好きだと言われて、初めて気づくこともある。

りつ

文字の大きさ
6 / 10

しおりを挟む
「――まあ、ヴァイオレット。見ない間にまた大きくなったんじゃないの?」

 もっと顔をよく見せてちょうだい。そう言って柔らかな両手がわたしの頬を包み込んだ。陽だまりのような笑顔が似合う、あたたかい人。彼女と話していると、自然とこちらまで笑みを浮かべてしまう。

「大げさよ、お姉さま」

 わたしの三つ上の姉。セリーナ・ハーシェルはとってもきれいで、優しい女性だ。優しすぎて損するタイプとも言える。でもわたしはそんな姉が昔から好きだ。

「ちっとも大げさではないわ。半年ぶりなんですもの! あなたに会えなくて、とても寂しかったのよ」

 少女のように頬を膨らませた彼女はわたしをぎゅうぎゅうと抱きしめてきた。少し苦しくて、けれど彼女の寂しかったという思いが伝わってきてわたしも同じだと腕を回そうとした。

「おいおい、セリーナ。ヴァイオレットが困っているだろう」

 けれどその前にぱっと姉の温もりは離れてしまった。

「あら、ごめんなさいね。私ったら、つい嬉しくて」

 姉は困ったように微笑んだ。その彼女のそばへ寄ってきた男性も、わたしに微笑みかける。

「ごめんな、ヴァイオレット」
「……いいえ」

 きれいで、大好きなわたしのお姉さま。その人が目の前の男と結婚すると言った時、嫌だなと率直に思った。今まで同じ世界にいたのに、ある日突然外からやってきた見知らぬ人間に大切な人を連れ去られてしまったような、不快な気持ちになったのだ。

 セリーナ・ハーシェルはもはやこの世にはいなくて、代わりにセリーナ・コールマンになってしまったような。わたしの知らない姉をコールマンは見ることができて、義兄である彼だけが姉を独り占めできる。

「お義兄さま」
「ん? なんだい」
「お姉さまのこと、どうか悲しませたりしないで下さいね。もしそうなったりしたら、わたし、どうするかわかりませんから」

 義兄の目が驚いたように見開かれた。

「ふふ、大丈夫よ、ヴァイオレット」

 姉が茶目っ気たっぷりに笑って義兄の手を握った。

「もし彼が私を裏切ったりしたら、私が彼を絶対に許さないから」

 そこにはわたしの知らない姉がいた。


「――ヴァイオレット。あなた、変わったわねぇ」
「それはお姉さまの方では?」

 先ほどの姉の言葉を思い出しながらわたしはそう言った。久しぶりの姉妹の再会に水を差すまいと義兄は席をはずしている。テーブルにはわたしと姉の好きな焼き菓子と紅茶で彩られていた。

「そう? ……そうかもしれないわねぇ」

 ふふ、と姉は自身の変化を嬉しそうに認めた。

「人を好きになるとね、やっぱり変わるのよ」
「……アレックス様のことは好きではなかったの?」

 アレックス、というのはヒューバートの兄の名前だ。当初しっかり者のヒューバートが実家の後を継ぎ、アレックスは婿入りするかたちでわたしたちの家を継ぐ予定であった。

 けれどそうなる前に義兄がかっさらうようにして姉と結婚してしまった。もちろん父や向こうの両親も説得して。その根回しのよさに、わたしはさらに嫌だなと思ったものだった。

「もちろん好きだったわ。小さい頃からずっと彼と結婚するって思ってたもの」

 でもそうはならなかった。

「だから、セドリックのことが一時は許せなかった。ううん……今もどこかで彼のことを恨んでいるのかも」
「お姉さま……」

 めったに見ない姉の弱気な姿にわたしは何と声をかければいいかわからなかった。と同時に姉をこんなふうにした義兄にふつふつと怒りが湧いてくる。

「でも、それ以上にあの人が好き」

 ぽつりともらした言葉に目を丸くする。姉は顔を上げ、膝の上に置いていた手をぎゅっと握りしめた。

「あのね、ヴァイオレット。私、あの人が私以外の人と浮気なんかしたら絶対許せないわ」

 浮気という言葉にわたしは眉をひそめた。

「当たり前よ。お姉さまのような綺麗な人を放ってよその女に走るなんて……愚かだわ」
「そうよね。でも私、結婚する前はそれも仕方がないかも、ってどこかで諦めていたから」
「諦めていた?」
「ええ。貴族なのだから……ううん。男の人なら一人や二人、妻以外の女の人と愛するものなんだって……そういう生き物なんだって」

