伊予むすび屋の思い出ごはん

美和優希

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3.恋する特製カレーオムライス

3ー4

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 内心頭を抱えていると、一方で清美さんは訂正するように私に告げた。


「あ、違うんです。心残りなのは元恋人のことなんです」

「……え?」

「当時、高校一年生の頃から付き合ってた彼氏がいたんですけど、その彼のことが心配で……」


 未練は自分で解決するしかないとわかったときと同じような落胆の表情で、清美さんは話し出す。

 元恋人は清美さんと同い年で、史也ふみやさんというらしい。

 生きていれば、今年、二十七歳になるのだそうだ。


「ほら、私の病気がわかった高校三年生の時期って、将来に関わる大事な時期ですよね? 難関大学を目指してた彼氏に、私が余命いくばくの病気だなんて言って彼の足枷あしかせになりなくなかったし、話せなかったんです……」

 当時のことを話してくれる清美さんは、両手を組んで口元に当てると、後悔するように目を閉じた。


「だけど、そうしているうちに、病気のことを話すタイミングを見失ってしまって……」

「そうだったんですね……」

 清美さんは小さくうなずくと、苦しそうに言葉を続ける。


「彼の方は変わりなかったんだけど、私は本当にこのまま付き合い続けて良いのかものすごく悩んでいました。そうしているうちに、彼は志望していた難関大学に通うことになって県外に出たんです。ちょうど良いと思いました。彼と物理的に距離ができることで自然消滅できるかもしれないって」

 自嘲混じりの疲れた顔で小さく笑う姿に、私まで胸が締め付けられるようだった。


「病気のことを打ち明ける勇気も、別れを切り出す勇気もない私にとって、それが一番いいと思ったんです」


 自然消滅の道を選択するのが最良だと錯覚してしまうほどに、清美さんは追い詰められていたんだ。

 心配させたくなければ迷惑をかけたくないあまり本当のことは言えなくて。だけど、いつまでも隠し通せるわけないとわかっていても、別れを選ぶ勇気は持てなくて。

 本当に好きだったからこそ、清美さんは身動きが取れずにいたのだろう。

 それらを一人で抱えてきた彼女の心情を思うと、私は何も言えなかった。

 
「だけど、私は間違ってたみたいです。自然消滅すると思ってたのは私だけだった。私が中途半端なことをしたせいで、彼は私が突然死んだと思っていて……今でも引きずって、全然前に進めてないんです」

「…………」

「大好きだからこそ、最後くらい直接感謝の気持ちとお別れの言葉を伝えて、お互いのためにちゃんと終止符を打つべきだったのに」

 今更気づいたって遅いですよね、と呟くように口にする清美さんの目から、はらりと涙が落ちる。

 思わず目の前で小さく震える背に手を添えると、清美さんは私に触れられたことに驚いていた。むすび屋では幽霊に触れることができることを話していなかったからだろう。

 けれどそれも一瞬。清美さんは次の瞬間にはタガがはずれたように涙をこぼした。今まで堪えていたのだろう。


「いろいろ思い悩んでしまって、もう六年はこの世をさまよっています」


 強い後悔が、彼女をこの世に留めているのだろう。


「せめて、もう一度彼と話すことができれば……」


 病気のことを隠してたことを謝りたい、彼には前を向いて生きていってほしい。

 清美さんのその想いを届けるためには、史也さんの存在が不可欠だ。

 それにはまず肝心の史也さんの居場所を探す必要があるけれど、何か手がかりはあるだろうか。


「今現在の史也さんのことで、何かご存じのことはありますか? 住んでいる場所とか、お勤めされている会社とか、何でもいいのですが」

「彼なら今、この民宿内にいます」

「……へ?」


 一瞬、清美さんが何を言っているのかわからず、間抜けな声が出てしまった。

 史也さんが民宿内にいるって、今日の宿泊客の中にいるということ?
 そんな偶然があるのだろうか。


「あ、実は私、死んでからはずっと彼の近くにいたんです。それで、松山に出張になるという話を彼の同僚がしていたのを聞いて、チャンスだと思って。宿を取ろうとした先輩にちょっと憑依ひょういして、むすび屋を宿泊先にするよう誘導したんです」

 上手くいって良かったです、と清美さんは可愛らしく笑った。

 さらりと言われてすぐには理解できなかった言葉の意味を、もう一度頭の中でゆっくりかみ砕き、思わず内心震え上がった。

 ……怖っ。


 幽霊が人に憑依することがある、という話は聞いたことがあったけれど、実際に憑依したと事後報告されるのは初めてだった。

 確かに仕事関係の宿泊先にとビジネスホテルじゃなくて、わざわざ街なかから遠いむすび屋を選ぶなんてと不思議な点はあったけれど、そういうことだったのか。


「ということは、史也さんは今宿泊している団体さんの中に……」

「……はい、います」


 最初からこの日のために条件を揃えていた清美さんの笑顔に、ものすごい重圧と恐怖を感じさせられた。
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