君が奏でる部屋

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76 予感

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 もうすぐ、俺の父親の誕生日だ。毎年、親族を集めてホームパーティーをしている筈だ。今まで、思い出さない年もあったのに何だろう。今年は行ったほうがいい気がする。俺は、勘がいいと言うのかよくわからないが、運がいいことがよくある。

 行ったほうがいいと思うなら、行ってみるか。

 俺は慎一に連絡を取って、かおりと仁を連れて連れて行きたいところがあると伝えた。幸い、その日は特に重大な予定はなく、慎一は音大のレッスンも休みとのことだった。
 仁は今のところ、かおりに似ておとなしい赤ちゃんだと言う。新幹線で往復すれば多少時間はかかるが、大丈夫だろう。

 東京駅のホームで待ち合わせた。俺を見て、慎一はあれっ?と言った。

「お父さんと僕たちだけ?お母さんは?」
「他意はない。一日付き合ってくれ」

「いいけど、どこに行くの?」
「俺の実家。父親が誕生日なんだ。今までずっと連絡していなかったけど、今日は行ったほうがいい気がして」 

「成る程ね。何か贈り物とか?」
「買ってない。物はいらないよ」

「わかった。遠くに出かけるの、初めてだ。旅行みたいだね、かおり」
 かおりは仁をだっこしたまま、にこっと笑った。本当に昔から変わらず可愛い子だ。

 三人並んだ新幹線の座席で、慎一を真ん中に、かおりが窓側に座った。

 慎一は、
「仁をだっこするから、今のうちに寝ておいて」
とかおりに言った。かおりは昔から寝つきがいい。変わらないな。仁はまだ歩かない月齢だから、赤ちゃんといえどずっしりと重い。慎一がだっこしたり、俺がだっこしたりした。終始おとなしくしていて、ぐずることもなく、何も困ることはなかった。

「仁はおとなしいな。慎一に似ていたら、歩く年齢になったら走り回って大変だぞ?かおりが追いかけ回すの、想像つかないけど大丈夫か?」
「流石に最初のうちは仁よりも速いだろ」

 俺は笑った。
「慎一は親を困らせたこともない、イイコだから心配していないが、かおりが心配だ」

 かおりを見ると、もう寝ていた。

「……突然悪かったな。何か急に、慎一とかおりと仁を連れて行こうかなって。るり子を連れて行きたくないわけじゃないんだ。多分、俺のこともそんなに期待されていない。だが、慎一とかおりと仁は、会わせたらいいんじゃないかって、そんな予感がしたから」
「わかった」

 慎一は、それ以上特に聞いてこなかった。

 駅からはタクシーに乗った。俺は運転手に住所を告げ、後は近くになったら声を掛けることにした。変わったかな、いや、あまり変わらないな。

 しかし、俺はこんな年になったし、息子の慎一がこんなに大きくなって、かおりも仁もいる。今日会わせようと予感させた勘には、どんな意味があるんだろうか。

「豪邸ばかりだね」
「慎一が育ったところも似たようなものだろ?たまたまあれは社宅だが」
「そうか、そうだね」

 タクシーを降りてから、慎一がこちらを見た。表札が『槇』ではないからか。

「高校卒業後に籍を抜いて母の姓を名乗ってきたが、俺はここで育ったんだ。俺の実家はここだよ」

 インターフォンを押した。
「誠一です」

 門が開いた。庭の向こうの遠くの建物から、母親が出てくるのが見えた。

「俺の実母ではないが、俺を育ててくれた母親だ。後で紹介する兄弟とは、俺だけ顔が違うから、すぐに判るだろう」
 俺は小さい声で慎一に伝えた。

「誠一さん、お父さんに会いにきてくれたの?」
「あぁ。息子と孫を連れてきた。彼女はかおり。息子の奥さんだよ。赤ちゃんがいるから、彼女にもゆっくりさせてやってほしい」
「まあまあ、何て可愛いこと。遠くからありがとう。今日は皆来ているから、どうぞ入って」

