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おまけ
シュガー・ドーナツ4
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私と先輩がハンバーグを作っている間、拓海はずっと背後に陣取っていた。
冬真~冬真~と用もないのにからんでいる。
先輩は先輩でこんなお子様の相手をする必要もないのに、くだらない話でも物珍しそうに答えていた。
だけど、それにしてもうっとうしい。
「拓海、手伝わないなら、あっち行ってて」
私は気が散るから、追い払おうとした。
だいたい、ギャラクシーポリスの話なら、同級生とすればいいのだ。
なんでわざわざ先輩にからむんだろう?
不機嫌な私に、ウフフ~ンと拓海は奇妙な笑いをもらした。
「イチャイチャできないから、愛莉は俺を邪魔にするんだろ? 残念だね~自宅にお持ち帰りなんてするからだよ」
お持ち帰りですって?
妙な妄想までしているらしい。
こいつ、調子に乗っている。
絶対に後でしめる!
私の険しい表情をモノともせず、拓海はベ~ッと舌を出し、先輩はふんわりと微笑んだ。
「イチャイチャしたいの?」
「え?」
本当に近くで顔を覗きこまれて、ついつい後ろに下がってしまった。
なぜ、私に話をふるの?
夏休みの間は顔が見えなかったから、近づいてもわりと平気だったのに。
顔を見ることに、慣れない。
めちゃくちゃ距離が近いし。
「別にそんな……」
返事に困ってしまった。
拓海が後ろでニヤニヤしている。
「したくないの?」
「えっと、それは……」
「俺はしたいけど?」
私は卒倒するかと思った。
あでやかに微笑まないでください。
うう~心臓が持たない。
「冬真は本当に愛莉のことが好きなんだ?」
ヘラヘラッと笑う拓海に、「うん、そう」と先輩は普通にうなずいた。
「愛莉が喜ぶなら、なんでもしたくなるよ」
当たり前のようにスルッと答えたせいか、拓海は酢を飲んだような顔になった。
からかっても意味がないだけではなく、あてられるだけだと気がついたらしい。
私はといえば、オタオタしていた。
「と、冬真先輩~そうじゃなくって」
「嬉しくない?」
「それは~えっと~嬉しい、です、けど…」
語尾がかすれて消えてしまう。
直球そのものの甘い言葉を連発されて、どう答えていいのかわからない。
経験値がまるで足りなくて、やり過ごす方法がまったく思い浮かばなかった。
もう見てられないとばかりに、拓海がぼやいた。
「あ~あ、つまんないの。母ちゃんの前でイチャイチャすんなよ。俺まで怒られる」
ひたすら焦っている私に向かって生意気なため息をあびせかけた後で、拓海があれあれと時計を指差した。
俺って気が利くんだと偉そうに言う。
「そろそろ南雲を迎えに行く時間じゃない?」
私は時計を見て、ハッとした。
「あ、本当だ。保育園に行かなきゃ」
二人に気を取られてしまい、時間を忘れていた。
集中力に欠けて、段取りがめちゃくちゃだった。
今日はどうも調子が悪い。
とにかく急ごうと残りのハンバーグも慌てて丸めていたら、先輩も手を早めた。
「じゃ、一緒にいこ。女の子なんだから、夕方に一人で歩くって危ないだろ?」
当たり前に言うので、私は戸惑った。
嬉しいけど、弟の迎えだし。
日も長いので、危ない時間ではない。
「え? でも……」
拓海が後ろから突っ込んだ。
「姉ちゃん、そういうときには、素直にありがとうってのが、いい女だぞ」
「拓海には言われたくないんですけど」
キッと睨みつける。
本当に生意気なんだからと、私はため息をついた。
なんで小三の小僧に、恋愛指導までされなくてはならないのかわからない。
まぁ確かに、拓海と先輩の二人で留守番に残すのも、ものすごく変な図だった。
私と出れば、まだなじむ気がする。
私の思考などそっちのけで、拓海は自分の耳をいじっていた。
「耳に痛い事を言うのが家族の役目だって、じいちゃんのありがたい訓示あったじゃん」
「あのね、それはこういう時には使わないの」
それに拓海の言葉はただのひやかしなので、まったく耳に痛くない。
妙なことばかり覚えて困ると、私はため息をついた。
手を綺麗に洗ってエプロンを外すと、ハンバーグの種を冷蔵庫で休ませる。
