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▽10(完)

「それで。まあ、上手くいったみたいね……?」

 目の前で腕組みした早依さんは、棘の混じった音色で言う。

 リビングのテーブルには見慣れぬティーセットが並び、彼女の前に置かれたカップには琥珀色の茶が注がれている。

 とはいえ、お茶請けはきなこ棒だ。

 晴雨が呼び出したらしく家を訪ねた早依さんは、俺たちの様子を見るなり事情を察したようだ。

 長々と息を吐き、カップを持ち上げて中身に口を付ける。

「和泉さんに、余計なことを吹き込んだみたいだね」

「……ごめんなさい。最初に会った時は、魂が汚れすぎてて悪人だと警戒したの。二度目に会った時にはもう、魂は綺麗に戻りつつあったけど、それはそれで、脈のない片思いをして、貢いでるお兄ちゃんが心配になったというか…………」

「あぁ……そういう」

 彼女は、ぽつりぽつりと心情を語ってくれた。

 初対面の時は、俺があまりにも魂を汚している所為で悪人だと疑い、察している存在がいる、と俺に警告したつもりだったそうだ。

 晴雨が俺に対して盲目になっている様子は、妹の目から見てもあからさまだったらしい。

 二度目に会った時には、俺の魂は磨かれ始めていたようだ。実は悪人ではないのかも、という考えが浮かんだらしい。

 だが、それにしては兄の片思いに対して、俺に脈がある様子はない。俺に嬉々として貢いでいる兄が心配になり、ああいった発言になった、のだそうだ。

「だって、お兄ちゃんがいい人と落ち着いてくれなきゃ、困るから……!」

「……仲がいいんですね」

 俺がそう言うと、兄妹は二人して首を横に振った。え、と俺が首を傾げると、ソファで俺の隣を陣取っている晴雨が口を開く。

「早依は、僕と婚約者くんとの間に何も起きなくなる、ために番を作らせたいだけだよ」

「え……? でも、早依さんの婚約者は家が決めたんじゃ……」

 彼女は複雑そうに、唇を曲げた。

「兄の後釜、みたいな扱いをされたのは嫌よ。でも、相手としては……」

 ごにょごにょ、と言いつつ頬を染める。あまりにもしおらしくなった態度に、俺でも分かるものがあった。

「元々、婚約者さんのこと好きだったんですか」

「な……!」

 ぼっと頬を染め、それ以上、何も言わなくなった。つまり、彼女としては婚約者が好きだから、婚約が自分に回ってきたこと自体は喜ばしかったのだろう。

 兄はからかうように唇を持ち上げている。デリカシーがない、と肘を入れておいた。

「…………そういう気持ちも、あったわ。お兄ちゃんに添い遂げる番ができたら、私が何かやらかしたって、あの人はもう、お兄ちゃんとまた婚約なんてしなくなるから」

「でも、俺が晴雨の恋人になるとしても、魂が汚れてるんですよね?」

「少し前までの貴方はね……! でも、今は。……魂って、短期間でこれだけ変化するものなのね。兄の審美眼が鋭かった、って事なのかしら」

 彼女の俺に対する態度は、前回とはかけ離れたものだ。期待を込めて問いかける。

「…………つまり?」

「もう、……反対はしないわよ。様子は見させてもらいますけどね」

 文学作品で現れる御令嬢の、素直になれない様子を思い起こさせた。好きな相手に素直な言葉を紡げない彼女らを目の前に置いたら、きっとこんな感じなのだろう。

 彼女は、温くなったお茶をちびちびと飲んでいる。

「和泉さん、僕からもごめん。妹にきちんと説明をしておくんだった。この子、眼は良いけど感情にまかせて観察眼を曇らせがちだし、言葉も直球で……」

「ああ……。でも、そう言いたくなる気持ちは分かる気がするし」

 家族が魂の汚れた男に入れ込んで養っていたら、と考えれば早依さんの気持ちも理解できる部分はある。

 俺の言葉に眉を上げながらも、彼女は反論したりはしなかった。毒気の抜かれたような態度に、今後は上手くやっていけそうかな、と胸をなで下ろす。

「────あ、雨」

 窓の外を見て、晴雨が呟く。

