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スピンオフ【相川と太田】
9. 変わらない自分
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翌日。会議で顔を合わせた相川の態度は、いつもと全く変わらなかった。会議の直前まで緊張していた雅史は拍子抜けしたが、ほっとしたのと同時に不公平感が内側からじわじわと沸き上がってくる。
(なんで俺だけ、こんな悩まなきゃなんねーんだ……)
だんだん不機嫌になってきたところで、運悪く声をかけた担当営業は、いわれのない恨みがましい視線をまともに受けて飛びのいた。
「ど、ど、どうしたの太田君!?」
「あ、すいません片瀬さん……その、ちょっと寝不足で」
「あ、もしかして昨日は残業だった? 今日は千野君も休みだし、日程キツくなってるのかなぁ……」
まるっきり見当違いの心配をする片瀬に、雅史はぷはっと吹き出す。
「昨日は定時上がりでした。まあ、ちょっと……なんとなくネット見てるうちに、寝るのが遅くなっちゃっただけです」
「あ、それならまあ。でも寝不足になるまで、何見てたの? まさか変なの見てんじゃないのー?」
「誤解っす、片瀬さんじゃあるまいし」
「ちょ、変なこと言わないでよ!」
くだらないやり取りに、少しだけ心がなごむ。片瀬と談笑しながら部屋を出ようとしたとき、視線を感じてふと横を見やると、奥の席から立ち上がった相川と目が合った気がした。
(俺、意識し過ぎだ……)
デスクに戻ってモニターを前にため息をついたちょうどそのとき、手元のスマホが着信を知らせるために光った。通知の画面に、相川のメッセージが表示される。
メッセージの内容は夕食の誘いだった。ここ最近、頻繁に誘われる。
(これまでこんなふうに、連日誘われることはなかったのに)
たとえ再び昨夜のような行為をされても……あれは悪ふざけにしては度を越しているが……これまでの距離をキープしたい。ふとした拍子にバランスを崩して、これまでの関係を失うことはどうしても避けたかった。
(なんでだよ……俺、ずっと一人で平気だったのに)
これまでずっと単独行動を徹底してきたのに、最近になって急に親しくつきあう人間が現れて、距離感がバグったのかもしれない。
(なりゆきで一緒にメシを食うようになっただけで、向こうが嫌になったらそれまでだろ)
そこまで考えて雅史はゾッとした。このつきあいが終わってしまえば、あとはどんな日々が待っているのか想像できないし、したくもない。自分は弱くなってしまったのか。それとも違う気持ちがあるのか。たとえば情がわいたとか……でもどの類の情なのか。深く考えてはいけない気がする。
今夜は、相川が最近見つけた店へ行く約束だ。雅史はモヤモヤした気持ちのまま、待ち合わせ場所へと向かった。
(ちょっと早く着きすぎたか)
約束の小一時間前に、待ち合わせのカフェに到着してしまった。でも誰かと待ち合わせできること自体たまらなくうれしい。こんなうれしい気持ちを、もっと長く味わいたいと思ってしまう。なんとか飲めるアメリカンを注文して、通りに面した端の席に着く。ミルクも砂糖も入れずに、ぼんやり外の様子を見るともなしに眺めていたら、後ろから声がかかった。
「あれ、太田か?」
振り向くと、背の高いスーツ姿の男が近づいてきた。
「久しぶりじゃん、今どうしてんの?」
「えっと……?」
「あ、わりい。ほら大学ん時、一緒のサークルにいた……」
男の名前を聞いて、ようやくサークル仲間の一人であることを思い出した。当時は服装はもとより、髪の色も今よりずっと明るい茶色でしかも長髪だった。ガラリと変わった雰囲気にちっとも気づけなかった。そう相手に告げると軽く笑われた。
「俺はすぐ太田ってわかったよ。お前ちっとも変わってねーよなぁ。今何やってんの?」
「一応、会社員だけど」
「へえ、会社ってこの辺? なんてとこ?」
隣の空いている席に座ってあれこれ突っ込んだ質問をされると、昔を思い出して複雑な気分になる。雅史はサークル仲間を避けていたから、今さら気楽に話すこともできないし、する気もない。それにあまり親しくない人間に、勤めてる会社や住んでる場所を話す気にもなれなかった。すると相手もなにかを感じ取ったようで、さりげなく席を立った。
「じゃ、俺そろそろ行くわ」
「ああ、そう……」
すると小さく舌打ちのような音が聞こえた。
「なんか、お前ってホント変わってねーのな……じゃあな」
