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13. 告白
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翌日、桜井は学校を休んだ。通夜は18時からなので、学校に出ても良かったのだが、どうしても行く気にはなれなかった。
桜井は制服に袖を通し、家を出る。通夜の会場までは、駅前からバスで行くことにした。
桜井は歩きながら、ふと空を見上げた。オレンジ色の夕焼け空が眼前に広がる。だが、桜井にはこれっぽっちも美しく見えなかった。すっかり心に大穴が開いたような空虚感に襲われながら、駅前まで歩く。駅前のバス停に着き、桜井はメッセージ画面を開いた。昨日送った、高山へのメッセージには、既読が付いていない。そしてこの先も、一生既読が付くことはない。桜井の胸に、悲しさと虚しさが入り混じる。
桜井はスマホを閉じ、ぼんやりと駅前に行き交う人たちを見つめていた。人々の雑踏も話し声も、何も耳には入ってこなかった。
やがてバスが着て、桜井は後方の席の窓際に座った。バスが走っている間も、ただ窓の外を眺めていた。
しばらくして、「隣、いいですか」と声をかけられる。「はい」と言って、振り向くと、そこに秋山が立っていた。
「ああ、桜井くんだったのか。気が付かなかったよ」
秋山は桜井の隣に座った。だが、秋山は一言も話そうとはしなかった。お互いに黙り込み、重々しい沈黙が走る。
「……高山さんのこと、残念に思う」
ふと、秋山が小さく口を開く。弱弱しく、悲痛に満ちていた。
「彼女は、優しく、明るく、朗らかで、まるで太陽のような女性だった」
「そうですね……。僕も、高山さんの笑顔に、いつも元気が出ましたから……」
それから、二人の間に全く会話はなかった。窓から見える移りゆく景色を、桜井は暗澹たる思いで眺めた。
やがてバスを降り、会場に着くと、入口で広瀬と山岸が立っていた。
桜井は声をかけようとしたが、話し声が聞こえた途端、声をかけるのを躊躇った。
─山岸が、広瀬をビンタしたからだ。
「あんた、最低だよ」
広瀬は無表情のまま、黙っている。
「恋人同士なんでしょ!? なんでそんな他人事みたいに無関心なのよ!」
山岸は涙を流し、震える声で怒鳴った。
「何とも思わないからだ」
広瀬が静かにそう言うと、山岸は目をかっと開き、わなわなと震え出した。
「普段から、聖奈、言ってたよ。『広瀬くんがあまりに冷たいから、嫌われているのかもしれない』って。泣いていたことだってあったんだよ!? それに、あんた聖奈に『好きじゃない』って言ったんでしょ。それって、浮気してたからでしょ!? 聖奈に飽きたからって、どうせ他の女と遊んでたんでしょ……!? 違う!?」
「それは違う。最初から、何とも思っていない」
「はあ……!? あんた、それ、聖奈が聞いたら、どれだけ傷つくと思ってるの!?」
広瀬は何も言わなかった。そんな広瀬に、山岸は怒りが抑えられず、手を固く握りこんだ。
「普段から冷たいとは聞いてたけど、本当に最低だ。聖奈が可哀そうすぎるよ……。あんたなんか、あんたなんか、消えていなくなればいい!」
山岸は目を袖で押さえながら、逃げるように会場に入った。
残された広瀬は、溜息をつき、逃げるように足早で会場を後にした。
「……追いかけなくていいのかい?」
隣に立っていた秋山は、凛とした表情で立っていた。
「でも、これから高山さんの通夜が……」
「君の分まで、高山さんには思いを伝えておくよ。それに……」
秋山は、手を桜井の背中にそっと沿えた。
「君に言っただろう。『もし相手が苦しんでいるのなら、その時は迷わず助ける』って。今がその時だろう?」
秋山は微笑んだ。
桜井は走りだした。自分が狭心症であることを忘れ、ただひたすらに、がむしゃらに走った。息が苦しくなる。だけれど、広瀬を放ってはおけない。
広瀬の背中が見える。
追いつきたい。慰めたい。
─そばにいたい。
「広瀬くん!」
広瀬の肩をぐっと掴む。広瀬が振り返る。