 姉は妙に悲観的な所がある。いや、冷静に現実を受け止めているというべきか。

「だから、たとえあの人がそうなったとしても、妻である私はみっともなく喚いたり、縋ったりしない。そう、思っていたの」
「今は違うの?」

 ええ、と姉はうっとりとした表情で言った。

「泣いてどうしてって責めるわ。ううん。いっそセドリックを殺して、私も一緒に死んでやる……それくらい、あの人のことを今は想ってるの」

 怖いでしょう、と肩を竦めた姉を、わたしはじっと見つめた。

「私も自分の感情にびっくりしているわ。ああ、私でもこんなふうに誰かを憎らしく思うんだって」

 姉はお淑やかだった。喧嘩も今まで一度もしたことがなかった。それは姉がいつもわたしに譲ってきたからだ。本当に欲しいものでも、我慢する人だった。その姉が――

「でもね、私、こんな自分が嫌いじゃないの」
「わたしも今のお姉さま、とっても好きよ」

 わたしがそう言うと、姉はわたしの一番すてきだと思う表情で微笑んでくれたのだった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼はヒロインを選んだ——けれど最後に“愛した”のは私だった

みゅー
恋愛
前世の記憶を思い出した瞬間、悟った。 この世界では、彼は“ヒロイン”を選ぶ――わたくしではない。 けれど、運命になんて屈しない。 “選ばれなかった令嬢”として終わるくらいなら、強く生きてみせる。 ……そう決めたのに。 彼が初めて追いかけてきた——「行かないでくれ!」 涙で結ばれる、運命を越えた恋の物語。

幼馴染の執着愛がこんなに重いなんて聞いてない

エヌ
恋愛
私は、幼馴染のキリアンに恋をしている。 でも聞いてしまった。 どうやら彼は、聖女様といい感じらしい。 私は身を引こうと思う。

隣人の幼馴染にご飯を作るのは今日で終わり

鳥花風星
恋愛
高校二年生のひよりは、隣の家に住む幼馴染の高校三年生の蒼に片思いをしていた。蒼の両親が海外出張でいないため、ひよりは蒼のために毎日ご飯を作りに来ている。 でも、蒼とひよりにはもう一人、みさ姉という大学生の幼馴染がいた。蒼が好きなのはみさ姉だと思い、身を引くためにひよりはもうご飯を作りにこないと伝えるが……。

幼馴染

ざっく
恋愛
私にはすごくよくできた幼馴染がいる。格好良くて優しくて。だけど、彼らはもう一人の幼馴染の女の子に夢中なのだ。私だって、もう彼らの世話をさせられるのはうんざりした。

貴方の事なんて大嫌い!

柊 月
恋愛
ティリアーナには想い人がいる。 しかし彼が彼女に向けた言葉は残酷だった。 これは不器用で素直じゃない2人の物語。

好きじゃない人と結婚した「愛がなくても幸せになれると知った」プロポーズは「君は家にいるだけで何もしなくてもいい」

佐藤 美奈
恋愛
好きじゃない人と結婚した。子爵令嬢アイラは公爵家の令息ロバートと結婚した。そんなに好きじゃないけど両親に言われて会って見合いして結婚した。 「結婚してほしい。君は家にいるだけで何もしなくてもいいから」と言われてアイラは結婚を決めた。義母と義父も優しく満たされていた。アイラの生活の日常。 公爵家に嫁いだアイラに、親友の男爵令嬢クレアは羨ましがった。 そんな平穏な日常が、一変するような出来事が起こった。ロバートの幼馴染のレイラという伯爵令嬢が、家族を連れて公爵家に怒鳴り込んできたのだ。

我慢しないことにした結果

宝月 蓮
恋愛
メアリー、ワイアット、クレアは幼馴染。いつも三人で過ごすことが多い。しかしクレアがわがままを言うせいで、いつもメアリーは我慢を強いられていた。更に、メアリーはワイアットに好意を寄せていたが色々なことが重なりワイアットはわがままなクレアと婚約することになってしまう。失意の中、欲望に忠実なクレアの更なるわがままで追い詰められていくメアリー。そんなメアリーを救ったのは、兄達の友人であるアレクサンダー。アレクサンダーはメアリーに、もう我慢しなくて良い、思いの全てを吐き出してごらんと優しく包み込んでくれた。メアリーはそんなアレクサンダーに惹かれていく。 小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。

初恋の呪縛

緑谷めい
恋愛
「エミリ。すまないが、これから暫くの間、俺の同僚のアーダの家に食事を作りに行ってくれないだろうか?」  王国騎士団の騎士である夫デニスにそう頼まれたエミリは、もちろん二つ返事で引き受けた。女性騎士のアーダは夫と同期だと聞いている。半年前にエミリとデニスが結婚した際に結婚パーティーの席で他の同僚達と共にデニスから紹介され、面識もある。  ※ 全6話完結予定

処理中です...