雅史が視線を上げたときには、すでに相手が背を向けて店を出ていくところだった。最後の一言には、どこか蔑むような響きがあった。雅史はすっかり冷めてしまったコーヒーに視線を落とす。今から砂糖を加えても溶けそうもなく、きっと苦いままだろう。
(そうだよな。今さら何したって変わりようがないよな……)
雅史は惨めな気持ちでうつむくと、温かさを失ったカップを両手で包み込んだ。
◆
「あれ、食欲ないの?」
テーブルの反対側から、相川が心配そうな顔を向けている。雅史は内心ギクリとしながらも、そんなことおくびにも出さずに眼下の料理に視線を落とした。
「や、そんなことは。あんまりうまくて、感動してただけっつーか」
「そのわりには、あまり箸が進んでないようだけど」
「それはその、ガツガツ食べたらもったいないなあと」
老舗デパートの懐石料理は、高級感が漂う入口で気遅れしてしまいそうだが、相川が半個室を予約してくれたおかげで、終始リラックスした状態で食事をすることができた。だが雅史はふとした拍子に、先刻投げられた言葉を思い出してしまい、なかなか食事に集中できなかった。
「なにか悩みごと?」
そう言って雅史を気づかう相川は、爽やかな青空の下にいるような、明るく軽やかな印象しかない。まるで雅史自身が感じている負の感情とは、無縁の生き物のように思えた。
こんな些細でつまらないことにクヨクヨする自分のような根暗な人間と会って、この人は楽しいのだろうか……自分の中に巣食うネガティブ思考を隠して、いつまで相川のような人間と関わっていられるのだろう。それともいっそのこと本当の自分をさらけ出して、相手に終わりのタイミングを選択させるべきか。
「その、俺さっき」
「うん」
身を乗り出して聞く体勢に入る男に、雅史は少し尻込みしつつも思いきって口を開いた。
「ここに来る前、ぐうぜん昔の知り合いに会って。そいつに言われたんです……俺はちっとも変わらないなって」
「うん、それで?」
「その、そうなのかなぁって……」
すると相川は微笑みを浮かべて手を伸ばし、雅史の頭をよしよしとなでた。恥ずかしさに体を引こうとしたタイミングで、相川の手がはなれた。
「たしかにまだ学生っぽいところはあるかな。変にすれてないというか、ういういしいというか」
「そんなんじゃなくて、成長してないって感じに言われて」
「それは、そいつがお前の一面しか見てないからだろ。さっき会ったって言ってたけど、待ち合わせのとき? お前の外見だけ見てそう言ったの?」
「少しだけ話をしましたけど」
「たかだか数分話した程度でわかるものか。それで成長してないとか、よく知りもしないで勝手に判断するほうがおかしい」
(なんで俺だけ、こんな悩まなきゃなんねーんだ……)
だんだん不機嫌になってきたところで、運悪く声をかけた担当営業は、いわれのない恨みがましい視線をまともに受けて飛びのいた。
「ど、ど、どうしたの太田君!?」
「あ、すいません片瀬さん……その、ちょっと寝不足で」
「あ、もしかして昨日は残業だった? 今日は千野君も休みだし、日程キツくなってるのかなぁ……」
まるっきり見当違いの心配をする片瀬に、雅史はぷはっと吹き出す。
「昨日は定時上がりでした。まあ、ちょっと……なんとなくネット見てるうちに、寝るのが遅くなっちゃっただけです」
「あ、それならまあ。でも寝不足になるまで、何見てたの? まさか変なの見てんじゃないのー?」
「誤解っす、片瀬さんじゃあるまいし」
「ちょ、変なこと言わないでよ!」
くだらないやり取りに、少しだけ心がなごむ。片瀬と談笑しながら部屋を出ようとしたとき、視線を感じてふと横を見やると、奥の席から立ち上がった相川と目が合った気がした。
(俺、意識し過ぎだ……)
デスクに戻ってモニターを前にため息をついたちょうどそのとき、手元のスマホが着信を知らせるために光った。通知の画面に、相川のメッセージが表示される。
メッセージの内容は夕食の誘いだった。ここ最近、頻繁に誘われる。
(これまでこんなふうに、連日誘われることはなかったのに)
たとえ再び昨夜のような行為をされても……あれは悪ふざけにしては度を越しているが……これまでの距離をキープしたい。ふとした拍子にバランスを崩して、これまでの関係を失うことはどうしても避けたかった。
(なんでだよ……俺、ずっと一人で平気だったのに)
これまでずっと単独行動を徹底してきたのに、最近になって急に親しくつきあう人間が現れて、距離感がバグったのかもしれない。
(なりゆきで一緒にメシを食うようになっただけで、向こうが嫌になったらそれまでだろ)
