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姉
「――まあ、ヴァイオレット。見ない間にまた大きくなったんじゃないの?」
もっと顔をよく見せてちょうだい。そう言って柔らかな両手がわたしの頬を包み込んだ。陽だまりのような笑顔が似合う、あたたかい人。彼女と話していると、自然とこちらまで笑みを浮かべてしまう。
「大げさよ、お姉さま」
わたしの三つ上の姉。セリーナ・ハーシェルはとってもきれいで、優しい女性だ。優しすぎて損するタイプとも言える。でもわたしはそんな姉が昔から好きだ。
「ちっとも大げさではないわ。半年ぶりなんですもの! あなたに会えなくて、とても寂しかったのよ」
少女のように頬を膨らませた彼女はわたしをぎゅうぎゅうと抱きしめてきた。少し苦しくて、けれど彼女の寂しかったという思いが伝わってきてわたしも同じだと腕を回そうとした。
「おいおい、セリーナ。ヴァイオレットが困っているだろう」
けれどその前にぱっと姉の温もりは離れてしまった。
「あら、ごめんなさいね。私ったら、つい嬉しくて」
姉は困ったように微笑んだ。その彼女のそばへ寄ってきた男性も、わたしに微笑みかける。
「ごめんな、ヴァイオレット」
「……いいえ」
きれいで、大好きなわたしのお姉さま。その人が目の前の男と結婚すると言った時、嫌だなと率直に思った。今まで同じ世界にいたのに、ある日突然外からやってきた見知らぬ人間に大切な人を連れ去られてしまったような、不快な気持ちになったのだ。
セリーナ・ハーシェルはもはやこの世にはいなくて、代わりにセリーナ・コールマンになってしまったような。わたしの知らない姉をコールマンは見ることができて、義兄である彼だけが姉を独り占めできる。
「お義兄さま」
「ん? なんだい」
「お姉さまのこと、どうか悲しませたりしないで下さいね。もしそうなったりしたら、わたし、どうするかわかりませんから」
義兄の目が驚いたように見開かれた。
「ふふ、大丈夫よ、ヴァイオレット」
姉が茶目っ気たっぷりに笑って義兄の手を握った。
「もし彼が私を裏切ったりしたら、私が彼を絶対に許さないから」
そこにはわたしの知らない姉がいた。
「――ヴァイオレット。あなた、変わったわねぇ」
「それはお姉さまの方では?」
先ほどの姉の言葉を思い出しながらわたしはそう言った。久しぶりの姉妹の再会に水を差すまいと義兄は席をはずしている。テーブルにはわたしと姉の好きな焼き菓子と紅茶で彩られていた。
「そう? ……そうかもしれないわねぇ」
ふふ、と姉は自身の変化を嬉しそうに認めた。
「人を好きになるとね、やっぱり変わるのよ」
「……アレックス様のことは好きではなかったの?」
アレックス、というのはヒューバートの兄の名前だ。当初しっかり者のヒューバートが実家の後を継ぎ、アレックスは婿入りするかたちでわたしたちの家を継ぐ予定であった。
けれどそうなる前に義兄がかっさらうようにして姉と結婚してしまった。もちろん父や向こうの両親も説得して。その根回しのよさに、わたしはさらに嫌だなと思ったものだった。
「もちろん好きだったわ。小さい頃からずっと彼と結婚するって思ってたもの」
でもそうはならなかった。
「だから、セドリックのことが一時は許せなかった。ううん……今もどこかで彼のことを恨んでいるのかも」
「お姉さま……」
めったに見ない姉の弱気な姿にわたしは何と声をかければいいかわからなかった。と同時に姉をこんなふうにした義兄にふつふつと怒りが湧いてくる。
「でも、それ以上にあの人が好き」
ぽつりともらした言葉に目を丸くする。姉は顔を上げ、膝の上に置いていた手をぎゅっと握りしめた。
「あのね、ヴァイオレット。私、あの人が私以外の人と浮気なんかしたら絶対許せないわ」
浮気という言葉にわたしは眉をひそめた。
「当たり前よ。お姉さまのような綺麗な人を放ってよその女に走るなんて……愚かだわ」
「そうよね。でも私、結婚する前はそれも仕方がないかも、ってどこかで諦めていたから」
「諦めていた?」
「ええ。貴族なのだから……ううん。男の人なら一人や二人、妻以外の女の人と愛するものなんだって……そういう生き物なんだって」
姉は妙に悲観的な所がある。いや、冷静に現実を受け止めているというべきか。
「だから、たとえあの人がそうなったとしても、妻である私はみっともなく喚いたり、縋ったりしない。そう、思っていたの」
「今は違うの?」
ええ、と姉はうっとりとした表情で言った。
「泣いてどうしてって責めるわ。ううん。いっそセドリックを殺して、私も一緒に死んでやる……それくらい、あの人のことを今は想ってるの」
怖いでしょう、と肩を竦めた姉を、わたしはじっと見つめた。
「私も自分の感情にびっくりしているわ。ああ、私でもこんなふうに誰かを憎らしく思うんだって」
姉はお淑やかだった。喧嘩も今まで一度もしたことがなかった。それは姉がいつもわたしに譲ってきたからだ。本当に欲しいものでも、我慢する人だった。その姉が――
「でもね、私、こんな自分が嫌いじゃないの」
「わたしも今のお姉さま、とっても好きよ」
わたしがそう言うと、姉はわたしの一番すてきだと思う表情で微笑んでくれたのだった。