 慎一もかおりも挨拶をして中に入った。

 広間は……久しぶりで懐かしくなった。俺は三人を連れて、奥にいる父親のところに行った。

「お父様、ご無沙汰しております」
「おぉ、誠一。久しぶりだな。そちらは?」

「息子の藤原慎一。その妻のかおり、その子供の仁です」
「そうか。ゆっくりしていきなさい」

「ありがとうございます」

 俺は、母親が勧めてくれた、奥のソファにかおりと仁を座らせた。ようやく仁が自由に動ける。まだ歩けないが、這って動きたかった筈だ。

 俺は慎一を連れて兄達に挨拶をして、反対側にある料理を置いてあるところに行った。


 若い女性が近づいてきて、慎一に声を掛けた。
「初めまして。恭一おじ様のところの理一さんの婚約者で、葉子です」
「初めまして。藤原慎一です」
 慎一が答えた。

「あちら……かおりさんとおっしゃるの?よく聞こえなかったので。藤原かおりさん?」
「はい、そうです。妻の藤原かおりです。僕は結婚して藤原になりましたが、旧姓の槇慎一という名前で仕事をしています」

「お仕事は何を?」
「ピアニストで◯◯◯音楽大学の講師です」

「やはりそうでしたか。私はこちらの◯◯音楽大学のヴァイオリン科なの。今、院の一年です。伴奏してくれる親友がコンクールに出場したので、去年と一昨年、あのコンクールを聴きました。親友は残念ながらコンチェルトの審査まで行けなかったけれど、一緒に聴きました。藤原かおりさんの演奏が印象に残っていた。そして、その前の年に演奏したあなたを思い出したの」
「そうでしたか」

「それで?あなたがかおりさんにピアノを教えて史上最年少の最優秀指導者賞?」
「畏れ入ります」

「師弟関係なの?」
「そうです」

「大学の教授のことは?」
「よくご存知ですね。僕は小学生からプライベートで教授の弟子になりました。彼女がコンクールに出場すると決めた時に、教授が彼女のオケパートを弾くといって、彼女にレッスンをしてくれました。申し込み時点では、指導者名は僕の名前しか書いていなかったので……」

「あの、世界的に有名な教授の最後の秘蔵っ子って話題になったわ……確かに素晴らしかった。結婚してお子さんがいらっしゃるなんて」
 慎一は、それには答えず社交辞令的に笑顔を作っていた。

「何?慎一、グランプリの他にも何かもらってたの?」
 俺は控えめに口を挟んだ。
 
「はい、指導者賞を……」
「史上最年少の、最優秀指導者賞ね!かおりさんも、史上最年少のグランプリですし」

 彼女が遮って答えてくれた。

「慎一。そういうの、俺にも教えろよ。祝ってやるのに」
 俺がそう言った時、後ろから声が聞こえた。

「何だ?祝ってやるほどいい息子なのか?」
 振り向くと、父親だった。

「お父様……」

 父親は彼女に聞いた。
「葉子、彼を知っているのか」
「はい。こちらの方は『槇慎一』さんと仰る素晴らしいピアニストで、あちらの赤ちゃんを連れた奥様も素晴らしいピアニストなんです。お二人とも、去年と一昨年のコンクールでそれぞれグランプリを受賞されていたので、ピアノ界で有名人ですわ。私はヴァイオリンですが、ピアノの友人と一緒に東京に聴きに行きました」

「ほう、慎一と言ったか。何か褒美をやろう。何がいい?言ってみろ」
「畏れ入ります。じゃあ、……ヴァイオリン……仁に弾かせたいなぁ」

「よく気づいたな。あれは良いものだ。よかろう、お前にやる。仁が大きくなるのも楽しみだが、お前も、あの可愛い嫁も精進しろ。誠一、お前が援助しきれない時はこっちに連絡しろ」
「……ありがとうございます」
「……ありがとうございます」
 俺と慎一はびっくりしつつも、同じタイミングで礼を言った。

 葉子という女性は声を失っていた。

 弾かないくせに所有していた父親のヴァイオリン……俺が知る限り、今まで誰にも触らせなかったのに。俺は、これに呼ばれたのか?