何でもいい。何でもいいから声をかけるんだ。桜井は声を絞り出そうとする。
その時、桜井の胸に、鈍い違和感が広がった。
呼吸が浅くなる。心臓がバクバクと音を立てて、酷くうるさい。
まるで胸の奥を固い手で鷲掴みにされたような感覚。
「……っ!」
声を出そうとするも、喉が詰まる。
脂汗が滲み、指先が少し痺れる。
「少し、我慢しろ」
桜井の異常な様子に、広瀬はゆっくりと桜井をおぶった。桜井は一瞬驚くも、それどころではなかった。広瀬は、近くの公園のベンチまで桜井を担ぎ、桜井をベンチに座らせた。
「何か必要なものはあるか」
桜井は、広瀬の持っていた自身のカバンを指差した。応急処置として、薬をいつも入れている。それを広瀬に伝えようと、はくはくと口を動かす。
広瀬は桜井の意図をすぐに察し、桜井のカバンを漁った。
「これか」
広瀬はカバンからニトログリセリンを取り出し、桜井に渡した。桜井は急いでニトログリセリンを舌の下に入れて、唾液で溶かした。独特の苦みが口の中に広がる。
「他に何か必要か」
桜井は首を振った。広瀬は桜井の隣に座り、ゆっくりと桜井の背中をさすり始めた。
広瀬の大きくしなやかな手に、僅かな温もりを感じる。
苦しさの中、桜井は広瀬の温もりに、安心と愛おしさを感じた。
しばらくして、痛みはゆっくりと引いていった。先ほどよりも息がしやすくなり、桜井はほっとした。同時に軽い倦怠感に襲われる。
「ごめん。助かったよ。僕、昔から狭心症で、走ったりすると、こうなるんだ」
「だから、授業中、外に出ていたのか?」
「あの日は体育の授業中だったんだ。いつも体育は別室で自習していて、外に出たのは、課題が終わって、暇だったから……つい」
「そうか」
広瀬の表情は無表情だった。
そんなことよりも、今、言わなくてはならないことがある。
「実は、さっき、山岸さんが怒鳴っていたところ、見てた」
広瀬は黙ったままだった。
「どうして、あんなこと言ったの。さすがに……」
桜井は言葉を続けようとして、止めた。広瀬がズボンを強く掴み、その手がわずかに震えていたからだ。
「……お前も、俺の生き方を、否定するのか?」
蚊が鳴くような声で、広瀬が呟いた。
「違っ……」
「何が違う。人の葬式で、無神経な発言をしたことを、責めているんだろう」
は、と広瀬は乾いた笑みを浮かべた。
「誰も、俺の生き方を理解しない。理解しようともしない」
「……じゃあ、どうして、無関心を装うの」
広瀬の瞳がわずかに揺れた。
「どうして、そういう生き方をするの。過去に、何かあったの」
無関心を被る生き方。それが広瀬の生き方だ。それは理解できる。だが、なぜ無関心な生き方をし始めたのかは、今まで分からなかった。
その理由を、広瀬の口から、どうしても聞いておきたかった。
「理由を聞いたところで、何にもならない。前にも言ったはずだ」
桜井の脳裏に、初めて広瀬と会った時、図書室で広瀬と話した時の思い出がよみがえる。
「興味本位で聞いたところで、何にもならないだろ」
「興味本位なんかじゃない……!」
桜井は叫んだ。再び心臓がばくばくと鼓動する。
「なら、なぜ、聞こうとする」
「っ好きだからだよ!」
桜井は無意識に叫んだ。広瀬は目を見開き、桜井の方を向いた。
「広瀬くんのことが、好きだから、愛してるから……! 広瀬くんと一緒にいたい、もっと知りたいと思うのが、そんなにいけないことか! 僕にとって無意味なことだと思うか!」
桜井は涙目になりながら、全力で叫んだ。心の内をさらけ出し、全て広瀬にぶつける。
「言ってよ! 何があったのか、どうしてそうなったのか! 広瀬くんの本音も、気持ちも、全部、受け止めるから!」
全身の血が沸騰し、目頭が熱くなる。
「だから、僕に言えよ……!」
桜井は願うように、広瀬に縋った。
広瀬は一瞬迷い、そして、重々しく口を開き始めた。
「……俺の両親は、俺に期待していたんだ」
桜井は顔を上げた。広瀬の表情が、痛々しいほどに苦しげだった。
「両親は弁護士で、俺も弁護士になるようにと、期待していたんだ。立派な弁護士になれる器として。俺は、そんな両親の期待に応えようとした。……単純に、褒められたかったんだ。
