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3話 立花家の危機
二 敵か味方か(一)
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「あんたは誰よ」
「ずいぶん威勢のいいお嬢ちゃんだね。いや・・・もうお嬢ちゃんという歳でもないか」
「うるさいわよ」
さちは唇を尖らせた。
「私はそちらの姫一人でいいと言ったんだが。侍女でもなさそうだし、町の女か。手の者に姉と言ったとか」
「姉のような人なのです」
波蕗が口を挟んだ。
「さっさと名乗ったらどうなのよ。なんのつもりか知らないけど、あんたなんかに渡さないわよ」
男の手が伸びて、さちの襟を掴んで引き寄せた。
「何を渡さないって? 言ってみろ」
「あんたなんかに、立花家の宝は渡さない」
「ずいぶん詳しいんだな。お前こそ何者だ」
「あんたこそ、立花家の何を知っているの?」
「その姫は末の妹だが、姉はいないはずだ。兄が三人・・・というと」
男がくっくっと笑い出した。
「そうか」
と、さちを突き放す。
畳に倒れ込んださちを、波蕗が助け起こした。
男の笑い声が大きくなる。
「女か。そいつは面白い。いい拾い物をした」
ツボにはまったのか、男の笑いが止まらない。
それが次第に不気味なものになる。
「後でたっぷり可愛がってやる。楽しみにしていろ」
と言いながら立ち去っていった。
心配そうに眉を曇らす波蕗の手を握る。
「ありがとう、大丈夫。・・・あの人知ってる人?」
波蕗は首を振った。
「でも、きっと新さんを知っている人ね。おそらく、新さんも知っている・・・まったく、どんな恨みを買ってるのよ」
新一郎は、友として十年前まで付き合いのあった旗本の屋敷を訪ねていた。
「おお、立花! 十年ぶりだな。どうしておるのかと案じていたんだ。よく訪ねて来てくれた」
角谷京蔵が、新一郎の手を取らんばかりにして喜んでくれた。
京蔵とは、同じ学問所に通っていた。
「本当にあのときは驚いた。いきなりだったもんな」
「ああ、皆に挨拶する暇もなかった」
「今は何をしている?」
「見ての通り、浪人だよ。・・・恥ずかしいことだが」
「なに、生きているだけでよしだ」
「そうだな。角谷は、家督はまだ?」
「そうなんだ。親父がピンピンしているからな。なかなかこっちまで回ってこん」
ははは、と笑って見せた。
「角谷の家は小普請組だったな」
「そうだ。家督を継いでも同じだけどな」
暇なことに変わりはない、とまた笑った。
「今日はどうした?・・・裏立花がお咎めを受けている、あれだろ?」
新一郎が頷く。
やはり噂になっているのだ。
「何か知っていることはないか、と思って来たんだ。あれば教えて欲しい」
京蔵は、細い顎をつまむようにして考え込んだ。
「立花家を救う方法はないだろうか」
「救うって、表の家は裏に乗っ取られたんだろ? 裏が潰れたら、お前がまた再興すればいいじゃないか」
「そんな簡単にいかないよ。それに、裏には妹がいるんだ」
「そうか。力になってやりたいが、どうしたらいいか、おれもわからん。悪いな」
「いや、いいんだ。・・・それと、この件に関わっているかどうかわからないんだが、湯川伯耆と鳥居越前という名前を聞いたことはないか」
「湯川、・・・鳥居・・・」
京蔵が天井を見上げている。
「ああ、すまないがわからない。大身の旗本か大名だろうよ。おれには縁がないな」
「ありがとう。いいよ。おれもさっぱりわからなくて」
「何か聞きたいことがあったら、いつでも聞いてくれ。何しろ暇なんだからな。今日みたいに役に立たないかもしれんが」
と言ってまた笑った。
「ああ」
京蔵の笑いに、ほっとした感じがあるのは、金の無心に来たのではないと分かったからかもしれない。
音沙汰のなかった浪人の友が急に訪ねて来たのだ。
そう思われても仕方がないだろう。
「おれたちはこれからもずっと友だ」
調子のいいことを、京蔵は言った。
十年前に戻ったような感覚になり、胸がいっぱいになる。
何もなければ、今も行き来していたに違いない。
「ありがとう、角谷」
「あ、そうだ。佐野のところには行ったか?」
「いや、まだだ」
「あいつは目付になっている。何か知っているかもしれんぞ」
「佐野か。わかった、行ってみるよ。・・・来てよかった」
「だが、気をつけろよ」
京蔵が、聞く者もいないのに声を顰めた。