煮物も火を切って、安全を確かめた。
「はいはい、じゃ、行ってくるね。悪いけど、留守番よろしく」
祖父母は裏の道場だし、友達の家に遊びに行っている大地や、部活をしている宇宙が帰ってくるまでは拓海が一人になってしまう。
早く南雲を迎えに行って、帰ってこなくては。
鍵は閉めとくからと伝えると、拓海はテレビでも見ているよと手を振った。
宿題をすませたので、余裕のある顔だ。
二人して家を出た。
先輩は当たり前のように、手をつないできた。
恥かしかったけれど、私もそのままでいた。
指をからめるようにしっかりと握って、とても先輩は機嫌が良かった。
歩いている間は考えることも少なかったので、ようやく先輩に気持ちが向いた。
せっかくうちに来たのに、ほとんど邪魔扱いして、ひどい態度だったかもしれない。
バタバタの状態から、正気に戻ってしまった。
「あの、本当にすみません。家も汚くしてるし、拓海は変なことばっかり言って」
いまさらの状況に、私は泣きたくなった。
家事をしている時には考える隙間がなかったけれど、こうして二人になるとたった今置かれている状況に落ち込んでしまう。
ん? と軽くいなされた。
先輩はまぶしいほど鮮やかな笑顔のままで、私を見つめる瞳がキラキラしていた。
「別に。俺、ずっといたいぐらい」
クスクスと笑っている。
「さっきは拓海だけだったけど、南雲や大地が帰ってくるともっと悲惨な状況で……」
私は余裕のある先輩の態度が落ち着かなくて、もっとすごい状態になるのだと説明する。
弟たちは家の中でも遠慮なく暴れるので、まさに怪獣軍団だ。
人口密度が高いのに、あれだけ動いてもケガをしないのが不思議である。
言葉ではいくらでもぼやけるけれど、さすがに誰にも見られたくない。
これが日常だなんて、本当に情けない。
「楽しいよ」
私の情けない台詞の先をサクッと切りとるように、先輩は強い口調でさえぎった。
「え?」
見つめると、さっきまでとうって変わった様子で、ちっとも笑っていない。
とても真剣な顔をしていた。
「俺、楽しいの。どれだけ楽しいか、わかる?」
わからなかった。
だけど、目の前にいる先輩は本気だった。
そんなことを他人に言ってもらえたのは初めてなので、私は胸がキュンとしてしまう。
「……そう言ってもらえると、嬉しいかも。友達も呼べないぐらい騒がしくて……私、いつもこんな感じだけど、いいんですか?」
普通の高校生とは違うだろう。
中学受験をして入学した名門校は学費が高いので、母も働きだした。
それからずっとこんな生活で、バイトどころか部活にも入っていない。
家事と、勉強と、剣道と、ただそれだけ。
そんな毎日でも、私に不満はない。
だけど、交際相手となると違うだろう。
きっと、当たり前の付き合いができない。
毎日毎日家族のご飯を気にしたり、時間に追われてしまう。
真面目だとかお堅いとか評価されても、家のことをほったらかして出歩けない私は、きっと要領が悪いのだろう。
「ごめんなさい」
今の私は、先輩を一番にしてあげられない。
不安になり、視線が足元に張り付いた。
こうして考えてみると、どんな時も家族が私の中心だから、先輩に嫌われそうで怖い。
もう、真夏の夜の夢のような綺麗な時間や、一途に側にいた時間は、二度とこない。
先輩はジーッと私を見ていた。
周りを確かめると人通りがなかったので、私の肩を抱いた。
歩いていたので軽い調子だったけれど、キュッと抱いた手に力がこもった。
「大丈夫だよ。愛莉の家族が許してくれたら、またこうして押しかけるし。愛莉が家で勉強できない時はうちにおいで。静かだし」
優しい声音だった。
「俺は、そのままの愛莉がいい」
暖かい声が、泣きたくなるぐらい嬉しかった。
先輩は不器用な私を全部認めてくれている。
「……はい……試験前とか、お願いします」
切実な声になってしまった。
本当にありがたかった。
弟はそれなりに可愛いけど、目の前でケンカされるとイライラしてしまう。
「少しは静かにして!」
なんて、思わず叫んでしまう時もあるので、やっぱりちょっと泣けてしまった。
私の眼ににじんだ涙を、ペロッと先輩はなめた。
「たまに、こんな悪戯するかも」
不意打ちだったので、私はどう答えていいかわからなかった。
思わず立ち止ってしまう。
なぜだろう?
