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〈悪役王子〉と〈ヒロイン〉王都編
【38】黒魔術と悪魔の契約 −side 王子−
しおりを挟むアリシアの無事を強く祈りながら、フィリップは目を開ける――が、見える景色は変わらなかった。その場所は、彼女の部屋の中は〝闇〟で満たされていたためだ。
(なるほど。これは、たしかに近づけないな。身体強化や防御の魔法を纏っていなければ、息もできなさそうじゃないか……)
「――アリシアッ!! どこにいる!?」
闇に向かって大声で問うも、彼女からの返答はない。そうだとは思っていたが、とフィリップはジリジリと探るように歩いていった。
「アリシアー! アリシアーッ!」
(……いや、ただ呼ぶだけでは駄目か。もっと彼女に寄り添わなければ。彼女の魔力――彼女の遺伝子――……そもそも、これは、何だ? いったい何が起きているんだ?)
考えながら、彼女を求めてひたすらに進む。
部屋の広さには、当然のこと、限りがある。ここに彼女がいるならば、いずれは絶対に見つけられるはずだ。
(ヘレンやユースタスがそばにいたのに、この有り様なのか。くっ、彼らに状況を聞いてから乗り込んだほうが良かったか……? でも、そんな悠長なことをしていて、アリシアに万が一のことがあったら――)
纏う魔法を解いたり変えたりを繰り返し、彼女を感じようと神経を研ぎ澄ませる。空気を操る魔法の組み合わせをいじっていた時――「あっ」
フィリップは、微かな匂いを感じた。血の匂いだった。
「アリシアッ!」
匂いを嗅ぎ取れるように魔法の具合を調整し、また彼女の名を呼ぶ。これまでの事件や彼女との日々に思いを巡らせ、現状を打開する鍵を探す。
(血の匂い、血の匂い――何かが混ざっている。彼女と僕の他に、誰かがいる? 誰だ? まるで――いや、あいつとは違う。でも近い。魔族の匂いがする。彼女の血――毒――吐血――これは、今、関係ないだろう。違う。
彼女の血――魔法陣。そうだ、彼女は、自らの血を魔術に使う癖があった。卒業パーティーでシシリーの応急処置をした時にも、自分の指先を切り付けて陣を描いていた。自傷はやめてくれと言っているのに、いつも――……でも)
この黒魔術は、アリシアが自ら発現させたものかもしれない。
その考えに行き着いた時、フィリップは、無意識にそれを否定する材料を探した。
(彼女が、あのアリシアが、こんなことをするはずないだろう? アリシアが得意なのは白魔術だ。人を害する黒魔術じゃない。彼女が黒魔術を使うところなど、僕は一度も……見たことが、ない)
そう、フィリップは、アリシアが黒魔術を使う場面を見たことはない。
だが、それが単に〝隠されていた〟からだとしたら?
(アリシアは……【バグ】によって〝ヒロインの能力〟をもたずに生まれた、ヒロインである彼女は。もしかしたら、僕が、僕らが知らないだけで)
血の匂いは広く薄っすらと漂っており、その状況から、彼女は血液で床に大きな魔法陣を描いた可能性が高いと思われた。フィリップは陣の中央を目指し、血の匂いを嗅いで先へと進む。
「アリシア――ッ!?」
と。闇を探っていた手が、ふに、とやわらかいものに触れる。人の肌のようだった。彼はその方向へと近づき、先ほどより強く、しっかりと触れる。
「アリシア……?」
{おや、邪魔者が来たね}
「誰だッ!?」
やわらかなぬくもりを背に庇うように、フィリップは不気味な声のほうを向く。すると背後から、ぱっと青黒い光が灯った。
振り向けば、光り輝く彼女が――アリシアがいる。
「アリ、シア…………?」
昏い碧の瞳をしたアリシアは、フィリップも見たことがない姿をしていた。床の魔法陣から伸びた赤を、まるで血管をレース編みにしたかのようなドレスを纏って、両の手と口元とを鮮血に濡らしている。
認めたくはなかったが、それは、さながら亡霊のようだった。
{この闇に突っ込んでこられるとは見事。さすがは陛下の〝契約王子〟だ}
闇に響く拍手の音を聞き、フィリップはその主を捉まえようとする。しかし見つけられない。触れられない。ただ不気味な声がぐるぐると辺りを回っているようだ。
