ワスレ草、花一輪

こいちろう

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 矢島何某の邸では、預け置かれた千勢と嘉右衛門の部屋を離れにあてていた。築山の立派な中庭を挟んだ離れだ。
 新平が訪れた時、先刻南町奉行所から呼び出しがあったと言うことで、生憎二人とも留守をしていた。新平は二人にあてがわれた離れの一室に案内され、暫く一人で待たされていた。時折、矢島家の女中がお茶などを運んできては、二言三言愛想話をしていく。その後で奥の方から笑う声が漏れてくる。お内儀か、ご息女か。別に自分を笑うているわけではないのだろうが、矢張り気分の良いものではない。
「来るべきではなかった。」何度かそう思った。しかし、もしこのまま帰参しなければ、自分の立場はさらに危ういものとなっていただろう。脱藩と見なされ今度は自分が追われる立場になっていたかもしれない。あわよくば、お咎めもなく無事帰参も叶うのではないかという、自分に都合の良い気持ちもなくはない。兎も角自分は嫡男だ。確かに、連絡もしないまま行方を眩ましてしまったのは不味かったのだ。しかし、それとて充分に言い訳も立つ。仇を追って苦しい旅を続けていたことに違いは無いのだ。                     

 随分待たされた。文吉でも現れたらと思うのだが、先程使いの用で外出する途中であった文吉は、再び使いに出て行った。屋敷の主も、労いの一言くらい掛けてきて良さそうなものだが、姿すら見せない。鬱鬱した気持ちで一刻ばかりの時を過ごした。
 部屋の前には、土塀に囲まれた狭い庭がある。腰の高さほどの玉柘植が二本、その間に岩を組んだ小さな枯れ池がある。そのほとりに一本の野萱草。日陰の所為か背丈も伸びず、ひょろんと細い茎の上に小さな花を付けてている。かすかな風に腰を折りつつ、それでも頭をもたげていた。
 今頃おなつは何をしていようか。
 突然廊下を近づく足音がした。大股で歩く力強い足音だ。
「兄上、ようお戻りになりました」
「千勢ではないか。このたびの首尾、先ほど文吉から聞いた。ようやってくれた。世話をかけたな、すまなんだ」
「暫く便りが無いので案じておりました。」
縁側に現れた千勢は、「烈女ちせ」とかわら版の錦絵で評判をとった強かさを、微塵も感じさせぬ優しい妹であった。
「心配を掛けてしもうた。誠にすまん。実は途中患うてしまい、斯様に帰参が遅れてしもうたのだ」
「なにを左様に詫びる必要などありましょうか。三年に及んだご苦労、如何ばかりかと、察し申し上げます。それで、お具合の方は?余り顔色も優れぬようですが」
「信濃路の宿場のあちこちで寝込んでしもうたが、本懐の嬉しい報せを聞いてより今は、随分と楽に成った」
「大変なご心痛でございました。暫くはゆるりと身体をお休めなさいませ」
優しい妹の労いの言葉に、思わず目に涙が潤んできた。
 その時、叔父の嘉右衛門が後ろから口を挟む。縁側の陰で兄妹の会話を聞いていたのだろう。苦り切った顔をしていた。
「見苦しいぞ、泣き言などを言いおって!患うて遅参致したとは笑止千万。日頃の鍛錬が足らぬ証拠じゃ」
如何にも立腹の体で、大股で新平に近寄り目の前に胡座座りをした。
「千勢、すでに御屋敷から迎えの駕籠が来ておるようだ。急ぎ参上されよ」                         
「叔父上。兄様も此処まで苦労をなすったのです。どうぞ労いの言葉をかけて差し上げてくださいませ。兄様、積もる話は又後でいたしましょう」
そう言い残して、千勢は去っていった。