驚いたけど、嫌じゃなかった。
先輩からこぼれてくる言葉や、クルクル変わる表情や、その全てが胸に染みる。
上手く表現できないけれど、先輩は確かに変わっている。
こんなふうに、真剣に言葉を交わすことなんて、あの夏の日には想像もつかなかったのに。
「……冬真先輩」
「冗談だって」
パッと私の肩から手を離して、降参のポーズをとった。
ちゃんとこれからは節操のある行動するからと、なんだかあせっていた。
「ごめん! こうやって側にいるだけで嬉しすぎるから、調子にのっちゃった」
何度も謝っている。
でも、謝るのは私の方だ。
先輩は私を見てまっすぐに向き合ってくれているのに、私は応えるどころか家族にかまけてその手前であたふたするばかり。
もう、あの時間は戻ってこない。
だけど、先輩の気持ちは前より強くなって、いい方向へと変わっている気がした。
夢はとっくに終わっていたけれど。
この人のことを大切にしたい。
生れた私の気持ちは、本物だった。
私は思わず、自分から先輩の胸に飛び込んでいた。
「私、先輩のこと、好きです」
耳を押し当てると、心臓が大きく跳ねた。
先輩も私と同じように、ドキドキしている。
よかった。
私たちは同じ場所で、生きている。
同じ気持ちで、ちゃんと側にいる。
「うん、俺も好き」
優しく抱きしめられて、幸福な気持ちになる。
クン、と先輩は私の髪を嗅いだ。
「愛莉、甘いにおいがする。ドーナツ、また作ってよ」
ふわっと笑った。
「そしたら、先輩って呼んでも許してあげる」
もっと良く見たくて顔を上げようとしたら、先輩は抱いた腕に力をこめた。
このままでいてと、言葉にならない声が聞こえた。
コツン、と先輩の胸におでこをつける。
「愛莉が揚げたドーナツに、俺が砂糖をかけるからさ。たくさん作ろう? 拓海や、他の弟君の分も、いっぱいにね。一緒にお帰りって、言ってあげようよ」
そんなぬくもりのある声音に、私はそっと身体を預けた。
夢みたいな話だ。
でも、ただの想像だと笑い飛ばせないぐらい現実味があって、とても幸福な情景だった。
ハイ、とうなずくと、うん、と先輩もうなずいてくれた。
しばらくそのままだったけれど、先輩はハッとしたように身体を離した。
「いこ。拓海が留守番してるし」
先輩にうながされ、いつもと逆ですねと私は笑った。
今からお迎えの南雲は甘えん坊の泣き虫だとか、中学の宇宙は野球部に入っているとか、私の家族のことばかり先輩は聞きたがった。
弟の話などつまらないだろうに、ひたすらニコニコしたままで聞いていた。
「アイリーンは、秘密や想像してくださいが多かったから、新鮮なんだ」
そう言って、本当に嬉しそうに笑う。
指をからめるように手をつないで歩いて、保育園の手前で手をほどいた。
担任の先生に今日の弟の様子を聞いて、門で待っている先輩のところに南雲を連れて帰る。
私の背中に隠れた南雲に、先輩は「初めまして」と綺麗な笑顔を向けた。
それでも南雲が出てこないので、サッと近寄るとヒョイと肩車をした。
