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〈悪役王子〉と〈ヒロイン〉王都編
【39】ヒロインと黒魔術 −side 王子− ☆
しおりを挟む(アリシアが――呪術性の〝記憶喪失〟と〝不感病〟になってしまった。それも、敵側の謀略によらず、彼女自身が発現させた黒魔術によって)
そんな予想外の事態に、フィリップは頭を抱える。先ほど宮廷医の診察を受け終えたアリシアは、精神安定剤を投与され、今はベッドの上で気持ちよさそうに眠っているところだった。
(まさか……あのアリシアが、あんなにも強大な黒魔術を使えたなんて)
彼女が魔術に秀でていることは、もちろんフィリップも知っていた。彼女は今年の魔術学科の首席卒業者だ。しかし、ここまでの黒魔術を行使できるほどの才能があったとは、知らなかった。
(シシリーいわく、あちらの世界の娯楽物においては〝悪役令嬢〟と〝ヒロイン〟の逆転のシナリオが流行していたという。その影響が、こちらの世界にも及んでいたということなのかもしれない)
――悪役令嬢とヒロインの逆転。
本来は悪役であるはずの〝悪役令嬢〟が主人公のような役柄に転じ、本来は善良なる主人公であるはずの〝ヒロイン〟が悪女らしい役柄に転じる。と。
シシリーがこの世界に転生してきたように、他の世界――物語の中の世界に転生するという物語が向こうの世界では人気を博しており、その一種には、こんなふうに悪役令嬢とヒロインが逆転したような物語もあったらしい。
(アリシアにあるべき〝ヒロインの能力〟がシシリーに備わっていて、アリシアには、逆に〝悪役らしい黒魔術の才能〟があった……ということなのか? それにしても)
彼女の契約相手だという悪魔の言葉を信じるならば、アリシアは、自らの心を追い出すことを望んであの黒魔術を発現させたことになる。フィリップは、どうにもそれを信じられずにいた。
(どうして彼女は心を捨てたがった? 彼女は、何に追い詰められた? 僕は、何を間違えた……?)
彼女は、どうやら、フィリップに愛された過去を――彼との恋や性愛にまつわる記憶を失くしたらしかった。妃教育のことや魔術のこと、そして子どものつくり方くらいの性知識は覚えているようだ。ゆえに、王太子妃の務めを果たすのに、記憶の面では支障はないだろうとのこと。
早急に解決するべき彼女の問題は、それよりも、感覚のこと。不感病のことだった。
今のアリシアの体は、性的な快感のみならず、苦痛を感じることもない。快楽を感じられないだけならまだ良かったものの、苦痛をまったく感じないとなると大変だ。
このままでは、彼女は、怪我や病気をしても自分では気づけない。この先、その腹に子を宿したとしても、不調が起きた時に気づけない。自覚症状のないまま不調を放置することになれば、妊娠中や出産時、母も子も命を脅かされる危険性はぐっと高まる。
(魔王との契約のひとつが、あのくだらない契約が、立ち消えになったと言われても……僕が我慢する理由の一番がなくなったとしても。それですぐに抱くとでも思うのか? あの悪魔のやつは)
どこにぶつけることもできない怒りをおぼえ、彼は拳を強く握る。
(僕は、アリシアと、心をもって愛しあいたいのだ。ただ致せれば満足なのではない。あれは人の心がわからないのか? ああ、悪魔だから、わからないのか。そうか。…………でも、僕も、アリシアの心は、わからなかったな……)
翌日。
魔術研究院から上げられた報告によれば、彼女にかかった黒魔術の呪いを解く方法は、ふたつあった。と言っても、彼女の起こしたそれはひどく複雑な魔術であるから、これですぐに解決という絶対的な術はない。あくまでも、こうすれば解けるのではないかと思われる。という希望的なものだった。
ひとつは、彼女の心の残滓を――心を切り離した時、体にわずかでも欠片が残っていたことを期待して、その心に呼びかけること。魂を揺さぶって、本能的な魔力を引き出して呪いを解かせること。思い出話でもしながら触れてみては、とのことだった。そこから何かを思い出せるかもしれないし、身体に触れ続けることで感じるようになる可能性もあるからと。
そして、もうひとつは――契約の不成立を起こさせること。彼女が悪魔に心を捧げることで得た〝フィリップの永遠の命と幸福〟は、彼女の心を無くしては成立し得ないと証明すること。フィリップの幸せには〝アリシアの心〟が不可欠であると、彼女の魂に伝えること。矛盾を起こして、魔術を壊すというわけだった。
「――ねえ、アリシア」
眠るアリシアを、心を亡くした想い人を胸に抱き、フィリップは小さな声で語りかける。その体に残っているかもしれない心の欠片にも、遠いところにある彼女の心にも、届くようにと祈りを込めて。