{どこかにもうひとり邪魔者がいたのかな? 王子に知られぬうちに終わらせようとしていたのに、こんなにも早く}
「そなたは、何者だ。僕のアリシアに何をした!?」
{何をしたとは人聞きの悪い。私は――人間の愚かなる言葉で表すところの〝悪魔〟であり、アリシア・テリフィルアと契約を結んだ者だ}
彼女をこの陣から離れさせる術を、魔術を終わらせる術を探し続けながら、フィリップは叫ぶように悪魔と話す。赤を纏った青白い彼女を、その腕に抱いて。
「魔王の手の者か……。なぜ彼女に手を出したんだ! 関係ないだろう! さっさと彼女を解放しろ!! 魔術を止めろ!」
{何を勘違いしているのか知らないが。こちらは、彼女に召喚されて契約を交わしただけのこと。この娘の願いを叶えようと手助けしてやっただけのこと。そう怒らないでくれよ}
「これが怒らずにいられるか!? こんな大きな黒魔術を使ったら……っ、人間の心は、彼女の心は、壊れてしまうだろう!」
{逆だよ。契約王子}
「は?」
{この娘の心を体から切り離すために、巨大な陣と闇が必要だった。ただめちゃくちゃに壊すよりも、美しいままに心だけを掬い上げるほうが、よほど難しい。例えるなら、そうだな……。
心の臓を剣で滅多刺しにするよりも、心の臓をそのままの形で取り出すほうが難しい。そういう話だ。彼女のような才ある者でなければ、望むことすらできなかったよ}
「…………わからないな。なぜ彼女が自らの心を切り離すことを望む? どうせそちらが妙な誘いを持ちかけて追い詰めたのだろう!?」
{想い人を信頼しているのは良いけれど、そこまで行くと盲目だよ。そなたは、これを聖女とでも思っていたのか? まあ解釈は自由だが――アリシア・テリフィルアは〝心〟と引き換えに〝想い人の永遠の命と幸福〟を得る。それがこの魔術による契約だ}
「〝想い人の永遠の命と幸福〟?」
{これで、そなたは死なない。あるいは死ねない。自殺以外の道で死ぬ運命を失った。これで、そなたは幸せになる。アリシア・テリフィルアと一緒に生きられる。
この契約完了とともに陛下の悪趣味なお遊び契約は立ち消えになり、あけすけに言うなら、今夜からでも好きにズコバコできるようになったというわけだ。ずっとシたかったのだろう? 良かったな}
「下品なやつだな。そんなくだらない――永遠の命と幸せなんかのために、僕のために、彼女は心をそなたに捧げたというのか!?」
{残念ながら、違う。この自惚れ王子が。彼女の望みは〝心を捨てること〟だった。ただで頂くのは悪いから、それに報いるものを差し上げたまで……っと。ようやく終わるようだな。暇つぶしに付き合ってくれて、どうもありがとう――}
「おいっ、待て!!」
不気味な声が、遠のいていく。強風の吹き荒れるような音がする。風に乗って囁くように、悪魔は去り際の挨拶をした。
{心を亡くした恋人と、どうか末永くお幸せに。また今度のシナリオ外イベントで会おうか? 彼女の心を取り戻したいと望むなら。まあ、彼女は、そなたの隣には帰りたくないかもしれないがな……?}
「……っ!」
ざあぁっという音がして、闇が晴れる。腕の中のアリシアは、もう清潔な裸体になっていた。ただ左の手首には切り傷が残っていた。
その黒魔術は、何の邪魔もされずに遂げられた。
フィリップは、これを止める術をもたなかった。
(また救えなかった……? いや、違う。彼女に、アリシアの心に、逃げられた? ああ、わからない。とにかく彼女を医者に診させて、魔術研究院にこの陣を――)
すやすやと眠るアリシアに、フィリップは泣きそうな声で呟く。
「何も……きみが心を失っても、僕は、何も変わらないじゃないか。僕は、きみを失えば自殺するシナリオで。魔王と契約したために、望まなければ死ねない身体で。きみさえ隣にいれば、幸せなのに……目覚めたきみに、心は無いの? 本当に?」
彼女と話したくて、目覚めてほしくてキスをする。唇の感触は、朝の〝いってらっしゃい〟をもらった時と変わらなかった。
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