あんまり素早くて自然だったので、南雲も暴れなかった。
大好きな肩車をされているうえに、初めて顔を合わせる先輩が直接は見えないせいか、さっきより安心している様子だった。
本当に単純でげんきんなので、すぐに懐いてしまったぐらいだ。
そのままの状態で、南雲の取りとめのない保育園での話を聞きながら家路をたどる。
南雲はわりと大柄なので、肩車なんて大丈夫か心配になった。
だけど、平気だよと先輩は笑うばかりだ。
「こういうのって憧れてたしね」
会話の切れ間に、ポツンと言った。
その台詞だけで当たり前の家族がいなくて、触れ合った記憶のないことが透けて見える。
自分には経験がないと横顔があまりに寂しげだったので、私は返事に詰まってしまった。
二人してちょっとだけ無口になってしまったら、何も知らない南雲が罪のない笑顔で先輩の頭に抱きついた。
「僕もこういうの好き。姉ちゃんにはもれなく僕らがついてくるんだよ。だから、ずっと仲良くしよ~ね。いくらでもできるよ♪」
調子に乗らないの、と南雲をたしなめたかった。
だけど、先輩が穏やかな表情でいたのでやめた。
こんな顔もできるんだとホッとする。
「うん、ありがとう」
先輩は笑った。
なぜか、はにかみながら赤面していた。
理由を聞いても、教えてくれなかった。
突っ込んだら、クスクス笑った。
「こういうの楽しいね。愛莉はどう? 子供、欲しいよね」
どうって?
子供?
いきなり、なにを言いだすのか!
「…私、高校生ですよ! 子供なんて……」
「なんだ、俺と結婚してくれるの? ふぅん、そうなんだ」
からかわれてしまった。
ひどい。
きっと、何を考えていたか、ごまかしたかったに違いない。
子供と戯れている冬真先輩なんて、非常に似合わない図だったけれど。
先輩のなにかが、満たされているようだった。
こんな小さなことで、先輩の欠けた気持ちが埋まるのならそれでいい。
こんな私でも先輩のために、もっとできることがあるのかもしれない。
そう思った。
冬真~冬真~と用もないのにからんでいる。
先輩は先輩でこんなお子様の相手をする必要もないのに、くだらない話でも物珍しそうに答えていた。
だけど、それにしてもうっとうしい。
「拓海、手伝わないなら、あっち行ってて」
私は気が散るから、追い払おうとした。
だいたい、ギャラクシーポリスの話なら、同級生とすればいいのだ。
なんでわざわざ先輩にからむんだろう?
不機嫌な私に、ウフフ~ンと拓海は奇妙な笑いをもらした。
「イチャイチャできないから、愛莉は俺を邪魔にするんだろ? 残念だね~自宅にお持ち帰りなんてするからだよ」
お持ち帰りですって?
妙な妄想までしているらしい。
こいつ、調子に乗っている。
絶対に後でしめる!
私の険しい表情をモノともせず、拓海はベ~ッと舌を出し、先輩はふんわりと微笑んだ。
「イチャイチャしたいの?」
「え?」
本当に近くで顔を覗きこまれて、ついつい後ろに下がってしまった。
なぜ、私に話をふるの?
