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四・公爵邸に蔓延る毒

021. 何度も重ねた唇

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 学院を訪れた日から数日が経った。
 先生へのできる限りの恩返し計画は遂げたから、もう復讐の実行をためらうことはない。それなのに、私は未だ父を殺せずにいる。
 今日は、また登城しなければならない日だ。

「おはようございます! フィフィ姉さまー」
「おはよう、イラリア」

 いつも通りに、義妹が私のベッドの上へとやってくる。ちゅっと軽く〝おはようのキス〟をして、もう一度唇を触れ合わす。のべ七回、今朝の私たちはキスをした。 

 しているうちに、つい掴んでしまっていた彼女の服から、そっと手を離す。頬に触れる彼女の手を冷たく感じるのは、私の頬が火照っているからだろう。
 一回や二回のキスなら平気で受け入れられるようになったが、さすがに何回もされると、熱がのぼってぽわぽわしてしまう。

 相変わらず彼女は涼し気な顔をしているので、今日も私は彼女に勝てなかったということだ。義妹は嬉しそうに、にこにこと笑う。

「フィフィ姉さま、私のキス好き?」
「……もう慣れただけよ」
「じゃあ、姉さまがまだ知らないキスしてみますか?! レベルアップしちゃいます?」
「いいえ結構。今ので十分だわ」

 好きだとも嫌いだとも言えずに「慣れた」だなんて大嘘をついている私は、自分でも滑稽だと思う。
 彼女から視線を逸らして、顔の熱が冷めるのを待っていると、ゆっくりと手をとられるのを感じた。しばらくの間、手のひらや指をもてあそばれた後。揃えられた指先に、彼女の吐息がかかる。

「なにをしているの?」
「先日〝加護魔法〟をこっそり学んだので、試してみようかと思って。姉さまが、お城で酷いことされないように」
「酷いことなんて、心配しなくてもされないと思うけれど」

 過去の人生での婚約破棄やら拷問やら処刑やら以外では、王城では特に酷いことをされた覚えはない。バルトロメオに嫌味を言われたことならあっても、ただそれだけ。平穏だ。

 彼女の方をふと見ると、ものすごく心配そうな目をこちらに向けていた。私の指先に彼女の唇が触れ、ぽぅっと明るい光が灯る。まぁるい光の玉は手の甲と腕を滑り、皮膚に吸い込まれるように消えていった。

「なんだか胸騒ぎがするんです。姉さま、危ないことはしないでくださいね?」
「しないわよ、そんなこと。貴女が見たくないと言ったから、私の手は汚れていないままだし」
「本当に変なことしないでくださいね。約束ですよ!」
「はいはい。約束ね」
「はい、じゃあ〝約束のキス〟をしましょう!」
「そんなもの、聞いたことがないけれど」

 なあなあと流されて、私は彼女とまた唇を重ねた。
 こんなに何回もしていたら、いつか唇が擦り減ってなくなってしまうんじゃないかしら。なんて、おかしなことを考えてみる。

 登城のために着飾られ、玄関先で義妹に見送られて、いつも通りに馬車に揺られる。楽しくもないお茶の時間を終えて、またバルトロメオとつまらない散歩をする。

「なあ、オフィーリア」
「なんですか、殿下」
「そなたの妹は元気か?」

 バルトロメオは、私が登城すると毎回のようにイラリアのことを尋ねてくる。
 一度目の人生でも二度目の人生でもイラリアに惚れた彼にとっては、やはり今度も彼女は特別な存在らしい。

 大抵は「元気か?」と問われるが、彼女はいつも元気なので、どうせ答えは毎回同じだ。無意味にも思いながら、私はいつもの返事をする。

「ええ、とても」
「なら良かった」

 そう言って、バルトロメオは笑った。若葉色の瞳が、本当に嬉しいと言っているように見えた。

 今日も彼は、私に優しげだった。


 父が母を殺したとわかっているのに、まだ復讐を遂げられていない、覚悟の浅かった私。「まだ何もしないで」と手駒に伝えて城を出る。

 私が父を殺せたなら、あの証拠が公にならずとも構わない。あの男にさえ復讐できれば、私はそれで満足できるはずだから。背負うべき罪は、ちゃんと背負う。私はあの男とは違うから。殺人犯になったなら、殺人犯として処罰を受ける。
 ああ、でも、父が誠心誠意謝罪して、何か良い手を提案してくれたなら、もしかしたら命は助けてやってもいいかもしれないわ。