 父親は、ヴァイオリンが入った鍵つきのショーケースを使用人に開けさせ、持ち運ぶための指示を出していた。




 かおりがやってきた。仁が這っているのを、後ろからゆっくり追ってきたようだ。

 使用人が、ヴァイオリンを弾ける状態にして慎一に渡した。慎一は、調弦してキラキラ星を弾いた。

「うわ!これ!すごくいい!弓も!吸い付くようだ!ありがとうございます!……お爺様。かおり、これもらったよ!」

 慎一は、子供みたいにはしゃいでいた。慎一のこんな顔は久しぶりだ。家にあるピアノが届いた時のるり子を思い出す。そのピアノはもともとここにあったものだ。

「また来なさい、誠一。るり子も連れて来い。事前に知らせろ。ピアノを入れておく。何がいい?ベーゼンドルファーか、ベヒシュタインか?」

 るり子の名前を覚えていてくれた。ピアノまで……今度連れてこよう。

「ありがとうございます。連れて来ます」

 ピアノはもらって帰れないが、うちにあるからいいか。俺は笑った。

 かおりは少し驚いた顔をした。
「慎一さん、ヴァイオリンが弾けるの?」
「見たことと聴いたことしかないよ」
 慎一は、笑いながら弓の張りを微調整した。

 先程の葉子という女性が、かおりに話しかけた。

「初めまして。私は葉子と言います。東京で、あなたがグランプリだったコンクールの演奏を聴いたわ。素晴らしかった。彼に習っていたの?」

 葉子が慎一の方を見た。
「初めまして、かおりです。ありがとうございます。先生……慎一さんの御指導のお陰です」

 かおりは、小さい声だったけれどはっきりと言った。慎一をたてる……かおりがそんな気遣いをするとは驚いた。

 ヴァイオリンの弓を調整した慎一が明るく言った。
「このくらいかな?キラキラ星ならかおりも弾けるよ。ほら、持ってごらん」

 慎一は、かおりの手を取って後ろからヴァイオリンを構えさせた。弓を持ったかおりの手に慎一が手を重ね、キラキラ星のメロディーが奏でられた。単純なメロディーが、少しリズムを変えて、変奏曲になった。仁が立ち上がって手を伸ばした。

「慎一、仁が立った!初めてじゃない?」
 俺は思わず声を上げた。まるでヴァイオリンの音をつかむかの如く、感動的ですらあったのだ。

 かおりも慎一も背が高い。仁はかおりの膝に捕まって立ち、両手を上げて頭を反らしたら後ろに倒れた。俺が抱きとめたが、二人は演奏をやめる気配もない。やれやれ。

 仁は泣いて暴れた。俺はそんな仁を初めて見た。おとなしいだけではなさそうで、安心した。強い意志を持つ、子供時代の慎一の片鱗を見た気がした。

 かおりが演奏を止め、慎一にヴァイオリンを託した。仁はかおりにだっこされたが、泣いて怒った。
 かおりは仁を抱いて優しく頬擦りし、その場で歌を歌った。その様子は、るり子が慎一を抱いていた時と同じで、美しかった。慎一は、その歌に合わせて低音のメロディーを歌った。それは、美しい二重唱だった。


 葉子さんが、
「少しだけ、貸してください」
と言ってヴァイオリンを手に取った。

 かおりと慎一のメロディーに、ヴァイオリンで奏でられるピツィカートの伴奏……。

 仁はいつしか泣き止み、かおりの胸の中で幸せそうに眠った。

 賑やかなパーティーだったが、三人の演奏を聴くために、静かになった。
 幸せな一時だった。




 帰りの新幹線で抱っこを交代しようとすると、仁は察知してむずかって、かおりの胸から離れなかった。かおりは仁を抱っこしたまま寝た。


 俺は慎一に聞いた。
「あの曲、何だっけ?チャイコフスキー?」
「うん。チャイコフスキーの『アンダンテ・カンタービレ』仁がお腹にいる時からかおりが歌って聴かせていた。たくさん歌った中で、あの曲が一番好きみたいなんだ。……仁がヴァイオリン弾くの、楽しみだな。僕には買えない。お父さん、連れていってくれて、ありがとう」
「俺にも買えないさ」


 俺の勘はいい。
 運もいい。

 俺は多分、そうしてるり子に出逢えたんだろう。

 しかし、るり子に知らせずに、皆で実家に行った事がバレたら怒りそうだな。言っていないこともありすぎる。どうしようか。まぁ、何とかなるか。

 慎一は、ヴァイオリンケースを抱えながら仁を撫でた。それから、寝ているかおりの肩にストールを掛けながらキスをしていた。すごくナチュラルに……。俺に見えても気にしない……か、大胆だな。


 るり子はいちいち騒ぐから無理だな。

「こんなところでしないでよ!びっくりするじゃないの!」
とか言いそうだ……俺は笑った。


 慎一はキスを止めた。
 自分が笑われたと思ったか。

 本当はそうじゃないけど、そう思わせておこう。















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