夏休みの間は顔が見えなかったから、近づいてもわりと平気だったのに。
顔を見ることに、慣れない。
めちゃくちゃ距離が近いし。
「別にそんな……」
返事に困ってしまった。
拓海が後ろでニヤニヤしている。
「したくないの?」
「えっと、それは……」
「俺はしたいけど?」
私は卒倒するかと思った。
あでやかに微笑まないでください。
うう~心臓が持たない。
「冬真は本当に愛莉のことが好きなんだ?」
ヘラヘラッと笑う拓海に、「うん、そう」と先輩は普通にうなずいた。
「愛莉が喜ぶなら、なんでもしたくなるよ」
当たり前のようにスルッと答えたせいか、拓海は酢を飲んだような顔になった。
からかっても意味がないだけではなく、あてられるだけだと気がついたらしい。
私はといえば、オタオタしていた。
「と、冬真先輩~そうじゃなくって」
「嬉しくない?」
「それは~えっと~嬉しい、です、けど…」
語尾がかすれて消えてしまう。
直球そのものの甘い言葉を連発されて、どう答えていいのかわからない。
経験値がまるで足りなくて、やり過ごす方法がまったく思い浮かばなかった。
もう見てられないとばかりに、拓海がぼやいた。
「あ~あ、つまんないの。母ちゃんの前でイチャイチャすんなよ。俺まで怒られる」
ひたすら焦っている私に向かって生意気なため息をあびせかけた後で、拓海があれあれと時計を指差した。
俺って気が利くんだと偉そうに言う。
「そろそろ南雲を迎えに行く時間じゃない?」
私は時計を見て、ハッとした。
「あ、本当だ。保育園に行かなきゃ」
二人に気を取られてしまい、時間を忘れていた。
集中力に欠けて、段取りがめちゃくちゃだった。
今日はどうも調子が悪い。
とにかく急ごうと残りのハンバーグも慌てて丸めていたら、先輩も手を早めた。
「じゃ、一緒にいこ。女の子なんだから、夕方に一人で歩くって危ないだろ?」
当たり前に言うので、私は戸惑った。
嬉しいけど、弟の迎えだし。
日も長いので、危ない時間ではない。
「え? でも……」
拓海が後ろから突っ込んだ。
「姉ちゃん、そういうときには、素直にありがとうってのが、いい女だぞ」
「拓海には言われたくないんですけど」
キッと睨みつける。
本当に生意気なんだからと、私はため息をついた。
なんで小三の小僧に、恋愛指導までされなくてはならないのかわからない。
まぁ確かに、拓海と先輩の二人で留守番に残すのも、ものすごく変な図だった。
私と出れば、まだなじむ気がする。
私の思考などそっちのけで、拓海は自分の耳をいじっていた。
「耳に痛い事を言うのが家族の役目だって、じいちゃんのありがたい訓示あったじゃん」
「あのね、それはこういう時には使わないの」
それに拓海の言葉はただのひやかしなので、まったく耳に痛くない。
妙なことばかり覚えて困ると、私はため息をついた。
手を綺麗に洗ってエプロンを外すと、ハンバーグの種を冷蔵庫で休ませる。
煮物も火を切って、安全を確かめた。
「はいはい、じゃ、行ってくるね。悪いけど、留守番よろしく」
祖父母は裏の道場だし、友達の家に遊びに行っている大地や、部活をしている宇宙が帰ってくるまでは拓海が一人になってしまう。
早く南雲を迎えに行って、帰ってこなくては。
鍵は閉めとくからと伝えると、拓海はテレビでも見ているよと手を振った。
宿題をすませたので、余裕のある顔だ。
二人して家を出た。
先輩は当たり前のように、手をつないできた。
恥かしかったけれど、私もそのままでいた。
指をからめるようにしっかりと握って、とても先輩は機嫌が良かった。
歩いている間は考えることも少なかったので、ようやく先輩に気持ちが向いた。
せっかくうちに来たのに、ほとんど邪魔扱いして、ひどい態度だったかもしれない。
バタバタの状態から、正気に戻ってしまった。
「あの、本当にすみません。家も汚くしてるし、拓海は変なことばっかり言って」
いまさらの状況に、私は泣きたくなった。
家事をしている時には考える隙間がなかったけれど、こうして二人になるとたった今置かれている状況に落ち込んでしまう。
ん? と軽くいなされた。