だから、テストではいつも満点を取った。満点を取って、自分が期待に応えていることを、証明しようとしたんだ」
広瀬はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「でも、両親にテストの結果を見せても、褒められることはなかった。
いくら100点を取っても、ただ『当然だろう』と言って、いつも、テスト用紙をごみ箱に捨てられる」
ぽつぽつと語られる広瀬の言葉には、乾いた諦めが滲んでいた。
「そんな時、『異邦人』を読んだ。ムルソーは母親が死んでも、恋人が愛を求めても、アラビア人を殺しても、無関心だった。
それを読んで、俺は思ったんだ。─そうやって生きれば、楽になれるんじゃないかって」
広瀬は目を伏せた。だんだん、震えが小さくなっていく。
「だから、俺はムルソーとして生きることにした。最初は『冷たくなった』と批判されて、辛かったし苦しかった。それでも、続けていくうちに、だんだん楽になった。気にしなければ、苦しまなくて済んだ」
「じゃあ、高山さんを『愛していない』って言ったのも、高山さんが亡くなったことを、何とも思っていないのも、本当のことなの?」
広瀬はしばらく考え込み、やがて口を開いた。
「……半分嘘で、半分本当だ。確かに愛していたし、亡くなったことも悲しい。でも、愛したところで、悲しんだところで、何にもならない。俺の態度で、高山が傷ついていたことも知っている。でも、それを心配したって、俺にとっては無意味なんだ。俺は無関心な生き方が、一番楽で、一番幸せだと思っているから」
広瀬はまっすぐ桜井を見つめる。
「桜井、お前に言われて気が付いたんだ。前に、お前にムルソーの生き方について、聞いただろ。あの時のお前の答えは、俺の答えそのままだった。
お前は、無関心な生き方を肯定した。だから、俺の生き方を、肯定してくれた気がしたんだ。
そして、改めて感じた。この生き方が、俺にとって、一番幸せだと」
広瀬の表情がだんだん無表情になる。
そして「これで満足したか」と言って、広瀬は立ち上がった。桜井の目には、広瀬の背中が、何処か寂しそうに映った。とっさに、桜井は広瀬の腕を掴んだ。
「待って。まだ、聞きたいことがある」
「これ以上、何を聞くんだ?」
今、頭に浮かんだ質問は、聞いてはいけないことだと分かっている。
不謹慎なことも、高山に失礼なことも、分かっている。
それでも、聞かずにはいられない。
桜井は、深く息を吸った。
「僕のこと、どう思う」
桜井の真剣なまなざしに、広瀬の瞳が揺れ動いた。
「……正直、桜井のことは、怖かった。お前が、俺の本音を見透かすように、覗き込んでくるのから。
でも、お前といると、安心する。俺の態度を受け入れてくれる。
実際、お前は俺に『冷たい』とは一言も言わなかった。それが桜井の本心なのか、俺には分からない。それでも、自分の生き方が、桜井が認めてくれている気がして、嬉しいと思う」
「気持ち悪いって、思わないの? 僕、男だよ。それに、高山さんの通夜の最中だよ。こんなタイミングに、しかも男から告白を受けて、……気持ち悪くないの?」
「思わない。本心でも、思ってない」
広瀬の素直な気持ちに、桜井は安堵した。今まで悩んでいたものが、全て吹き飛んだ気がした。桜井は高山への罪悪感を忘れ、腕を掴んでいた手を、広瀬の手に重ね、強く握りしめる。広瀬は一瞬、桜井の手を見つめた。
「……僕のこと、好き?」
「好きじゃない」
広瀬は表情一つ変えず、言い切った。そう言いながらも、その手を振り払おうとしない。
そんな広瀬に、ひどく愛おしさを感じる。秘めたはずの愛がどんどん溢れてゆく。
「でも、もしお前が付き合いたいのなら、そうしよう」
広瀬はムルソーのセリフそのままで返し、桜井の手に指を絡めた。
桜井は、ほんの少しだけ手に力を込める。広瀬は無表情だったが、表情の中に温かな優しさが見えたような気がした。
桜井は制服に袖を通し、家を出る。通夜の会場までは、駅前からバスで行くことにした。