もっと顔をよく見せてちょうだい。そう言って柔らかな両手がわたしの頬を包み込んだ。陽だまりのような笑顔が似合う、あたたかい人。彼女と話していると、自然とこちらまで笑みを浮かべてしまう。
「大げさよ、お姉さま」
わたしの三つ上の姉。セリーナ・ハーシェルはとってもきれいで、優しい女性だ。優しすぎて損するタイプとも言える。でもわたしはそんな姉が昔から好きだ。
「ちっとも大げさではないわ。半年ぶりなんですもの! あなたに会えなくて、とても寂しかったのよ」
少女のように頬を膨らませた彼女はわたしをぎゅうぎゅうと抱きしめてきた。少し苦しくて、けれど彼女の寂しかったという思いが伝わってきてわたしも同じだと腕を回そうとした。
「おいおい、セリーナ。ヴァイオレットが困っているだろう」
けれどその前にぱっと姉の温もりは離れてしまった。
「あら、ごめんなさいね。私ったら、つい嬉しくて」
姉は困ったように微笑んだ。その彼女のそばへ寄ってきた男性も、わたしに微笑みかける。
「ごめんな、ヴァイオレット」
「……いいえ」
きれいで、大好きなわたしのお姉さま。その人が目の前の男と結婚すると言った時、嫌だなと率直に思った。今まで同じ世界にいたのに、ある日突然外からやってきた見知らぬ人間に大切な人を連れ去られてしまったような、不快な気持ちになったのだ。
セリーナ・ハーシェルはもはやこの世にはいなくて、代わりにセリーナ・コールマンになってしまったような。わたしの知らない姉をコールマンは見ることができて、義兄である彼だけが姉を独り占めできる。
「お義兄さま」
「ん? なんだい」
「お姉さまのこと、どうか悲しませたりしないで下さいね。もしそうなったりしたら、わたし、どうするかわかりませんから」
義兄の目が驚いたように見開かれた。
「ふふ、大丈夫よ、ヴァイオレット」
姉が茶目っ気たっぷりに笑って義兄の手を握った。
「もし彼が私を裏切ったりしたら、私が彼を絶対に許さないから」
そこにはわたしの知らない姉がいた。
「――ヴァイオレット。あなた、変わったわねぇ」
「それはお姉さまの方では?」
先ほどの姉の言葉を思い出しながらわたしはそう言った。久しぶりの姉妹の再会に水を差すまいと義兄は席をはずしている。テーブルにはわたしと姉の好きな焼き菓子と紅茶で彩られていた。
「そう? ……そうかもしれないわねぇ」
ふふ、と姉は自身の変化を嬉しそうに認めた。
「人を好きになるとね、やっぱり変わるのよ」
「……アレックス様のことは好きではなかったの?」
アレックス、というのはヒューバートの兄の名前だ。当初しっかり者のヒューバートが実家の後を継ぎ、アレックスは婿入りするかたちでわたしたちの家を継ぐ予定であった。
けれどそうなる前に義兄がかっさらうようにして姉と結婚してしまった。もちろん父や向こうの両親も説得して。その根回しのよさに、わたしはさらに嫌だなと思ったものだった。
「もちろん好きだったわ。小さい頃からずっと彼と結婚するって思ってたもの」
でもそうはならなかった。
「だから、セドリックのことが一時は許せなかった。ううん……今もどこかで彼のことを恨んでいるのかも」
「お姉さま……」
めったに見ない姉の弱気な姿にわたしは何と声をかければいいかわからなかった。と同時に姉をこんなふうにした義兄にふつふつと怒りが湧いてくる。
「でも、それ以上にあの人が好き」
ぽつりともらした言葉に目を丸くする。姉は顔を上げ、膝の上に置いていた手をぎゅっと握りしめた。
「あのね、ヴァイオレット。私、あの人が私以外の人と浮気なんかしたら絶対許せないわ」
浮気という言葉にわたしは眉をひそめた。
「当たり前よ。お姉さまのような綺麗な人を放ってよその女に走るなんて……愚かだわ」
「そうよね。でも私、結婚する前はそれも仕方がないかも、ってどこかで諦めていたから」
「諦めていた?」
「ええ。貴族なのだから……ううん。男の人なら一人や二人、妻以外の女の人と愛するものなんだって……そういう生き物なんだって」
姉は妙に悲観的な所がある。いや、冷静に現実を受け止めているというべきか。
「だから、たとえあの人がそうなったとしても、妻である私はみっともなく喚いたり、縋ったりしない。そう、思っていたの」
「今は違うの?」
ええ、と姉はうっとりとした表情で言った。
「泣いてどうしてって責めるわ。ううん。いっそセドリックを殺して、私も一緒に死んでやる……それくらい、あの人のことを今は想ってるの」
怖いでしょう、と肩を竦めた姉を、わたしはじっと見つめた。
「私も自分の感情にびっくりしているわ。ああ、私でもこんなふうに誰かを憎らしく思うんだって」
姉はお淑やかだった。喧嘩も今まで一度もしたことがなかった。それは姉がいつもわたしに譲ってきたからだ。本当に欲しいものでも、我慢する人だった。その姉が――
「でもね、私、こんな自分が嫌いじゃないの」
「わたしも今のお姉さま、とっても好きよ」
わたしがそう言うと、姉はわたしの一番すてきだと思う表情で微笑んでくれたのだった。
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