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槇 慎一

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捨てられたチワワがオペラ歌手を目指す物語

3 惚れた弱み故の悩み

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「留学して帰ってきたらちえみと結婚してもいい」

 篠原先生のその言葉が、四六時中ぐるぐると回っていた。


 どうしようかなぁ~。


 ちえみは俺より5つ年下だった。
 初めて会った時は俺が高校3年、ちえみは中学1年だった。この家の私鉄沿線のいくつか先にある、私立の中高一貫の女子校だそうだ。贔屓目に見てもお嬢様学校ではなさそうだ。偏差値が高くて有名とか、もちろんその逆でもなく、かと言って伝統校という雰囲気でもなく、割と普通の良い子が通う近所の学校というイメージだった。
 それは何というか、俺を安心させた。すごいお嬢様とか、すごい秀才とか、すごいバカとかはちょっと……。普通が一番安心する。自分が変わっている自覚があるからだ。
 佐々木先生が懐かしい。あんな変わり者と一日いても飽きずに何年も付き合っていたのだから、俺も充分変わり者だ。


 ちえみが毎日鏡の前で身だしなみに気をつけているのは、丸い襟の白いブラウスに、形の整えられたリボンをつけ、チェックの膝丈スカートという制服だった。
 可愛いが、まるで幼稚園児に見えた。ちえみは子供っぼいし、胸がないなら尚更だ。明るくて無邪気で人懐こい。
 俺のことを「徹くん、徹くん」と完全にお兄ちゃん扱いした。オモチャにされたのはこちらだった。まぁ、懐いてくる奴と遊んでやるのは吝かではない。


 所謂一つ屋根の下に、兄妹ではない異性がいていいのだろうかと一応訝しんだが、篠原先生は鷹揚だった。OKってことだな、うん。


 音大に合格してからもこのままここで暮らすことになった。ちえみはしょっちゅう俺の部屋に遊びにきた。俺の部屋は一階のレッスン室の反対側にあるゲストルームだ。
 ちえみは毎日毎日宿題や勉強道具を持ってきて、ちゃっかり俺に片付けさせる。結構な量だった。俺は口頭で、ゆっくりと途中式まで教えてやると、もれなくちゃんとそれを書き写し「答えだけ書いたわけではありません」みたいに体裁を整えた。


 それが日課だった。


 ある日、ちえみは宿題が終わっても自分の部屋に帰らないで、俺の部屋でのんびりとしていた。


「なぁ、俺のこと好きか?」
 自信はあった。

「うん!」
 やっぱりな。ベッドに座っていた俺は、その辺に座っていたちえみをこっちへ来るよう手招きして呼び寄せた。

 少しだけ緊張したみたいだ。わかっていない訳ではなさそうだ。……この表情なら期待もしている。好奇心かもしれないが、何でもいい。


 ちえみを抱いて膝に乗せた。腕の中に収まる体、軽さ、尻の柔らかさは、女を感じさせた。俺は知っている限りのオペラ、ラブ・ストーリーのラブシーンを思い出し、シチュエーションこそ俺の部屋だが、ありったけの気持ちを込めて優しくキスをした。その閉じられた瞼、恥ずかしそうにはしていたが、俺の腕の中で嬉しそうな様は、生涯忘れないだろう。しかし、これ以上はまずい。


「もう、部屋に帰れ。家族にバレないよう、いつもどおりにしろ。明日も勉強道具を持ってこい」


 そうしてずっと可愛がり、仲良くしてきた。俺が大学院2年に進級した時に、ちえみは同じ大学の声楽科に合格した。

 俺は知らなかったのだが、ちえみの通った中高は、合唱が盛んで有名な学校だったらしい。部活動はもちろん、文化祭では学年毎にミュージカルをしたり、プロを呼んで音楽鑑賞をする機会が頻繁にあるらしい。ちえみはオペラのプリマドンナになるような器ではないが、素直な発声で変な癖がなく、合唱人として良い人材だった。女子校育ちで人づきあいも上手く、誰とでも仲良くしていた。俺達は人前ではベタベタしたり大っぴらにはしなかったが、隠したりもしなかった。何しろ師匠である篠原先生もその辺にいるのだ。見つかって気まずいことはしなかった。ちえみの友達は皆知っていたようだから、友達の前ではいい彼氏を演じたりした。


 このままあと数年、キャンパスラブライフを送りたかった。
 「離れがたい」なんて表現では、とても表せない。




 どうしようかなぁ~。




 どうしようもない。

 惚れているのだから。


 俺は院2年になる頃になってようやく、海外の夏期講習会や春期講習会を調べ始めた。


 ちえみと結婚するために。



















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