桜井は歩きながら、ふと空を見上げた。オレンジ色の夕焼け空が眼前に広がる。だが、桜井にはこれっぽっちも美しく見えなかった。すっかり心に大穴が開いたような空虚感に襲われながら、駅前まで歩く。駅前のバス停に着き、桜井はメッセージ画面を開いた。昨日送った、高山へのメッセージには、既読が付いていない。そしてこの先も、一生既読が付くことはない。桜井の胸に、悲しさと虚しさが入り混じる。
桜井はスマホを閉じ、ぼんやりと駅前に行き交う人たちを見つめていた。人々の雑踏も話し声も、何も耳には入ってこなかった。
やがてバスが着て、桜井は後方の席の窓際に座った。バスが走っている間も、ただ窓の外を眺めていた。
しばらくして、「隣、いいですか」と声をかけられる。「はい」と言って、振り向くと、そこに秋山が立っていた。
「ああ、桜井くんだったのか。気が付かなかったよ」
秋山は桜井の隣に座った。だが、秋山は一言も話そうとはしなかった。お互いに黙り込み、重々しい沈黙が走る。
「……高山さんのこと、残念に思う」
ふと、秋山が小さく口を開く。弱弱しく、悲痛に満ちていた。
「彼女は、優しく、明るく、朗らかで、まるで太陽のような女性だった」
「そうですね……。僕も、高山さんの笑顔に、いつも元気が出ましたから……」
それから、二人の間に全く会話はなかった。窓から見える移りゆく景色を、桜井は暗澹たる思いで眺めた。
やがてバスを降り、会場に着くと、入口で広瀬と山岸が立っていた。
桜井は声をかけようとしたが、話し声が聞こえた途端、声をかけるのを躊躇った。
─山岸が、広瀬をビンタしたからだ。
「あんた、最低だよ」
広瀬は無表情のまま、黙っている。
「恋人同士なんでしょ!? なんでそんな他人事みたいに無関心なのよ!」
山岸は涙を流し、震える声で怒鳴った。
「何とも思わないからだ」
広瀬が静かにそう言うと、山岸は目をかっと開き、わなわなと震え出した。
「普段から、聖奈、言ってたよ。『広瀬くんがあまりに冷たいから、嫌われているのかもしれない』って。泣いていたことだってあったんだよ!? それに、あんた聖奈に『好きじゃない』って言ったんでしょ。それって、浮気してたからでしょ!? 聖奈に飽きたからって、どうせ他の女と遊んでたんでしょ……!? 違う!?」
「それは違う。最初から、何とも思っていない」
「はあ……!? あんた、それ、聖奈が聞いたら、どれだけ傷つくと思ってるの!?」
広瀬は何も言わなかった。そんな広瀬に、山岸は怒りが抑えられず、手を固く握りこんだ。
「普段から冷たいとは聞いてたけど、本当に最低だ。聖奈が可哀そうすぎるよ……。あんたなんか、あんたなんか、消えていなくなればいい!」
山岸は目を袖で押さえながら、逃げるように会場に入った。
残された広瀬は、溜息をつき、逃げるように足早で会場を後にした。
「……追いかけなくていいのかい?」
隣に立っていた秋山は、凛とした表情で立っていた。
「でも、これから高山さんの通夜が……」
「君の分まで、高山さんには思いを伝えておくよ。それに……」
秋山は、手を桜井の背中にそっと沿えた。
「君に言っただろう。『もし相手が苦しんでいるのなら、その時は迷わず助ける』って。今がその時だろう?」
秋山は微笑んだ。
桜井は走りだした。自分が狭心症であることを忘れ、ただひたすらに、がむしゃらに走った。息が苦しくなる。だけれど、広瀬を放ってはおけない。
広瀬の背中が見える。
追いつきたい。慰めたい。
─そばにいたい。
「広瀬くん!」
広瀬の肩をぐっと掴む。広瀬が振り返る。
何でもいい。何でもいいから声をかけるんだ。桜井は声を絞り出そうとする。
その時、桜井の胸に、鈍い違和感が広がった。
呼吸が浅くなる。心臓がバクバクと音を立てて、酷くうるさい。
まるで胸の奥を固い手で鷲掴みにされたような感覚。
「……っ!」
声を出そうとするも、喉が詰まる。
脂汗が滲み、指先が少し痺れる。
「少し、我慢しろ」
桜井の異常な様子に、広瀬はゆっくりと桜井をおぶった。桜井は一瞬驚くも、それどころではなかった。広瀬は、近くの公園のベンチまで桜井を担ぎ、桜井をベンチに座らせた。
