した。

『うん。触ってて気持ちいい』

 ぎし、と寝台に人間の体重が掛かると、表面が沈み込む。両腕が伸び、俺の身体を抱え上げた。

 彼は寝台に転がると、自分の胸の上に俺を乗せる。別の体温を毛皮越しに感じた。

「偶には、僕の近くで寝てよ」

 晴雨は器用に脚で布団を蹴り上げると、そのまま手で掴んで胸元まで引き上げる。のし、と重たい布団が俺の身体に乗っかった。

 近すぎる距離に混乱しながら、もぞもぞと位置を探る。

『あんたが重くて寝られないだろ』

 顔を上げると、美しい顔立ちが目の前にあった。鼻先が触れ合うほど近く。喋れば吐息が掛かってしまう距離だ。

 誰でも、────ひと目で恋に落ちてしまいそうな。

「じゃあ。枕の横?」

『仕方ねえなぁ……』

 半分だけ頭をずらしてスペースを空けてくれる。俺は胸の上をもぞりと這って、彼の枕の半分に頭を預けて丸くなる。身体の一部が彼の肩や腕に当たっていた。

 やっぱり顔が近い。俺の方が眠れなくなりそうだ。

 腕が伸び、照明が落とされた。窓からの光以外は、目の前に光量はない。家の前の道を時おり車が通る以外は、自然の音しかしなかった。

 晴雨は時どき目を開いたり閉じたりしつつも、睡眠には至っていないようだ。俺はそんな彼を、闇に慣れた眼で見守る。

「────和泉さんと最初に会った時さ……お金に困ってる、ってのは直ぐ分かったんだよね。服はしわしわで毎日洗えてる感じなかったし。大人なら珍しい駄菓子屋に入ったら、ほら、見栄を張ってたくさん買うでしょ。そういうこともなかった」

 あの辺には銭湯もある、と晴雨は言い当てた。安い値段で入れる風呂だから、そういった人、も来るのだ、と彼は言った。

 目を見開いて、なんで家に呼んだのか疑問に思う。

「なんで家に呼んだのか、って顔してる」

『そりゃそうだろ。わざわざトラブルを起こしそうな人間を……』

「なんでだろ。魂が見えたから、かな」

 彼には見えない闇の中で、びくん、と背筋を震わせる。妹……早依さんが嫌悪した魂を、目の前のひともまた見ているのだ。

 自分がここにいるべき人間ではない事を、言葉にされてしまうのが怖い。わざと音を立てて欠伸をして、彼の近くで丸まった。

「魂が────……。……あれ、眠い?」

『…………ずっと眠い』

「そっか。ごめん、寝ようね」

 晴雨は伸びをすると、今度こそ固く目を閉じた。そろそろと代わりに目を開けて、息を殺し、眠りつつある横顔を眺める。

 もう、その瞼を開いてほしくない。彼が、俺の魂をどう思っているのかなんて知りたくない。

 煤がこびり付いて汚れた魂の色を、俺すらも見たくなかった。




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