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第六話 「大丈夫、平気だよ」前編
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「平気だよ、大丈夫」
美菜はそう言って、いつものように笑った。
「一人で帰れるから。隼人君、また今日も海?」
大きな瞳が、また後で会えるかを、そっと問いかけてくる。
時間があくと、俺は必ず海に行く。
学校が終わってからはもちろん、早起きすることもある。
サーフィンが趣味、というか海に取り憑かれているから仕方ない。
おふくろなんか、一年中海に出るなら漁師にでもなればいいのに、なんて悪態をつく。
漁師と波乗りを一緒にする感性はちっともわからないが、禁止されたりしないので、まぁ親らしい事を言いたいだけなんだろう。
そして波に乗った後は、いつも美菜の家に寄る。
小さな古民家風のカフェは風情があるし、美菜は毎日のように手伝っているから俺も常連になってしまった。
海辺の喫茶店でいれたてのコーヒーを飲みながら美菜と少し話すのが、このところの日課。
かなり贅沢な時間だ。
だから、俺は当然のようにうなずいた。
「まぁ、晴れてるからな」
「なら、ケーキ焼いとくね!」
俺は一瞬、言葉を失った。
あいかわらず恐ろしいことを、かわいい笑顔で言う。
俺は甘い物が苦手なんだと、これほど訴えているのに。
「食わないぞ、今日こそは」
「平気だよ、ガトーショコラだから」
「だから、よせって」
えへ、と美菜は笑った。
「甘くないよ。ビターチョコだから大丈夫!」
そのほわっとした満足そうな笑顔に、俺はそれ以上は言えなくなる。
こいつ、と思うしかない。
デザートを出されるなんて、俺は大丈夫じゃない。
絶対に、違う。
挨拶代わりにするなんて、わざとか?
いやいや、毎回こりもせずに、本当にデザートを目の前に出す。
睨みつけるとたいていの奴がビビるのに、ホワンとした笑顔で受け止めるのだから大物だ。
俺がどれほど嫌がっても効果がないので、まいってしまう。
美味しいなんて、心にもないことは絶対に言えないのに。
正直に言おう。
「甘い」以外の感想が、この口から出たことはない。
俺のしかめっ面の感想に、美菜が本当に満足しているのか謎だ。
それでも毎回、涙目の「お願い」に負けてしまう、俺も俺だが。
しかし、それにしてもだ。
このところ、美菜の様子がおかしい。
どこが? と問われても、確信はないのだが。
今週に入ってからは誰かに用事を頼まれても忙しいのだと断わり、一度も「うんいいよ」と言わなかった。
美菜は今日もまた、せっせと急いでカバンに荷物を詰めている。
先に帰るね、と俺に手を振って、そのまま背中を向けた。
チョコチョコとした小動物みたいな足取りで教室を出て行く。
いつもは俺が見張っていないと、あれこれと用事を頼まれるくせに。
本当に忙しそうな様子のせいか、誰も呼びとめない。
「家のお手伝い?」
「うん、ちょっと」
「そっか、また明日」
そんなふうに見送られている。
「うん、また明日」
すれ違う人にいつもの調子で挨拶をしながら帰っていった。
その背中はのんびりとしているようでも、なんでも一生懸命に取り組む。
当たり前の美菜の姿だった。
確かに、何も考えていないような「うんいいよ」は聞くだけで落ち着かない
しかし、美菜らしい口癖がないと、ホッとしたような、気持ちの座りが悪いような、不思議な気分だ。
そう、俺は気付いてしまった。
このところふとした拍子に、美菜はぼんやりとして空を見ている。
いつもほのぼのとほんわりした雰囲気があるから、終わりかけの秋空を楽しんでいるだけかもしれないけれど。
それでも、何かが違っている。
ホワホワした笑顔の隅に、チラリと影がのぞく。
ほんの一瞬だけなのに気がつくのは、まぁ、ずっと一緒にいる俺ぐらいだろうけど。
気のせい……じゃないと思う。なんとなくだが。
美菜は誰が相手でも物怖じせずに挨拶をするし、態度も変わらない。
お人よしがそのまま女の子になったような人間だ。
そのぶん、自分の気持ちを言わない。
空が綺麗だとか、海は大きいとか、星は嘘つきだとか。
どこかで聞いたような台詞でも、美菜が言うと真実の匂いがするし。
一生懸命に生きている温度だと、そっと俺の手を握ることだってある。
そういう感性は惜しげもなく披露してくれるのに。
両親はどうしているのか、とか。
線香花火の夜の沈黙の理由、とか。
俺のことをどう思ってるのか、とか。
そういう、俺の気になることは一言も口にしない。
ちょっとだけ「どうなんだ?」と匂わせても、ん? とかわいく笑って聞こえないフリをする。
それがあまりに自然だから、俺は追及できなくなる。
わざとなのか、天然なのかわからないんだけどな。
まぁ、俺も美菜の事は言えないんだが。
やたら照れ臭くて「好きだ」なんて、一度も言ってない。
おあいこで、美菜から言われたこともないんだけどな。
どうでもいいんだけど、どうでもよくないことだ。
それでも。
あのクリクリッとした目で見つめられると、まぁいいかと思ってしまう。
あえて照れ臭いことを言わなくても、じゅうぶん可愛い笑顔だから。
急がなくても、話したくなったら話してくれるさ。
美菜の様子が変だとわかっていたのに、そんなふうに思っていた。
あいつのことを鈍いだとか天然だとか言ったりしなければよかった。
笑顔の陰で、独り悩んでいたのだから。
まぁいいかなんて肩をすくめず、ほんの少し踏み込めばよかったのに。
後悔すると気付いた時には、いつも遅い。
