雪の匣庭

東崎 惟子@ 日曜西C24a

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深山安綺羽(七月二十九日)

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七月二十九日
 宿主の健康状態に変化なし。
 だが、ふと気づいたことがある。僕は、以前月宮恋衣に対して抱いていた劣情のようなものを感じなくなっていた。同性すら惹きつける妖しいまなざしは鳴りを潜めていた。今の彼女かからはかつてのような『女』は感じられないのだ。これは変化と呼べるだろうか。だとしても僕の心情が変わったのか、彼女が変わったのかわからないが……。
 夕刻すぎ、僕の携帯電話に着信があった。ディスプレイに表示されている名前は東崎惟子。彼女から連絡を取って来るとは珍しい。大方、魔性の臭いを嗅ぎつけてきたに違いない。
 電話に出てみるが、ノイズがひどく相手の声がよく聴きとれない。どうにもこの町はすでに異界化が進んでしまっていて、その影響で外の世界との繋がりが弱まってきているようだ。惟子曰く、何百とコールし続けていて、ようやく繋がったらしい。
 惟子は案の定、寄生体について尋ねてきた。彼女の専門は魔女だったはずだが……さすがは魔性のスペシャリストだ。すでにこの町に君臨しようとしている者が魔女でないことを確信しているようだった。僕と惟子は互いに魔性の虜だ。どちらが先に魔性に辿り着けるか競い合っている仲である。だから僕は鼻高々に惟子に自慢した。自分はもうじき魔性に攫われ、胡蝶之夢から目覚めるのだと。
 しかしあろうことか――あの女はそれを鼻で嗤った。曰く僕には才能がないから魔性に辿り着くのは無理だという。どうせ町の雪も見えていないんだろう、と。
 カッとなった僕は、「学生時代の君のようなへまはしない」と反射的に怒鳴りつけて通話を切ると、二階に駆け上がり、椅子に揺られてうたた寝をしている月宮恋衣の写真を撮って皮肉のブーケトスとともにメールで送った。これが、この宿主こそが何よりの証拠なのだ。半ば異界と化した発信元からのメールが届くかどうかはわからなかったが、そこは天運に任せるしかない。雪はこれからもっと深くなるから、今後、彼女に限らず外界と繋がりを持てることはないだろう。
 総菜を買いに外に出かけるが、町はおよそこの世のものとは思えない情景となっていた。赤ん坊に緑の絵筆を持たせたかのように、町のあちこちにでたらめに塗られる緑色の数々。それらが人の成れの果てだとわかる。
 吸われているのだ、栄養や感情を、月宮恋衣に吸い取られている。体力ある若者はまだかろうじて活動できるようだが、それも一日も経てば全滅するだろう。そして、この町はきっと地図から消滅する。ああ、そういう見方をするのならば、蛾は月宮恋衣にではなく、この町そのものに寄生しているという言い方もできるわけだ。町の様子を写真に撮って送っても良かったかもしれない。
 また、町の様相から想像がついたことだが、老夫婦が経営する総菜屋など生き延びれる理由がなかった。カウンター脇の椅子の上で弾けた緑と、その奥に垣間見えているちゃぶ台から垂れる粘液を見て、僕は研究所に戻ることとした。あそこには非常食があったはずだ。一日か二日程度、我慢してもらおう。僕の見立てでは、明日、明後日には羽化するのだから。
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