 なんでもいいから苦しめたい。極上の苦しみが死とは限らない。どうやって苦しめてやろう。
 もしも復讐を遂げずして私が死んだなら――例えば、企みの途中で父にバレて、私が殺されたりした場合には――あの証拠のことを国王陛下にお伝えしろと、手駒たちに命じている。

 私の母を心から愛してくださっていた陛下なら、母を殺した父に、相応しい罰を与えてくださると信じているからだ。
 どうしよう。どうなるか。義妹を殺したときのように突発的ではないから、あれこれ考えてしまって心配になる。

 自分が本当に望んでいることが、何なのか。もうわからなくなってしまった気もしている。それでも矜持のせいか、半端なところで諦めることもできなかった。

 ただ、母を奪った父を苦しめたい。もはや、それだけだった。

 復讐を企む女なんて、どうせ愚かな女なのだ。

 いくつもの可能性を考えていると、だんだん頭が痛くなってきた。そろそろ休んだ方がいいかもしれない。家に帰ったら昼寝でもしよう。

 そういえば、今日は家に着くのがやけに遅い。

 私が考え事をしている間に、馬車の車輪がどこかの溝にはまってしまったりなどしていたのだろうか。でも、それならさすがに馬車の揺れ方で気づけると思うのだけれど。

 もしくは突然の悪天候か、他の馬車が事故に遭ったりして、道が塞がってしまったとか――……

「えっ?」

 ふいに馬車の扉が開き、男が入ってきた。

 王城勤めで、城内で私の護衛をしてくれたこともあった、騎士のひとりだったと思う。

 令嬢が乗っている馬車を、一言の声掛けもなく勝手に開けなければならないほどの緊急事態なのか。いったい何があったのか。

 そんなことを思っていると、男は腰にいていた剣を鞘から抜いた。

 ――なぜ?

 頭に疑問符が浮かぶのとほぼ同時に、脇腹のあたりに熱を感じる。

 恐る恐る視線を落とすと、剣が刺さっていた。

 ――なぜ、私が刺されたの?

 貫かれたことを理解した途端に、痛みをまざまざと感じはじめた。腕を掴まれて引きずられ、乱暴に馬車から放り投げられる。

 それは、本当にあっという間のことだった。 

 なぜか刺されて放り投げられ、馬車は私を置いて去っていく。

 痛みが酷く、立つこともできない。助けも呼べない。ここがどこだかよくわからない。じめじめした、暗い森のような場所だった。

 ――父さまを殺したいなんて、思っていたから……。そんなことを考える悪女だった私が、戒めのように殺されるのかしら? 

 即死できる致命傷を与えてくれれば良かったものを、急所を外れたのか、私はしばらく意識を保ったまま苦しんだ。

 出血をおさえようとしていた手に力が入らなくなり、目の前が霞む。暗い視界に、ふらりと白銀色が見えてきた。何だろう。

 ――また死ぬのかしら。でも、巻き戻れたのが〝オトメゲーム〟の力のおかげなら、もうやり直せないのだったかしら。

 胸騒ぎがする、というのは本当だったみたい。さすがイラリア。私と違って、勘がいい。

 ――帰らないと、イラリアが心配するわ。でも、もう……。

 死んでしまうなら、仕方ない。私にはどうしようもない。

 誰かか、何か、温かいものが私に触れて、この脱力した体を持ち上げる。冥府からの遣いだろうか。子どもが死ぬと、白馬が迎えに来るという話も、過去にイラリアから聞いた……。

 今日はイラリアと何回もキスしたし、最後の日として悪くはないだろう。死ぬ前に、イラリアとまたキスできて、良かった。本当に、良かった。

 そう考えて、私は目を瞑った。
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