「何か必要なものはあるか」
桜井は、広瀬の持っていた自身のカバンを指差した。応急処置として、薬をいつも入れている。それを広瀬に伝えようと、はくはくと口を動かす。
広瀬は桜井の意図をすぐに察し、桜井のカバンを漁った。
「これか」
広瀬はカバンからニトログリセリンを取り出し、桜井に渡した。桜井は急いでニトログリセリンを舌の下に入れて、唾液で溶かした。独特の苦みが口の中に広がる。
「他に何か必要か」
桜井は首を振った。広瀬は桜井の隣に座り、ゆっくりと桜井の背中をさすり始めた。
広瀬の大きくしなやかな手に、僅かな温もりを感じる。
苦しさの中、桜井は広瀬の温もりに、安心と愛おしさを感じた。
しばらくして、痛みはゆっくりと引いていった。先ほどよりも息がしやすくなり、桜井はほっとした。同時に軽い倦怠感に襲われる。
「ごめん。助かったよ。僕、昔から狭心症で、走ったりすると、こうなるんだ」
「だから、授業中、外に出ていたのか?」
「あの日は体育の授業中だったんだ。いつも体育は別室で自習していて、外に出たのは、課題が終わって、暇だったから……つい」
「そうか」
広瀬の表情は無表情だった。
そんなことよりも、今、言わなくてはならないことがある。
「実は、さっき、山岸さんが怒鳴っていたところ、見てた」
広瀬は黙ったままだった。
「どうして、あんなこと言ったの。さすがに……」
桜井は言葉を続けようとして、止めた。広瀬がズボンを強く掴み、その手がわずかに震えていたからだ。
「……お前も、俺の生き方を、否定するのか?」
蚊が鳴くような声で、広瀬が呟いた。
「違っ……」
「何が違う。人の葬式で、無神経な発言をしたことを、責めているんだろう」
は、と広瀬は乾いた笑みを浮かべた。
「誰も、俺の生き方を理解しない。理解しようともしない」
「……じゃあ、どうして、無関心を装うの」
広瀬の瞳がわずかに揺れた。
「どうして、そういう生き方をするの。過去に、何かあったの」
無関心を被る生き方。それが広瀬の生き方だ。それは理解できる。だが、なぜ無関心な生き方をし始めたのかは、今まで分からなかった。
その理由を、広瀬の口から、どうしても聞いておきたかった。
「理由を聞いたところで、何にもならない。前にも言ったはずだ」
桜井の脳裏に、初めて広瀬と会った時、図書室で広瀬と話した時の思い出がよみがえる。
「興味本位で聞いたところで、何にもならないだろ」
「興味本位なんかじゃない……!」
桜井は叫んだ。再び心臓がばくばくと鼓動する。
「なら、なぜ、聞こうとする」
「っ好きだからだよ!」
桜井は無意識に叫んだ。広瀬は目を見開き、桜井の方を向いた。
「広瀬くんのことが、好きだから、愛してるから……! 広瀬くんと一緒にいたい、もっと知りたいと思うのが、そんなにいけないことか! 僕にとって無意味なことだと思うか!」
桜井は涙目になりながら、全力で叫んだ。心の内をさらけ出し、全て広瀬にぶつける。
「言ってよ! 何があったのか、どうしてそうなったのか! 広瀬くんの本音も、気持ちも、全部、受け止めるから!」
全身の血が沸騰し、目頭が熱くなる。
「だから、僕に言えよ……!」
桜井は願うように、広瀬に縋った。
広瀬は一瞬迷い、そして、重々しく口を開き始めた。
「……俺の両親は、俺に期待していたんだ」
桜井は顔を上げた。広瀬の表情が、痛々しいほどに苦しげだった。
「両親は弁護士で、俺も弁護士になるようにと、期待していたんだ。立派な弁護士になれる器として。俺は、そんな両親の期待に応えようとした。……単純に、褒められたかったんだ。
だから、テストではいつも満点を取った。満点を取って、自分が期待に応えていることを、証明しようとしたんだ」
広瀬はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「でも、両親にテストの結果を見せても、褒められることはなかった。
いくら100点を取っても、ただ『当然だろう』と言って、いつも、テスト用紙をごみ箱に捨てられる」