「あいつはあまり評判が良くない。おれのところに先に来てくれたのは正解だ」
また来いよ、とばんばん肩を叩いてきた。
「ずいぶん威勢のいいお嬢ちゃんだね。いや・・・もうお嬢ちゃんという歳でもないか」
「うるさいわよ」
さちは唇を尖らせた。
「私はそちらの姫一人でいいと言ったんだが。侍女でもなさそうだし、町の女か。手の者に姉と言ったとか」
「姉のような人なのです」
波蕗が口を挟んだ。
「さっさと名乗ったらどうなのよ。なんのつもりか知らないけど、あんたなんかに渡さないわよ」
男の手が伸びて、さちの襟を掴んで引き寄せた。
「何を渡さないって? 言ってみろ」
「あんたなんかに、立花家の宝は渡さない」
「ずいぶん詳しいんだな。お前こそ何者だ」
「あんたこそ、立花家の何を知っているの?」
「その姫は末の妹だが、姉はいないはずだ。兄が三人・・・というと」
男がくっくっと笑い出した。
「そうか」
と、さちを突き放す。
畳に倒れ込んださちを、波蕗が助け起こした。
男の笑い声が大きくなる。
「女か。そいつは面白い。いい拾い物をした」
ツボにはまったのか、男の笑いが止まらない。
それが次第に不気味なものになる。
「後でたっぷり可愛がってやる。楽しみにしていろ」
と言いながら立ち去っていった。
心配そうに眉を曇らす波蕗の手を握る。
「ありがとう、大丈夫。・・・あの人知ってる人?」
波蕗は首を振った。
「でも、きっと新さんを知っている人ね。おそらく、新さんも知っている・・・まったく、どんな恨みを買ってるのよ」
新一郎は、友として十年前まで付き合いのあった旗本の屋敷を訪ねていた。
「おお、立花! 十年ぶりだな。どうしておるのかと案じていたんだ。よく訪ねて来てくれた」
角谷京蔵が、新一郎の手を取らんばかりにして喜んでくれた。
京蔵とは、同じ学問所に通っていた。
「本当にあのときは驚いた。いきなりだったもんな」
「ああ、皆に挨拶する暇もなかった」
「今は何をしている?」
「見ての通り、浪人だよ。・・・恥ずかしいことだが」
「なに、生きているだけでよしだ」
「そうだな。角谷は、家督はまだ?」
「そうなんだ。親父がピンピンしているからな。なかなかこっちまで回ってこん」
ははは、と笑って見せた。
「角谷の家は小普請組だったな」
「そうだ。家督を継いでも同じだけどな」
暇なことに変わりはない、とまた笑った。
「今日はどうした?・・・裏立花がお咎めを受けている、あれだろ?」
新一郎が頷く。
やはり噂になっているのだ。
「何か知っていることはないか、と思って来たんだ。あれば教えて欲しい」
京蔵は、細い顎をつまむようにして考え込んだ。
「立花家を救う方法はないだろうか」
「救うって、表の家は裏に乗っ取られたんだろ? 裏が潰れたら、お前がまた再興すればいいじゃないか」
「そんな簡単にいかないよ。それに、裏には妹がいるんだ」
「そうか。力になってやりたいが、どうしたらいいか、おれもわからん。悪いな」
「いや、いいんだ。・・・それと、この件に関わっているかどうかわからないんだが、湯川伯耆と鳥居越前という名前を聞いたことはないか」
「湯川、・・・鳥居・・・」
京蔵が天井を見上げている。
「ああ、すまないがわからない。大身の旗本か大名だろうよ。おれには縁がないな」
「ありがとう。いいよ。おれもさっぱりわからなくて」
「何か聞きたいことがあったら、いつでも聞いてくれ。何しろ暇なんだからな。今日みたいに役に立たないかもしれんが」
と言ってまた笑った。
「ああ」
京蔵の笑いに、ほっとした感じがあるのは、金の無心に来たのではないと分かったからかもしれない。
音沙汰のなかった浪人の友が急に訪ねて来たのだ。
そう思われても仕方がないだろう。
「おれたちはこれからもずっと友だ」
調子のいいことを、京蔵は言った。
十年前に戻ったような感覚になり、胸がいっぱいになる。
何もなければ、今も行き来していたに違いない。
「ありがとう、角谷」
「あ、そうだ。佐野のところには行ったか?」
「いや、まだだ」
「あいつは目付になっている。何か知っているかもしれんぞ」
「佐野か。わかった、行ってみるよ。・・・来てよかった」
「だが、気をつけろよ」
京蔵が、聞く者もいないのに声を顰めた。
「あいつはあまり評判が良くない。おれのところに先に来てくれたのは正解だ」
また来いよ、とばんばん肩を叩いてきた。
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