 今日はいい天気で、と朝から洗濯物を干していたのだった。真っ先に立ち上がったのは早依さんだ。

 玄関まで早足で歩き、履いてきた靴を突っかけて洗濯物まで駆ける。

「お兄ちゃん、瓜生さんも! 急いで……! この雨は長引くから!」

 俺達もどたどた靴を履き、彼女を追いかける。頭を庇いながら外へ出てきた晴雨も、空を見上げながら言う。

「確かに今日は長引くね」

「そうなのか?」

「「うん」」

 兄妹の謎の確信を持った言葉に、手早く洗濯物を抱え込む。三人がかりで集中すると、あまり濡れないうちに玄関まで服を避難させることができた。

 三人して玄関に腰掛け、はあ、と息を吐く。

「間に合った……!」

 俺の言葉に、両側の兄妹もこくこくと頷いている。玄関から外を眺める。空は綺麗な青空のまま、雨だけが降っていた。

「駄菓子屋のキナコさんが、この辺りでは天気雨が多いって言ってたけど……」

「ああ。でも、天気雨が降るのって、だいたい良い事があった日なんだ」

「そうなのよね。洗濯物は壊滅するけど、天気雨が降るといい日で終わるから、憎めないっていうか……」

 じゃあ、今日もまた『いい日』になるのだろうか。確かに、早依さんと和解の切っ掛けが掴めたのは良かったかもしれない。

 洗濯物を取り込む彼女は家事にも慣れている様子で、兄よりもよほど頼りになった。

 これまでの小崎家の役割分担に思いを馳せる。どこか浮世離れした兄を支えるのは、早依さんの仕事だったのかもしれない。

 そして、巣立った後もまた。これまでのように世話を焼いてしまったのだとしたら。

「雨が止むまで時間が掛かりそうなら、他のお菓子も食べようか」

 俺が声を掛けると、彼女の顔がぱっと明るくなる。

「ほんと!?」

「ほんと」

 つい敬語を外してしまったが、彼女は特に怒る様子もない。まだふかふかで温かい洗濯物を抱え込み、立ち上がった。








 早依さんはお菓子を食べ、だらだらと喋って雨上がりに帰っていった。

 敵対心のない彼女と初めてゆっくりと話せたのだが、好きになった人の血の繋がった妹である。短時間でお互いに緊張は解れ、薦めた俺の手持ちの本が彼女に貸し出されることになった。

 俺達の仲をいちばん気にしていたであろう晴雨も、普段よりも目尻が垂れて上機嫌だった。

 早依さんが帰っていったあとのリビングでは、取り込んだ毛布の上に、白狐姿の晴雨がごろごろと横になっている。

 匂いがいいことに気付くと、そそくさと獣に化け、寝転がり始めたのだ。窓辺からは毛布に日差しが当たり、暖かそうでもある。

『ねえ、和泉さんもおいでよ』

「……仕方ないな」

 服を脱ぎ落とすと、狐に転じる。

 たた、と駆け、横たわっている彼の胸元で丸くなった。狐姿を比較すると、俺よりも彼の方が一回り大きい。前脚を回されると、すっぽりと覆われる。ふたり合わせて円になった。

 もぞもぞと豊かな胸元の毛に埋まると、温かさも相俟って心地いい。

『寝ちまいそう……』

『気疲れしたでしょ。寝ていいよ』

 長い尾が、器用に俺の身体を撫でた。ふかふかとした毛の塊を抱き込む。

 極上の手触りに、うとうとと瞼が重くなった。

『────……』

 彼が何かを言っているのだが、意識が眠りに落ちる狭間で聞き落とす。

 抱いていた尻尾が腕から抜け出た。俺の身体を包み込むように位置を変える。

 ふふ、と細く笑う音がした。

『また一段と、大好きな色になった』

 ちゅ、と耳に口付けられる。ぴくん、と耳を動かして、薄目を開けた。顔が擦り寄ってくる。

 窓から漏れる日差しが、真白い毛を輝かせる。雪原に降る光に包まれ、俺は今度こそ眠りに落ちたのだった。







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『赤狐七化け白狐は九化け(せきこななばけ びゃっこはくばけ)』


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