「うん、いいよ」

真朱マロ

文字の大きさ
2 / 10

第二話 「大丈夫」

しおりを挟む
「なぁ、大丈夫か?」

 ついつい聞いてしまった。
 美菜はプカプカと波に浮かんでいる。

「なぁに?」
「いや、なんとなく」
「変なの」

 目を丸くした後で、クスクスと美菜は笑いだした。
 いや、変なのは俺じゃなくて、お前だけどな。
 そう返したかったけれど、あんまり真面目に取り組んでいるので、どうもうまく伝えられそうになくて、俺は黙った。

 俺がサーフィンしている近くで、美菜はボディーボードをしている……つもりらしい。
 うん、たぶん本気でそう思っている。

 だけど、なぜだろう?
 波に乗っていない。
 どう見てもプカリプカリと浮いて、ほわ~んとした性格そのままに漂っていた。

 この最高の波のど真ん中で、浮かぶだけとは。
 ある意味、奇跡だ。
 とてつもなく器用なのか、不器用なのか。

 いやいや、金づちでなかったことだけで、驚きかもしれない。
 ほめちぎってもいい。
 自分用のウェットスーツがあると聞いた時、耳が壊れておかしくなったと思うような雰囲気の子だから。

 ひらひらした尾びれを持つ金魚とか、ホワホワと浮かぶクラゲとか、水と仲良しのイメージがわく彼女なのだから、オルカに似ていると表現される俺は喜ぶべきなのだ。
 俺の沈黙をどう取ったのか、ふんわりと美菜は笑った。

「まだ、水が冷たいねぇ」

 そりゃそうだろ。
 浮かんでるだけで動いてないから。
 ウェットスーツを着ていても、水温はそれなりに感じる。
 真冬に比べたらだいぶぬるんできたものの、六月の海はまだまだ冷たいのだ。

「上がるか? 寒いなら無理すんなよ」
「寒くはないよ? 今までこんな時期に泳いだことなかったから、感動してたの」
 そう言って美菜は沖へと視線を移した。

「こんなに大きくて、綺麗だったんだね」

 スウッと大きく深呼吸する。
 ゆっくりと潮の香りを確かめた後で、パチャパチャと子供のように派手な水音を立てながら、美菜は俺の近くに来た。
 そんなに一生懸命にならなくても、俺の胸のあたりなので、それほど深くないから歩けばいいのに。

 だけど。
 近づいて、初めて気づいた。
 美菜は小柄なので、足が水底についていない。

 背が高くていいなぁと口癖のように言う理由が、ほんの少しだけわかった気がした。
 ずっとバタ足をしていても、見るからに頼りなかった。
 どこかに流されてしまうんじゃないかと不安になって、手を伸ばすとキュッと美菜は俺の手を握った。
 海に体温をとられているのか、ひんやりとしていた。

「桐生君の手はあったかいね」
 少しだけ息を弾ませて、ボードと俺の手にしがみついてきた。
「おっきくて、一生懸命に生きてる温度だね」
 そんなふうに嬉しそうに笑って、ちょっとだけ陸に目をやった。

 美菜の家は海からもよく見える喫茶店だ。
 玄関付近の掃除をしに現れた人に気付いた美菜は、パチパチッとまばたきする。

「あ、おじいちゃんだ。もぅ冷たいなぁ。午後の開店準備するなら、呼んでくれればいいのに」
 プウッとふくれている。

 美菜は祖父母と三人で暮らしている。
 五月の連休明けに転校してきて、とりあえず、俺と付き合い始めたばかりだ。

 両親はどうしているのか?
 時期外れに転校してきた理由は?
 そんな些細なことを、俺は聞けなかった。
 それどころか、もっと重要なことが取り残されていて、実のところ問いかけれらない。

 なぁ、俺のこと、どう思ってんだ?

