Last Lesson

駄文のヒロ

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DAY2 希望と絶望

11、息子

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 訓練後の通路は、冷え切っていた。

 分厚い隔壁、電子錠の低い駆動音。
 空気は冷たく、消毒薬の匂い。

 壁に埋め込まれた赤い警告灯だけが、一定の間隔で明滅している。

 カズマは無言のまま歩き、足音だけが響く。
 和真は少し遅れてその背中を追った。

「……どこに行くんだ?」
「エデンの“成果”置き場だ。
 見せておくものがある」



 薄暗い地下区画の最奥、重い隔壁の向こうに檻房はあった。
 天井の照明は必要最低限に落とされ、白色灯が一定の間隔で床を区切るように照らしている。
 鉄格子で仕切られた個室が、通路の両脇に規則正しく並んでいた。

 中にいるヴィランたちは、かつて街で暴れ回っていた姿からは想像もつかないほど静かだった。
 誰も叫ばず、誰も暴れない。
 壁にもたれて座り込む者、膝を抱えてうつむく者、虚空を見つめたまま微動だにしない者──
 彼らの目には、激情や狂気ではなく、深い疲労と空洞だけが残っていた。

 抑制フィールドが微かに低くうなり、彼らの体内を巡る異常な活動を封じ込めている。
 まるで檻そのものが、彼らの「凶暴性」を眠らせているかのようだった。

 通路の奥、最も厳重に管理された一室。 

 カズマ、立ち止まる。
 わずかに拳を握る。

「……見る覚悟はあるか?」
「……はい」

 照明が上がり、檻房の内部が照らされる。
 和真が中を覗いた瞬間、息を呑む。

 檻房の奥、拘束具に固定された一人の女性がいた。

 彼女は壁際のベンチに腰掛け、両手を膝の上に揃えている。
 姿勢は正しく、表情も穏やかだった。
 ヴィラン化した痕跡は確かに残っている――皮膚の下を走る微細な変色、時折わずかに揺れる瞳孔。
 それでも、彼女は暴れることも、呻くこともなく、ただ静かに呼吸をしていた。

 ――ただの、母親の姿だった。

 まるで、ここが「隔離施設」ではなく、
長い悪夢のあとにたどり着いた休息の場所であるかのように。

 透明な強化素材で仕切られたガラス越しに立つカズマの気配に、彼女はふと顔を上げた。
 その視線が合うことはない。
 焦点は合わず、意識がこちらを認識しているかも分からない。