先輩はまぶしいほど鮮やかな笑顔のままで、私を見つめる瞳がキラキラしていた。
「別に。俺、ずっといたいぐらい」
クスクスと笑っている。
「さっきは拓海だけだったけど、南雲や大地が帰ってくるともっと悲惨な状況で……」
私は余裕のある先輩の態度が落ち着かなくて、もっとすごい状態になるのだと説明する。
弟たちは家の中でも遠慮なく暴れるので、まさに怪獣軍団だ。
人口密度が高いのに、あれだけ動いてもケガをしないのが不思議である。
言葉ではいくらでもぼやけるけれど、さすがに誰にも見られたくない。
これが日常だなんて、本当に情けない。
「楽しいよ」
私の情けない台詞の先をサクッと切りとるように、先輩は強い口調でさえぎった。
「え?」
見つめると、さっきまでとうって変わった様子で、ちっとも笑っていない。
とても真剣な顔をしていた。
「俺、楽しいの。どれだけ楽しいか、わかる?」
わからなかった。
だけど、目の前にいる先輩は本気だった。
そんなことを他人に言ってもらえたのは初めてなので、私は胸がキュンとしてしまう。
「……そう言ってもらえると、嬉しいかも。友達も呼べないぐらい騒がしくて……私、いつもこんな感じだけど、いいんですか?」
普通の高校生とは違うだろう。
中学受験をして入学した名門校は学費が高いので、母も働きだした。
それからずっとこんな生活で、バイトどころか部活にも入っていない。
家事と、勉強と、剣道と、ただそれだけ。
そんな毎日でも、私に不満はない。
だけど、交際相手となると違うだろう。
きっと、当たり前の付き合いができない。
毎日毎日家族のご飯を気にしたり、時間に追われてしまう。
真面目だとかお堅いとか評価されても、家のことをほったらかして出歩けない私は、きっと要領が悪いのだろう。
「ごめんなさい」
今の私は、先輩を一番にしてあげられない。
不安になり、視線が足元に張り付いた。
こうして考えてみると、どんな時も家族が私の中心だから、先輩に嫌われそうで怖い。
もう、真夏の夜の夢のような綺麗な時間や、一途に側にいた時間は、二度とこない。
先輩はジーッと私を見ていた。
周りを確かめると人通りがなかったので、私の肩を抱いた。
歩いていたので軽い調子だったけれど、キュッと抱いた手に力がこもった。
「大丈夫だよ。愛莉の家族が許してくれたら、またこうして押しかけるし。愛莉が家で勉強できない時はうちにおいで。静かだし」
優しい声音だった。
「俺は、そのままの愛莉がいい」
暖かい声が、泣きたくなるぐらい嬉しかった。
先輩は不器用な私を全部認めてくれている。
「……はい……試験前とか、お願いします」
切実な声になってしまった。
本当にありがたかった。
弟はそれなりに可愛いけど、目の前でケンカされるとイライラしてしまう。
「少しは静かにして!」
なんて、思わず叫んでしまう時もあるので、やっぱりちょっと泣けてしまった。
私の眼ににじんだ涙を、ペロッと先輩はなめた。
「たまに、こんな悪戯するかも」
不意打ちだったので、私はどう答えていいかわからなかった。
思わず立ち止ってしまう。
なぜだろう?
驚いたけど、嫌じゃなかった。
先輩からこぼれてくる言葉や、クルクル変わる表情や、その全てが胸に染みる。
上手く表現できないけれど、先輩は確かに変わっている。
こんなふうに、真剣に言葉を交わすことなんて、あの夏の日には想像もつかなかったのに。
「……冬真先輩」
「冗談だって」
パッと私の肩から手を離して、降参のポーズをとった。
ちゃんとこれからは節操のある行動するからと、なんだかあせっていた。
「ごめん! こうやって側にいるだけで嬉しすぎるから、調子にのっちゃった」
何度も謝っている。
でも、謝るのは私の方だ。
先輩は私を見てまっすぐに向き合ってくれているのに、私は応えるどころか家族にかまけてその手前であたふたするばかり。
もう、あの時間は戻ってこない。
だけど、先輩の気持ちは前より強くなって、いい方向へと変わっている気がした。
夢はとっくに終わっていたけれど。
この人のことを大切にしたい。
生れた私の気持ちは、本物だった。
