5 / 6
第5話
しおりを挟む
「それを渡してください」
祥子は手を差し出した。
岡野夫人に他人を傷つける意志がないのはわかっている。
怖いのは、夫人が自らに刃を向けて深い傷を負わせる事態だ。
「私のこと……調べたんですね?」
夫人の潤んだ瞳から、責めるような視線が祥子に向けられる。
「ええ。あなたの本当の名前、高尚は高尚。菊の花の花言葉でしょう。だから菊恵と名乗った。本来のあなた……女性としてのあなたになった時に」
秋津刑事の報告によると、辻家の長男だった辻高尚は、性自認の問題で父親と激しく衝突していた。
地元の有力者で保守的な父親は、男性である自分を否定する息子が許せず、暴力でその性的指向を変えようとしたのだ。
高尚はついに刃傷沙汰を起こして家を飛び出した。
父親の工作で事件は公になることなく、地元の身近な人間だけが知るところとなった。
「私は母は好きだった。母がくれた名前も好きだった。だからそれに繋がる名前にしたんです。夫と出会って、同性婚の制度があるこの市に引っ越して……彼も私を理解してくれた。精子を提供して代理母で恵美をもうけることにも協力してくれた。でも……」
「でも、あなたの恵美ちゃんへの接し方は理解しなかったんですね」
夫人の大きく見開かれた目から涙がこぼれた。
「それも……わかっているんですか……」
「ええ。恵美ちゃんは男の子でしょう」
祥子は夫人が干していた恵美の下着が不自然に歪んでいるのに気づいていた。
足を通すゴムの部分が、片方だけ伸びていたのだ。
これは小用のたびに、そこから性器をひっぱり出していた結果だ。
「恵美は……恵美は自分も女の子になりたいと思っていたんです! 私は恵美の望みを叶えたかった! だから可愛いものをたくさん買ってあげたし、恵美自身も可愛くなるようにしてあげた。恵美は本当に……本当に喜んでいたんです!」
「でも、お父様には認められなかった」
「ええ……離婚することになっても、恵美は私についてくることを選んだんです。訴訟はまだ続いてますが、私は恵美を絶対手放したくなかった。恵美にも私のように、女としての道を与えてあげられると思ったんです。だからいつもあの子に言っていた。あなたは素敵な女の子よ……って」
そう言うと、夫人、岡野菊恵、そして高尚は、歯を食いしばって悔恨のうめきを漏らした。
「それが呪いの言葉だった! あの子は分かっていたんです! その言葉が嘘であると! ただの慰めであり、超えられない壁を誤魔化しているだけだと! そしてあの小さな頭の中で絶望が大きくなっていった……」
祥子は核心に近づいたことを悟りながら、それが想像していたよりもずっと悲壮なものである予感に唾を飲み込んだ。
「何があったんです?」
祥子は手を差し出した。
岡野夫人に他人を傷つける意志がないのはわかっている。
怖いのは、夫人が自らに刃を向けて深い傷を負わせる事態だ。
「私のこと……調べたんですね?」
夫人の潤んだ瞳から、責めるような視線が祥子に向けられる。
「ええ。あなたの本当の名前、高尚は高尚。菊の花の花言葉でしょう。だから菊恵と名乗った。本来のあなた……女性としてのあなたになった時に」
秋津刑事の報告によると、辻家の長男だった辻高尚は、性自認の問題で父親と激しく衝突していた。
地元の有力者で保守的な父親は、男性である自分を否定する息子が許せず、暴力でその性的指向を変えようとしたのだ。
高尚はついに刃傷沙汰を起こして家を飛び出した。
父親の工作で事件は公になることなく、地元の身近な人間だけが知るところとなった。
「私は母は好きだった。母がくれた名前も好きだった。だからそれに繋がる名前にしたんです。夫と出会って、同性婚の制度があるこの市に引っ越して……彼も私を理解してくれた。精子を提供して代理母で恵美をもうけることにも協力してくれた。でも……」
「でも、あなたの恵美ちゃんへの接し方は理解しなかったんですね」
夫人の大きく見開かれた目から涙がこぼれた。
「それも……わかっているんですか……」
「ええ。恵美ちゃんは男の子でしょう」
祥子は夫人が干していた恵美の下着が不自然に歪んでいるのに気づいていた。
足を通すゴムの部分が、片方だけ伸びていたのだ。
これは小用のたびに、そこから性器をひっぱり出していた結果だ。
「恵美は……恵美は自分も女の子になりたいと思っていたんです! 私は恵美の望みを叶えたかった! だから可愛いものをたくさん買ってあげたし、恵美自身も可愛くなるようにしてあげた。恵美は本当に……本当に喜んでいたんです!」
「でも、お父様には認められなかった」
「ええ……離婚することになっても、恵美は私についてくることを選んだんです。訴訟はまだ続いてますが、私は恵美を絶対手放したくなかった。恵美にも私のように、女としての道を与えてあげられると思ったんです。だからいつもあの子に言っていた。あなたは素敵な女の子よ……って」
そう言うと、夫人、岡野菊恵、そして高尚は、歯を食いしばって悔恨のうめきを漏らした。
「それが呪いの言葉だった! あの子は分かっていたんです! その言葉が嘘であると! ただの慰めであり、超えられない壁を誤魔化しているだけだと! そしてあの小さな頭の中で絶望が大きくなっていった……」
祥子は核心に近づいたことを悟りながら、それが想像していたよりもずっと悲壮なものである予感に唾を飲み込んだ。
「何があったんです?」
0
あなたにおすすめの小説
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
ウインタータイム ~恋い焦がれて、その後~
さとう涼
恋愛
カレに愛されている間だけ、
自分が特別な存在だと錯覚できる……
◇◇◇
『恋い焦がれて』の4年後のお話(短編)です。
主人公は大学生→社会人となりました!
※先に『恋い焦がれて』をお読みください。
※1話目から『恋い焦がれて』のネタバレになっておりますのでご注意ください!
※女性視点・男性視点の交互に話が進みます
【完結】断罪された占星術師は、処刑前夜に星を詠む
佐倉穂波
恋愛
星は、嘘をつかない。嘘をついていたのは——わたし自身だった。
王宮の卜部に勤める十七歳の占星術師リュシア・アストレアは、ある日、王太子妃候補の婚儀に「凶」の星を読んだ。星が告げるままに報告したに過ぎなかったのに、翌朝には牢に入れられていた。罪状は「占星術を用いて王家を惑わせ、王太子暗殺を画策した」こと。
言いがかりだ。
しかし、証明する術がない。
処刑は五日後の朝と告げられ、リュシアは窓もない石の牢に閉じ込められた。
そこで彼女は気づいてしまう。占いが外れ続けていた本当の理由に。
道具も星図もない暗闇の中で、生まれて初めて、星の声を正しく聞いた。
瞼の裏に広がる夜空が、告げる。
【王太子が、明後日の夜に殺される】
処刑前夜に視た予言を、誰が信じるというのか。それでも、若き宰相クラウス・ベルシュタインは深夜の牢へ足を運び、断罪された少女の言葉に耳を傾けた。
二人の出会いは、運命をどう変えていくのかーー。
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる