君が奏でる部屋

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73 試演会

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 僕が講師をしている音楽大学の卒業試験は、12月中旬から始まる。

 卒業試験は学内のコンサートホールで行われる。
 その直前に「試演会」と称して学生が企画して学生が参加する練習会があり、希望者は事前に予約すれば無料で参加できる。ホールのピアノで一回だけ練習ができるという訳だ。

 予約は先着順で、名前と演奏時間だけ提出する。先生方は聴きに来ないし、プログラムも作らないから曲目を提出しなくてよいし、服装も自由だ。申し込みはもうすぐだった。企画や進行は学生だが、新人講師の僕は概要を把握していたし、当日の会場責任者としてステージ袖に待機している予定だった。

 12月上旬までに行われていた日本ピアノコンクールで一位を獲得した平山は、持ち前の愛想の良さで、学内でもアイドル的な存在だった。

 その平山から電話があった。
 試演会の件、自分は卒業試験の練習は必要ないから、試演会で2台ピアノを披露してみませんか?と持ちかけられた。聞けば、平山の卒業試験は日程が最終日に近く、12月下旬だという。それなら、……平山の実力があれば、試験には差し支えないだろう。


 講師である僕は、参加してはいけないとは聞いたことがないからOKした。先着順の申し込みで一回通すだけの無料の試演会。四年生はもちろん、勉強になるからと、下級生も附属高校の生徒も集まる会だった。そういえば、僕は参加しなかった。

 先着順の申し込みとはいえ、試演会という催し自体に制限時間がある。試演会は平山が申し込みをしてくれて、無事に出場権を手に入れた。

 平山が一番力を入れて創った曲は、僕が弾いたチャイコフスキーのコンチェルトを元にした45分の曲で、僕がプリモ(主役)で平山がセコンド(準主役)だった。

 その次はリストのコンチェルトを元にした作品で、平山がプリモ、僕がセコンドの30分の曲だった。今年は平山がリストのコンチェルトでグランプリになったのだから、こちらにしようと僕は提案した。


 平山は、
「いつか2台ピアノで演奏会をする時は、先輩がプリモで」
と言い、曲目は決まった。リストのコンチェルトを元にした作品は、『evolve』「進化する」という意味の題名だった。
 格好良くて、リストが好きな僕たちにぴったりの2台ピアノの為の作品だった。

 以前、初見で一回合わせてから練習してあったし、創った平山はどうとでも弾ける筈だ。

 2台めのピアノを設置するため、平山の演奏順は最後になった。曲目はもちろん、僕の名前は提出していないので、当日まで秘密にしようと決めた。

 服装も自由だが、どうする?と僕は平山に聞いた。女子だったらドレスをお揃いにしたり、色違いにしたりする。見た目に統一感があると綺麗だ。僕は燕尾服?タキシード?ブラックスーツ?どれにする?……という意味で聞いた。

 平山は、少しだけ僕に遠慮がちに口を開いた。
「Tシャツにジーパン……なんて、嫌ですか?」

 僕は何でもよかった。平山と演奏できること、平山の創った曲が良かったから。

「うん、いいよ?でも僕、ジーパンを持ってない。どこで買えばいい?」 
「見たことがないと思いましたが、お持ちでなかったとは。じゃ、近々作りに行きましょう」

 僕たちは秘密の練習を重ね、当日に備えた。
 こんな準備をしているのは僕たちだけだった。他の皆は卒業試験のため、男性は本番と同じ燕尾服、タキシード、ブラックスーツ、女子はドレッシーなワンピースかドレスだった。

 僕は、ある理由から本番がスーツではないことに安堵していた。

 僕たちは出番前までブラックスーツで過ごし、出番直前にTシャツとジーパンに着替えた。館内は暖房が効いていたし、動きやすくて快適だった。

 ステージに2台のピアノが設置され、いよいよ本番という時。不安だった、あることを思い出した。……怖かった。

「先輩、どうかされましたか?」
 平山に気づかれた。然り気無く気を使ってくれている。

「……心配かけて申し訳ない。今は言えない。本番は、この曲の素晴らしさが、……忘れさせてくれるだろう。よろしく頼む」

 ステージ袖の女子たちが、季節外れなTシャツとジーパン姿の僕たちを見つけて、囁き始めた。

「ねえ、平山君と、槇先生じゃない?2台ピアノって、もしかしてこの二人?」
「えっ!まさか、本当に?」

「あ、ばれた」
「先輩、アナウンスはありません。出ましょう」


 平山は素早くステージに出て行った。

 平山が笑顔で手を振りながら中央に出ると、会場が、聞いたことのない歓声に包まれた。卒業試験の練習会だったコンサートホールは、一瞬で文化祭のノリになった。

 僕は出遅れた。セコンドの僕は、ステージ袖から先にあるピアノの向こう側まで行かないといけない。まぁ、いいや。主役は平山だ。僕は早足でサッとセコンドの位置に出た。

 再び新たな歓声が上がり、僕は表情を変えないようにするだけで精一杯だった。

 平山が作曲した『evolve』は、リストの作品の特徴である、オクターブの連打や、トリルの連続、華やかなパッセージ、難易度の高い跳躍が散りばめられ、ポップス調のシンコペーションで緊迫感のある曲だった。僕たちは若さと技術を武器に、真剣勝負をした。弾いていて気持ち良かった。最高だった。

 演奏後、今まであんなに煩いと思っていた女子たちの歓声を、初めて有難いと思えた。そして、平山に感謝した。


 ステージ袖に戻り、女子たちから逃げるようにして男性控え室に入った。

 僕たち二人だけだった。

 僕は、もう全ての荷を下ろしたくなり、平山に打ち明けた。

「平山、ありがとう。本番前、僕が怖かったのは……」
 僕は……。先月、平山が出場したコンクールのコンチェルト審査で、平山がソリスト、僕がオーケストラパートでの本番後、彼女……僕の妻が事故に遭って還らなくなった夢を見たことを話した。全てが妙にリアルで、本当に怖くて、なかなか現実に戻ってこられなかったこと。

 平山との2台ピアノの本番前に、これから毎回あの夢を思い出すかもしれないと思ったこと、そしてそれでピアニストとしてやっていけるのか不安に思っていたこと。

 生きていることが、偶然でも必然でもなく尊いこと……。
 それから、夢の中でも平山に助けられたことを話した。

 平山は、黙って聞いていた。


「ありがとう、平山」
「先輩、僕と『evolve』を共演してくださって、ありがとうございます。これからも先輩の進化、応援しています」














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