私は思わず、自分から先輩の胸に飛び込んでいた。
「私、先輩のこと、好きです」
耳を押し当てると、心臓が大きく跳ねた。
先輩も私と同じように、ドキドキしている。
よかった。
私たちは同じ場所で、生きている。
同じ気持ちで、ちゃんと側にいる。
「うん、俺も好き」
優しく抱きしめられて、幸福な気持ちになる。
クン、と先輩は私の髪を嗅いだ。
「愛莉、甘いにおいがする。ドーナツ、また作ってよ」
ふわっと笑った。
「そしたら、先輩って呼んでも許してあげる」
もっと良く見たくて顔を上げようとしたら、先輩は抱いた腕に力をこめた。
このままでいてと、言葉にならない声が聞こえた。
コツン、と先輩の胸におでこをつける。
「愛莉が揚げたドーナツに、俺が砂糖をかけるからさ。たくさん作ろう? 拓海や、他の弟君の分も、いっぱいにね。一緒にお帰りって、言ってあげようよ」
そんなぬくもりのある声音に、私はそっと身体を預けた。
夢みたいな話だ。
でも、ただの想像だと笑い飛ばせないぐらい現実味があって、とても幸福な情景だった。
ハイ、とうなずくと、うん、と先輩もうなずいてくれた。
しばらくそのままだったけれど、先輩はハッとしたように身体を離した。
「いこ。拓海が留守番してるし」
先輩にうながされ、いつもと逆ですねと私は笑った。
今からお迎えの南雲は甘えん坊の泣き虫だとか、中学の宇宙は野球部に入っているとか、私の家族のことばかり先輩は聞きたがった。
弟の話などつまらないだろうに、ひたすらニコニコしたままで聞いていた。
「アイリーンは、秘密や想像してくださいが多かったから、新鮮なんだ」
そう言って、本当に嬉しそうに笑う。
指をからめるように手をつないで歩いて、保育園の手前で手をほどいた。
担任の先生に今日の弟の様子を聞いて、門で待っている先輩のところに南雲を連れて帰る。
私の背中に隠れた南雲に、先輩は「初めまして」と綺麗な笑顔を向けた。
それでも南雲が出てこないので、サッと近寄るとヒョイと肩車をした。
あんまり素早くて自然だったので、南雲も暴れなかった。
大好きな肩車をされているうえに、初めて顔を合わせる先輩が直接は見えないせいか、さっきより安心している様子だった。
本当に単純でげんきんなので、すぐに懐いてしまったぐらいだ。
そのままの状態で、南雲の取りとめのない保育園での話を聞きながら家路をたどる。
南雲はわりと大柄なので、肩車なんて大丈夫か心配になった。
だけど、平気だよと先輩は笑うばかりだ。
「こういうのって憧れてたしね」
会話の切れ間に、ポツンと言った。
その台詞だけで当たり前の家族がいなくて、触れ合った記憶のないことが透けて見える。
自分には経験がないと横顔があまりに寂しげだったので、私は返事に詰まってしまった。
二人してちょっとだけ無口になってしまったら、何も知らない南雲が罪のない笑顔で先輩の頭に抱きついた。
「僕もこういうの好き。姉ちゃんにはもれなく僕らがついてくるんだよ。だから、ずっと仲良くしよ~ね。いくらでもできるよ♪」
調子に乗らないの、と南雲をたしなめたかった。
だけど、先輩が穏やかな表情でいたのでやめた。
こんな顔もできるんだとホッとする。
「うん、ありがとう」
先輩は笑った。
なぜか、はにかみながら赤面していた。
理由を聞いても、教えてくれなかった。
突っ込んだら、クスクス笑った。
「こういうの楽しいね。愛莉はどう? 子供、欲しいよね」
どうって?
子供?
いきなり、なにを言いだすのか!
「…私、高校生ですよ! 子供なんて……」
「なんだ、俺と結婚してくれるの? ふぅん、そうなんだ」
からかわれてしまった。
ひどい。
きっと、何を考えていたか、ごまかしたかったに違いない。
子供と戯れている冬真先輩なんて、非常に似合わない図だったけれど。
先輩のなにかが、満たされているようだった。
こんな小さなことで、先輩の欠けた気持ちが埋まるのならそれでいい。
こんな私でも先輩のために、もっとできることがあるのかもしれない。
そう思った。
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