桜の花びらは、いつ散ってくれるのだろうか。

北国

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3. 悩み

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 しばらく歩いていると、車の行き交う交差点が見えてきた。交差点の信号は赤だった。

「これから塾があるから、ここで失礼するよ」

 信号前で、秋山先輩はそう言って、左に曲がった。

「お疲れ様です」

 桜井と高山は返事をし、交差点の信号が青になるのを待っていた。

「秋山先輩、変わってるでしょ? 校内でも変人として有名なんだよ。ほら、秋山先輩って、哲学的な言葉とか、ロマンチックな言葉を使って難しいことを言うでしょ? しかも話し方も独特。だから、三年生の間では『異邦人』なんて呼ばれてたりするのよ」

『異邦人』という言葉に、思わずどきりとした。確か、広瀬が図書室で読んでいた本のタイトルも『異邦人』だったはずだ。

「『異邦人』って外国の人とか旅人って意味なんでしょ? なんだか風変わりな先輩らしいよね。ああ、そうそう。『異邦人』と言えば、広瀬くんがいつも持ってる本のタイトルも『異邦人』だったかな。薄い本だけど、ずっと繰り返して読んでいるのよ」

 信号が青に変わった。桜井と高山は横断歩道を渡って、コンビニやレストラン、中古車ショップが立ち並ぶ道を歩いた。どこからか漂う美味しそうな肉の匂いに、桜井のお腹が少しすいた。

「いい匂い。折角だし、何処か寄ってご飯食べようよ。そこのファミレスでどう?」

 高山は、数百メートル先にあるファミレスを指差した。

「僕はいいけど、高山さんはいいの? 君のお母さん、夕食の支度しているんじゃない?」
「大丈夫。うちのお母さんはいつも9時過ぎに帰ってくるから。基本的に自炊しているんだ。連絡さえ入れれば問題ないよ」

 高山はにこりと笑って、制服のポケットからスマホを取り出した。そして、スマホを片手で持ち、親指でメッセージを打ち込んだ。

「『ご飯は外で食べてきます』。これでよし。行こう」

 桜井は頷いた。高山はお腹がすいていたのか、少し早歩きになった。桜井は、高山の歩調に合わせた。

 ファミレスのドアを開け、二人はホールに案内された席に座った。高山は机の隅に置いてあるメニューを取ると、桜井が見やすいように向きを変えて、メニューを広げた。

「どれも美味しそうだよね。桜井くんは何にする?」
「それじゃあ、ハンバーグセットにしようかな」
「じゃあ、私もハンバーグセットにしよう」

 高山はベルを押して、店員を呼ぶとハンバーグセット2つを注文した。その様子を桜井は眺めていた。
 ジュースを買ってきてくれたときも、メニューを見やすいように置いてくれたのも、店員を呼んでくれたのも、彼女がさり気ない気遣いが出来る人間だからだ。
 高山は優しい。秋山もそう言っていたが、実際、細かな気遣いを目の当たりにして、本当にそう思う。きっと広瀬も、その優しさに惹かれて、高山と付き合い始めたに違いない。桜井は納得した。
 高山が注文を終え、桜井の方を向いた。

「ねえ。桜井くんって絵が好きなの?」
「見ることは好きだよ。でも描くのは得意じゃない、かな」
「へえ。でも、桜井くんの絵、見てみたいな。私は見るよりも描くことの方が好きなんだ。っていってもまだまだ下手くそだし、将来、美大に行きたいってほど、絵を極めようとは思ってないんだけどね。それでも、描くのは好きなの。いい気分転換になるから。桜井くんも、気が向いたら描いてみてよ。どんな絵を描くのか、楽しみだなあ」