 新平は改まって居を糺し、叔父と対座した。
「叔父上、帰参が遅れましたこと、誠にもって申し訳ござりませぬ」
「患うておったと。見た目には息災な様じゃが。まあそれは良い。そなた、どういう了見で此処にまいったのか?」
「此度の父の敵討ち本懐については、叔父上と千勢だけでは無く、藩の方々にも多大なご支援を頂いております故、まずはそのお礼を申し上げに参ったのです」
「それは殊勝な心がけじゃ。じゃが、それは本意かのう。褒美のお惚れを頂戴しようという心根もありはしないかの?」
嘉右衛門の顔が更に険しくなる。
「左様な!褒美のお惚れなどと。余りな言いようではありませぬか、叔父上。私には此ほどもそのような気持ちはございません」
 この叔父の性格は知りすぎるぐらい知っていた。暫くの間二人で仇を追って各地を旅した仲である。たとえ身内だろうと、微塵も情に絆されるような男ではない。次男坊として生まれ、長年部屋住みの苦渋を嘗めてきたから、世間の動きを冷静に見極めている。非があるとすれば、いくら弁明しようと考えを変えるような叔父ではないのだ。
「本音を言うてみよ、新平。その甘ったれた性根を聞いてやろうではないか」
このような切り口上で出てくるからは、端から新平を許す気などないのだ。叔父の顔が真正面から睨み据えている。強い怒りを堪えているような、苦り切った険しい目つきである。
 結局そのまま黙り込んだ。
 新平にも言い分は幾らでもある。臆する理由などない。叔父の冷淡な視線を感じる程に反発が強くなり、益々開き直った気持ちに変わっていった。
 嘉右衛門はただ怒っている訳ではなかった。
 皆目見当の付かぬ仇を追っての一人旅がどの様にきつかったか、嘉右衛門にも十分推測できる。仇討ちの場に居合わせなかった甥の事を不憫に思うのだ。しかし、改めて対座すると安易な性根に腹が立った。何とも気の薄弱な甥だ。連絡も取らず、帰参も随分と遅れてしまった。そうした落ち度を世間は見逃さない。木曽路を単独で探索し病いに倒れ遅れたなどと、舞い戻ってきて弁解したところで、最早誰も納得してくれるものではない。どんな美談であろうと世間の評判が消えてしまうのは早いものだが、逆に悪い評判の起った者をさらりと水に流し、元の鞘に戻してくれる程世間は甘くない。不運だったと言えばそれまでだ。が、こういう世間の悪評を受ける結果になったのも、結局は新平の性格の甘さが禍いしている。幼子の頃から大事にされすぎたのだ。引き付けや疳の虫をいつまで経っても繰り返す。その度に周りからあやされ飴を与えられて、機嫌を取ってくれた。その育ち方が甘えた性根を作ったのだ。
 その性根が持病の元なのだ。そんな理由など何処にも通用しない。 
「なぜ此処に参ったのか?」
再び嘉右衛門は問うた。
「世間がそなたのことをどのように申しておるか、よもやそなたの耳に入っておらぬ訳でもあるまい」
「私もそれを思うて、今日まで帰参すべきか否か、迷うたところもございました。しかしながら、世間に言われ無き中傷が広がり、誹りを負うたまま黙って過ごす訳にも参らず、その釈明のために帰参致しました」
「釈明するというか、釈明をのう。聞いてもらえようか?甘いのではないかのう」
嘉右衛門は一つ長い溜息をついた。そして、続けてこう言うた。
「よいか新平。儂にも、世間の言い様が酷い誹りだと言うことは聞かずとも解っておる。しかしながら仇討ちの日から既にふた月。その間そなたは連絡もしてこなかった。言い訳もあろう。しかし、大阪以後の足取りが皆目解らず、連絡も取れなければそなたの落ち度と言われても仕方あるまい。世間の誹りをそなたが作ったのじゃ」
「それは・・・」と言いかけて新平は止めた。一々事情はあったのだ。しかし、それを弁解がましく言ったところで、この叔父の前では仕方あるまい。
「そなたは嫡男ぞ。世間は娘敵討ちなどと千勢のことを持て囃すが、そなたあっての田嶋家であるぞ。裏では本懐成就を羨み、嫡男の不甲斐なさをあざけ笑う者も多いのだ。事情など知ろうともせず、ただ中傷だけが広がっていく。理不尽ではあるが世間とはそういうものなのだ。中傷というものはただ田嶋の家にとどまらず、藩への中傷にならぬとも限らぬ。言われがあろうと無かろうと、世間に左様な中傷が広がればどれ程まで迷惑が広がることか。お屋敷のご重職方も、最早そなたを気にとめることなどない」
