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畜生道・Ⅰ
しおりを挟む茶屋の奥から響いてきた田伏の声で、景山は事情を察した。
佐竹は、村沢に叱責されていた田伏が、その途中で逃げ出したと言っていた。
逃げ出した後、この茶屋の奥で身を潜めていたのであろう。
そこに、ぐりふぉむが近づいてくると、己が助かりたいがために、茶屋の娘を外へ突き転ばしたのだ。
ぐりふぉむが娘を喰らい、満足して茶屋の前から去るとでも思ったのだろうか。
武士どころか、人間の風上にも置けぬ男であった。
「がわわわわわわ」と声が聞こえると、ぐりふぉむが茶屋の戸口から頭を引き抜いた。
田伏の腰の辺りを横咥えにしている。
まるで、木のうろから、大きな虫をつまみ出した鳥のようであった。
「がわわわわわわわ!
ひいやああああああ!」
田伏は身を反らし、顔を歪めながら、大きく悲鳴をあげ続けていた。
「や、やめろ!
助けてくれ、助けてくれ!
誰か、誰かーーーー!
あああああああああ!」
あまりに醜悪であった。
死に脅えることは醜悪ではない。
景山は、恐怖や痛みへの耐性は、個々によって違うと思っている。
死への恐怖を抑え込むことが出来る者、身を切るほどの激痛をこらえることが出来る者もいれば、生に執着して死を恐れる者、痛みに悲鳴をあげる者もいる。
これは仕方あるまい。
しかし、部下の命を平然とゴミのように扱い、年端もいかぬ町娘を化け物の前に蹴り出した男が、いざ自分の命が危険にさらされると、これほどまでに喚き散らす。
これは、あまりにも醜かった。
「あっいっ、ひっひっ!
い、痛いッ!
いい!?」
ぐりふぉむに咥えられ、高く持ち上げられたままの田伏が、こちらを見た。
「……か、景山!
私だ! 田伏だ!
助けろ! 助けてくれ!」
目を見開き、大声で叫ぶ。
景山は、娘を担いだまま後退した。
田伏が騒げば、ぐりふぉむに気付かれてしまう。
「に、逃げるな、くそッ!」
田伏の顔が、さらに歪む。
「ば、化け物!
ほら、あいつを喰え!
に、逃げるぞ!
俺より、あいつを喰え! 喰え!」
ぐりふぉむは田伏の叫びを無視し、広小路へと後退っていった。
景山は、安堵の息を漏らした。
田伏がいくら叫んでも、こっちに興味を持った素振りが、一切なかったからである。
……なぜだ?
と、景山は怪訝な顔になった。
……なぜ、田伏は殺されないのだ?
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