「……っ」

 声が、喉で詰まる。
 カズマは、檻房の前に立ったまま、視線をらさなかった。

 檻房全体を包む静寂は、救いでもあり、残酷さでもあった。
 暴力を奪われ、声を奪われ、ただ生かされている存在たち。

「……オレの母だ」
「……!」

 言葉が見つからない。

「β世界で、エデンが始めた最初の実験群。
 エデン――進化派はこう言った。
 “未接種者は不完全だ”、“選別し、次へ進むべきだ”と」

 声が震える。

「母は……“治療の代替”として、未完成のエデンベクターを投与された。
 成功例になれば、未接種者狩りは正当化できるからな」

 カズマは拳を握りしめ、その光景を胸に刻みつけた。

 檻房の中で、母親が、わずかに顔を動かした。
 この静けさこそが、エデンの罪の重さを、何より雄弁に物語っていた。

 喉から、かすれた音が漏れる。

「……カ……」

 それが名前なのか、ただの音なのか、分からない。

 和真の胸が、強く締めつけられる。

「……まだ、意識が……」
「ある」

 短く、断定する声。

「だから、殺せない」

 拳が、わずかに震える。

「撃てば終わる。
 楽にしてやれる。
 ……でも、それをやったら」

 カズマは、初めて和真を見た。
 その目には、戦場で見せた冷静さはなかった。

「オレは、“選んだ”ことになる」
「……」
「母親を、“もう人間じゃない”と決めた側に立つ」

 沈黙が落ちる。
 檻房の中で、鎖がわずかに鳴った。

「だからオレは、戦ってる。
 エデンを壊すためでも、正義のためでもない。
 ――選ばされる前に、自分で選ぶためだ」

 和真は、ゆっくりと息を吐いた。

「……だから、オレに戦いを教えたのか」
「ああ。
 お前は、オレと同じところに立つ」
「同じ……?」
「“まだ戻せるかもしれない”側だ」

 その言葉が、胸に重く落ちる。
 和真は、檻房の中の女性を見る。

 人であり、ヴィランであり、それでも――母親だった存在。

「……もし、治療薬が完成したら」
「その時は――」

 カズマは、一瞬だけ目を閉じる。

「オレが最初に、選ぶ」

 和真は、その横顔を見て、はっきりと理解した。

 この男は、誰よりも“覚悟”を背負っている。
 そして同時に、最も壊れやすい場所を、まだ守り続けているのだと。

 檻房の警告灯が、赤く、静かに点滅し続けていた。
 檻房の中で、母親が顔を上げる。

 虚ろな瞳。
 だが――

「……か……ず……ま……」

 かすれた、しかし確かな発音。
 和真、息が止まる。

「……え?」

 カズマも、目を見開く。
 母親が、ガラスに近づく。

「……か……ず……ま……
 だ……め……」

 和真の脳裏に、α世界の母親の声が重なる。

 カズマは震えを抑える。

「……エデンの実験は、“並行世界の記憶”を不完全に引きずり出す。
 母は……お前を、“別の世界の息子”として認識している」

 和真、膝に力が入らなくなり、その場に崩れ落ちる。

「……そんな……」

 母親が、震える手でガラスに触れる。

「……い……き……て……」

 言葉にならない声。
 胸が裂ける沈黙で二人とも、何も言えない。
 守りたかったものが、守れなかった証拠が、目の前にいる。

 カズマ、静かに言う。

「……だからオレは、感情を切った。
 二度と、“救えなかった後悔”を繰り返さないためにな」

 和真、目を伏せたまま。

「……それでも」

 顔を上げる。

「オレは……この人を、“怪物”とは呼べません」
「……か……ず……ま……」

 檻房の照明が、静かに落ちる。

 和真は、後ろを振り向く瞬間のカズマの眼に光るものがあるのを静かに黙認した。

 エデンが奪ったのは命ではなく、“選ぶ権利”だった。

【檻房からの帰路】

 低い照明。金属床。足音が反響する。
 和真は少し後ろを歩いている。

 カズマは前を向いたまま歩く。
 表情はいつも通り無感情――のはずだが、呼吸がわずかに乱れている。

 和真の足が一瞬もつれる。
 反射的に――カズマが振り向き、腕を伸ばす。

「……!」

 和真を支える。
 気まずい沈黙で二人、止まる。
 カズマは自分が掴んだ手を見て、一瞬だけ固まる。
 取り繕う冷徹さ。
 カズマはすぐに手を離し、

「……足元を見ろ。ここは安全じゃない」

 声は冷たい。
 だが――ワンテンポ遅い。

 和真「……今、助けましたよね」
 カズマ「任務上の判断だ」

 カズマは即答で否定する。
 しかし、視線が合わない。

 和真、少し迷ってから決定的な一言を言う。

「……母親の時も、そうやって支えてたんですか」

 カズマ、完全に立ち止まる。

「……触れるな」

 低い声。
 怒りではない。
 恐怖だ。

「……冷静でいなければ、オレは壊れる。
 感情は……判断を鈍らせる」

 だが、揺らぎ、和真の顔を見る。
 母親を見た時と同じ目をしている。
 カズマ、わずかに息を呑む。

 逃げるように歩き出す。

「……行くぞ」

 歩き出す背中。
 その背中越しでも、彼の拳が、震えている。
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