 高山は笑ってそう言った。彼女の笑顔は、優しい太陽のぬくもりの様に温かった。

「……高山さんって、すごく優しい人なんだね」

 思っていたことがするりと言葉に出てしまう。だが、その感覚は決して不快なものではなかった。高山は、桜井の言葉に目を丸くした。

「初対面の僕にも、こうして優しくしてくれるから。すごく良い人なんだって思ったんだ。僕は物怖じしてしまうから、羨ましいなって思うよ」

 桜井がそう言うと、高山は目を伏せた。そして、先ほどまでの笑顔は一変し、眉を下げて、悲しそうな顔になった。

「私、優しくなんてないよ」
「どうして?」
「だって、優しかったら、いま悩んでないから」

 桜井はふと、美術室での会話を思い出した。
 確か、広瀬の話題になって、自分のことが好きかどうかを広瀬に聞いたら、「好きじゃない」と返された、と高山は語っていた。その会話を思い出し、桜井は血の気が引いた。高山の傷を抉るようなことを言ってしまったかもしれない。不用意に傷をつけてしまったのかもしれない。桜井の顔面が蒼白になった。

「ごめん。そんなつもりじゃ……」
「ううん、別にいいの。折角だし、私の悩み、聞いてもらってもいいかな。初対面相手にお悩み相談、っていうのはどうかと思うけど」

 断る理由はない、と桜井が静かに頷くと、彼女は俯いたまま、ぽつぽつと口を開いた。

「美術室で、広瀬くんの話をしたでしょ? 広瀬くんに私のこと、好きじゃないって言われたこと。普段から、広瀬くんと接してみて冷たいなとは思ってたの。距離感を感じて、本当に自分のことが好きなのかって疑問すら抱いていた。
 でも、私は広瀬くんが好きだから、一緒にいられれば満足だった。なのに、『好きじゃない』って広瀬くんに言われてさ。正直ショックだった。一緒にいられれば満足って、それって要は私のわがままに、彼を付き合わせたってことでしょう? 私のわがままに付き合って、広瀬くんはうんざりしてしまったのかな」

 高山は震える声でゆっくりと話した。なんだか可哀そうになり、放ってはおけなくなった。出来るだけ励ましたい。自分の言葉で彼女を救いたい。そうは思っても、適切な言葉が見つからなかった。
 二人は静まり返った。店内に響き渡るジャスと、客の会話声が耳に入った。
 その時、ふと広瀬の言葉が頭をよぎった。

『理由なんて、大した意味はない。面白いとは思ってないし、本が好きとか、何となく気が向いたとか、そういう感情は全くない。ただ読んでいるだけ』

 ─もしかして、広瀬は本も桜も、高山のことも、同じように思っているのではないか。好き嫌いとか、全く感情はなくて、理由も無く、ただそうしているだけなのではないか。
 その考えに至った時、初めて、広瀬という人間像の形が見えた気がした。細かいところはまだ分からないが、何となく掴めたような気がした。
 桜井は、俯いたままの高山を真っすぐ見た。

「これはあくまでも僕の考えだけど、うんざりはしてないと思う。ただ、君がそこにいる。広瀬くんにとってはそれだけなんだよ、きっと」

 そう言うと、高山は俯いた顔を上げた。そして、目をしばたたいた。

「それに広瀬くんは、君を嫌っている素振りは見せていないし、勝手な想像で間違ってたら謝るけど、君に別れようって伝えてないと思う。違うかな」

 高山の薄茶色の瞳が、僅かに輝いたように見えた。

「違くないよ。確かに、嫌なら私を遠ざけるだろうし、別れようなんて言ってない」

 桜井はその言葉に安心して、話を続けた。

「だから、高山さんが優しくなくて、わがままだと思っても、それでいいと思うよ。君はそのままでいいんじゃないかな」

 高山の瞳が一層輝いた。そして、桜井の言葉を噛み締めながら、高山は口角を上げた。

「そっか、うん、そうだね。なんだかすっきりした。ずっと迷ってた気持ちが、一気に晴れた気がする。桜井くん、すごいね。桜井くんに相談して本当によかった。もし良かったら、連絡先交換してもいいかな。また、悩み事があったら、桜井くんに相談したいから」

 高山の晴れやかな笑顔を見て、桜井は安堵した。高山の悩みごとが解決できたようで、本当に良かったと思う。桜井は満足そうに頷くと、やった、と喜びながら、高山はスマホを取り出した。
 高山と連絡先を交換してすぐ、頼んでいたハンバーグが届いた。注文したハンバーグは、今まで食べたハンバーグよりもとびきり美味しかった。
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