BL ~Black Love~ 1.0

蒼生よる

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1・大天使の命令で、魔界へ行くことになりました

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「アシーエル、君には今から天界の使者ししゃとして、魔界へ行ってもらうから」
 大天使ミカエルと名乗ったその男が、にっこり微笑ほほえみながらそう言ったのは、アルが十八才になった朝のことだった。
 寝起きに突然訪問ほうもんされて、アルはドアののぞき窓から、ポカンとしてその男を見上げた。
 長い金髪に金色の瞳。背中の羽根はねはまるで孔雀くじゃく尾羽おばねのような紋様もんようをしていて、頭上の天使の輪からは、まぶしいくらいの光が降り注いでいる。
 青いマントに身を包み、腰には長剣ちょうけんたずさえていたが、その男、ミカエルは、やたらと優しげな綺麗きれいな顔をしていて、こわい感じはしなかった。
(ミカエル……、ミカエルと言えば)
 アルは、昨日読んだ本の中に、その名前があったのを思い出す。
 そうだ。大天使ミカエルと言えば、すべての天使をまとめる天使長てんしちょうにして天軍てんぐん総帥そうすいという、まさに雲の上の存在だったはず。
 普段は大天使や大貴族しか住むことのゆるされない、最上層の第七層にいるはずだ。そんな高貴こうきなお方が、どうしてこんな第一層の外れの森の、古びたとうの前にいるのだろうか。
「あの、大天使様……?」
「あー、ミカエルって呼んでいいよ」
 おそる恐るアルが話かけると、ミカエルはあっけらかんと答えた。
「では、ミカエル様。私のことを知っているのですか……?」
「うん、知っているけど?」
「人ちがいとかではなくて?」
 大天使ミカエルが、アルなどに用があるとは思えなかった。
 アルはもう九年も、このへんぴな塔で一人で暮らしている。母親が亡くなったあと、しばらくして父親が、アルをこの塔に連れてきた。
 すべての窓に鉄格子てつごうしがつき、唯一ゆいいつのドアにはカギのかかった、この塔に。
 その日から、アルは一度も塔の外に出ていない。アルの存在など、とっくの昔に世間から消え去っているはずだった。
 だから、大天使ミカエルがアルに会いに来るなど、ありえない。人ちがいか、もしくはなにかのカンちがいか。
「あー、そうか。……君はなんて呼ばれていたの?」
 ミカエルに問われて、アルは一瞬、質問の意味がわからなかった。けれど、少し考えてから答える。
「アルです」
「アル、アールか。うん、いいね。そっちのほうがかわいいから、君のことはアールと呼ぼう」
 ぽんっと手を打って、ミカエルは笑った。
 名前なんてなんでもいいけど、とアルは思う。
 アルのことをアルと呼んだのは、九才のときに亡くなった母だけだ。母が亡くなってからは、久しく名前など呼ばれていない。
 そう言えば、ドアごしとはいえ、こうして誰かと会って話をすることも、ずいぶんと久しぶりだった。
「では、アール」
 ミカエルが、歌うように軽やかな声でそう言うと、ガチャリと、ミカエルとアルとの間にあるドアから音がした。
 まさか、と思って、アルは息を飲む。
うそでしょう!?)
 そんなこと、あるわけがない。
 あるわけがない、はずなのに。
 驚くアルの前で、一気にドアが開け放たれた。
 まさかの事態に、アルは声もなくただ目を見開く。
 ドアが開かれた、その瞬間。アルの目前にまぶしい朝日が差し込んで、涼しい風が吹き抜けた。
 突然目の前に広がった外の世界に、アルはびくりと体をすくませる。
「まあ、立ち話もなんだし、とりあえず時間がないから、移動しながら話そうか」
 開け放たれたドアのむこうで、ミカエルがそう言うと、後ろに控えていた数人のお付きの者が、ざっと横へ移動して道を開けた。
 アルは驚く。
 そちらを見ると、森の中に、白く輝く立派な馬車が停まっていた。
「さあ、アール。行こうか」
「……あの、どちらへ?」
「だから魔界へ」
 有無を言わせぬ笑顔で、ミカエルが言い切る。
 まわりを見ると、白いローブを着た何人ものお付きの天使が、アルとミカエルの動向をうかがっていた。
 まったくこの状況が理解できなかったけれど、アルに拒否きょひする権利などないことだけは、わかった。
 この九年間、一度として開くことのなかったドアのカギを、ミカエルは持っていたのだ。ミカエルとアルの父親との間で、なにかあったのだろうと思われた。
 顔も名前もおぼえていない父親だけれど、それでもアルの父親だ。父親がミカエルにカギを渡したのなら、アルはミカエルにしたがうしかなかった。
(……よし)
 意を決して、アルは一歩、塔から外へふみ出した。
 そっと足をおろすと、足の裏に、土と草の感触がする。
 久しぶりの、外の世界だ。
「ところでアール、その格好かっこうはなにかな?」
「あの、ダメですか……?」
 寝起きに突然やってこられたのだ。えらんでいる暇はなかった。
(でも、怒られるかもしれない)
 そう思って、アルはすっぽりと自分を包んでいる布の前をぎゅっと合わせた。