後から悔いるという言葉の意味を知った時は、何もできないのだ。
美菜はそう言って、いつものように笑った。
「一人で帰れるから。隼人君、また今日も海?」
大きな瞳が、また後で会えるかを、そっと問いかけてくる。
時間があくと、俺は必ず海に行く。
学校が終わってからはもちろん、早起きすることもある。
サーフィンが趣味、というか海に取り憑かれているから仕方ない。
おふくろなんか、一年中海に出るなら漁師にでもなればいいのに、なんて悪態をつく。
漁師と波乗りを一緒にする感性はちっともわからないが、禁止されたりしないので、まぁ親らしい事を言いたいだけなんだろう。
そして波に乗った後は、いつも美菜の家に寄る。
小さな古民家風のカフェは風情があるし、美菜は毎日のように手伝っているから俺も常連になってしまった。
海辺の喫茶店でいれたてのコーヒーを飲みながら美菜と少し話すのが、このところの日課。
かなり贅沢な時間だ。
だから、俺は当然のようにうなずいた。
「まぁ、晴れてるからな」
「なら、ケーキ焼いとくね!」
俺は一瞬、言葉を失った。
あいかわらず恐ろしいことを、かわいい笑顔で言う。
俺は甘い物が苦手なんだと、これほど訴えているのに。
「食わないぞ、今日こそは」
「平気だよ、ガトーショコラだから」
「だから、よせって」
えへ、と美菜は笑った。
「甘くないよ。ビターチョコだから大丈夫!」
そのほわっとした満足そうな笑顔に、俺はそれ以上は言えなくなる。
こいつ、と思うしかない。
デザートを出されるなんて、俺は大丈夫じゃない。
絶対に、違う。
挨拶代わりにするなんて、わざとか?
いやいや、毎回こりもせずに、本当にデザートを目の前に出す。
睨みつけるとたいていの奴がビビるのに、ホワンとした笑顔で受け止めるのだから大物だ。
俺がどれほど嫌がっても効果がないので、まいってしまう。
美味しいなんて、心にもないことは絶対に言えないのに。
正直に言おう。
「甘い」以外の感想が、この口から出たことはない。
俺のしかめっ面の感想に、美菜が本当に満足しているのか謎だ。
それでも毎回、涙目の「お願い」に負けてしまう、俺も俺だが。
しかし、それにしてもだ。
このところ、美菜の様子がおかしい。
どこが? と問われても、確信はないのだが。
今週に入ってからは誰かに用事を頼まれても忙しいのだと断わり、一度も「うんいいよ」と言わなかった。
美菜は今日もまた、せっせと急いでカバンに荷物を詰めている。
先に帰るね、と俺に手を振って、そのまま背中を向けた。
チョコチョコとした小動物みたいな足取りで教室を出て行く。
いつもは俺が見張っていないと、あれこれと用事を頼まれるくせに。
本当に忙しそうな様子のせいか、誰も呼びとめない。
「家のお手伝い?」
「うん、ちょっと」
「そっか、また明日」
そんなふうに見送られている。
「うん、また明日」
すれ違う人にいつもの調子で挨拶をしながら帰っていった。
その背中はのんびりとしているようでも、なんでも一生懸命に取り組む。
当たり前の美菜の姿だった。
確かに、何も考えていないような「うんいいよ」は聞くだけで落ち着かない
しかし、美菜らしい口癖がないと、ホッとしたような、気持ちの座りが悪いような、不思議な気分だ。
そう、俺は気付いてしまった。
このところふとした拍子に、美菜はぼんやりとして空を見ている。
いつもほのぼのとほんわりした雰囲気があるから、終わりかけの秋空を楽しんでいるだけかもしれないけれど。
それでも、何かが違っている。
ホワホワした笑顔の隅に、チラリと影がのぞく。
ほんの一瞬だけなのに気がつくのは、まぁ、ずっと一緒にいる俺ぐらいだろうけど。
気のせい……じゃないと思う。なんとなくだが。
美菜は誰が相手でも物怖じせずに挨拶をするし、態度も変わらない。
お人よしがそのまま女の子になったような人間だ。
そのぶん、自分の気持ちを言わない。
空が綺麗だとか、海は大きいとか、星は嘘つきだとか。
どこかで聞いたような台詞でも、美菜が言うと真実の匂いがするし。
一生懸命に生きている温度だと、そっと俺の手を握ることだってある。
そういう感性は惜しげもなく披露してくれるのに。
両親はどうしているのか、とか。
線香花火の夜の沈黙の理由、とか。
俺のことをどう思ってるのか、とか。
そういう、俺の気になることは一言も口にしない。
ちょっとだけ「どうなんだ?」と匂わせても、ん? とかわいく笑って聞こえないフリをする。
それがあまりに自然だから、俺は追及できなくなる。
わざとなのか、天然なのかわからないんだけどな。
まぁ、俺も美菜の事は言えないんだが。
やたら照れ臭くて「好きだ」なんて、一度も言ってない。
おあいこで、美菜から言われたこともないんだけどな。
どうでもいいんだけど、どうでもよくないことだ。
それでも。
あのクリクリッとした目で見つめられると、まぁいいかと思ってしまう。
あえて照れ臭いことを言わなくても、じゅうぶん可愛い笑顔だから。
急がなくても、話したくなったら話してくれるさ。
美菜の様子が変だとわかっていたのに、そんなふうに思っていた。
あいつのことを鈍いだとか天然だとか言ったりしなければよかった。
笑顔の陰で、独り悩んでいたのだから。
まぁいいかなんて肩をすくめず、ほんの少し踏み込めばよかったのに。
後悔すると気付いた時には、いつも遅い。
後から悔いるという言葉の意味を知った時は、何もできないのだ。
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