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第7章

第1話(3)

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 殴られたときに切ったのだろう。赤く腫らした左側の口唇くちびるの端に、血が滲んでいた。
 痛むはずのその傷を気にする様子もなく、早乙女は男に頭を下げる。それから、道端に落ちている眼鏡を拾い上げた。

「申し訳ありませんが、私はお話を伺える立場にはおりませんので、これで失礼させていただきます」

 そう言い置いて、きびすを返した。
 その場に立ち尽くす男と早乙女の後ろ姿を見比べて、群司も早乙女のあとを追う。すぐに追いついて横に並んだが、早乙女は群司に視線を向けることさえしなかった。
 すでに眼鏡はかけなおされており、整った素顔は隠されて一分の隙もない。だがそのじつ、赤く腫れた口許を引き結んで、不機嫌な気配を漂わせていた。どうやら群司がでしゃばったことが、気にくわなかったらしい。

「早乙女さん」

 とりあえず謝罪しておくべきか、それとも怪我の具合を気遣うべきか。いずれを先に口にするか決めかねたまま群司は声をかけ、しかしその直後、ハッとして後方を振り返った。背後でかすかなどよめきが起こる。気づいた早乙女も、群司の視線の先を追った。
 先程の場所から一歩も動かず、男が佇んでいる。だがその手に、刃物が握られていた。

「なに勝手に話終わらしてんだよ。こっちの話はまだ終わってねえんだよっ」

 叫ぶなり、男は突進してきた。刃先は迷いなく、早乙女を狙っていた。

「早乙女さん!」

 周囲からふたたび悲鳴があがる中、群司は咄嗟に早乙女を背後に庇い、身構えた。
 刃先はすでに眼前まで迫っており、群司はすんでのところで身をかわし、素早く手首を掴んだ。そのまま反動を使って後ろ手に捻り上げ、相手がバランスを崩したところで背後から体重をかけて地面に押し倒し、がっちりと押さえこむ。

「くそっ、放せ! どけよっ。俺に触るなっ」

 なおも群司に取り押さえられながら、男は喚き散らした。掴んでいる手首に圧をかけると、握りしめていた掌が開いてナイフが地面に滑り落ちた。群司はそれを、足先で蹴って男の手が届かない位置へと押しやった。

「結局おまえらは、俺の言うことなんてまともに取り合う気もないんだろっ!? 適当にあしらって、殊勝な態度でもっともらしくその場かぎりのお悔やみや謝罪を口にしてそれで終わり。然るべき手順を踏めばそれなりの対応をする? 電話はクレーマー扱いだし、何度訪ねてきたって入り口で門前払いだよ! だったら友哉の無念を晴らすために、俺になにができるってんだよ。こうやって復讐するしかねえだろが!! 社員のひとりでも犠牲になりゃ、さすがに会社も知らん顔ってわけにゃいかなくなるもんなっ!」
「八神くん!」

 人垣を掻き分けるようにして見知った顔が駆け寄ってくる。その背後には制服姿の男たちが従っており、ほぼ同時に、別方向からも異なる制服を身につけた男たちが駆けつけてきた。

 最初に到着したのは坂巻班の豊田で、一緒にやってきたのは天城製薬の警備員たちだった。そしてわずかに遅れて、通報を受けたらしい警察官が群司たちの許へたどり着く。
 豊田の指示で警備員たちは後方に下がり、集まりはじめた野次馬たちの整理にあたりはじめた。

「新宿署の者ですが、お話、聞かせてもらえますか?」

 警官のひとりが身をかがめて群司が取り押さえている男に声をかける。一緒に来たふたりの警官が両サイドに来て男の腕をとったので、群司は男を解放し、立ち上がった。

「八神くん、大丈夫?……って、うわっ!」
 近づいてきて群司に声をかけた豊田は、直後に声をあげた。

「君、怪我してるじゃないか!」
「え?」

 言われて、群司はあらためて自分の躰を見下ろし、左の二の腕から流血していることに気がついた。突進してきた男を躱す際、刃先が腕を掠っていたらしい。
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