ぽつぽつと語られる広瀬の言葉には、乾いた諦めが滲んでいた。
「そんな時、『異邦人』を読んだ。ムルソーは母親が死んでも、恋人が愛を求めても、アラビア人を殺しても、無関心だった。
それを読んで、俺は思ったんだ。─そうやって生きれば、楽になれるんじゃないかって」
広瀬は目を伏せた。だんだん、震えが小さくなっていく。
「だから、俺はムルソーとして生きることにした。最初は『冷たくなった』と批判されて、辛かったし苦しかった。それでも、続けていくうちに、だんだん楽になった。気にしなければ、苦しまなくて済んだ」
「じゃあ、高山さんを『愛していない』って言ったのも、高山さんが亡くなったことを、何とも思っていないのも、本当のことなの?」
広瀬はしばらく考え込み、やがて口を開いた。
「……半分嘘で、半分本当だ。確かに愛していたし、亡くなったことも悲しい。でも、愛したところで、悲しんだところで、何にもならない。俺の態度で、高山が傷ついていたことも知っている。でも、それを心配したって、俺にとっては無意味なんだ。俺は無関心な生き方が、一番楽で、一番幸せだと思っているから」
広瀬はまっすぐ桜井を見つめる。
「桜井、お前に言われて気が付いたんだ。前に、お前にムルソーの生き方について、聞いただろ。あの時のお前の答えは、俺の答えそのままだった。
お前は、無関心な生き方を肯定した。だから、俺の生き方を、肯定してくれた気がしたんだ。
そして、改めて感じた。この生き方が、俺にとって、一番幸せだと」
広瀬の表情がだんだん無表情になる。
そして「これで満足したか」と言って、広瀬は立ち上がった。桜井の目には、広瀬の背中が、何処か寂しそうに映った。とっさに、桜井は広瀬の腕を掴んだ。
「待って。まだ、聞きたいことがある」
「これ以上、何を聞くんだ?」
今、頭に浮かんだ質問は、聞いてはいけないことだと分かっている。
不謹慎なことも、高山に失礼なことも、分かっている。
それでも、聞かずにはいられない。
桜井は、深く息を吸った。
「僕のこと、どう思う」
桜井の真剣なまなざしに、広瀬の瞳が揺れ動いた。
「……正直、桜井のことは、怖かった。お前が、俺の本音を見透かすように、覗き込んでくるのから。
でも、お前といると、安心する。俺の態度を受け入れてくれる。
実際、お前は俺に『冷たい』とは一言も言わなかった。それが桜井の本心なのか、俺には分からない。それでも、自分の生き方が、桜井が認めてくれている気がして、嬉しいと思う」
「気持ち悪いって、思わないの? 僕、男だよ。それに、高山さんの通夜の最中だよ。こんなタイミングに、しかも男から告白を受けて、……気持ち悪くないの?」
「思わない。本心でも、思ってない」
広瀬の素直な気持ちに、桜井は安堵した。今まで悩んでいたものが、全て吹き飛んだ気がした。桜井は高山への罪悪感を忘れ、腕を掴んでいた手を、広瀬の手に重ね、強く握りしめる。広瀬は一瞬、桜井の手を見つめた。
「……僕のこと、好き?」
「好きじゃない」
広瀬は表情一つ変えず、言い切った。そう言いながらも、その手を振り払おうとしない。
そんな広瀬に、ひどく愛おしさを感じる。秘めたはずの愛がどんどん溢れてゆく。
「でも、もしお前が付き合いたいのなら、そうしよう」
広瀬はムルソーのセリフそのままで返し、桜井の手に指を絡めた。
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いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。
私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、
一部に翻訳ソフトを使用しています。
もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、
本当にありがたく思います。
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