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生まれた家は貧乏だった。

貧乏なのに兄弟は多く、長男である俺は弟や妹の世話に奔走して、実を言うと幼少期の記憶はあまりない。兎に角大変で理不尽な目に遭うことも多くて、それでも一度だって道を逸れたことはない。
それは俺の唯一の自慢だと言ってもいい。
疲れて眠い中、目をこすりながら勉強して奨学金を貰いながら王都にある高い水準の学園に長い時間を掛けて通った。兎に角いい職についてそれなりの額を実家に送金して少しでも家族に楽な暮らしをさせたかった。愛情や良心からではない、これは長男たる俺の責任である。

念願叶って就いた仕事は王政に関わる文官職だ。と、言っても下っ端だが。位は低くとも給料は街で肉体労働する倍は貰える。俺は給料の半分以上を仕送りし、余った金は生活費と貯金に当てた。

何不自由ない生活だった。俺は趣味らしい趣味もないし、仕事でひたすら数字に向き合う時間も全く苦ではなかった。何より数字は俺を裏切らない。



その日は決裁書類を更に上の部署に運ぶため久しぶりに王宮内の長い回廊を歩いていた。

その道中、背後から聞こえた重々しい複数の足音に振り返れば、硬質な鎧に身を包んだ厳しい騎士連中が廊下の向こうから歩いて来た。あまりに荘厳な雰囲気に圧倒され、思わずその場でたたらを踏む。

その先頭を切る鋼色の髪をした騎士の迫力と言ったら。危うく腰を抜かすところだった。

面倒に巻き込まれたくなかったので、サッと柱の陰に身体を隠し連中が通り過ぎるのを息を殺して待つ。何だか自分が酷く矮小な人間に見えてガッカリした。ふと視線を感じて顔を上げれば、俺とおんなじような行動を取っていた同僚と目が合って思わず視線を逸らした。通り過ぎたのを確認して立ち上がり「何だあれは」と呟けば同僚、メイソン・ブロディは信じられないという顔で俺を見た。



「騎士団が凱旋したんだ!知らないのか?数日前から王都はこの話題で持ちきりだ!」

「成る程あれが……待て。凱旋したということはまさか第三部隊か?」

「そうだよ!先頭の一番ヤバ強そうな人……!隊長のイーサン・ヴォンガルドだ!初めて見たぜ……かっけえよな、俺まだ興奮で手が震えてるよ」



王家直属の騎士団は国のヒーローだ。その中でも第三部隊は魔獣討伐を専門とし、普段は王都にいないのだ。

今し方通り過ぎたイーサン・ヴォンガルドとやらの姿を思い返す。

視線だけで人を殺せそうな鋭い眼に、鎧の上からでも解る鍛え上げられた体躯。俺の事など冗談抜きで片手一本で容易に殺せそうな男だった。

魔獣の討伐はその名の通り命に関わる危険な仕事である。連中は戦いのエキスパートだ。兎に角強い者だけが選別され、そこから更に特殊な訓練を受け、そうまでしても弱い者は一度の出陣で淘汰される。

……給料物凄いんだろうな。それはそうだ、何たって命のやり取りを常に繰り広げ、死はいつも隣にある、そんな職業だ。一度の出陣で生涯遊んで暮らせるだけの額を貰えるなどという噂まである。

まあ、俺には何の関係もない話だが。



「……久しぶりに飲みにでも行くか」



外食は贅沢だと控えていたが偶にならいいだろう。別に誰に禁止されているわけでもない。俺が勝手に自分を律してるだけだ。





俺はその日の仕事終わり、早速王都から少しばかり離れた酒場まで足を伸ばした。通うには少々距離がある場所だが飯は美味いし店主の人柄もいい。学生時代はよく足を運んだ場所だ。



酒の種類が多いのもこの店の魅力の一つだ。東の国から仕入れられているという珍しい酒は少々値が張るが、とろりと爽やかな口当たりで俺のお気に入りだった。

透き通った美しい液体で喉を潤し、あっさりと味付けされた香菜を口に含む。十分にその滋味を味わいながら、すかさず酒をまた一口。

至福の時間だった。そんなゆったりとした晩酌中にチリと首の焼けるような妙な気配を感じ、反射で振り返る。

二つ向こうのテーブル、鬣の様な鋼色の長髪に野生動物のように鋭い灰色の瞳。座っていても解る鍛え抜かれた身体からは迸るような冷たい闘気を感じる。恐らく気のせいではない。

この男の顔を俺は今日初めて見て、認識した。

イーサン・ヴォンガルド。

バッと顔を元に戻し、知らず早鐘を打ち始めた心臓を落ち着かせようと胸元をギュッと握り締める。

一体何故こんなところにイーサン・ヴォンガルドが。

別に知り合いなんかではない。ただその存在を認識した途端酒の味がわからなくなった。

この感情は畏怖だ。俺は会話をしたこともない相手に勝手に怯え完全に萎縮してしまっていた。情け無い。



今日はもう帰ろうか、久しぶりの贅沢だったのにとんだ災難だ。そう感じているのは自分だけだが。

溜息をつきながら慎重に背後に座っているイーサン・ヴォンガルドの姿を確認すれば、彼も丁度席を立つところだった。しかし帰るわけではないらしい。驚く事に卓や椅子に荷物やジャケットを引っ掛けたまま恐らくトイレだろう、兎に角その場から姿を消したのだ。

この国は比較的治安がいいとはいえヴォンガルドの行動は些か無防備過ぎる。腕っ節は強いが馬鹿な奴だ。まあ俺の知ったことではない、奴が帰ってくる前に俺もさっさとこの店を出よう。

そうしてイーサン・ヴォンガルドが座っていた卓の隣をすり抜けようとして、ふと、本当に何の気なく卓に放置されたままになっていた麻袋の中身を上から覗き見た。そこで驚愕に目を開く。麻袋に入っていたのは数え切れない程の金貨であった。

この時点で俺は、多分精神がまともな状態ではなくなった。

極めて自然な動作で麻袋を卓から掠め取り、羽織っていたローブの内側に隠し早足で勘定を済ませ店を後にした。



のろのろと歩きながら自分が一体何をしているのかわからなかった。

ただ左手にズッシリと感じる重みだけが妙に生々しかった。



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