そこまで考えて雅史はゾッとした。このつきあいが終わってしまえば、あとはどんな日々が待っているのか想像できないし、したくもない。自分は弱くなってしまったのか。それとも違う気持ちがあるのか。たとえば情がわいたとか……でもどの類の情なのか。深く考えてはいけない気がする。
今夜は、相川が最近見つけた店へ行く約束だ。雅史はモヤモヤした気持ちのまま、待ち合わせ場所へと向かった。
(ちょっと早く着きすぎたか)
約束の小一時間前に、待ち合わせのカフェに到着してしまった。でも誰かと待ち合わせできること自体たまらなくうれしい。こんなうれしい気持ちを、もっと長く味わいたいと思ってしまう。なんとか飲めるアメリカンを注文して、通りに面した端の席に着く。ミルクも砂糖も入れずに、ぼんやり外の様子を見るともなしに眺めていたら、後ろから声がかかった。
「あれ、太田か?」
振り向くと、背の高いスーツ姿の男が近づいてきた。
「久しぶりじゃん、今どうしてんの?」
「えっと……?」
「あ、わりい。ほら大学ん時、一緒のサークルにいた……」
男の名前を聞いて、ようやくサークル仲間の一人であることを思い出した。当時は服装はもとより、髪の色も今よりずっと明るい茶色でしかも長髪だった。ガラリと変わった雰囲気にちっとも気づけなかった。そう相手に告げると軽く笑われた。
「俺はすぐ太田ってわかったよ。お前ちっとも変わってねーよなぁ。今何やってんの?」
「一応、会社員だけど」
「へえ、会社ってこの辺? なんてとこ?」
隣の空いている席に座ってあれこれ突っ込んだ質問をされると、昔を思い出して複雑な気分になる。雅史はサークル仲間を避けていたから、今さら気楽に話すこともできないし、する気もない。それにあまり親しくない人間に、勤めてる会社や住んでる場所を話す気にもなれなかった。すると相手もなにかを感じ取ったようで、さりげなく席を立った。
「じゃ、俺そろそろ行くわ」
「ああ、そう……」
すると小さく舌打ちのような音が聞こえた。
「なんか、お前ってホント変わってねーのな……じゃあな」
雅史が視線を上げたときには、すでに相手が背を向けて店を出ていくところだった。最後の一言には、どこか蔑むような響きがあった。雅史はすっかり冷めてしまったコーヒーに視線を落とす。今から砂糖を加えても溶けそうもなく、きっと苦いままだろう。
(そうだよな。今さら何したって変わりようがないよな……)
雅史は惨めな気持ちでうつむくと、温かさを失ったカップを両手で包み込んだ。
◆
「あれ、食欲ないの?」
テーブルの反対側から、相川が心配そうな顔を向けている。雅史は内心ギクリとしながらも、そんなことおくびにも出さずに眼下の料理に視線を落とした。
「や、そんなことは。あんまりうまくて、感動してただけっつーか」
「そのわりには、あまり箸が進んでないようだけど」
「それはその、ガツガツ食べたらもったいないなあと」
老舗デパートの懐石料理は、高級感が漂う入口で気遅れしてしまいそうだが、相川が半個室を予約してくれたおかげで、終始リラックスした状態で食事をすることができた。だが雅史はふとした拍子に、先刻投げられた言葉を思い出してしまい、なかなか食事に集中できなかった。
「なにか悩みごと?」
そう言って雅史を気づかう相川は、爽やかな青空の下にいるような、明るく軽やかな印象しかない。まるで雅史自身が感じている負の感情とは、無縁の生き物のように思えた。
こんな些細でつまらないことにクヨクヨする自分のような根暗な人間と会って、この人は楽しいのだろうか……自分の中に巣食うネガティブ思考を隠して、いつまで相川のような人間と関わっていられるのだろう。それともいっそのこと本当の自分をさらけ出して、相手に終わりのタイミングを選択させるべきか。
「その、俺さっき」
「うん」
身を乗り出して聞く体勢に入る男に、雅史は少し尻込みしつつも思いきって口を開いた。
「ここに来る前、ぐうぜん昔の知り合いに会って。そいつに言われたんです……俺はちっとも変わらないなって」
「うん、それで?」
「その、そうなのかなぁって……」
すると相川は微笑みを浮かべて手を伸ばし、雅史の頭をよしよしとなでた。恥ずかしさに体を引こうとしたタイミングで、相川の手がはなれた。
「たしかにまだ学生っぽいところはあるかな。変にすれてないというか、ういういしいというか」
「そんなんじゃなくて、成長してないって感じに言われて」
「それは、そいつがお前の一面しか見てないからだろ。さっき会ったって言ってたけど、待ち合わせのとき? お前の外見だけ見てそう言ったの?」
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