 今、アルが着ているのは普段着である白い膝丈ひざたけ貫頭衣かんとういだ。布の真ん中に穴を開け、そこに頭を通す簡素かんそな服だが、天界では一般的な服装である。これに問題はないはずだ。
 問題なのは、頭からかぶっているこの大きな布のほうだろう。
 たしかに、このシワのついた布は、人前に出るにはみっともない。もっとちゃんとした布を用意できればよかったけれど、なにせ突然の訪問だ。そういうわけにもいかなかった。
「できれば、この格好でお許しを」
 アルは嘆願たんがんする。みっともない格好だけれど、どうか許してほしい。アルにとって、これは切実せつじつな問題だ。
 けれどミカエルは、さして気にしたふうではなかった。
「まあ、問題ないでしょ」
(問題ないんだ?)
 アルはホッとする。
 外へ出るのは九年ぶりだ。この格好がダメだと言われたら、外へ出る勇気など粉微塵こなみじんになるところだった。
 しかも今から向かう先は、この天界の最下層よりもさらに下の、魔界だと言う。
 未知の場所に連れ出される不安は、もちろんあった。魔界なんて場所に行ったら、なにをされるかわからない。
 もしかしたら、また九年前のようになるのかもしれない。
 それでも、アルはまわりにしたがう以外に、生きるすべを知らなかった。
 アルは後ろを振り返り、塔を見上げた。青い空を背にした灰色の塔は、所々外壁がいへきが落ちていて、古めかしい造りをしていた。
(ああ、この塔は、こんな色と形をしていたのか)
 九年住んでいたけれど、この外観を見たのは、九年前の一度きり。
(もう、ここには戻ってこられないのかもしれない)
 ここでの暮らしはよかった。ずっと一人きり、誰にも会わず、かかわらず、アルが望むまま静かに平和にすごすことができた。
 この生活が、ずっと一生続くのだと思っていたけれど、世の中そんなに甘くはないようだ。
(まあ、仕方がないよね)
 たとえどんなに神様に祈っても、願いが叶わないことのほうが多いのだから。
 むしろこの九年を、感謝したほうがいいのだろう。
 塔を見上げるアルに、ミカエルが言った。
「心配しなくても、塔の後片づけはこっちでするよ。必要な物はむこうでなんでも用意してくれるし」
「……ありがとうございます」
「あー、なにか持っていきたい物があれば、持っていってもいいけど」
 アルは考えるまでもなく答えた。
「いえ。特にはありません」
「アールは身軽みがるだね」
 即答そくとうしたアルに、ミカエルは笑う。
 身軽といえば聞こえはいいが、アルにはなにもないだけだ。
 こんなときに持っていきたいと思う物が、なにもない。
 この格好を許してもらっただけでも、アルにはもう充分じゅうぶんだと思う。
 ミカエルの後ろについて、アルは馬車まで歩いて行った。布が地面について汚れないように、両手で布を持ち上げながら気をつけて歩く。
 馬車には、綺麗な毛並みの白い天馬てんまが二頭、おとなしくつながれていた。
(あ、この木)
 馬車のすぐそばにある大きな木を、アルは見上げた。この季節になると花が咲く、早咲きの桜だ。
 だいぶつぼみがふくらんでいるけれど、今はまだ、一つも咲いてはいなかった。
 アルは毎年、この木に花が咲くのを楽しみにしていた。緑色だらけの森で、ただ一本、うす桃色の花びらが開き散るのを、塔の中からながめるのが好きだった。
(魔界にも桜はあるのかな)
 あるといいな。たとえ今年は見られなくても、いつかまた見られたら、それでいい。
「ほら、アール。先に乗って」
 ミカエルにうながされて、アルはこわごわ馬車に乗る。後からミカエルも乗り込んで、馬車の中は二人きりになった。
 アルは、なるべくはじっこによってから、ちらりと目線をあげて、あらためてミカエルを見た。
 綺麗な大人の男の人だ。姿勢にも品がある。アルなどとは比べようもない、光に満ちあふれた天上の住人だ。
 アルの視線に気づいたのか、ミカエルがアルを見てふっと笑った。
 アルはあわてて視線を下げる。 
 常に優しい微笑ほほえみをたたえているのに、なぜかミカエルからは底知れない威圧感いあつかんを感じる。
「それでね、アール。人ちがいではないんだよ」
 ミカエルが、歌うように話ながら、アルの目をのぞきこむようにして、その金の瞳を近づけた。
 あまりの近さに、アルは思わず息を飲む。
 ミカエルの目の中に、アルの瞳が映っている。この、闇夜やみよのように真っ黒な、アルの瞳が。
 頭からシーツをかぶって、髪と翼をかくしても、この瞳はかくせない。そう言われている気がして、血の気が引いた。
 アルは天界でただ一人、黒い目と黒い髪、黒い翼を持って生まれた。長い天界の歴史の中でも、そんな天使が生まれたのははじめてのことだった。
 しかしミカエルは、青い顔をしたアルを気にもせず、軽やかな声で話を続ける。
「だって君しかいないでしょ。天界でこう呼ばれる存在は」
 ミカエルが、その綺麗な顔に笑みをのせて、アルの二つ名を呼んだ。
「暗黒の天使」




           ~つづく~
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