 そんな基本的で、単純な質問。
 それでも一番知りたいこと。

 付き合おうと申し込んだとき、どこに付き合えばいいの?と答えるような子だ。
 俺の気持ちなんて、まったくわかっていない気がする。
 だから、とりあえず付き合っているとしか、言いようがないのがもどかしい。

 なんて言いながら。
 俺も美菜の気持ちなんてまるでわからないから、おあいこなのは確かだ。
 ほんわりした笑顔を向けてくれるし、俺が浜にいるときにはこうやって海に入ってくれるんだから、満足すべきなんだろう。
 のんびりした美菜のペースで行くべきだな。

「もう一回だけ波に乗ったら、私、手伝いに戻るね」
 わかった、と俺はうなずいた。

 セッセと沖へと行こうと向きを変えた美菜の手を、俺はキュッともう一度強く握った。
 不思議そうに美菜は振り向いた。

「なぁ……」
 ん? とクリクリした目が俺を見つめる。
 太陽の反射を受けた水面をそのまま映し、美菜の瞳もキラキラしていた。
 あんまりそれが透明で透き通った光だったので「俺のことどう思ってる?」と問いかける気が失せてしまった。

「最後、一緒に乗るか?」
「いいの?」

 パッと光が散るような笑顔になって、美菜は全開で喜んだ。
 そんなに嬉しがられるとは思っていなかったので、俺もつられて笑ってしまう。

 サーフボードの上に美菜を引きあげて、立たせようとしたら断固拒否された。
 落ちるのが怖いからと、ボードにしがみついている。

「大丈夫だからつかまれよ」

 そう言って手を伸ばしたら、美菜は「エッチ」と口をとがらせた。
 いや、別に抱きついてくれなんて言ってないけど……けど、それはそれで反論できない。

 柄にもなく動揺してしまった。
 ボードより俺にしがみついて欲しいに決まってる。

 そのへんは鋭いのか?

 少々惜しいような気持で、波に乗る。
 風を切って、滑るように波間をくぐりぬける。
 まるで、鳥になった気分だ。

 美菜は声をあげて笑っている。
 顔が見えなくて残念だけど、気持ちいい。
 最後、波の舳先でわざとターンをはずして、ひっくり返した。

 キャッと可愛い悲鳴で水の中に落ちる。
 腕をつかんですぐに引きあげると、ひどくせき込みながらも、美菜は俺にしがみついた。
 ゴメン、ととってつけた謝罪を口にすると、ひどい、と怒っている。

 俺は笑うしかない。
 足が絶対につかない場所なので、美菜は俺に頼るしかない。

 ヨコシマで何が悪いんだと、ひっそりと心の中でつぶやく。
 こんなことでもなくては、美菜とは永遠に変化がない気がする。
 それはそれで居心地は良さそうだけど、俺はそれほどいい人じゃない。
 小柄で全体的に小さな美奈だけど、ふわふわした胸もやわらかな身体もしがみついてくる温もりも、全部が明らかに俺とは違う女の子のものだ。
 普段はわかりにくい信頼や、俺だけを頼りにする必死さを、全身で実感して何が悪い。

「なぁ」
「なぁに?」

 にじむ涙を手の甲でこすりながら、塩水が目に染みると美菜はふくれていた。
 首に手を回されて、初めて抱き合ってる。

 その必死さが本当に可愛い。
 たぶん、美奈はわかってないけど。

 だから。
 俺はちょっとだけ前に進んでみる。

「隼人って呼んでくれよ」
「うん、いいよ」

 答えは口癖のままで、予想を裏切らなかった。
 もどかしいような、嬉しいような。

 とりあえずホッとした。
 ちゃんと考えて返事してるか?
 そう訊きたいけれど、俺はやり過ごす。

「そうだ、桐生く……じゃなくて、隼人君。うちで休憩しよ? 私、コーヒー淹れてあげる。あったかいやつ」
 ああ、と俺はうなずいた。
 美菜はなんだか声を弾ませている。
「コーヒーだけじゃなくて、今日のお勧めケーキは私が焼いたから! 絶対、食べてね♪」

「俺、甘いの苦手なんだけど」
「大丈夫だよ、レモンチーズだもん」
「いや、ケーキはケーキだ」

 ひど~い、なんて可愛く拗ねている。
 こうやって、ちょっとづつ二人で距離を縮めていけばいい。

 なにが正解か、わからないけど。
 きっと、大丈夫。

 そんなふうに。
 海もささやいていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...