「僕は、大人になっても、きっと傲慢な人間で。きみのことをわかっているつもりでいて、本当は、きみをよく知らなかったのかもしれない。きみの心を見られていなかった時が、たくさん、あったのかもしれない。……ごめんね」
額に口づけを落とし、彼も目を瞑る。銀の睫毛と薄紅の睫毛が、手を伸ばしあうように触れあった。
「結婚前に、教えてくれて、ありがとう。ちょっと乱暴な手段だったかもしれないけど、きみの叫びは、僕に届いた。今度は、僕が、きみに届けるから。きみを知って、きみの心は僕に必要なんだって、伝えるから。いつでも隣に帰ってきてね……」
それから――二日が経った。
アリシアのことも、王弟のことも、状況は好転しなかった。
(ぐっ、あとちょっとだという感覚はあるのに……! 王弟の犯行だとする決定的なしるしが見つからない。よくもここまで上手く隠せるものだな)
彼女を膝に座らせたフィリップは、これまでの調査資料を見返して「ううぅん」と唸る。彼女の髪に背後から顔を寄せ、「助けてくれ、アリシア」とぼやいてみる。
彼女を知る手がかりを得るため、彼女ともっと触れ合うため、彼は昨日からアリシアを調査の場に連れていっていた。
(いつもの小さな妖精さんのメモが、ここにも現れたらいいのに……)
彼が〝妖精さんのメモ〟と呼んでいるのは、オトメゲームのイベントやアリシアの暗殺未遂事件が起きた時に彼のそばに現れる、不思議な紙切れのこと。子どもが書いたような拙い字でありながら、困った現状を打破するような力強い助言を何度もくれた、ありがたい存在のことだ。彼の机の上や枕の下にいつの間にかあるというのが、これまでのお決まりの流れだった。
(でも、今のイベント期になってからは、一度も見ていない気がする。なんでだ?)
アリシアはフィリップの手にある資料をぱらぱらとめくり、彼よりも真剣な様子で読み込んでいる。彼女のこんな表情を見るのは久しぶりだな、とフィリップはふと思った。
(思えば、僕は……オトメゲーム関係のことで、彼女に隠し事をよくしていたな。それが彼女に不信感や不安感を与えていたのやも。あの時から……十六歳の春から。僕は、彼女に〝何もしなくていい〟〝待っていて〟と言うことが増えていって――)
さらに二日後。
アリシアに月の物がきた。
いつもの彼女なら痛みや倦怠感でつらそうにしているところだが、今の彼女はけろっと元気そうにしていた。まだ感覚が戻ってきていなかった。
フィリップが癒やしの魔法をかけたりマッサージをしたりといういつもの触れ合いは必要ではなかったものの、彼は彼女のお腹を愛でるように撫でてみた。激しく揺さぶったりはせず、ゆっくりと。
「好きだよ。アリシア……」
「……ん」
「どうしたの?」
「ちょっと……くすぐったい……です」
「……そっか」
彼女に無事に月の物がくること。こうして触れ合うこと。それは、ふたりにとって、とても大事なことだった。
毒を盛られた過去のせいで発育が難しくなったアリシアは、月の物がこないことを理由に、婚約解消を迫られたことがあったから。彼女に初潮がきた日に初めてアリシアはフィリップの名を呼んで、ふたりは互いへの愛情を深めていったから。
(こうなってから、くすぐったいと言われたのは……何か反応があったのは、初めてだ。僕らの大事な思い出を、きみの残り香のような心も覚えているのだろうか)
フィリップは彼女の控えめな声を聞きながら、彼女に触れ続ける。
ほんのちょっぴり甘い、夜だった。
「――おやすみ、アリシア」
「おやすみなさいませ。殿下」
キスを交わして、抱きしめて、一緒に眠る――その翌朝。
ふたりの寝室の枕の下には、彼が望んでいた〝メモ〟があった。
その内容を見てフィリップは目を見開き、にやりと口角を上げる。
(なるほど。あの術式は、こうして解けば……っ!)
フィリップは王弟の罪を暴く手札を得るとともに、彼の知らなかったアリシアの一側面を知った。一昨日から密かにアリシアの左手にかけていた魔法の気配が、その紙には残っていたのだ。
(やっぱり……いや、何年も気づいていなかったけど……このメモは、きみだったのか。きみは、こんなにも、黒魔術に長けていたのか)
フィリップを何度も手助けした黒魔術のメモは、アリシアが利き手とは逆の左手で書いたものだった。
(ちょっとずつだけれど、きみの真実に近づいていけている気がするよ)
アリシアと朝のキスを交わし、彼女と一緒に、彼は今日も事を進める。
そして――……敵の裁かれる日が、やってくる。
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