「うん、いいよ」

真朱マロ

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第九話 「うん、いいよ」中編

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 やわらかくてどこかのんびりした、陽だまりみたいなその声。

 忘れるわけがない。
 忘れられなくて、どうしようもなかった。
 これが幻聴だとしても、俺は驚かない。
 二呼吸ほど沈黙して、何を言えばいいのかわからなくて動揺していると、再び受話器からふんわりした声が響いた。

「隼人君。携帯のナンバー、変えてないんだ?」

 ダメだなぁなんて、クスクス笑っている。
 それがあんまり自然で、ようやく俺は息をすることを思い出した。

「美菜」
 呼びかけると、うん、と懐かしいやわらかな返事。

 間違いない。
 これは幻聴などではなく、本物の美菜だ。

「ちゃんと、生きてる?」

 なんだ、それは?
 ふざけんなと言いたかったけれど、思わず笑ってしまった。
 真面目なんだかとぼけているんだか、少しもわからない奴だ。

「うるせ。誰に言ってんだ?」

 生きてるからこうして話せるんだろうが。
 あいかわらず、どこまでもマイペースな思考をしている。
 ちょっとだけ言い淀んだ後で、美菜はそっと聞いてきた。

「かわいくて素直な彼女、できた?」
「縁がねぇよ、そんなもん」

 誰に言ってんだ? なんて鼻先で笑ってやる。
 自慢じゃないが、俺の目つきの悪さは半端ではない。
 普通に目があっただけで、ごめんなさいと謝られることもあるのに。
 怒ってないのに、パーフェクトに勘違いされる。
 そのぐらい覚えているはずなのに、美菜は不思議そうだった。

「嘘。隼人君、優しいのに」
「お前みたいに気にしない奴だけだ。俺のは限定品なんだよ」

 そうなんだ、と美菜は小さく呟いた。
  かみしめるような沈黙の後。
 そうなんだ、ともう一度美菜はつぶやいたけど、声が華やいでいた。

「限定品なんだ」

 おい、やけに嬉しそうだな。
 俺がもてなくて、そんなに喜ぶなよ。まったく。
 残念だったねぇと、明るい声で付け足すので、誰のせいだよと、俺は悪態をつくしかなかった。

「隼人君が優しいのって、私限定なの?」
「うるせ」

 笑うかと思ったら、美菜は再び沈黙した。
 どうかしたのかと思ってしばらく待っていたら、噛みしめるようにそっとつぶやく。

「待たないでって言ったのに」

 ああもう。そんな声を出すなって。
 泣くな、なんて言いたくなる。

「待ってねぇし」

 そう? なんて、あっという間にご機嫌な調子になって、美菜はクスクスと笑った。
 ドキリとするようなことを聞いてきたくせに、全然気にしてないみたいだ。

 別に待っていた訳じゃない。
 待っていた訳じゃないけどな。
 それほど器用に生きてないんだよ、なんて教えてやらない。

 クスクス笑っていた美菜は、不意に静かになった。
 しばらく言い淀んでいたけれど、ハッキリした声で言った。

「今日は空が青いね」
「ああ、まぁ、こっちも晴れてる」

 なんだか緊張している声音なのに、天気の話かよ。
 変な奴だと思いながらも、なんだか真面目な様子なので、俺も少しかしこまる。
 受話器越しに美奈は、数回深呼吸をしている。

 なんだよ、その妙な間は?
 俺が眉をひそめていると、カラッとした感じで美菜は告げた。

「私、日本で暮らすことに決めたの」
 その意味が浸透するまで、俺も数呼吸が必要だった。
「こっち、帰ってんのか?」

 思わず携帯を見つめてしまう。
 いや、見たからって何も分からないんだが。

 すぐに次の台詞を聞くために、耳を澄ませる。
 俺が浜辺にいる物だから打ち寄せる波の音が混じって、美菜の声が少し聞き取りにくい。
 フフッと美菜は笑った。

「海、綺麗だね。最高だって、言ってた感じ?」
「最高って……お前、どこにいるんだ?」
「私の好きな浜辺が見えるところ」
「浜辺って……」

 おい。
 まさか、と思う。

 この浜か?
 想像だけで心臓が跳ねるじゃないか。
 俺をからかってるんじゃないだろうな?

 でも、確かに携帯越しに波の音が聞こえる。
 美菜の声ばかりに気を取られていたけれど。
 俺の側にある潮騒と携帯越しの波の音が混ざり合って、美菜の声が聞き取りにくかったのだと、やっと俺は気がついた。

 それにしても。
 この打ち寄せる波の音、やけに近くないか?
 近いどころか、この潮騒の打ち寄せる感じは……立ちあがり、俺は振り返った。

 ああ、やっぱり。
 懐かしい姿に、思わず目を細めた。
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