  事実、ある上役から言われた。千勢に婿を取って田嶋の家を継がせると良い、と。嫡男のことなど全く頭に無い。「しかしながら田嶋には嫡男の新平がおります」
そう上役にご注進するのもはばかられた。 
 この新平がお歴々を前にして、一体どのように釈明ができようか。それほど口が立ち、肝が座った甥とは思えない。ご重職から詮議され、恥をかかされそれでも弁明をする力など到底あるまい。
「些細なことと思うかもしれぬが、国許でそなたと別れる時に、どのようなことでも必ず江戸の千勢か深津の儂に連絡をするよう、強く言うておいた筈だ」
 連絡を取らなかったというのは、脱藩と同じだ。申し開きのしようがない。たとえ言い訳を並べ立てたところで既にご重職の腹は決まっている。厳しく叱責されるだろう。
「軽はずみであったのう、余りにも。晴れがましい仇討ちが、そなたの短慮で家の名を汚すことになってしもうたわ」
「短慮とは余りにも酷い言い様。私とて善かれと思い仇を追いかけていたのだ!」
さすがに新平も語気が荒くなった。
 嘉右衛門にも労いの言葉一つくらいこの甥にかけてやりたい、そういう気持ちはあったのだ。しかし、たとえ仇を追っているからといえ、長い間連絡もなければ主家への申し開きもできない。藩士であるからには、常に己れの所在をはっきりさせておくことは、主家に対する根本の責務だ。であるなら、長い間連絡もなく突然姿を現したこの甥は、最も重大な過失を犯したのだ。
 脱藩者としてそのまま行方をくらました方が良かったかも知れぬ
どうせ帰参の叶わぬ甥だ。千勢に婿を貰うて田嶋の家を継がせ、新平の方はこちらから廃嫡を願い出て出家させ、父親の弔いでもさせよう。不憫だとは思うが、この甥は田嶋の家の今後を背負うにはあまりにもひ弱だ。
「そなたは矢張り此処へ来るべきではなかったかもしれぬ」
「それではこのまま私に逐電せよとおっしゃるのか」
「いや、逐電にはならぬだろう。そなたはここへ来なかったのだ。そうしておくのが一番善いのやもしれぬ。どこでどうなったか行方知れずのままということだ」
 そうか、矢張り来るのではなかった
新平もそう思うた。しかし、この冷たい態度は何なのだ。日頃から冷酷な言い様の叔父である。しかし、冷たい!あまりにも冷たい言い様だ。
 身内に対する仕打ちとも思えぬ。顔を向けているだけで頭が混乱してくる。
「左様か。今は最早此処まで」と、新平は傍らの笠と大小の刀に手を伸ばした。
「分かりました。そうだ、矢張り来るべきでなかった。このまま退散致しましょう。千勢が戻られぬうちに引き上げることにいたします」
「それがよい。そなたは今日ここへ来なかったし、儂もそなたに会わなんだ。そなたは仇討ちを中途であきらめ、嫌気がさして行方を眩ましたままなのだ。それで良いのだ」

 退散しようと片膝をたてたところだった。
 正面にあの冷ややかな叔父の顔。その顔が、ふと苦痛の色を浮かべたように見えた。新平は思わず大刀の柄を握り、一気に抜いたかと思うと叔父の肩から蓮がけにまっすぐ切りつけた。
 否、態と空を振り下ろした。その筈だった。縁を絶つつもりだったのだ。ところが、叔父が右腕を上げた。避けたというより、自ら刀を受けたような感じだった。
「叔父上!」
叔父は一瞬笑ったような表情を見せた。腕を深く切りつけた。血しぶきが止まらない。
「新平、見事じゃ!」そう言って叔父はそのまま倒れ伏した。
  思いもしない突飛な己れの行動だった。あとはどう辿ったか全く覚えない。部屋を飛び出たところで中間の文吉にぶつかって、尻餅をついた文吉が血糊のべったり付いた新平の刀を指さし、言葉にならない叫び声をあげたことくらいしか記憶にない。
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