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第6話/エピローグ
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夫人は包丁の切先を祥子に向けたまま、訥々と語り出した。
「私は恵美を、トイレは必ず座ってするように躾けてました。でもあの子は面倒くさがって、立ったまま小用をするようになって……その日、私はつい言ってしまったんです。そんなことしてると、男の子になっちゃうよって……それがものすごくショックだったのはあの子の顔を見てわかりました。私はそれで言うことを聞いてくれると思ったけど、恵美は私が思っていたより、はるかに思い詰めていたんです……」
夫人は震える手で包丁を引き寄せると、それを憎むべきもののように強く見つめた。
「私が仕事から帰って来ると、風呂場で恵美は倒れていました。足の間から血を流して……その手元にこの包丁が……」
祥子の脳裏で非常ベルが鳴った。
夫人は自分を刺すつもりだ。文字通り、愛する我が子を奪ったその刃物で。
「私は恵美を抱き起こして何度も呼びました……最後にあの子が……言ったんです。ぼく女の子になれた?……って」
夫人が包丁を自分に向けて持ち替えようとしたその時──
居間の掃き出し窓を破って、誰かが飛び込んできた。
秋津刑事だ。
そちらに驚いた岡野夫人の隙をつき、祥子は彼女の腕に飛びついて包丁を叩き落とした。
「私が……私があの子を殺したんです!」
慟哭する岡野夫人を、壇上のひな人形たちが見下ろしていた。
* * *
ビニールで何重にも包まれた岡野恵美の遺体は、祥子の予測通りひな飾りの下から発見された。
死因は局部からの大量失血。
岡野夫人は死体遺棄の容疑で逮捕された。
遺体は父親が引き取り、葬儀が執り行われた。
火葬に立ち会った祥子と秋津刑事は、葬儀場の外に出ると青空に立ち昇ってゆく煙を見上げた。
「まだわからないんすけど……岡野さんはどうして恵美ちゃんを隠したんすかね」
秋津が聞いた。
「岡野さんはまだ旦那さんと離婚係争中だったでしょ。自分の監督不行届で恵美ちゃんが死んだことが知れたら、遺体を旦那さんに取り上げられて、男の子として葬られることになる。今日みたいに。それが耐えられなかったのよ」
祥子の答えに、秋津は大きくため息をついた。
「あの日、岡野さんは貸し倉庫を契約しに行っていた。届いた大型トランクに恵美ちゃんを移して、そこに隠して……どこか人知れず埋葬できるところを探そうとしてたのね」
「わざわざ警察に捜索を依頼したのは……?」
「子供がいなくなったことはいずれバレるわ。捜索依頼を出しておけば疑惑は呼びにくいし、逆に遺体を隠した家の中には目が向かないと思ったんじゃない? その上で運び出すタイミングを測っていたのね」
秋津は大きく空を降り仰いだ。
「なんでそんなことになっちゃったんすかね。男の子が女の子になりたいって思っただけで……そもそも、なんでそういう気持ちを隠さなきゃいけないんでしょうね」
しかも、親子二代が続けて──
祥子は思った。
岡野夫人……辻高尚がもっと理解のある家族に恵まれていたら、こんな事件は起こらなかったかも知れない。
ふと見ると、傍で茶髪の若者が涙を流しながら勢いよく鼻をかんでいた。
「すんません……男のくせに泣き虫で」
男のくせに……女だてらに……。
岡野夫人は子供への褒め言葉が「呪いの言葉」だったと言っていた。
だが性別への固定観念で人を縛る言葉こそ「呪い」なのではないだろうか。
祥子は言った。
「男も女も関係ないでしょ。胸を張って泣きなさい。君は人に共感できる優しい人なんだよ」
「そうでしょか……」
それ以上適当な言葉が見つからず、祥子は秋津の背中を平手で一発どやしつけた。
びっくりしてこっちを見る若者に、祥子は大きな笑みを見せた。
すると秋津は、祥子の肩越しに何かを見つけて指さした。
「あ、まだ咲いてるんすね」
振り返った祥子は、庭園の桃の木から残り少ない花びらが風に乗って流れ散るのを見た。
「木によって咲く時期が違うんだね」
岡野家の桃の木も、来年はまた同じように咲くことだろう。
二人は桃の花びらを潜り抜けながら、駐車場へと歩いて行った。
完
「私は恵美を、トイレは必ず座ってするように躾けてました。でもあの子は面倒くさがって、立ったまま小用をするようになって……その日、私はつい言ってしまったんです。そんなことしてると、男の子になっちゃうよって……それがものすごくショックだったのはあの子の顔を見てわかりました。私はそれで言うことを聞いてくれると思ったけど、恵美は私が思っていたより、はるかに思い詰めていたんです……」
夫人は震える手で包丁を引き寄せると、それを憎むべきもののように強く見つめた。
「私が仕事から帰って来ると、風呂場で恵美は倒れていました。足の間から血を流して……その手元にこの包丁が……」
祥子の脳裏で非常ベルが鳴った。
夫人は自分を刺すつもりだ。文字通り、愛する我が子を奪ったその刃物で。
「私は恵美を抱き起こして何度も呼びました……最後にあの子が……言ったんです。ぼく女の子になれた?……って」
夫人が包丁を自分に向けて持ち替えようとしたその時──
居間の掃き出し窓を破って、誰かが飛び込んできた。
秋津刑事だ。
そちらに驚いた岡野夫人の隙をつき、祥子は彼女の腕に飛びついて包丁を叩き落とした。
「私が……私があの子を殺したんです!」
慟哭する岡野夫人を、壇上のひな人形たちが見下ろしていた。
* * *
ビニールで何重にも包まれた岡野恵美の遺体は、祥子の予測通りひな飾りの下から発見された。
死因は局部からの大量失血。
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遺体は父親が引き取り、葬儀が執り行われた。
火葬に立ち会った祥子と秋津刑事は、葬儀場の外に出ると青空に立ち昇ってゆく煙を見上げた。
「まだわからないんすけど……岡野さんはどうして恵美ちゃんを隠したんすかね」
秋津が聞いた。
「岡野さんはまだ旦那さんと離婚係争中だったでしょ。自分の監督不行届で恵美ちゃんが死んだことが知れたら、遺体を旦那さんに取り上げられて、男の子として葬られることになる。今日みたいに。それが耐えられなかったのよ」
祥子の答えに、秋津は大きくため息をついた。
「あの日、岡野さんは貸し倉庫を契約しに行っていた。届いた大型トランクに恵美ちゃんを移して、そこに隠して……どこか人知れず埋葬できるところを探そうとしてたのね」
「わざわざ警察に捜索を依頼したのは……?」
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「なんでそんなことになっちゃったんすかね。男の子が女の子になりたいって思っただけで……そもそも、なんでそういう気持ちを隠さなきゃいけないんでしょうね」
しかも、親子二代が続けて──
祥子は思った。
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「すんません……男のくせに泣き虫で」
男のくせに……女だてらに……。
岡野夫人は子供への褒め言葉が「呪いの言葉」だったと言っていた。
だが性別への固定観念で人を縛る言葉こそ「呪い」なのではないだろうか。
祥子は言った。
「男も女も関係ないでしょ。胸を張って泣きなさい。君は人に共感できる優しい人なんだよ」
「そうでしょか……」
それ以上適当な言葉が見つからず、祥子は秋津の背中を平手で一発どやしつけた。
びっくりしてこっちを見る若者に、祥子は大きな笑みを見せた。
すると秋津は、祥子の肩越しに何かを見つけて指さした。
「あ、まだ咲いてるんすね」
振り返った祥子は、庭園の桃の木から残り少ない花びらが風に乗って流れ散るのを見た。
「木によって咲く時期が違うんだね」
岡野家の桃の木も、来年はまた同じように咲くことだろう。
二人は桃の花びらを潜り抜けながら、駐車場へと歩いて行った。
完
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